第33話 番外編 シルヴェスターのお願い
ある日の昼下がり。
エリザベスとシルヴェスターは、ほどよく陽の光が差し込む部屋でのんびりと寛いでいた。
長椅子に並んで腰かけ、それぞれ違うことをしている。
エリザベスは先日購入した本を広げ、シルヴェスターは狩猟用のナイフの手入れをしていた。
使用人が焼きたてのクッキーを持って来る。
シルヴェスターはナイフを置き、一枚手に取ってエリザベスに向かって「あ~ん」と言って差し出した。
当然ながら、エリザベスは無視する。
本日も彼女は通常営業であった。
邪険にされるのも慣れっこなのか、シルヴェスターはまったく気にする様子もなく、クッキーを自らが食べる。
紅茶を飲み、再度ナイフを研ぐ作業を再開させた。
静かな時間が過ぎていく。
天気は良く、風は穏やかに吹き、小鳥の囀りが聞こえた。
テーブルの上にはおいしいお菓子と紅茶がある。
エリザベスが何より愛する空間であった。
作業を終えたシルヴェスターは、鞘にナイフを収納させる。
テーブルの家に置いて手ぶらになると、エリザベスのほうへと身を寄せ、内緒話をするようにヒソヒソと話しかけてきた。
「ねえ、リリー、夜会に出てみない?」
シルヴェスターの言う突然の誘いの言葉に、エリザベスは顔を顰める。
警察官が罪人に話しかけるような低い声で、いったいどういうことなのかと問いかけた。
「なぜ?」
「着飾ったリリーを見たいんだ」
「今、ここにいるわたくしでは、満足していないということですの?」
「違うよ。いろんなリリーを見たいんだ」
シルヴェスターは甘ったるい笑みを浮かべながら言う。
すっかり慣れっことなったエリザベスははあと溜息を吐く。
「でも、わたくしが夜会に行ったりしたら、騒ぎになるんじゃなくって?」
事件から半年経ったが、いまだに噂に上がることもある公爵令嬢と瓜二つな上に名前も一緒のエリザベスが出て行けば、騒ぎになるだろうと。
「大丈夫だよ」
「変装でもしますの?」
「惜しい。招待があったのは、仮面舞踏会なんだ」
差し出された招待状を見て、エリザベスは顔を顰める。
「仮面舞踏会って、ふしだらな催しでしょう?」
見ず知らずの者と手と手を取って踊り、一夜限りの愛を囁き合う。
真面目なエリザベスからしたら、とんでもない催しであった。
「大丈夫。私が付いているから」
そんなことを言うが、不安しかない。
エリザベスは笑顔を浮かべるシルヴェスターの頬を抓る。
面の皮が厚いからか、あまりダメージを受けているようには見えなかった。
「リリー、お願いだよ」
シルヴェスターの懇願を聞きながら思う。
これから、二人は田舎で暮らすことになる。二度と、賑やかな社交場に出ることはないだろう。
だから、一回くらい付き合ってやってもいいのでは。
そう、考え直した。
「……一回だけなら」
「本当かい?」
「ええ、最初で最後です」
「リリー、ありがとう!!」
シルヴェスターはエリザベスの肩を引き寄せ、ぎゅっと抱きしめる。
仕方がないので、好きにさせておく。
そっと身を預けたら、シルヴェスターは耳元で囁く。
「やっと気を許してくれた」
珍しく、弾んだ声である。
いつもツンとした生意気な態度ばかり取っているので、嬉しかったようだ。
二人の甘い時間はゆっくりと過ぎて行った。
◇◇◇
一週間後――仮面舞踏会当日となる。
本日の主催は第二王子だそうで、ふしだらな催しではないことが発覚した。
日頃から素行の悪い者は参加者リストから跳ねられているらしい。
そして、なぜか別々に会場に向かっている。
なんでも、変装したエリザベスを見つけたいとシルヴェスターは言うのだ。
馬鹿馬鹿しいことだけれど、仕方がないので付き合ってあげることにした。
本日は茶色の鬘をハーフアップにして、垂らした髪は縦ロールに巻いてある。
ドレスは普段着ないような、大胆に胸元の開いた深い青のドレスだ。
背中も広く空いていて、叔母セリーヌから贈られたのはいいものの、いつ着るのかと困っていた一着であった。
着ていく場所があって良かったと、心底思った。
目元は蝶の仮面で隠す。普段よりも数センチ踵の高い靴を履き、真っ赤な口紅を塗って参戦した。
仮面舞踏会の会場は王城の裏にある離宮だ。
普段、王族しか入れない場所を今夜限りで解放している。
エリザベスはドレスの裾を掴み、階段を上がって行った。
大広間には、仮面を同着した大勢の参加者がオーケストラの生演奏の中で踊っている。
この中からシルヴェスターを探さなければならない。絶対に無理だろう。そう思った瞬間、五メートルほど離れた場所にいる男性と目が合った――ような気がした。
相手は黒髪で、白い礼装姿である。目元は鳥の羽根を模した仮面で覆っていた。
口元には、笑みを浮かべている。エリザベスを見て微笑んだのだ。
こんなにたくさん人がいるのに、どうしてかその人から目を離すことはできない。
それは、向こうも同じようだった。
――あれは、シルヴェスターだ。間違いなく。
エリザベスはそう確信し、黒髪の男性が動き出すのと同時に、なぜか踵を返す。
階段を下りる途中で、穿いていた靴が片方脱げてしまった。
舌打ちし、こうなったらと自棄になってもう片方も脱ぐ。これで走りやすくなった。
だが、階段を下り切ったところで、腕を引かれてしまった。
「リリー、なんで逃げるんだ!?」
「あなたが追って来るから」
「靴も脱げただろう?」
そう言って、脱げた靴を差し出してきた。
「こんな踵の高い靴を履いて」
「身長を誤魔化したら、バレないと思いましたの」
「リリー、君って人は、どうしてそう、負けず嫌いなんだ」
ここで気付く。
逃げてしまったのはシルヴェスターが先に変装に気付いたからだと。
本能的に悟ったのだ。
シルヴェスターは片膝を突き、エリザベスに靴を履くように差し出した。
「あなたは、すぐそうやって膝を突く」
「リリーは、きっと相手が神であろうと膝を折ることはないんだろうね」
また、とんでもないことを言う。エリザベスはふんと鼻を鳴らした。
その間に、靴が履かされる。手に持っていたもう片方も。
「さて、靴にキスでもしたら、姫のご機嫌が治るのかな?」
「怖いわ。本当にしそうで」
「リリーが望むのならば」
至極真面目な表情で言うので、エリザベスは珍しくたじろぐ。
しかし、すぐに言い返した。
「こんなところで恥ずかしい。やめていただけるかしら?」
「それって家だったらいいってことかな?」
「なっ――きゃっ!」
シルヴェスターはエリザベスを横抱きにして持ち上げる。
歩いて行く先は、馬車乗り場のほうだった。
「あ、あなた、夜会に参加したいと言っていたのに」
「気が変わったよ」
「わたくしを巻き込んでおいて、何を――」
「だって、こんなに素敵なリリーを、誰にも見せたくないから」
そう言って、口元に孤を描く。
仮面の下ではきっととろけそうな笑みを浮かべているに違いない。エリザベスは思った。
結局、今日は振り回されてしまった。
しかし、たまにはこういうことも悪くないと思うエリザベスであった。
令嬢エリザベスの華麗なる身代わり生活 emoto @emotomashimesa
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