第32話祝福を
療養中、シルヴェスターは毎日夕方には帰宅を果たし、見舞いの品と共にエリザベスの元へ訪れていた。
今日は、白百合の花を持ってやってくる。
「エリザベス、今日も良い子にしていたかい?」
「おかげさまで」
額の怪我の包帯は取れ、体の痛みもほとんどなくなった。
なのに、一日のほとんどは寝台の上で過ごすように言われていた。
病人生活はすっかり飽き飽きなエリザベスは、過保護の原因とも言える人物を、ジロリと睨み上げる。
シルヴェスターは抗議の視線を気にも留めず、白百合の花を見せようとしていた。
「特別な栽培方法で育てられた百合なんだって」
百合は初夏に花咲く品種である。今の時期は市場にでることのない花だ。
きっと、貴族向けに作られた、とんでもなく高価な花なんだろうなと、エリザベスは呆れながら眺めていた。
「君のイメージに合うと思って」
「百合が、ですか?」
「そうだよ。純潔、威厳、無垢……ぴったりだろう?」
少し前、ユーインから冬薔薇(ふゆそうび)をもらったことがあったと記憶から蘇えらせる。
家族からも、薔薇の花が似合うと言われたことがあった。
綺麗だけど、棘があって近づきがたい。そんなイメージだと。
百合が似合うと言われて、首を傾げることになった。
「イメージに合うって、棘のある薔薇ではなくて?」
「そうだね。出会った頃ならば、そう思っていたかもしれない」
シルヴェスターは話す。
まっすぐ伸びた茎のように凛とした姿をしているけれど、首を垂らした花のように謙虚なところもある、と。
「百合の花はね、その昔、上を向いて咲いていたんだ。美しいその姿を自覚し、神を慰めようと。けれど、いざ神にその姿を見られたら、自らの傲慢さに気付いて、俯いてしまったんだよね。それから、百合の花は首を垂れて、美しさを誇示するのをやめてしまったんだよ。そういうところが、ちょっと似ているかなって」
「喜んでいいのか、悪いのか、判断に迷うお話ですわ」
「自らの器を正しく自覚するのは、なかなかできないことだよ」
最初の凛とした姿と謙虚な様子だけなら喜んでいたのにと、不満をもらす。
シルヴェスターは笑いながら、あとの話は忘れてくれと発言を撤回した。
「そうだ。エリザベスのことを、リリーと呼んでいいかい?」
百合を意味するリリー。エリザベスの数多くある愛称の一つでもある。
「それは、別に構いませんけれど」
「よかった。リズは、妹だから……」
話をする声が沈んでいく。
以前、話したことがあったのだ。自分も故郷ではリズと呼ばれていると。
「リズについて、話をするつもりはなかったんだけど、君も事件に巻き込んでしまったから――」
シルヴェスターは忌々しいと言わんばかりに、妹エリザベスについて語りだす。
「実は、彼女は十歳のころにこの家にきて、びっくりしたんだ。ひどくやせ細っていて、暗い目をしていた。あれは子どもの目付きじゃなかったよ」
当時のシルヴェスターは十八歳。
公爵家の血が流れていながら、遠い親戚の家で不当な扱いを受けていたという話を人伝いに聞く。
「きっと、愛に飢えていたんだろうなと思い、私は可能な限り、リズに優しくしたんだ」
シルヴェスターはエリザベスを妹として可愛がった。
けれど、エリザベスはそうでなかった。
シルヴェスターを、一人の異性として愛し始めたのだ。
「彼女が十五歳の時に想いを告げられたんだけど、本当に驚いて……血は繋がっていないけれど、妹としてしか見ていなかったから、拒絶してしまったんだ」
その対応が、間違いだったと呟く。
「それから、リズは私の気を引くために、いろんなことをしでかしてくれた」
その詳細は話さなかったが、日記帳で内容を知っていたエリザベスは、心底気の毒だと思ってしまう。
近衛兵を辞めた理由も、エリザベスにあった。
自分は姫君で、シルヴェスターは騎士という妄想を始め、仕事に行くことも妨害を始めたので、コンラッド王子に相談して文官に転職したのだ。
行動が過激になっていくエリザベス。
妹が待つ家に帰りたくなくて、仕事が欲しいとコンラッド王子に頼み込んだ。
王子は願いを叶え、深夜までかかるほどの仕事を持ちこんでくれた。
忙しい毎日に、妹の起こすさまざまな問題。
シルヴェスターは憔悴しきっていた。
結婚すればきっと変わってくれる。そう期待していた矢先での、駆け落ちだった。
「リズはきっと、初めに引き取られた家で、ひどい扱いを受けてあんな風になってしまったんだ。だから、あまり強いことも言えなくて……」
「そう」
「本当に、妹として愛しているのならば、矯正させるべきだったのに、上辺だけの同情から、中途半端に接してしまって……一番悪いのは、私だよ」
それは違うと思った。けれど、かける言葉が見つからない。
エリザベスは、膝の上で握りしめられたシルヴェスターの拳に、そっと手を重ねる。
シルヴェスターは俯いていた顔を上げ、エリザベスを見る。
赤くなった目を見て、きゅっと心が切なくなった。
言葉は、自然と口からでてきた。
「あなたはとても、頑張りました」
再び、顔を手で覆って俯くシルヴェスター。
エリザベスは腕を伸ばし、その体を優しく抱きしめた。
◇◇◇
一ヶ月半後。
しっかり健康な体を取り戻したエリザベスは、緊張の面持ちで扉の前に立つ。
隣には、シルヴェスターの姿があった。
目の前にあるのは、公爵の部屋の重厚な扉。
シルヴェスターが戸を叩いて鳴らす。
「――入れ」
地響きのような、低い声が聞こえた。
顔を強張らせているエリザベスを、シルヴェスターが励ます。
「大丈夫だよ、リリー」
そう言って、部屋に入った。
公爵は腕を組み、険しい顔で二人を迎える。
ピリピリとした空気にエリザベスは耐えきれず、額に汗が浮かんだ。
「そこに座れ」
公爵は自らが座る長椅子の前に腰かけるように命じたが、エリザベスとシルヴェスターは示し合わせもしていなかったのに、二人同時に床に片膝を突いたのだ。
「父上、彼女は――」
「いい。ひと目見た時から、違うとわかっていた」
公爵はエリザベスの正体に、最初から気付いていたのだ。
「それは、なぜ……?」
「そこのエリザベスと、公爵家のエリザベスは天と地ほども違うだろう。滅多に家に帰らないから、騙されると思ったのか? この青二才が」
「申し訳、ありませんでした」
公爵はずっと、シルヴェスターが本当のことを報告してくるのを待っていたと話す。
だが、最後までそれもなかった。
「血の繋がらないお前を実の息子のように育て、目をかけてやったのに、とんでもないことをしてくれおって。リズも、どうせお前が唆し、誘惑をしたのだろう」
「公爵様、それは――!」
「リリーいいんだ」
妹とのことについて、コンラッド王子とエリザベス以外に話すつもりはない。シルヴェスターはそう言っていた。
父親に対しても、その決意を貫くようだった。
「お前なんて勘当にしてやる! 一刻も早く、ここからでて行け」
「父上……」
この場にやってきたのは、エリザベスの身代わりの説明と、結婚の承諾を得ることだった。
シルヴェスターははじめから、王都をでるつもりだったのだ。
「父上、ありがとうございます」
「お前は耳が遠いようだな。聞こえなかったのか?」
「いいえ、聞こえておりました。反省しております」
「……公爵位は、ユーイン・エインスワースに継承させる。あいつは、お前より優秀だ」
「はい、私も、そう思います」
シルヴェスターは立ち上がり、エリザベスに手を貸した。
もう一度会釈をして、部屋をでる。
廊下を歩きながら、シルヴェスターはぽつりと呟いた。
「やられてしまったね」
「ええ、見事なまでに完敗ですわ」
公爵は何もかもわかっていて、あのような態度にでたのだ。
勘当はシルヴェスターが家をでて行きやすくするための、狂言でもある。
「役者だな、父上は」
「その辺は、あなたも張り合うことができると思いますけれど」
「そんな、父上ほどの演技力なんて、私には」
演技力に関して、大したことはないと言い切るシルヴェスター。
公爵の演技に対し、驚いた顔やショックを受ける様子など、自然な返しをしていたことを指摘すれば、褒めてくれて嬉しいと喜びだす。
◇◇◇
荷物はすべて馬車の中に運ばれていた。
馬も繋がれ、待機している。
エリザベスとシルヴェスターは、玄関に向かった。
そこには、ずらりと並んだ使用人達が待ち構える。
涙ながらに話しかけてくるのは、執事であった。
「若様、本当によかったです。どうか、お幸せに……!」
「ありがとう、レントン。今まで迷惑をかけたね」
「迷惑だなんて」
使用人一同からと言って、花の種や球根を受け取った。
馬車に乗り込み、王都を離れる。
遠くなっていく、街の象徴である時計塔。
雪が降り積もった景色を窓に映しながら、馬車は進んでいく。
視線を窓から離せば、シルヴェスターと目が合った。
「そういえば、最後まで求婚の返事はしてくれなかったね」
「……」
エリザベスは毎日のように、シルヴェスターから結婚してくださいと言われていたのだ。
なんとなく返事は先伸ばしにしていたものの、相手は何枚も上手(うわて)で、いつの間にか父親に婚約の了承を得ていたのだ。
エリザベスは知らなかったが、シルヴェスターはずっと実家の父親と文を交わしていた。
本人曰く、「大切なお嬢さんを預かっていたから、当然のことだよ」とのこと。
シルヴェスターは馬車の床に片膝を突き、エリザベスに乞う。
「エリザベス・マギニス様、どうか、この私と、結婚をしていただけないでしょうか?」
「――どうしようかしら?」
そんなつれない言葉を返せば、ショックを受けたような顔で見上げてくる。
反応を見て、エリザベスは笑った。
「どうか、お願い申し上げます」
「そうね」
「!?」
「あなた、とっても可哀想だから、結婚してさしあげても、よろしくってよ」
そんな、上から目線の物言いであったが、シルヴェスターはパッと立ち上がり、エリザベスの体を抱きしめる。
「リリーありがとう! ありがとう! とっても、嬉しい!」
「ち、ちょっと、狭い車内で――」
「これ、夢じゃないよね?」
数分かけて、シルヴェスターを落ち着かせる。
「そんなに喜ぶなんて……」
「いや、本気で結婚してくれないと思っていたから」
「そうだとしたら、あなたはなんのためにわたくしの実家に?」
「バター作り?」
「……」
今でも信じられないと、浮かれたように呟くシルヴェスター。
そんな彼に、エリザベスは気持ちを告白しようと思う。
らしくないことを言おうとしているので、頬が熱くなった。
けれど、勇気を振り絞って告げた。
「シルヴェスター様、わたくしはあなたのことを、お慕い申し上げておりますわ」
「リリー!」
再び、ぎゅっと抱きしめられる。
耳元で、夢のようだと囁かれて、照れてしまう。
「私は、生涯君のために生きよう。何があっても、必ず守ると誓う」
「……わたくしも」
契りの言葉を、唇で封じた。
しんしんと雪が降り積もる中、将来の約束を交わした二人は、深い口付けをする。
この瞬間に、幸せは永遠のものとなったのだ。
令嬢エリザベスの華麗なる身代わり生活 完
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