十三 潮時

 教祖は鳥海に下命した。

「何としてもビットペッパーを回収するように。

 回収した金はそのままG作戦に投入するように」

 教祖は平静だが、その声に微かな怒りを感じた。

 鳥海は教祖の感情的な挙動を理解している。

 こんな時はすぐに行動に移さないと、怒りが爆発する。

「では、即刻、G作戦の指揮を執ります」

 鳥海は教祖に叩頭して後に下がり、千葉に命じた。

「サイバー軍担当大臣、ビットペッパー回収の責任者として、私の指揮に従うように」

 鳥海と千葉は幹部会を後にして、バンビーの裏オフィスへ急いだ。


 オメガの下級幹部や上席信者の中には小池に勧誘された者がいる。当然に小池のシンパサイザーだ。

「ビットペッパー騒動と小池さんの解任、そして失踪」

「小池さんはビットペッパー事件の責任をとらされたんだ」

「俺たちにも冤罪が」

明間あきまはどうした?彼が一番危ない立場だぞ」

「ひょっとして、小池さんと一緒に粛正された?」

 明間孝男にとって、小池は教祖の次に忠誠を誓う対象だった。

 小池を明間を信頼しており、裏金の運搬は明間に任せていたほどだ。


「ビットペッパー事件が起きたとき、悟ったのです」

「何を」

「(小池大蔵)大臣は他の幹部にはめられたってことを。

 システムエラーなんて起きるはずないでしょ。

 ほかの大臣の策略だったんですよ」

「で、出頭した理由は?」

 取り調べている刑事は警戒と戸惑いが交錯していた。

 明間は、白昼に単身、否、嫌がる信者を引きずって所轄署に保護を求めた。


 出家信者が教団施設から外出するときは同行者を伴って相互監視する。同行者の監視の目を盗んで最寄りの交番に駆け込むことは容易でない。

 だが信者にとって、同行者を裏切るとは信仰への背信であり、取り返しのつかない罪を背負うこととして畏れている。

 オメガにとって公安は敵だ。

 精神修養の場に入り込んできて、心を乱す。

 警察はその先兵、悪の手先として忌み嫌うよう徹底して洗脳している。



 小池の失踪が明間の心の殻を破った。

 同行者の目を盗むのでなく、地団駄踏んで嫌がる同行者を警察署まで引きずってきた。

 正面玄関でオメガの明間と名乗った途端、受付の巡査は身構えた。

 ひょっとして、自爆テロ?

 明間の身体検査をした。爆発物や生化学兵器などの危険物はなかった。

 銃刀類も持っていない。

 丸腰だ。

 警察は、捜査を攪乱するための妨害工作を疑った。


「小池森雄大蔵大臣を助けて下さい」

 県警本部の公安課がマークしているオメガの幹部、小池の保護を明間は訴えた。

 管轄内にオメガの主要施設、津村道場がある。

「彼は、ここ(津村道場)にいるのですね?」

「今朝、会いました」

「間違いないですね?」

「私は大臣のサーバントです。幹部会までは一緒でした」

「幹部会とはどのようなものですか?」

「私など近づくともできない、雲の上の会議です。教祖の御前会議ですから」

「教祖も幹部も、参加するのですか?」

「はい」


 警察庁の公安課が全国の県警本部に号令をかけて探していたオメガの教祖がここにいる!

 所轄署全体が震撼した。

 本部の指示により、即時に所轄署による津村道場の包囲網が目立たぬよう静かに敷かれた。

 出入りする者は全てチェックし、外出者はその後の行動を追跡する。

 二時間後、県警の先遣部隊が駆けつけ、監視体制が完成した。

 警察庁と県警の間で、今後の対応について協議が始まった。


「現金を持ってないことが幸いしたな」

 詠人はビットペッパーのニュースを見ながら拓斗に、安堵の声を漏らした。

「あのタイミングでビットペッパーに換金していたから、今度の稼ぎがゼロになっていた」

「僕がデジタルマネーを信用していないのは、今回のことがあるからだよ。

 今までは可能性に過ぎなかったけど、とうとう現実になった」

「いや、預金として認められてないから、預金保険機構の保険が適用されないことが欠点なんだ。

 保険が使えるようになれば、完全無欠の通貨だ」

「でも、兄貴の現金、保険の適用額の上限を超えているじゃない。

 結局、殆どを失っていたよね」

「それにしても、買い手がついたって連絡から丸一日経つけど、続報がないなぁ。

 あっ、噂をすれば、ってやつだ。

 あれ?」

 スマートフォンに届いたのは見知らぬアドレスからのeメールだった。

 差出人は前田努とある。前田商事からだ。

「なんだ、前田さんか。

 奥さんのアドレスで送ってきたんだと。

 (自分のアドレスでは)盗聴されてるかも知れないからって」

「本当に盗聴されているなら、家族だって監視の対象だよね」

「だから簡単に伝えている。最高級干し柿は買えなかったそうだ」

 富山県の特産物の一つに干し柿がある。

 前田商事は詠人から預かっている商品を干し柿と言い換える。

 今回は小判だが、刀剣や甲冑、古文書はすべて干し柿だ。

「売買不成立?」

「そう。だけど、次の買い手を探してくれるそうだ」

「ねぇ、兄貴。もうそろそろ潮時じゃないか」


 吉川さん、吉川史奈さん。

 産婦人科の待合室で事務員から呼び出された。

 ほぼ同時にスマートフォンが鳴った。編集長からだ。

 ほんの少しだけ、会計を待ってもらった。

「ふみちゃん、休暇なのにご免。

 休暇じゃなく、勤務扱いにするから、今から、大丈夫かな?」

「一時間、いえ一時間半で出社できます」

 待望の二人目が三つ子だと分かった。

 排卵誘発剤を使わない自然な妊娠で三つ子と診断されて、稀な多胎妊娠に驚き、戸惑い、覚悟した。

 きっぱり、仕事は辞める。


 その覚悟を試すような招集連絡だ。

 三人の命が宿っていると知った途端、その命が脆く、繊細に思えてきた。

「ふみちゃん、悪いね。

 もうすぐ、オメガの教祖が逮捕される。

 実況中継のためにマスコミに告知された。

これこそチャンスだよ」

 私は編集長の意図が読めた。

「榊詠人にオメガについてインタビューする、ですね?」

「そう。レイコの正体を掴む最後のチャンスだ。落としてくれ」

 私の最後の仕事。

 これを花道に記者生活を終えると決めた。


 小選挙区選挙に負けたが比例代表選挙で当選した喜多川珠代は、衆議院議員の二期目に厚生労働副委員長に落ち着いた。

 地元の喜多川珠代事務所で、有力支持者を通じての陳情を受けるのが加納美帆・佳央姉妹だ。

 実務では古参の事務員に敵わないが、科田丸家のお姫様、喜多川珠代に使える家老職の家柄、加納姉妹は支持者でなくても注目を集める存在だ。

「美帆さん、事務所のテレビつけておいて。

 もうすぐ全局で中継が始まるわ」

 ビットペッパー事件から一週間後、珠代が議員会館の事務所から電話してきた。

「中継ですか?」

「オメガの教祖と幹部の逮捕よ。

 警察が道場に侵入するわ」

「オメガですか?」

「津村道場よ。隣の県だし、他人事じゃないわ。

 緊急メルマガは(議員会館在住の私設秘書)須脇すわきさんが配信するから」

 テレビをつけると、まだ通常の番組だった。

 程なく、その番組が中断され、ニューススタジオに切り替わり、アナウンサーがこれから起きることを手短に紹介して、現地の中継映像に切り替わった。

 遠方から撮影しているのか、建物の入り口のズームアップ画像は、時折、機動隊員のヘルメットで遮られる。

 隊員達が中に入りだした。

 切断機で扉を切り破ったのだ。

 だが、数人の男女を連れてすぐ出てきた。

 どうやら信者が入り口に自分の体をバリケードにして、奥に入ることを阻止しているようだ。


 外食の時間がなくなった詠人が大学内の食堂に行くと、テレビはまだ昼のニュースを映していた。

 オメガの道場突入のニュースは時間を拡大して放送している。

 まだ、建物内で進路を阻んでいる信者を外に連れ出すことを繰り返している。単調な映像なので、午前中の突入の様子と交互に映像が切り替わる。

 肝心の教祖は、まだ身柄確保されていないらしい。

「本当に、ここに教祖がいるのかな?」

 誰かが呟いた。

 ニュースの肝心の箇所を聞き逃したが、皆の会話を聞いて、オメガの今の状況を理解した。

「無駄な抵抗して、怪我するだけなのに」

「医者の幹部がいるって言ってたけど、あの中にいるのかなぁ?」

「医者がカルトにはまって、どうするんだろうねぇ」

 オメガ崩壊の瞬間を見届けたいが、午後もカリキュラムが詰まっている医学生には許されない。

 教祖は本当にいるのでしょうか?と、実況解説のジャーナリストが疑問を呈する。

 程なく、現場指揮官の話として、現在、教祖が立てこもっている隠し部屋の扉を切断中とアナウンサーが補足したところで詠人の昼休みは終わった。


 教祖の身柄が確保されたのは、午後四時十二分。

 道場から出てきた姿は異様だった。

 四人がかりで担架に運ばれてきたからだ。

 民放の勇み足の現場リポーターは、警察が教祖に怪我を負わせた可能性があると憶測で報告した。

 後刻の警察の記者会見では、この誤報を繰り返し指摘したうえで、真相を述べた。

 教祖は頑として動こうとしなかったので、隠れ部屋から引きずり出した。

 廊下に出てから四人がかりで抱えて連れ出した。

 担架が使える場所で担架に乗せて道場から運び出した、と。


 自動車通学する詠人を捕まえるのは難しいことではない。

 大学の駐車場で車に乗るところを狙えばいいからだ。

「榊詠人さんですね。週刊ダンテの吉川と申します。

 オメガの教祖逮捕について一言いただきたくて」

 身分証を提示した。

「週刊ダンテ?

 なぜ僕なのですか?」

「『霊・暴き』と『暴き・緑』の運営者だったのでしょう?

 裏付けはあります。

 オメガによって運営不能になってしまったことも把握しています。

 クラブQの経営者、冴子さんが誘拐されたこと、レイコさんの身に危険が迫ったこと、全てオメガの仕業ですよね」

「さあ?」

 ダンテの記者の前で無関係を装っても無駄な抵抗なのに。

「関係ない、ではありませんよね!

 あなたがオメガと関わったせいで、冴子さんとレイコさんが危ない目に遭ったんでしょう?」

 他の学生の注目を集めるよう、語気を強めた。

 効果覿面だ。

 近くの車に乗ろうとしていた学生連れがオメガの話題をしているのだから。

「車に乗ってください」

 観念した彼は私を助手席に押し込んだ。

「(大学を)出るまで黙っててください」

 彼の動揺は運転で分かる。

 カレラも声を殺すように、ゆっくりと走った。後続車が連なる程だ。


「どうしてですか?」

 先ほどの神妙な態度とは打って変わって、開き直っている。

「どうして『霊・暴き』が、僕って分かったんですか?」

「正統レイコよ」

「そうでしたか。

 オメガもそこから辿ってきたのかなって思っていたんですけど、吉川さんってオメガ並みですね。

 これ褒め言葉ですよ。

 オメガ並みの情報分析力」

「ダンテの取材力を侮らないでもらいたいわ。

 ネットに詳しい記者に言わせれば、自ずと答えは出たわ。

 それに正統レイコって、世間では都市伝説の後追いと看做していたけど、私には当事者の心の叫びに見えたわ。

 偽レイコに対する」


「偽レイコに踊らされたのですね。

 陽動作戦だったのですか?レイコをおびき出す」

「結果オーライってことかしら。

 種明かしするとね、偽レイコって、三流記者が私を嫉んでの、精一杯の取材妨害だったのよ」

 そういえば、大日経済の御厨を最近見ないことに気がついた。

「それに乗せられて、僕は、オメガを呼び寄せたんだ!愚かにも程がある」

「そう自虐的になるものじゃないわ。

 『霊・暴き』と『暴き・緑』があればこそ、公安もオメガ撲滅に動き出したんだから」

「それなら嬉しいですね。

 ついでに表彰してくれると、もっと嬉しいですけど」

「本当に警察から表彰されたい?」

「えっ?」

「こう見えても週刊ダンテは硬派の雑誌で、警察関係者からは好意的に扱われているのよ。

 幹部に耳打ちするくらいはできるの。

 他の雑誌以上に。

 だからあなたの活躍を書けば、表彰されるわ。

 それだけのことをしてきたのだから。

 何なら、幹部に耳打ちしてもいいのよ」

「遠慮します。嫉まれるだけなんで。

 ヒーローが医学生で、外車に乗ってるって、嫉まれる典型ですよね。

 知ってるでしょ、あのスキャンダル写真。

 すごく迷惑したんですよ、僕も」


「だからお昼のレストランも変えたのよね」

「最近は学業に忙しくって、外食できないんですよ」

「週二でル・パーニュでしょ。

 相変わらずフレンチ好きね」

「どこかの莫迦がグルメサイトに投稿して迷惑しているんですよ」

 確かに今日も若い女性がお店の外まで行列を作っていた。

 女子なら食事したことを自慢したくなる店だ。

「贅沢な悩みね。

 ド・ジャルジーも人気のフレンチでしょ?」

「吉川さんって、ストーカーですか?」

「それが取材ってものよ。

 あの富貴麗と二人で食事するなんて、あなたのお父様に縁(ゆかり)があるっていっても、関係を疑っちゃうわ」

 鳥肌が波のように通り過ぎるときの、表情筋の一瞬の動きを、私は見逃さなかった。

 探し当てた!

 榊詠人のツボ。


「富貴麗さんって、そんなに凄いんですか?

 確かに大病院(の若夫人)ではあるけど」

「芸能界でタレント活動している医療関係者のようなお茶の間の知名度はないけど、ダンテは彼女をマークしているのよ。

 政界地図の人脈を丁寧に辿っていくと出てくるのよ。

 富貴麗って名前が」

 一瞬考える詠人の表情を、見逃さなかった。

「心当たりあるでしょ?

 富貴麗の人脈で」

「いえ」

「麗さんって、この間も総理大臣に会っているのよ。

 同席していたのは厚労大臣と厚労族議員の喜多川珠代」


 詠人は、渋滞で止まっただけなのに左右を確認する振りをしている。

 チェックメイト。

 この、可愛い医学生を落とした。

 オメガに関する私の質問に、価値ある情報を提供してくれた。

 ビットペッパー事件は将来の取材資料になるだろうが、今、扱うのは危険だ。

 一介の医学生が結構なニュースソースになっている。


「一つ聞きたいのだけど、巫女レイコの正体は?」

「それは冴子さんが知っています。冴子さんから聞いて下さい」

「では、こうしましょう。

 あなたが冴子さんに口添えして。

 私がレイコの取材をすることを」

「吉川さんって、ご出身はどこですか?」

「話をはぐらかそうとしても駄目よ!」

「いえ、そんなつもりなくて。

 何度も会っているのに、つい、聞きそびれてしまって、今頃になって聞くんですけど」

 差し支えない範囲で自分のことを語った。

「へぇ、旧姓肥留賀ひるがですか。

 ひょっとして、あの戦国武将、肥留賀厳丹げんたんとゆかりがあるとか」

「違うわよ。

 大名家じゃないけど、これでも旗本だったらしいわ。

 実家は相模原の戸建て、というささやかな、お屋敷だけど」

 旧家とは無縁の、新興住宅地に建てた家だ。

「そんな立派な家柄のお嬢様が雑誌記者ですか?」

「大名家の記者だっていたわ。

 総理大臣になったでしょ?

 で、レイコの取材は大丈夫よね」

「仕方ないですね。

 でも冴子さんは、怖い、との噂ですよ。

 政財界の実力者と知り合いのようですから」

「それは誘拐事件でよく知ってるわ」


 この日の逮捕者は、教祖と主要幹部の殆どで、一般信者は身元確認のうえ、道場からの退去を命じられた。

 逮捕された者の中に小池はいたが、鳥島と千葉はいなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ダークメディア 海道久麻 @kaido

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ