十二 ビットペッパー

 榊詠人にとって最後通告だった。

「菅井先生は私のことを、そう評価されるのですか?」

「私だけじゃない。内藤先生も同意見だ」


 その夜遅く、詠人は富貴麗と会った。

 先約をキャンセルして、詠人の相談に乗ってくれた。

「詠人君、そんなことになっていたの?」

「……はい」

「あなたのお父様に顔向けできないわ」

「今更、死んだ父に顔向けなんて。意外と義理堅いんですね」

「お世話になったから。せめてもの恩返しよ」

 恩返し。

 麗が詠人との絆の根っこにあるものだ。

 詠人にとって、頼りになる美人のお姉さん。

 もし実の姉がいたとしても、ここまで本音を曝せないと思う。

 ましてや、母親にも、だ。


 先日のSNSでは、市民コンサートで独唱した動画が埋め込まれていた。

 プロさながらの舞台衣装。

 母親という先入観があるからか、母を痛々しく見てしまうのだが、母よりも年上のソプラノ歌手が、母以上に派手な衣装で登場するのと比べれば、妥当な線というべきか。

 母への返信は、動画の感想だけで、自分の近況は一言も触れていない。

 肉親の母と家族でない麗との、心の使い分け。

 それは、思春期の少年の心を鷲掴みにした女性への感情を引きずっているからだ。

 恋慕。

 麗に会うと今でもこの言葉が湧き出てくる。

「(恩は)十分返してもらいましたよ」

「で、どうするか迷っている訳ね」

「はい。医者を諦めようと思っています」

「まだそんなこと言ってるの?」

「じゃあ、麗さんは菅井教授の言うとおりにしろと?」

「まずは医師になりなさい。

 それからどんな人生を歩むか、決めればいいわ。

 あなたのお母様だって、同じことを仰るはずよ」

「どうして、誰も彼も、母を持ち出すんですか?」

「男にとって、母親は特別な存在だからよ」

「そうなんですか?」


 詠人にとって、麗の方が特別だ。

「女だから分かるの。

 だから詠人君はお母様と、面と向かって、話さないでしょ?

 お母様に反対されたら何もできないタイプだから」

「そんなことありません!母が日本にいないから話さないだけです」


 そう。SNSだから、話せないことが沢山あるだけだ。

「お母様にそこまできっぱり言い切れるかしら?見物だわ」

「麗さん、性格、歪んできたんじゃないですか?実はサディストとか」

「はっきり言うようになったわね。

 少しは大人になったのかしら。

 Sの私としては、マザコンを自覚して苦悩する詠人君を見てみたいわ」

「お母様って、五回言いましたよね?」

「ちょっと、笑わすの止めてくれる」

 それこそ、マザコンの証と、麗は笑いが止まらない。


 サイバーポリス山本班。

 民間のホワイトハッカーグループと新興のハッカー集団に関する情報交換を終えたばかりの山本に中井巡査が通る声で呼んだ。

「山本警部補、管理官がお呼びです」

 この後、経済産業省の担当者と次世代ランサムウエアを使った犯罪に対する情報交換の予定がある。

 パソコンでなくサーバーをターゲットにしたランサムウェアは、要求に応じないとサーバーのデータが消失するため、企業は対抗策を打つ余裕もなく身代金を払う。

 電子通貨で支払われる身代金は瞬く間に闇に消えていく。


「管理官、お呼びでしょうか」

「大捕物があります」

「オメガ、ですか?」

「そうです。残念ながら、我々は指をくわえて見ているしかない」

「ロシアが出張ってくるんですか?」

「よくウォッチしていますね。その通りです。

 我々の立場は、大通りでのカーチェイスは認めるけど、脇道に入ることは許さない、です」

「了解しました」

 どさくさに紛れた相手当局のハッキングを許してはならないのだ。


 十三台のワークステーションを定常業務から最深度操作モードに指示した。

 定常業務は中井巡査へ一時委譲。


 山本が会議から戻ると、山本班の全員が揃った。

 部下は中井巡査、加藤巡査、それに渡辺巡査部長と沢巡査部長だ。

「ロシアのサイバーポリスがオメガ撲滅作戦を展開することになった」

 警部補山本瞬が今後の動きを伝えると、ベテランの渡辺が相槌をした。

「また荒れますね」

 渡辺はあの時の担当者だ。

「火事場泥棒の借りは山本班が返す」


 五年前、ロシア・サイバーポリスとの共同作戦を展開したとき、紛れ込んでいたロシア諜報部員が、首相官邸のサーバーから防衛情報を盗み出すという荒技をやってのけた。

「中井はロシア側の監視、沢はオメガの監視。

 場合によってはオメガの封じ込みもやってくれ。

 渡辺さんは火事場泥棒の刈り取り。

 今回はロシア、オメガ以外の第三勢力の便乗もある。

 政府機関は、宇井班が担当する」

「つまり山本班は喧嘩が広がらないように封じ込めし、宇井班は飛び火の火消しということですか?」

「その通り。だから後顧の憂いなくロシアとオメガを封じ込める」

「トリガーは?」


 ロシアを監視する中井は見逃すまいと、全神経を集中させる対象を欲している。

「前田商事だ」

「前田商事?」

 心当たりないとの中井の表情に、さもありなんと山本が機密度の高い情報を話し始めた。

「前田商事は富山県の材木卸業の会社だ」

「材木商?」

「ロシアとの取引は旧ソ連の時代に遡る。主要品目は木材だが、それ以外もある」

「それ以外?」

「ウォッカやキャビア、あのアムールトラの毛皮も扱っていた。

 他にも手広く扱っていたみたいだが」

「総合商社ですね」

「中古車輸出の先駆的存在でもあった」

「在日のロシア人や中国人がやっている日本車の中古車輸出ですか?」

「ああ」

「対露貿易の草分けですね」

「民間企業だが、ロシアの官に広い繋がりがある。対露民間外交の雄って位置づけらしい」

「それ、納得できます」


「ロシア当局への便宜はリベートだけじゃない。

 専用サーバーも設置している」

「ロシアのスパイですか?前田商事は」

「ロシアの手下って訳じゃないようだが、そこまでロシア政府に便宜を払って得る何かがあるらしい。

 さっきのシベリアタイガーのような」

「前田商事にスパイ容疑はないのですか?

 叩けば何か出てきそうですが」

「その逆だ。前田商事は中小企業だが、その辺はしっかりしていて、尻尾を出さない。

 だから公安当局はホットラインの一つくらいに考えている」

「ホットライン?」

「公安は前田商事のネットを監視している。

 公安はひた隠しにしているが、どうも日ロの当局でやり取りがあるらしい」


 山本と中井のキャッチボールに加藤が割り込む。

「その一つがオメガですか?」

「正解」

 前田商事(のサーバー)経由で日本のサイバー空間に侵入してくるのはロシア警察の仁義だ。

 勿論、他のルートからも侵入してくる。

 そこは我々が監視しなければいけない」

「仁義ですか?」

 五年前、ロシアのサイバーポリスに煮え湯を飲まされた渡辺は、「仁義」が気に入らない。

「ロシアでは、オメガの過激グループによる誘拐や暗殺未遂が看過できない問題になっている」

「喧嘩はどこでやるんですか?」

「一つはバンビーだ」

「マネーロンダリングですか?」

「ロシア警察は、オメガのロシア支局がバンビーを利用していることを掴んだ」

 バンビーは電子通貨ビットペッパーの交換所として設立された日本のITベンチャーだ。

 ビットペッパーは世界的に流通しており、一昨年、日本で交換所が開設されて、邦銀の口座からビットペッパーを購入できるようになった。

「ロシアの交換所でなく日本の交換所で、ですか?」

 バンビーのビットペッパー関連サーバーは米国のデータセンターにある。

 だから喧嘩の舞台は米国のサイバー空間だ。

 米国にあるバンビーのサーバーを攻撃するための経路の一つが前田商事経由ということだ。


 喧嘩そのものは米国とロシアの当局同士で調整はついている。

 山本班はロシア当局が日本で火事場泥棒を働かないか監視するとともに、オメガ本部の動きを封じるのである。

 中井が担当するモニターで青色の警告灯が点滅し、警報音も鳴った。

「一瞬にして前田商事のトラフィックが二十倍になりました」

 中井は自席のモニターを見つめたまま報告した。

 山本班ミッションルームの巨大モニターにも、そのトラフィック量の変化が映し出されている。

「いよいよ喧嘩が始まる」


 翌朝、日本の公共放送が朝のニュース番組で、バンビーが取り引き不能に陥ったことを速報で伝えた。

 これと前後して、ネットではビットペッパーが暴落したと、ビットペッパーが消失したなど、不安を煽る風説であふれた。


「兄貴、バンビーが大変なことになっている。

 ビットペッパーが消失するなどというデマまで流れている。

 所詮デマだけど、仕組みを知らないと信じるだろうね。

 ところで、ビットペッパーを持っている?」

 拓斗は詠人に確認の連絡をした。

「まだ(小判の)換金ができてないから、ビットペッパーを買い損なった」

「バンビーを使ってないんだね?」

「不幸中の幸いかな。

 で、誰が仕掛けたんだ?」

「フージーかなと思うけど」

「フージーか。

 じゃぁ、何年も前から仕込んでいたのか?」


 フージーは、サイバー窃盗集団で拠点はカリブ海の島国と噂される。

 犯行声明はスペイン語。

 アルゼンチン生まれの医師で、ゲリラ指導者として象徴的存在になっている肖像画をモチーフにした団旗を用いている。


 犯行声明はスペイン語圏の主要メディアに送る。

 フージーの最初の犯行はカリブ海のタックス・ヘイブンの金融機関からの不正送金事件だ。

 このことから、カリブ海の島国と思われているが、噂に過ぎない。

 彼らの手口の特徴は、金融機関の内部からバックドアを仕掛けるために、工作員を何年も前から職員として送り込むことだ。

 職員を工作員にしているとの仮説もある。


 手練れの工作員は時間をかけて情報システムを掌握する。

 バンビーへの攻撃をフージーの仕業と思うのは拓斗に限らず、ネットではもっぱらの噂だ。

 フージーが狙うのは、カリブ海諸島の利権を貪る米国企業やその関係者の預金口座だ。

 犯行声明には反米主義の文言が掲げられる。

 バンビーの本部は米国企業だ。


 フージーは必ず犯行声明を出すが、バンビー事件では声明がなかった。

 バンビーへの攻撃から連絡が取れなくなったイギリス人経営者は三日後に憔悴した姿でメディアの前に現れ、サイバー攻撃を受けたことと、ビットペッパーの不正引き出しが行われたことを認めた。


「ロシアさん、やることが乱暴ですねぇ」

 バンビー経営者のインタビューを見ながら中井が呟いた。

「バンビーの抵抗が激しかったからと、バンビーのサーバーをことごとく潰したそうだ。

 バンビーはバックアップデータすら消失したらしい」

 然もありなんと渡辺が応じた。

「とばっちりで他の預金者も損害ですよね?」

 加藤が預金者に同情するが、山本は切って捨てた。

「保護すべき預金者といえないだろ。

 政府はビットペッパーをゲームのアイテムと同列に位置づけているから」

 加藤は異論がありそうだが黙っている。沢は山本の解釈を支持した。

「そうですね。金融機関じゃないから預金に対する保険とも無関係。

 斡旋した金融機関は自己責任で逃げるだろうし。

 被害者は微々たる数だから、金融庁も動かないはずだ」

「我々に主導権があれば、もっと丁寧なやり方で対処したはずだ。

 ぺんぺん草も残らない大捕物は、警察の皮を被ったテロリストと言えなくもない」

 渡辺が批判的に結んだ。


 姿を消した幹部の後釜としてオメガのサイバー軍担当相となった千葉亮介は幹部会を前に表情が強ばったままだ。

 バンビーが営業停止に追い込まれた陰で、オメガのビットペッパーは全額を不正引き出しされた。

 ロシアマフィアへのドラッグの支払い数回分とG資金と称する工作資金がなくなるのを指をくわえて見ているしかなかった。

 バンビーへのサイバー戦に気づいたとき、既にバンビーへのアクセスができなかった。このため、別口座へビットペッパーを移せずじまいだったのだ。


 対岸にいる顧客は、自分が預けたビットペッパーの消失とともにバンビーが陥落するのを指をくわえて見てるだけだった。

 オメガの金庫番、大蔵大臣の小池にバンビーを紹介したのは千葉だ。

「電子通貨のメリットは匿名性にあります。現金と同じです」

 千葉としては、バンビーを事例に電子通貨の使用を促した。

「匿名性は一番重視しているところです」

「現金と違って、かさばらないこともメリットです。どんなに多額でも電子通貨と呼ぶ暗号ですから」

「なるほど、お金の移動に特殊車両が必要ないのですね」

「金融庁も国税庁も電子通貨の流れを把握できません。

 何せ、金融機関ではないのですから監督権限が及びません」

 このメリットも大きい。

 海外送金は政府当局も目を光らせているところだ。

 そして、電子通貨はゲームの世界の通貨というよりアイテム、武具、のようなものだ。

 日本人なら円でゲームの世界で使われる、絶対に折れない剣というアイテムを買うことができる。

 アイテムが通貨にならないのは、兌換性がないからだ。

 ゲーム主催者は、アイテムを通貨に兌換することはない。

 しかし、市場流通性はある。

 そのアイテムを欲するゲームプレイヤーは通貨で払うことを厭わないからだ。

「我々(オメガ)に最も適した通貨ですね」

 小池はビットペッパーの使い勝手の良さが気に入って、バンビーへの資金ビットペッパーに入れ込んだ。

 小池が何よりも気に入ったのは、金庫番としての精神的負担が軽減されたことだ。 


 初めは金庫の中身の5%をビットペッパーにした。

「小池様、お迎えにあがりました」

 オメガの金融資産のごく一部に過ぎない現金だが、駆け出しのベンチャー零細企業バンビーにとっては大口口座になる。オメガの実名を出さずとも大口顧客の存在は、大きな宣伝になった。

 業界の草分け、業界のナンバーワン。

 事実であるが、ちょっとしたトラブルで経営破綻しかねないバンビーにとってオメガはその後の飛躍のきっかけとなった。

 大口顧客の存在が、新たな顧客の呼び水となったからだ。


 バンビーにとって小池はVIPだ。バンビーへの送迎はリムジン。

 バンビーに着くとVIPルームへ案内される。

 いらっしゃいませ、とVIPルームではバンビー支配人と担当者が恭しく出迎える。

 普段、パソコンでの電子決済か、ATMを使う小池に初めは戸惑い、むず痒かったが、それにも慣れてきた。

 商談の相手は支配人だ。

 商談が終わりに近づくと、少しふくよかな体型だが人なつっこそうな顔立ちの英国人CEO、ロイ・ウィングストンが挨拶に来る。

 商談の後の接待。

 バンビーとの商談は午前中だったのが、夕方になった。

「いらっしゃいませ。小池様」

 小団子の接待は料亭での昼食から夕食へと変わり、夕食後は高級クラブへと場を移す。

 クラブでの小池は上得意客だ。

 水蜜桃のごとき美女達と過ごすひととき。

 節制を旨とするオメガでの生活が長い小池にとって、バンビーの待遇は別世界にいるようだった。

 それでも小池がクラブに行くのはバンビーからの接待で、だけだ。

 意中のホステスはいるが、さすがに同伴入店はしない。


「小池優弥ゆうやといいます。よろしくおねがいします」

 しがない貧乏学生の小池がオメガに入会したのは、オメガと名乗る前、市民中庸勉強会の看板を掲げていた頃だ。

 会場は市民会館の研修室。

 会員が持ち回りで自分が住む市の施設で会議室や研修室を借りていた。

「今日は、日本の消費者の意識を変えたテレビ番組について勉強していきましょう」

 メディアに煽られるままに消費欲を膨らます、消費社会とは距離を置く、身の丈に合った節制生活の実践を励まし合う場だった。

「民放にはコマーシャルが流れて、そのコマーシャルの中にも超短編映画といえるほどの傑作があります」

 華美を真っ向から否定はしないが、分不相応の消費を慎むのが勉強会の節制の理(ことわり)だ。

 欲望、欲求の自制の修行。

 小池にとって、市民中庸勉強会は大学以上に居心地がよかった。

 公立の、それなりの進学校から入った地方の国立大学は学生の生活も概ね質素だった。

 それでも国立大学の学生という自負、そして野心。

 小池の質素の度合いが過ぎたことが同期の学生の中で浮く存在となった。

 他の学生との比較で浮く存在になったというより、自分から離れていったのかもしれない。


 小池には貧しさを開けっぴろげにする度量がなかった。

 高校時代の学生服、詰め襟の制服、を着続けた同期の学生に会って、それを思い知らされた。

 彼は、同期の中だけでなく、学内でも特異な存在だった。

 そのうえ、訛り丸出しのしゃべり方。

 一回聴いただけでは、何を言っているのか分からなかった。

 九州の、とある地域出身と聞いた。

 そんなに訛りの強い地方なのか。

 そうでないことを知ったのは、ごく最近のことだ。

「小池様、それは誤解でございます」

 真顔で正してくれたのは、その地方の近く出身のホステスだ。

 客商売だから、その真顔に険しさはみじんもなく、しなを作る絶妙のタイミングに惑わされた。

「あいつの口真似ができないくらい、訛りのきつい方言なんだ」

「そういえば、同級生の男の子にいましたね。

 地元の私でも理解できないような方言でしたね。

 お婆ちゃん子で育ったらしく、だから祖父母世代の方言を喋っていたと聴きました」

「じゃぁ、あいつもお婆ちゃん子、なのかな」


 ビットペッパーがあればこそ、小池はオメガの外で甘美を味わえ、オメガ内で金庫番(大蔵大臣)としての威信を高めた。

 ビットペッパーを使えるのは彼一人だ。

 なぜなら、オメガのビットペッパー口座を操作するのに必要な暗号鍵のタグを彼が肌身離さず首に掛けているからだ。これがなければビットペッパーは使えない。石川は誰にも触らせない。

 オメガの会計検査院がビットペッパーの残高と取り引き履歴を調べる時も、小池が口座の操作をする。

 教団内で覇権を競うような野心を持ち合わせていない小池であるが、ビットペッパーなる電子通貨、すなわち教団に外部の仕組みを取り入れていることを危惧するのがオメガのナンバーツー、総長の鳥海だ。

 鳥海はこのことを小池に問うた。

「ビットペッパーは政府も注目しておらず、今なら秘密裏に大量送金しても発覚することはありません」

 現金より安全と主張する小池に鳥海は、幹部会での小池の主張を引用して畳み掛けた。

「リスク分散は大蔵大臣が自ら立てた原則だったはずだ」

「ご存知の通りドラッグの決済額が増えています。

 ビットペッパーならロシアでも決済できます。

 つまり前田商事を介さずにロシアマフィアと決済できます。

 もっと多額の決済も容易になりますし、信用拡大の格好の(決済)手段です」


「ロシアとの取り引きは拡大できるようになるらしいが、厚生大臣は何か異論はあるかな」

 鳥海はドラッグを管轄する厚生大臣に異議を求めた。

「大蔵大臣らしくないですね。

 電子通貨はビットペッパーだけではないのですが。

 リスク分散は娑婆世界でも言われていること。

 ましてや尊いオメガは、如何ばかりのリスクを追うことは教義に反します」

 教理主義者の厚生相らしい発言だ。

 厚生相の矛先はサイバー軍担当相千葉にも向けられた。

「(電子通貨の)外国窓口では通信リスクがあるからと指摘してくれたのは君(千葉)だよね。

 日本に交換所がある中でダントツのシェアはビットペッパーだとも」

「確かにそう言いました」

「バンビーは娑婆世界のリスキーなベンチャー企業に過ぎない。

 倒産リスクは通信リスクの百倍いや、千倍、一万倍じゃないのかな?」

「それを指摘されるなら、我々が当局から強制捜査を受けるリスクは、バンビーが倒産するよりも何倍も高いとの共通認識をお持ちのはずです。

 だから(バンビーに収集投資して)問題ない、と御聖断が下されました」

 教祖の、この意思決定が小池の拠り所である。提案が教祖の支持を受けたことで千葉を幹部の一歩手前まで昇進させた。

「だが、バンビーは破滅した」

 鳥海の一言は千葉の体が床に沈み込むほどに重い。


 ロシアマフィアとのホットライン、暗号通信システム、は千葉が担当している。

 だからドラッグの取引量や入庫(密輸)時期、決済金額と時期も知っている。

 タックス・ヘイブンの金融機関とのプライベートラインによる決済、特にフージーのようなサイバーテロリスト集団が仕掛ける寄生虫の防疫、不正プログラムの除去、も手がけてきた。

 真っ向からフージーとやり合えば千葉では歯が立たないことを自覚している。

 幸運にもこの事態に遭遇しなかった。

 オメガのサイバー軍担当相となった千葉は、最近悪意を意識するようになった。

 その急先鋒が、千葉のシンパサイザーだった小池だ。

「サイバー軍担当大臣には二つの責任をとっていただきたい」

 大蔵大臣としてオメガが保有していたビットペッパーを失った責任が問われる前に、生贄を差し出そうという魂胆だ。

 千葉が懸念していた展開のなった。

「一つはバンビー攻撃を事前に察知できなかったこと。

 これで被った損害は、私達(オメガ)にとって莫大なものだ。

 (オメガの)命傷にはならなかったものの、ダメージは甚大だ」

 それは全て小池に返したいと言いたい衝動を千葉は抑えた。

「察知できるはずもありません。

 あれはロシア当局からの攻撃です。

 経由するサーバーのパターンから判明したのですが。

 あんなに短時間でバンビーを殲滅するなんて、凄腕揃いのチームです。

 ロシアへのカウンター攻撃がなかったことから、日本政府と米国政府も協力しています。

 事後分析になりますが、あの場に我々が出て行ったらバンビーの二の舞になっていました」


 小池のいうままに冤罪を被せられるつもりはない。

 誰が見ても憔悴してるとわかる小池も必死だ。

「察知できない?

 サイバー軍担当大臣の責任放棄の言葉と聞こえましたが?

 腕利きハッカーとしてスカウトされたと聞いています。

 徴候くらい見つけられたんじゃないですか?」

「サイバー攻撃は天気予報と違います。

 台風を監視する衛星写真はありません」

「熟練の漁師は風向きで天気を予測するといいます。

 ベテランの山岳ガイドは天候の悪化の予想時刻を正確に当てるといいます。

 サイバー軍も世界中のネットの動きをモニターしているんでしょ?」

「それは誤解です。

 世界中の膨大なネット情報をモニターするだけのキャパシティーはありません」


「金食い虫」

 小池はぼそっと言った。

「サイバー軍は金食い虫と言ったんですよ。

 情報システムのバグ(不具合)を探すだけの金食い虫ってね」

「揶揄するのもいい加減にして下さい。

 多いか、少ないか、今の予算で辛うじて、清流輪教の二の舞を免れているんです。

 それで二つ目の責任って何ですか?」

 千葉は、小池が常軌を逸しているように感じた。

 責任を追及された幹部の顛末は言うまでもない。

 それを恐れるのは当然だ。

 だが、自分を道連れにするのは蹴落としてでも免れなければならない。

 千葉も必死だ。

「ビットペッパーを勧めたことだ」

 辛うじて聞こえる小さな声だ。

 ビットペッパーの手柄を独り占めしてきた小池がこれを口にするとは。


 勝った!


「ビットペッパーの存在を教えたのは私です。

 しかし最初に始めた取引額でとどめていれば、こんな被害にならないはずです!

 ここまで広げたのは小池大蔵大臣、あなたの独断だ!」

「それは私が懸念した指摘事項でもある」

 オメガのナンバーツー、鳥海がとどめを刺した。

「小池大蔵大臣を解任する」

 教祖の一言だ。

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