エピローグ


 斑目=轟による、外敵殲滅機関神の右に座す者を用いた事件から二週間後の、第十四階層の墓地。そこに、ニーアは立っていた。

 彼の目の前には二つの墓標。若干古い墓標と、真新しい墓標の二つを交互に見て、真新しいほうの墓標に対して皮肉気な笑みを浮かべながら、ニーアは古いほうの墓標に花を添えて、言う。


「悪ぃな博士。できれば同じ墓に入れたかったんだが、きっと奴は嫌がるから。隣で勘弁してくれよ……」


 古いほうに掘られている銘は、斑目=恭一郎。この墓は、彼の眠る墓石だった。

五年前に彼の訃報を聞いた麗愛とヴィルヘイムの手によってひっそりの建てられたその墓の隣――そこに新たに建てられた墓は、あの神の右に座す者の前で自決した轟の墓だった。

 人の手によって生み出された偽りの神の眼下で、彼が何を願い、何を想って自ら命を絶ったのかは分からないし、分かりたくもなかった。

 殺したいと望んだ相手の、もっともつまらない死に様だが、今となってはなんの感慨も起きやしない。

 だが、それでもニーアはその場所に轟の墓を建てることを決めた。

 仲良く――とまでは言わないが、せめて隣り合って安らかに眠っていてほしい。死してなお、轟の不満げで嫌見たらしい声が聞こえてきそうで、ニーアは墓の前で僅かに笑んでいる。



「――珍しい所で会いますネ、ニーア」



 多次元的に響いた声――だが確かに背後から聞こえたヴィルヘイムの声に、ニーアは僅かかに嘆息しながら立ち上がり、振り返って彼を見た。


「――年中引きこもりのお前が墓参りか? 珍しいこともあるんだな」


 ニーアは普段通りの不遜な態度を纏い、墓所の階段を上ってくるヴィルヘイムを見下ろす。

昼間であろうと炎天下であろうと嵐であろうと変わることのない全身黒衣に身を包んだ彼は、ニーアの政府に「そうですネ」と同意を示した。


「私がこのような場所に訪れてハ、墓から出てきたのカ、入りに来たのか分かったものじゃありませんしネ」

「……お前の冗談はホントに笑えねーよ」


 うんざりしたように呟くニーアに、彼は実に楽しそうに笑った。


「フフフ。たダ、偶にこうして友人の墓前に訪れてみたくなるものですヨ。私モ――そしテ、麗愛もでス」

「あのババァがねぇ?」


 そう言われても、あまりぴんとこなかった。中々にあの容姿の人物がこんな場所に訪れても、迷子か悪戯をしに来たかの二択に一つな気がする。

 ちなみに、件の麗愛はあの事件の翌日には全快して、再び【ザプリュッド】の引きこもりへと戻った。日々あの和装の部屋にこもり、煙管を銜えて紫煙を吐き続けている。いっそ肺を病めばいいのにと思うくらい最近煙草の量が増えていた。

 どうにかしなくてはと色々画策してはいるが、どうしてかこうあの童女に対し精神的な痛恨の一撃を見舞う手段が思いつかなくて難航している。

 ――果たして煙草を止めさせるのに痛い思いをする必要があるのかは不明だが、まあそれはご愛敬といったところだ。

 そんなことを考えているニーアの横を通り過ぎ、ヴィルヘイムは恭一郎の墓前に跪いて黙祷する。

 その瞬間だけは、ニーアも静かにその後ろで彼の祈りを眺めていた。死者を悼む者を嘲り、蔑み、揚げ足を取る趣味は流石にない。


「――恭一郎。彼ハ、この世界では誰もが異端と忌避する理想論者でしタ」


 轟が、墓前の前にしゃがみこんだまま徐に語り出した言葉に、ニーアは何処となく同意せざるを得ない。

 幼い頃は、ただ彼の教える言葉だけが真実だった。だが、外の世界を知り、様々な知識と経験を重ねていく中で、恭一郎の口にしていた言葉の端々に、現実との強い差異を感じていた。



「彼の語る多くハ、世界がまだTTBという狭い世界に囚われる以前の常識を踏まえた上での言葉でしタ。故にニ、このTTBしか知らない今の人間たちにとっテ、彼の言葉は何処までも幻想の領分を逸脱しなかっタ」



 斑目=恭一郎は総合的に見ると――現実を直視することができなくなった人間と言っていいだろう。なまじこのTTBという箱庭に移住する以前の――広大な大地で生きていた人類の在りし日の姿を知っているが故に、彼はその頃の世界の姿に固執し続け――今の世界の現状を否定し続けていたのだ。


「それ故ニ、轟との軋轢が生じることとなったのでス」


 恭一郎とは違い、轟はこのTTBが創生された後に生まれた人間だ。故に、彼には父が事あるごとに口にする――轟の持つ常識からすれば有り得ない人類の姿を提示し続け、なまじ強要する恭一郎は、いつの頃からか忌むべき存在へと変わっていた。

 だからこそ、ニーアと轟の間にも相容れぬモノが生じたのである。

 恭一郎の語る理想を信じたニーアと、それを拒絶した轟――地はつながらないが同じ父を持った二人の子供がここまで反するように育ったのは、ある種必然でもあった。

 ニーアが恭一郎の話に耳を貸したあの日から、ニーアと轟は対峙する因果を負い、そしてあの事件を契機にとして、その因果は現実となった――それだけのこと。

 そう言った意味では、今回の事件の発端には彼が――斑目=恭一郎がいたのかもしれない。


「無論、彼に悪気はなかったんですヨ。彼はたダ、過去を捨ててまで今の世界の形を受け入れる必要はない――そう断じただけのことですヨ」

「ああ――博士はただ、帰りたかっただけなんだよな」


 ヴィルヘイムの言葉に、ニーアは感慨深げに呟いた。果たして、自分にとって故郷とは何処なのだろうか? それは生まれたあの培養槽のある研究室なのだろうか。それはニーアには分からなかったが、


「そウ――帰りたかっただけなのですヨ。生まれ育った故郷ヘ」

「帰りたい――ね」


 そんなものなのだろうか。帰りたい――そう思う場所があれば、それが故郷となり得るのだろうか?

 なら、自分の帰るべき場所とは――そう考えて脳裏に浮かんだのは、あの麗愛がいる【ザプリュッド】や、自分みたいな目つきも態度も悪い店主の営む店に飽きずにやってくる常連たちの顔。


「……はは」


 そう考えると、なるほど――と、一人納得して笑った。



「帰るたい場所ってのは――帰りを待ってくれてる人たちがいる所――なんじゃねーの」



 ニーアの呟きは、しかして不意に吹いた風の音に阻まれて、呟いた本人以外の耳に届くことはなかった。


「――ン? 何か言いましたカ?」

「何も言ってねーよ」


 振り返って尋ねたヴィルヘイムに、ニーアは肩を竦めて応じながら踵を返した。そして背を向けながら、視線だけを向けて言う。


「たまの外出なんだ。店に顔出してけ――美味い葉が入ったんだ。飲んでけよ?」


 ニーアの申し出に、ヴィルヘイムは僅かに驚愕して目を見開く。が、それも一瞬のことで、彼は満面の笑みを浮かべながら頷いた。


「はイ――招待に預かりましょウ」


 そう答えてスキップするように歩く出すヴィルヘイムの様子に苦笑しながら、ニーアは自らの経営する喫茶店――『ハーディ』へと足を向けた。


   ◇◇◇


 カラン……っという、店の入り口に備え付けているベルの音が鳴り――次いで無数の破砕音と悲鳴が戻ってきたニーアと、それに同伴したヴィルヘイムを出迎える。

 店に戻ってニーアが最初に見た光景は、見るも無残に模様替えをした店内と、それをやってくれた犯人たちの姿だった。


「うお! ニーア君おかえりー……って、うわわ」


 と、戻ってきたニーアに声をかけながら、シエラが両手で抱えていた皿の山を崩して床に落ち――いっそ小気味よいリズムで皿が連続して割れていった。


「ぬぐぅ……なんじゃこの湯呑は! 持ち辛いときたらありゃせんわ」


 そうティーカップに文句を言って、彼女はそれを適当に放り捨てる。当然ながら、陶磁器のカップは瞬時に粗大ごみへとその姿を変える。


「申し訳ありません、グレイアース様」

「いや、いいのだよ。誰にでも得て不得手はある」


 おそらく茶を給仕しようとして失敗したのだろう。床一面に広がる水たまりと、その中心で粉々に立っている元ティーポットを拾いながら、頭を下げ続けるヘルマを宥めるグレイアースがいた。


「…………なんだ……こりゃあ……」


 その言葉にするにもむごたらしい店の有様に、ニーアはしばし呆然と立ち尽くして、やっとの思いでそれだけを口にした。

 そんなニーアに、グレイアースは砕けたティーポットの破片を拾いながら微笑で出迎える。


「やあ、お邪魔しているよ」

「やあ――じゃねえだろ! 何だこの店の中の惨状は! おい先輩! 俺が出かけてる間に何しやがった!」


 周りの状況など気にも留めずに挨拶してくるグレイアースに食ってかかりながら、ニーアは店番を頼んだシエラに問いただす。


「なんかニーア君のいない間に皆来てねー。とりあえず言われた通りにお茶を出しただけだよ」

「……何をどうすりゃ、茶を出すだけで店の中がこんなにもヒデー状況になるんだよ……」


 この間の事件以来、やたらと店に現れては「手伝う」と連呼し続けてきた彼女の態度に心を砕いて手伝わせてみた結果がこれか。

やはりやらせるのではなかった――と、早速後悔の念に駆られるニーアに、カウンターの奥の席に我が物顔で座る麗愛が叫ぶ。


「店主が店をほっぽり出して何処に行っておったんじゃ!」

「そういうアンタは【ザプリュッド】の長だろうが! あんたこそ大人しくあの部屋でふんぞり返ってろよ!」

「腹が減ったんじゃよ。お前の作った牛丼が食いたくなったから待っていた。文句あるか!」

「大ありに決まってんだろ!」


 麗愛の厚顔無恥な我が物顔に、ニーアは語気を荒げる。


「オイ野良犬。グレイアース様に早く新しい茶を出さんか」

「店の道具ぶっ壊しておいて謝る気ゼロか、お前。つーか、自分の主に掃除させてんじゃねーよ」


 グレイアースがいそいそと壊したポットを片付け、濡れた床を掃除するのを横目に要求してくるヘルマに、ニーアはほとほと呆れた様子でそう返した。

 そんな店の中の様子に、ニーアと共にやってきたヴィルヘイムはくつくつと楽しそうに笑う。


「くふフ……本当に貴方の人生は退屈しなさそうですネ、ニーア」

「うっせーよ。余計な御世話だ」


 笑うヴィルヘイムに、ニーアは歯を剥き出しにして言葉を返した。

 そんな彼に、店の中の面々は矢次に言葉を投げかける。


「腹が減ったー! さっさと牛丼作らんかー!」


 麗愛が腹を抑えながらテーブルに突っ伏して叫び、


「野良犬、さっさとしろ」


 ヘルマが鋭い視線を投げかけながら催促し、


「ニーア、この壊したポットは何処に捨てればいいんだ?」


 グレイアースが、塵とりで壊れたポットの破片を集めながら尋ね、


「それではニーア。貴女の本日のお勧めをお願いしますネ。ア、ケーキもつけてくださいヨ」


 ヴィルヘイムが席に着きながら注文し、


「おーい、ニーア君。新しいゴミ袋って何処にしまってるんだい」


 シエラがカウンターの向こうからそう問うてくる。

 次々と飛んでくるまとまりのない言葉に、ニーアは煩わしげにうめき声を上げ髪を掻き上げながら叫んだ。



「うっせー! だー! お前ら全員何もするな! 黙って席に座れ! ちょうどいい機会だ! 全員茶の入れ方ってやつを叩き込んでやる!」



 そう言って、ニーアはズカズカと店の中へ入っていった。


 ――開け放たれたままだった扉が閉まり、カラン……という店の扉に備え付けてあるベルが音を鳴らす。

 普段なら、そのベルの音だけが響くだけの人気のほとんどない店の中。

 しかし、この日は日が暮れ――ひいては外の景色が夜を迎えても、店の中から楽しげな喧騒が途切れることはなかった。

 

――怒号が飛び交い、


――騒音が響き、


 ――笑い声が木霊し、


 ――可笑しく、滑稽で、奇妙な談笑が続くその場所。


 請負屋も、学生も、魔女も、騎士も、情報屋も、その立場も生き様も全く異なるような連中が、


 集い、


 騒ぎ、


 語らう場所。


 ――そこが、彼の帰るべき場所だ。






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TTB -The Tower of Babel - 白雨 蒼 @Aoi_Shirasame

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