Ⅸ
――――――――パンッ……
上から聞こえたその小さな音に、ニーアは歩みを止め、彼に抱えられていたシエラもまた、息を呑んだ。
しばらく無言で時間が過ぎ――やがて、
「……ちっ……目覚めの悪ぃ結末だ」
ニーアが忌々しげに舌打ちをした。
彼が果たしてどんな表情をしていたのか――それは、彼に抱えられて真横でその表情を見ていたシエラ以外、誰一人として知る者はいなかった。
全身に走る痛みに限界を感じたニーアは、シエラを地面に下ろすのと同時に力果てたようによろめいてたたらを踏みつつ、それでも最後の力で壁際まで歩み寄ると、そのまま背を預けて地面に座り込んでしまう。
「……うぁ……眠ぃ……」
正直なところ、限界だった。
肉体にせよ精神にせよ、すでに限界の域はとうに超えている。
此処までの連戦に次ぐ連戦、そして慣れない唯一響律式の長時間使用も相まって、緊張の糸が途切れた今、疲労やら痛みやらが全身を支配し始め、意識がまだ保てているのすら不思議なくらいの状態なのである。
だがまあ、不思議と充実感には満ちていた。
最後は少しばかり後味悪い終わりとなってしまったが、概ねニーアとしてはましな結果で済んだと思える。
何せ、今回は失わずに済んだのだ。
自分にとっての、大切な者を……
だというのに――
その当の本人はというと、随分と湿っぽい雰囲気を纏って、いつの間にかニーアの傍に歩み寄り、しゃがみ込んでニーアを見ていた。
そして徐に手を伸ばし、無言でニーアの身体に残る幾つもの傷を、なぞるように自分の指を走らせていた。生乾きであるため、触れればまだ血が付くだろう。実際、ニーアの傷口に触れたシエラの白い指には、赤黒いニーアの血が付着し、染まっていた。
痛いから触らないで欲しいという本音は口にしない。こんな状態であっても、男としての自尊心が勝るのである。
暫くの間、シエラは黙ってニーアの傷口に触れていた。それは、まるでこの傷の原因は自分なのだと、己に言い聞かせているようにニーアには見えた。
そして、それは案の定と言わんばかりの言葉をシエラは呟く。
「ごめんね。ボクのせいでこんなに怪我して……」
シエラが済まなそうにニーアを見ながらそう言った。変化の乏しい表情にも、今だけは自責の念が窺える。
そんな彼女を見て、ニーアは呆れたように大きくため息を漏らした。この少女は、何故にこうそういう捉え方しかできないのか。普段はあれだけ人を振り回して来ながら、ここぞという時に限って自分を卑下に見る傾向があるのではないかと疑いたくなる。
何のために自分がここまでの怪我をしてまでこの場所に来たのか。これではまるで道化だと、ニーアは胸中で嘆息する。
自身も人のことは言えないだろうが、この少女もまた随分と鈍感だった。
言わなくてもいい気がするが、だが、何となく言っておきたい気分になり、ニーアは囁くようにシエラに語りかける。
「……せい、じゃねーだろ」
「……え?」
「ボクの『せい』とか言ってんじゃねぇよ……そこはボクの『ため』って、自惚れとけ」
渋面で口をへの字に結びながら、ニーアは「ふん……」と鼻を鳴らし――そして全身から力を抜いた。
もう、流石に限界だった。
全身にまとわりつく疲労感に抗うことができず、ニーアはその言葉を最後に目を閉じ、意識の糸を手放して眠りの闇へと落ちていった。
◇◇◇
「――――え……ええ!?」
ニーアの囁いた言葉の意味を理解するのに随分と時間を要し、シエラは大分間を置いてから素っ頓狂な声を上げた。シエラにしては珍しい、全身で驚きを現した悲鳴なのだが、幸か不幸か、ニーアはすでに意識を手放して寝息を立てている。
しかし、シエラの方はそうはいかなかった。
彼が眠りに落ちる寸前に口にした言葉の意味。その真意が知りたいような知りたくないような、訊きたいような訊きたくないような……どうしようもない葛藤が自分の中でせめぎ合っているのをシエラは実感した。
「ちょ、起きて! 起きるんだよニーア君! こら! うわ! この人マジで爆睡してる! 今の言葉の意味ちゃんと説明しろー! こらー!」
彼の言葉の真意を問うべく、シエラは必死になってニーアの身体を揺するのだが、完全に寝入った彼は梃子でも起きる気配はせず、シエラの慌てふためいた何ともいがたい悲鳴が、延々と木霊し続けるのだった。
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