Ⅷ
轟は目の前で機能を停止した《神の右に座す者》を見上げて、ただ呆然と立ち尽くしていた。
最早動くことのなくなった機械の塊を呆然と見上げている彼に――ニーアと、その肩に荷物当然に担がれたシエラが歩み寄った。
そんな二人にゆっくりと視線を動かし、そして徐に轟は笑い声を発した。
「何だ? 私を笑いに来たのか?」
「――違う」
「ならば――殺しにか?」
ニーアの肩に担がれたシエラが、僅かに息を呑んだ。こうも簡単に殺す殺されるを口にする
轟に驚いているのか。あるいは恐怖したのかは、彼女本人にしか分からない。
あるいは――ニーアがそうするのではないかという不安に駆られたのかもしれないが、結局は憶測の域を出ないままだ。
そんなシエラの反応をよそに、ニーアは呆れたように溜息をついてかぶりを振った。
「違う――いや、違わねえけど。ぶっ殺してやりたいけどなぁ……そんな無意味なこと、俺はする気はない」
「矛盾しているぞ。父を――斑目=恭一郎を殺した私を?」
「ああ。どっちみち、お前を殺しても博士は帰ってこないし、無駄に手を汚すのもごめんだ」
ニーアのどこかさびしげな言葉に、轟は肩を震わせて笑う。
「どうしてだよ……私はお前の育ての親を――お前が博士と呼んで慕っていた男を殺したんだぞ! なのに……なのにどうしてそんなことを言える!」
轟の言葉に、ニーアはほんの僅かに顔を伏せて、ボソリと呟いた。
「博士がそう望んでたからだ……俺にも、お前にもな」
「――なっ!?」
ニーアの言葉に、轟は絶句した。あの研究ばかりに明け暮れた父が、そんなことを望んでいたなど、唐突に言われたところで信じられるわけがない――轟は信じたくもなかった。
だが、次いでニーアが口にした言葉に、轟は自分の中の確たるものを打ち砕かれる。
「それになぁ……お前がどんだけのことをしてこようと――お前は俺の兄なんだよ。そう、博士が何度も言い聞かせてた――だから、俺はお前を殺さない。兄弟を、家族を殺す気は――ない」
ニーアのその言葉に、轟は今度こそ忘我した。
兄?
自分が、こんな人形の――人間もどきの兄。
いや、それよりも今、この男は家族――兄弟――そう言ったのか?
轟の頭の中で幾つもの言葉が交錯し、混合し、飽和する。
「もう会うことはないだろうがな……あばよ」
そう、一方的に言い残して、ニーアはその場を後にした。グレイアースとヘルマは、先に下の方へ向って事後処理のために『騎士団』と連絡を取りに向かった――という会話が僅かに聞こえたが、そんなことは轟にはどうでも良かった。
屈辱だった。
最低だった。
まさか、一番忌み嫌っていた存在に――父の最高傑作と謳われた人工生命に、あんな言葉を言われたことが。
なにより、それが嬉しかったという事実が、轟にとって最低最悪のことだったのだ。
毎日毎日研究に暮れる日々。そうして成し遂げた成果は、皆等しく自分が『斑目=恭一郎の息子』だから、出来て当たり前と言われ続けた。
それを甘受し、表面的に笑い、内心で疎み苦しみ続けたが故に求めていたもの。自分の感情のすべてをさらけ出せる相手だった。
思い返して見れば、それはいつだって存在していたのだ。
父がそうだった。
斑目=恭一郎だけは、本心から意見をぶつけ、衝突し、さらけ出せる相手だった。
ニーアを憎んでいた理由が、やっと轟には理解出来た。
あれは憎しみなんかではなかった。
――嫉妬、だった。
自分の感情も、思いもすべてさらけ出せる父の関心を奪われた――ただそれだけのことだったのだ。
下らない。
そんな下らないことのために――自分は父を殺めたのか。
そんな事実、叶うことならば一生気づきたくなかった。
だが、気づいてしまった。気づいてしまったのなら、もう気づかずにいた頃には戻れない。
それでも、そんな自分を認めるのが嫌だった。
そんな子供のような下らない感情があるなんて事実を、認めたくなかった。
認めたくないのならば、どうすればいいのか――少し考えて、すぐに答えに至った。
白衣の懐――そこに手を伸ばして、轟はそれを手に取った。
リボルバーの小銃。護身用にもならない、お守り代わりのように持ち歩いていた、数少ない父の遺品。
轟はそれを手に取り、残弾を確認。撃鉄を上げて――轟はそれを自分のこめかみに当てた。
これまで築いてきたものを捨てるために。
此処で気づいてしまったことを、なかったことにするために。
自分は、子供めいた嫉妬を抱く――斑目=恭一郎の息子なのではない。
「私は斑目=轟――《神の右に座す者》だ」
そう宣言し、轟は引き金を引いた。
痛みは――なかった。
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