最上階。酷く広い部屋に、幾つものケーブルや太いパイプが連結された巨大な機構――その前に、斑目=轟は立っていた。

 その背を見つけたニーアは、特に何かを言うわけでもなく手に握る〈緋の暁〉を肩に担ぎ直してその背に歩み寄る。


「やっぱり来ましたか――ニーア=ゲイル=アシュリート」


 先に口を開いたのは、轟だった。名を呼ばれたニーアはその場で足を止め、鼻で笑いながらその声に応じた。


「ああ――ご招待預かったからなぁ。忙しい中、足を運んでやったよ」

「来なくても良かったんですよ?」


 ニーアの皮肉に、轟は本心からそう言った。対して、ニーアはほとほと呆れたと言った様子で肩を竦めて、轟の背後で静かに駆動音を鳴らす機構の真ん中を指さして言う。


「来ないわけがないだろーが。そのクソデカイ機械の真ん中にいるチビを迎えに来たんだよ――分かったらさっさと返せ」

「お断りします――とだけ答えましょう」


 ニーアの申し出を、きっぱりと轟は却下する。この展開は、正直なところ予想していた。だからこそ、ニーアは肩に担いだ〈緋の暁〉を正眼に構えて、悪党然とした笑みを浮かべて言う。


「――だったら、力づくで奪い返すだけだ!」


 そう宣言すると同時に、ニーアが轟と、その背後に君臨する巨大機構――《神の右に座す者》を目指して疾駆した。

 そんなニーアを横目に一瞥し、轟は憐れむような目線でニーアを見た。


「愚かな――《神の右に座す者》!」


 轟が機構の名を呼ぶのと同時に、周囲が証明に照らされて明るみになる。証明に照らされた部屋に現れたのは、背に翼を持つ巨大な機械仕掛けの人型だった。

 正確にいえば、機械が寄り集まって辛うじて人に見える物――だろうが、今問題視するべきなのはそこではない。

 轟が《神の右に座す者》の名を呼んだのと同時に、ニーアの頭上に無数の光陣が現出する――ニーアの記憶が正しければ、これは以前シエラが響律式を発動した際に【マモノ】たちを退けた時に発動していた響律式のと同じもの。

 動物的直観が警鐘を鳴らし、ニーアは〈緋の暁〉を眼前に立てのようにして構えながら大きく飛び退く――と同時に、描かれた六つの響律式が一斉にニーア目掛けて熱線を放射した。

 剣身を形成する響素に指令を叩き込んでその響律式を阻むも、衝撃による圧力までは相殺しきれず――ニーアの身体は大きくその場から後退する。

 追撃の連撃を剣で弾き、飛び退いて躱し、身体を螺子って避ける。

結果――結局元の位置に逆戻りし、ニーアは忌々しげに舌打ちをした。

 そんなニーアの様子に、轟は満足げに頷いて大げさな動作で両手を広げる。


「どうだ! これが《神の右に座す者》の力! 《天使》の有する唯一響律式をエネルギーに、敵対象を補足して迎撃する防衛機能を有したこの《神の右に座す者》があれば、誰も私を阻むことなど出来ないんだよ!」


 楽しげに声を上げる轟の様子に、ニーアは心底つまらないといった様子で肩を竦めた。


「そんな口上はどうでいい。いいからそこのチビ助返せっつってんだ――」

「避けろニーア君! 後ろだ!」


 叫びながら剣を持ち上げるニーアの耳朶を、聞き慣れた声が叩く。その声にニーアはほとんど条件反射で横に跳ぶ。

次の瞬間――寸前までニーアの立っていた場所に幾つもの閃光が着弾する。後一瞬反応が遅れていたら、ニーアはこの世から消え去っていたかもしれないことにゾッと身震いさせていると、


「困りますね。核が勝手にしゃしゃり出ないでいただきたい」


 見れば、いつの間にか目を覚ましたシエラに向けて、轟が響律式の刃を向けているところだった。

 そんな轟に向けて、ニーアは全方位を警戒しながら小さく笑って言った。


「誘拐の後は脅迫か? とことん外道だな」

「なんとでも。その程度で傷つくような安いプライドは、端から持ち合わせていないんでね」


 ニーアの皮肉など気にも留めないというか、最初から耳を貸す気がないと言った様子で、轟はシエラに刃を向けながらくつくつと笑う。


「さーて、ニーア。此処で貴方に提案です。此処で貴方が自ら命を断てば、彼女の身の安全は保証する――そう言ったらどうします?」

「断るに決まってんだろ、馬鹿かお前」


 一瞬の迷いもなく、ニーアは轟の言葉を一蹴した。そもそもに、ニーアには轟の提案に耳を貸す理由などこれっぽちもないのだ。最初から力ずくの強硬手段以外の選択肢など存在しなかった。

 対する轟も、「まあ、当然でしょうね」と一人納得していた。


「では逆に――シエラさん」

「ふえ?」


 実に間抜けな返答をしながら、シエラは轟を見下ろした。視線が交錯し、轟はにたりと厭らしい笑みを浮かべて、シエラに言った。


「貴女が私に協力してくれることを承諾してくれれば、彼らの命の保証をする――そう言ったらどうします?」

「――どうもしない」


 即答だった。これには轟も予想外だったのか目を剥き、ぽかんと口を開いてシエラを見上げていると、彼女は僅かに眉を顰めて言う。


「そもそもボクはニーア君に助けを求めた覚えはないっていうか、目を覚ましたらいきなりこんな状況だよ? 説明の一つもなしにそんなこと言われたって分かるわけないじゃん? ねえ?」

「そこで俺に同意を求めんなよ……」


 いきなり話を振られたニーアは肩を竦めてそう返した。しかしシエラは止まらない。


「大体君、ボクが泣いて誰かに助けを求めるように見えるかなー? 自分で言うのもなんだけど、ボクは無条件で誰かを助けるのも、誰かに助けられるのも御免だよ。ましてやニーア君になんてありえない。ボクと彼はいわばギブ&テイクの関係だしね」

「お前、俺から貰ってばっかで一向に返してないだろう?」

「命より高いモノはないんだよ、ニーア君」


 何気なく呟いただけの言葉にもしっかりと切り返してきたシエラに、ニーアはうっ……と言葉を詰まらせた。

 そんなニーアを無視し、シエラはなおも呆気にとられている轟に向って告げる。


「よって、ボクには彼を止める力はないし、彼がボクを助けようとしているのなら、それはニーア君が勝手にやっていることだからね。たとえ彼がどうなろうと、大して変わらないと思うよ?」


 そう結論付けて、シエラはそれ以上言うことはない――というように普段と変わらぬ脱力感を漂わせたへの字口で《神の右に座す者》の中枢核にぶら下がる。

 あまりの思い切りの良さに、轟だけではなくニーアまでもが唖然と言葉を失ってしまったが、やがてニーアは肩を竦めて口を開いた。


「――だそうだぞ。轟。終盤まではお前の思い通りだったのに、詰めの部分で誤算が生じたみたいだな?」

「っ……」


 ニーアの言葉に、轟は僅かに舌打ちをして見せた。そんな彼の様子ににやりとあくどい笑みを浮かべながら、ニーアはシエラを見――そして言った。


「そうだな。俺がアンタを助けるのは俺の勝手なんだよ――だからアンタはそこでのんびりどっしり構えて、俺に助けられるのを大人しく待ってろ。いやなら助けられた後、もっぺんそこの馬鹿に捕まればいいさ」


 その言葉に、シエラは僅かに口角を上げ、微笑を浮かべて、


「――ん、了解」


 そう、了承の言葉を口にした。


「……ふん。物事に不確定要素は付き物。この程度はまだ想定の範囲内だ」


 忌々しげにニーアとシエラを交互に見て、轟は僅かに眉を顰めながら言った。


「どの道、お前を殺せば私を阻む者はなくなる――《神の右に座す者》!」

『!』


 轟が名を叫んだ刹那、虚空に十を超える幾つもの響律式が具現し、そこから無数の閃光が射出されて雨の如くニーアを襲撃する。

 体内の響素を操って極限まで強化した身体能力でも対処しきれない数の響律式に、僅かにニーアの表情に緊張が走る。

 剣で捌くにも限界があり、いくつかの閃光がニーアの肩や太ももを貫く。


「くあっ!」


 ニーアの口から悲痛に満ちた呻きが漏れるが、それもほんの一瞬のこと。


「――なっ!?」


 痛みで注意が逸れたほんのわずかの間に生み出されていた数多の響律式に、ニーアはぎょっと目を剥いて言葉を失い――次の瞬間一斉に解き放たれた無数の閃光がニーアの周辺を穿ち爆発する。

 矢ぶすまの如く放たれた衝撃波を、ニーアは反射的に形成した響素の障壁で凌いだ。が、グレイアースの時と同じで、完全に防ぎ切れたわけではなく、身体の各所から血を流してその場に蹲る。


「次で――止めです」


 轟が宣言すると同時に現れたのは、先ほどとは全く異なる巨大な術陣だった。そこに収束される大量の響素――喰らえば間違いなく必死となるだろう術を見て、ニーアは咄嗟に飛び退いて躱そうとし――全身に走る痛みのせいで動きが鈍る。

(ヤベェ――!)

 回避も防御も間に合わない。脳裏で克明に自分が死ぬイメージが出来上がり、そのおぞましさにぞっとした刹那――



「――〈鋭牙の銀狼〉!」



 裂帛の気迫と共に、轟が生み出した術陣の中心を巨大な斬撃場が閃いた。ニーアを襲おうとしていた巨大な響律式は、その白銀の軌跡によって両断され、まるで最初から存在しなかったように霧散する。

 目の前で起きた現象に、ニーアも轟も声を失って呆然と眺める最中――ニーアを守るように、彼はその場に悠然と立ちふさがった。


「無事かい? ニーア」


 振り返って手を差し伸べる男――グレイアースを見上げ、ニーアは目を瞬かせて首を傾げる。


「お前……なんで?」

「ヘルマを助けてもらった。それが理由では駄目かい?」


 ニーアの問いに、最初から用意しておいたのであろう答えを口にしたグレイアースに、ニーアは呆れて苦笑した。

 その背に、


「ええ、助けられた本人が来ていない――などということはないのでご安心を」


 兵器遺品〈グングニル〉を薙ぎ払って新たに生じた響律式を叩き切りながら、ヘルマがそう告げた。

 自分を守るように前後を固める二人を見て、ニーアは複雑そうに表情を顰めながら、


「ったく……おせっかいなんだな」

「君に言われたくはないね」


 グレイアースが即応した。「違いない」とニーアは肩を竦めて見せる。

 そんな彼らを見て、一番憤慨しているのは轟だった。予想外に増えた邪魔者に憤り、思い通りに事が進まない現状に苛立ち、彼はあらん限りの思いを込めて叫んだ。


「どいつもこいつも私の邪魔を――貴方たちは……貴方たちはどうして……!」


 そこから先は、言葉にならない叫びが支配した。

 同時に轟は際限なく縦横無尽に響律式を展開し、闇雲なまでに術式を発動させてニーアたちを攻撃する。

 驟雨の如き猛攻を三人で何とか凌ぎながら、このままではいずれ押し切られる。そう判断したニーアは、


「オイ、蒼いの!」

「ヘルマです! 野良犬!」

「ニーアだ! お前、俺を上まで打ち上げられるか?」


 ヘルマがニーアの問いの意味を理解するのに半秒も必要なかった。彼女は響律式の雨をはじき返しながら大きく頷いて見せる。


「可能です!」

「よし! なら上から攻める! グレイアース、援護しろ!」

「了解した!」


 言葉少なに交わされた作戦は、瞬く間に決行される。

 轟が《神の右に座す者》を用い、新たな響律式を生み出すほんの僅かな間隙を縫うようにして、ヘルマは〈グングニル〉の雷撃で自身の筋肉を刺激して膂力を高め、その瞬間を狙ってニーアが〈グングニル〉に足を乗せると、ヘルマは「行きます!」と僅かに一言だけ口にすると、一切の容赦なく、思い切り〈グングニル〉振り抜いた。

 振り抜かれる瞬間に合わせて、ニーアは全力で跳躍する。ヘルマの打ち上げとニーアの跳躍力が合わさり、ニーアは《神の右に座す者》のはるか頭上に舞い上がる。


「何のつもりか知りませんが――撃ち落としてやりますよ!」


 宙空へと飛び出したニーアは、響律式の恰好な的だった。事実、轟の展開した全響律式は、狙い違わずすべてがニーアへと向かって飛来して行った。

 が、それをグレイアースの〈鋭牙の銀狼〉が阻む。

 最早『線』ではなく『面』に等しいほど巨大な斬撃場が、ニーアと《神の右に座す者》の間に生じ、放たれたすべての響律式が白銀の斬撃によって無力化される。

 そして次の瞬間――超新星の爆発にも似た巨大な閃光が弾け、轟の視界を奪った。

 防御と目暗まし。二重の意味を持って放たれたグレイアースの〈鋭牙の銀狼〉の一撃。その爆撃の中をニーアは緋色の風を纏って突き抜けてきた。


 ――〈魔王の残滓〉。


 あらゆる響律式を構成する響素を喰らい、己が力へと還元する風がニーアを包み、グレイアースの〈鋭牙の銀狼〉を無効化する。



「うおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」



 手にする〈緋の暁〉を振り上げ、ニーアは一直線に《神の右に座す者》へと落下していく。

 そこでようやく視界を取り戻した轟が、慌てて響律式を顕現させてニーアへと叩きこむが、〈魔王の残滓〉が生み出す緋色の風がそのすべてを無力化した。

 最早ニーアを阻む者は何もなかった。彼は上空から《神の右に座す者》の上に着地すると、手にする〈緋の暁〉を思い切り振りかぶり、それを突き立てる。


「貴様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 轟が絶叫し、ニーアへと襲いかかろうとするが、すでに遅い。


「――〈灼滅するもの〉!」


 ニーアの最も得意とする炎の響律式が、〈緋の暁〉を通して《神の右に座す者》の中へと直接叩きこまれる。



 ――一瞬の静寂が周囲を包みこみ――



 次の瞬間、室内のあちこちで炸裂音が響いた後、電力の供給が止まった状態と似たような静止音が耳朶を叩く。

 すると、シエラを拘束していた無数の機械が音を立てて外れ、されるがままに身を預けていたシエラの身体が放りだされそうになり――


「――よっと」

「うぎゃ」


 その襟首をニーアが摑んで、シエラは情けない声を上げると、恨めしそうにニーアを見上げて言った。


「遅いぞ、ニーア君」

「悪かったな、先輩殿」


 さして悪びれた様子もなく、ニーアは微苦笑と共にそう答えた。





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