Ⅵ
走り去っていくニーアの言葉は、グレイアースの耳にも届いていた。そして彼のその言葉に、グレイアースは酷く、酷く共感めいたものを抱いていた。
――その通りだ。
心の奥底から、グレイアースはニーアの言葉に同意を示していた。
誰もがこのTTBという機械によってなされた仮初の大地に安堵し、かつて自分たちが生きていた大地を忌むべき存在としているTTBに生きる人類。
たった百年。わずかそれだけの歳月だけで、数千年も生きてきた地を身捨ててしまった人類。
淘汰されて当たり前だ。
目の前にあるただ楽な回答にばかりすがり、自分の目を閉じて本来のあるべき姿から目を反らし続けてきた自分たちが、果たしてどうして大地に生きることができるだろう――そう思いながら、それと同時に再び大地に帰ることができないか――そう、幼い頃に何度思っただろうか。
しかし、それを口にするたびに、父も母も目くじらを立てて怒鳴り散らしていた。
ふざけるな!
馬鹿な夢を見るのも大概にしろ!
一体何度、そんな言葉を投げつけられただろう。
いつしか自分は、大地に帰るという夢を口にすることすらなくなり、気づけばTTBの治安と現状の維持ばかりに囚われていたような気がする。
今なら分かる。
どうして自分が、事あるごとにニーアの言葉に気を取られていたのかが。
――彼は、かつての自分だった。
始まりこそは他人の言葉だったが、いつしかそれを自らの望みとして堂々と口にする彼は、まだ親に断じられる以前の自分の姿だったのだ。
「……グレイアース……様」
いつしか上に昇り見えなくなったはずのニーアの背中を見続けていたグレイアースへ、不意に名を呼ぶ声が耳朶を叩き、彼は慌てて腕の中にいる彼女を見た。
「ヘルマ。目を……覚ましたのか?」
グレイアースの問いに、ヘルマはしっかりと頷いて見せた。
「はい。何処ぞの野良犬の声があまりに五月蠅かったので」
「ハハハ……」
ヘルマの返答に、グレイアースは乾いた笑いを上げながら、ふと彼女へ訪ねた。今しがた思い出した、ずっと昔の自分の抱いていた夢のことを。
ヘルマはゆっくりと頷いた。
「はい。覚えています」
「なるほど……だから、君はニーアに食ってかかっていたんだね?」
「はい。あのような野良犬が、グレイアース様と同じ夢を抱いているというのが、我慢ならなかったので」
ヘルマの言葉に、グレイアースはどう答えていいのか分からず、曖昧な返事を返すだけに留めた。
そしてしばらく言葉なく目を閉じた後、恐る恐ると言った様子で彼女に問う。
「今からでも……間に合うだろうか?」
「はい……必ず」
グレイアースの問いに、ヘルマはそう力強く頷いた。そしてそれを後押しするかのように、
「やってみるといい……」
離れた場所からそんな声が届き、グレイアースとヘルマは揃って声の主を見た。
最早目も見えていない、息も絶え絶えのあり様でありながら、それでも彼は――ベオルフ=クロウは力強い声音でグレイアースに言う。
「お前がそう思ったのなら……目指してみるが……いい……かつて私がそうしたように……私とは違う道を……な」
「先生……」
無意識に、グレイアースはそう彼のことを呼んだ。
ずっと昔、まだ騎士を目指す前から自分に剣を教えてくれていた頃の、師の呼び方で。
ベオルフが笑った。
そしてそれを最後に、彼はゆっくりと目を閉じてその生涯を終えた。
英雄と謳われながら、その自らを死で隠匿し、今回の事件の引き金を引いたうちの一人――ベオルフ=クロウは、実にあっけなく息を引き取った。
一瞬、その傍らに駆け寄ろうかと思った。が、それを思いとどまり、グレイアースはかぶりを振った。
彼はそんなことを望まない。そんなことをするくらいならば、とっとと剣を手に立ち上がれ――彼ならきっと、そう言うはずだ。
「グレイアース様……」
気遣うように名を読んだヘルマに、大丈夫だと一声かけて彼女を下ろす。そしてニーアとの戦いで手から零れた〈魔狼〉を手にとって、視線をはるか頭上――その先にいる轟と、先に言ったニーアへと向けた。
その隣に、何処からともなく〈グングニル〉を召喚したヘルマが立つ。「もういいのか?」と尋ねると、彼女は「問題ありません」と静かな声音で答え、そして進言する。
「私たちも行きましょう。あんな一般の請負屋一人に任せてなどおけません」
言葉に棘があるのは否めないが、遠回しにニーアを助けに行こうとしているのだけは伝わった。
無論、グレイアースもそのつもりだった。
かつて同じ夢を見て――そして今再び、同じ夢をその胸に掲げる者として、
「行こうヘルマ。彼一人だけを戦わせるわけにはいかない」
「はい、お供します」
グレイアースとヘルマは、先に駆けだした彼と同じように、その長い階段を駆け上がっていった。
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