「勝負あり……だろう」


 間違いなく、勝敗は決していた。剣を失った剣士は敗北したも同然。ニーアはそう遠まわしに断じた。だが、


「……まだだ」


 かすかに、グレイアースがそう答えた。剣を突きつけるニーアを正面から見据え、その視線を決して逸らさぬまま、彼は言う。


「どちらかの命が果てるまで――そうでなければ勝敗は決まらない」


 言いきったグレイアースに、ニーアは呆れて果てて言葉も出なかった。そしてほんのわずかの間黙考し、真長に言葉を選びながら口を開こうとした――その時だった。



「――遅くなりましタ♪」



 何処までも緊張感の欠いた多次元的声と共に、ヴィルヘイムは部屋の奥の扉から現れた。その両腕に、蒼い髪の女性を抱えて。

 そんな今更過ぎる登場に、ニーアは頭痛がしそうな錯覚に襲われながら地団駄を踏んで彼を睨んだ。


「遅すぎだ! おかげで俺はこの頭でっかち相手してボロ雑巾寸前だぞ!」


 というニーアの文句など何処吹く風。彼はかんらかんらと笑って肩を竦めて、


「妙齢の女性を抱きかかえル……そんな体験は久しぶりだったのデ、堪能したくなったのですヨ♪」


 という本気なのか冗談なのか分からない発言をして、ニーアを脱力させた。

 ――その横で、グレイアースは呆けたように立ちつくし、ヴィルヘイムの腕の中に納まる女性――ヘルマを見ていた。

 そして我に帰るや否や、


「ヘルマ!」


 己が副官の名前を呼んで、ヴィルヘイムの下に駆け寄った。


「どうゾ」


 駆け寄ってきたグレイアースに、ヴィルヘイムはそう言ってヘルマの身柄を手渡した。ぐったりとしたヘルマの身体をそっと包み込むよう受取り、グレイアースは彼女の名を呼ぶ。


「ヘルマ! ヘルマ!」

「あまり動かさないでくださイ。治癒は施されていましたかラ、大事には至っていませんヨ」


 目を覚まさぬヘルマを心配してか、その身体を揺すりながら声をかけるグレイアースに、ヴィルヘイムは簡潔に状態を伝える。

 そのままヴィルヘイムはニーアを見た。ニーアはそれに頷いて返すと早々に踵を返して動かないベオルフの下へと急ぐ。

 此処に突入した際、ヴィルヘイムと別行動を取った理由はこれだった。もし轟がニーアの襲撃を予想していた場合、その防衛策としてベオルフかグレイアースが用意されているだろうと踏んでいた。

 そして気になっていたのが、あの外延部で顔を合わせた際に、その傍らにあの蒼髪の副官がいないことが気になっていた。そしてグレイアースの様子から、彼女が人質か何かになったのではと推測し、そうであるとすれば何処かに幽閉されている可能性を予想したニーアの案により、対グレイアースようにヘルマを確保しておいた方がいいだろうとヴィルヘイムに探させたのだ。

 まあ、そのヘルマを連れて来るよりも早く、グレイアースとの戦いに決着がついてしまったためにあまり意味は成さなかったが、少なくともこれで彼が敵に回ることはないだろう――だからこそ、ニーアは当初の目的のためにベオルフへと近づく。

 倒れ動かぬベオルフの傍で膝をつき、彼を見下ろし……そして問う。


「おいオッサン。まだ寝るには早い――息はしてるんだろう。なら、俺の質問に答えろ」


 一方的な物言い。だがしかし、ベオルフはそんなニーアの言葉に微かに笑い声を上げて見せた。


「……くくくっ……相変わらずの傲岸不遜ぶりだな? アシュリート」

「そう言うアンタは、死に欠けの割には元気そうだな」


 ニーアの言葉に、ベオルフはいいやと首を振った。


「もう……見えていないのだよ。直に命が尽きる」

「そうか……」


 ベオルフの告白に、しかしニーアは対して驚くこともせずただ一言そう応じるのみだった。何となく彼の周囲に広がる血の量から死期を悟ったのだろう。

 ニーアはただ僅かに吐息を漏らすだけだった。そして、


「なら、死ぬ前にチビ助と轟が何処にいるか答えろ」


 そう尋ねた。

 ベオルフは僅かに逡巡して見せたが――無駄なあがきと悟ったのか、あるいは最早轟をかばう理由はないと意を決したのかは知らないが、ニーアの問いに答えようと口を開こうとし――それは頭上から響いたスピーカー越しの声に阻まれることとなった。



『――私でしたら、ずっと貴方達の頭上にいますよ? 用があるのならば、自らの足で我が元に来るといい』



 頭上から降ってきた言葉に、ニーアは酷く冷めた目をして見上げながら言った。


「死に損ないの最後に、名誉の花一つも添えてやる気もないみたいだな。あの野郎は」


 吐き捨てるようにそう言葉を漏らしながら、ニーアは〈緋の暁〉を手に立ち上がると、


「オッサン――この剣、貰って行くぜ?」


 そう言って、ベオルフがゼリクであった時に見せたのと同じ不遜な笑みを浮かべて見せた。

 ベオルフは黙って首肯し、走り出そうとするニーアの背に、ふと思い出したように声をかけた。


「――一つだけ、聞かせてくれ」

「……答えられることならな」


 急ぐ歩みを止めて、ニーアは立ち止まって視線だけ振り返り、ベオルフを見た。そんな彼に、ベオルフは僅かに躊躇った後、意を決したように問う。


「――以前、まだ……アカデミーであって間もない頃に……お前は言った。『大地に帰るのが夢』だと……それは……何故だ? 斑目=恭一郎に……言われたからか?」

「んなわけあるか――ったく、寝ぼけたこと言ってんじゃねーよ」


 ベオルフの問いに、ニーアは呆れたように髪をガシガシと掻き上げて、仕方がないといった風に、それでいて年相応の少年のような笑みを浮かべて答えて見せた。



「――俺は人間だ。大地で生まれ、大地で育ち、そして大地に還る――それが人間だろ? それが、俺の答えだ」



 ニーアはそう一方的に言葉を残すと、もう言うことはないという風に上部へと続く階段を駆け上がって行った。

 残されたベオルフは、走り去るその背を見ながら、ただ茫然としたまま呟いた。


「大地に生きる……か」


 それは、TTBに生きる誰もが今や忘れてしまっている――だがかつての人類にとって、あまりに当たり前の在り方だった。


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