Ⅲ
咄嗟に叫んだあと、麗愛は少なからず後悔の念に駆られていた。
(あの銀色の坊やには……悪いことしたのー)
そう胸中でグレイアースに謝罪しながら、麗愛はニーアの様子を見た。
全身を包みこむように展開された緋色の風――〈魔王の残滓〉が具現したことによって生じたあの風は、ニーアを守る最強の楯と言っていい。
――〈魔王の残滓〉。
それは一見唯一響律式に見えるが、実はそれらとは似ていながら非なるものであり、唯一響律式の中でも異端中の異端と言える響律式だ。
〈魔王の残滓〉は、発動と共に宿主の体内に宿る響素と共鳴し、その身体能力を通常時と比べて数倍にまで高める。無論、ただの体内響素を操った場合の身体強化とは比べるべくもない強化を宿主に与えるが、それは〈魔王の残滓〉の本来の能力ではなく、いうならば本来の能力の発動させるための予備能力に過ぎない。
〈魔王の残滓〉というのは、そもそもに自然に発生した唯一響律式ではなく、斑目=恭一郎の遺伝子強化を施した人工生命が突発的に生じさせた――いわば突然変異に近い特殊な響律式。
彼は〈魔王の残滓〉を、
すべての響律式の始まりの響律式――〈
故に、彼はそれを唯一響律式とは名付けなかった。
――あれほど響律式使いにとって相性の悪い響律式など、他に存在しないというのに。
眼前で、ニーアとグレイアースが激突した。
緋色の風を纏った黒塗りの長剣と、白銀に染まる夜闇の長剣が、両者の膂力によって拮抗する。
そしてニーアとニーアの剣を包む緋色の風がグレイアースの〈鋭牙の銀狼〉の光に触れた刹那――それは起きた。
まずそれに気づいたのは、術者であるグレイアース自身。気づいた彼の表情は、理解の及ばない現象を前にして怯える子供のように見えた。
その彼の反応を見て、麗愛もそれを視認する。
ニーアの〈魔王の残滓〉に触れた〈鋭牙の銀狼〉の光が、弾けるようにして消え失せる瞬間を、麗愛は確かにその眼で見た。
そう。あれこそがニーアの唯一響律式〈魔王の残滓〉の脅威。
他者の響律式を破壊し、それを形成していた響素を喰らい、自らの力へと転換・増幅するという、圧倒的な攻撃性を誇る侵食系響律式――それが〈魔王の残滓〉。
〈鋭牙の銀狼〉という優位性を失ったグレイアースは、ニーアの纏う緋色の風を忌々しげに睨みつけながら〈鋭い銀狼〉を解いた。それに合わせて、ニーアも〈魔王の残滓〉を解除する。
元々あの響律式はその強力な力を有する分、宿主であるニーアに多大な負担をかける、悪食のような響律式だ。
だから普段は封印し、滅多なことでは使わないように厳命している。実際に、ニーアが〈魔王の残滓〉を使った回数など指で数えられる程度。それほどまでに、あの響律式は危険をはらんでいる――いわば諸刃の剣。故に禁じ手としているのだ。
それを解放し、グレイアースの〈鋭牙の銀狼〉を封じることに成功したならば、あとは単なる剣による戦い。
二人の剣が交錯し、幾つもの火花を散らした。
どちらも、その年齢からはとても想像できない卓越した技巧で刃を交わる。
金属音。金属音。金属音。
神速の剣撃が飛び交い、虚空で咬み合う。刹那――思わぬ事態が訪れた。
ニーアの剣が、グレイアースの剣との衝突でその剣身が砕け散ったのだ。おそらく寸前の響律式の攻防で、グレイアースの〈鋭牙の銀狼〉を防ぎ続けて蓄積されたダメージと、更に卓越した剣士同士の剣圧に耐えきれずに自壊したのだ。
ニーアの顔が悔しげに歪み、グレイアースが好機と剣を振り上げる。
思わず麗愛が自分の刀を投げ渡そうかと逡巡した――その瞬間だった。ニーアの靴の爪先に何かが当たる。
彼はそれを一瞥すると、迷うことなくそれを蹴り上げ――手に取るや否やそれを手早く振り抜いた。
その手に取ったそれは、ほんの少し前に麗愛が対峙していたベオルフが手にしていた、真紅の刀身を持つ両手長剣、〈緋の暁〉。
ニーアが〈緋の暁〉を振るった瞬間――グレイアースの手から〈魔狼〉が弾け飛ぶ。
ほんの――ほんのわずかの差。
勝利を確信して余韻に浸った者と、最後まであがくことを諦めなかった者の僅かな差が、勝敗を決したのだ。
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