Ⅱ
戦いの最中でありながらも、グレイアースの頭の中は未だ混乱に見舞われていた。
今まで信じてきたことが一気に瓦解し、自分が立っていた足場が酷く曖昧になり、自分はいったい今まで何を目指して騎士として日々を過ごしていたのか――そんなことばかりが脳裏で問答を繰り返していた。
何より気がかりだったのは、ヘルマのことだった。
今、彼女はどうしているのか。
怪我の具合はどうなのか。
無事でいてくれているのか。
それがずっと脳裏から離れず、グレイアースはずっと思索し続けていた。
だが、
「闘いの最中に考えこととは、随分と余裕じゃねーか!」
叫び声で我に返る。
相手はいつの間にか自分を間合いに捉え、身を屈めた体勢から飛び上がるように足を振り上げてきた。
グレイアースはそれをとっさに上体を逸らすことで躱す。続く剣閃を自身の〈魔狼〉で受け止め、逆にその力を利用して体を回転させ、足元で小細工をするニーア目掛けて剣を振り下ろした。
「――っと!」
刹那、ニーアは体を開いてグレイアースの剣を避けるとそのまま大きく飛び退き、橋から飛び出して壁へと飛び移ると、そこを足場のように利用して跳躍――落下する勢いに乗ってグレイアース目掛けてその長剣を叩き下ろす。
「オラッ!」
「くうっ!」
振り下ろされた斬撃を剣の腹で受け流しながら、グレイアースは片手を離してそこに響素を束ねると、目の前に着地したニーアの顔面目掛け、ゼロ距離で響律式を叩き込む。
束ねた響素が集束し――転瞬、小規模の爆発となってニーアを襲う。
だが、彼はそれを読んでいたのだろう。慌てることなく――むしろ冷静にグレイアースの放った響律式を形成した響素の流れを読み解き、爆炎が自分に届く前に響素を自己の制御化に置いて無力化する。
その響素の制御技術は驚異的速さだ。正に超絶技巧。神業と言っていい。
副官であるヘルマも、グレイアースの知る中では驚愕に値する響素制御技術の持ち主だったが、目の前のニーアはそのはるか上を行く技巧の持ち主だった。
一瞬たりとも気が抜けない。
否。僅かでも気を緩めれば、間違いなく自分が彼の刃にて破れるだろう。
(――それだけは!)
ほんの数分前に、轟によって告げられた言葉を思い出す。
『――直に、この場所のニーア=ゲイル=アシュリートが来ます。《神の右に座す者》の起動完了までの時間を稼いでください。さもないと……あなたの大切な副官がどうなるか、私には想像がつきません』
そう笑顔で告げた轟の顔を思い出し、グレイアースは戦慄する。
あの男は、たとえそれがどれだけ非道なことであったとしても、自分の目的のためならば平然とやってのける人種だ。やると宣言した以上、彼は必ずやるだろう。
(それだけは――彼女だけは!)
守らなければいけない。
そう自らにいか聞かせ、グレイアースは神経を研ぎ澄まし、ニーアを見る。
身体的能力値ではおそらく互角。ただ、精神面では彼のほうが僅かに上を言っているだろう。実力が拮抗する者同士の戦いでは、精神的圧力や気負いなどで勝敗が左右することは少なくない。
なら、彼になくて自分にあるモノを使って状況を優位にすればいい。
そう判断したグレイアースは、向かい来るニーアの剣を受け止め、それを退けた後わずかに意識を集中する。
自分の中にある肉体に流れる響素とは全く異なる――グレイアースにだけ存在する、秘められたる奇跡。
白銀の輝きを纏い、あらゆる敵を食い破る狼の牙。
グレイアースの全身が白銀の輝きを纏い、それがグレイアースの手にする〈魔狼〉へと流れていく。剣身全体が白銀の輝きを発し、相対ずるニーアがその変化に動きを止めた。
そんな彼に向けて、グレイアースは研ぎ澄まされた眼差しでニーアを見据え、そして告げる。
「――行くぞ」
その宣告と共に、グレイアースは〈魔狼〉を振り抜いた。
「――〈
宣言。
同時にニーアが何かを感じ取ったのか、大きくその場から後ろに飛び退く。
すると、寸前まで彼が立っていた空間に銀色の閃光が走る――そして次の瞬間、その閃光が白銀の炎と衝撃を伴って爆発した。
目の前が突如爆発した現象に、ニーアは僅かに目を剥いて驚愕をあらわにするが――すぐに何かを悟ったらしく、彼は不敵に笑った。
「なるほどな……それが噂に聞く、グレイアースの『狼の牙』ってわけか?」
「その通りだ」
ニーアの言葉に、グレイアースは白銀に輝く剣を八相に構えながら頷いた。
「これが私の唯一響律式――〈鋭牙の銀狼〉だ。私の視覚範囲内ならば、あらゆる場所を任意に切り裂き、爆発で追撃する――ただそれだけの響律式だ」
「なにがただそれだけだ。そういう単純な響律式ほど強いんだろうが」
「かもしれんな……」
ニーアの不満げな囁きに、グレイアースは失笑しながら相手を見据え――
「破っ!」
「――ちっ!」
グレイアースが剣を振ると同時に、ニーアは舌打ちをしながら橋から飛び降りた。そして次の瞬間、寸前までニーアが立っていた空間が再び切り裂かれ、追撃の爆発が周囲を呑み込むのを背にし、ニーアは階下へと飛び降りた。
「逃すか!」
その後をグレイアースも追う。
「――〈
先に飛び下りたニーアが、追いすがるグレイアース目掛けて火の上位響律式を放つ。〈焼き払うもの〉上位である〈灼滅するもの〉を起動鍵語なしに放ってきたことに驚きながらも、グレイアースはそれを〈鋭牙の銀狼〉で斬断する。
斬るということに特化した唯一響律式である〈鋭牙の銀狼〉の前では、生半可な響律式はその刃によって両断することができる。
(――そうそう容易く打ち破れはしない)
胸中でそう呟く。
そして下の階に着地したグレイアースの目に、信じられない光景が飛び込んだ。
壁際に、剣で胸を貫かれて縫い付けられた格好のままでいる麗愛=マルスタイン。そして、
「……ベオルフ……様」
反対側の床で、腹部に剣を突き立てられたベオルフ=クロウの姿に、グレイアースは驚愕を隠せずにいた。
そんな最中、先に着地していたニーアが、壁に剣で縫い止められた麗愛に向けて、
「ババァ、生きてるか?」
そう尋ねていた。
――無理だ。瞬間的に、グレイアースはそう断じた。
どう見ても心臓を貫かれている。あれではどんな人間であろうと生存できるわけがない。だが、そんなグレイアースの予想を裏切るように、麗愛=マルスタインは僅かに身震いしたあと、ゆっくりとした動きで顔を上げてニーアを見て、
「ういぃぃ……死ぬほど痛いわー。ニーア、剣を抜いてくれぬか?」
そう言った。
信じられない情景を目にして絶句するグレイアース。そんな彼の目の前で、ニーアは「仕方ねーなー」と至極面倒くさそうにぼやきながら剣を遠慮なく引き抜いた。
「ふがぁっ!? もうちょっと優しくできんのか!」
「知るか。抜いてやっただけでもありがたく思え。この不死身属性持ちのロリババァが」
「うっさい! くそぅ。あの小童――思いっきり刺してくれおったて……」
そう文句を垂れながら壁際に背を預けて座り込む麗愛を、呆れた様子で一瞥したあと、ニーアは改めてグレイアースと対峙した。
「どうする? まだやるのか」
「くっ……無論だ。私は、何としてもお前をこれ以上先に行かせるわけにはいかない」
わずかに逡巡しながらも、グレイアースは再び白銀の輝きを纏った〈魔狼〉を構えた。対峙するニーアは、仕方がないという風にため息を漏らして同じように剣を構え――そして地面すれすれまで身を屈めると、飛び出すと共にグレイアースへと肉薄する。
圧倒的な速度でグレイアースとの間合いを詰めたニーアはグレイアースの剣の間合いの内に入り込み、剣での切り合いではなく、拳と蹴りによる接近戦にかかる。
だが、グレイアースもそれを警戒していたのだろう。彼はニーアが掌底を放つのと同時に体を開いてその一撃を躱すと、大きく飛び退いて間合いを開いて剣を振るった。
白銀の軌跡がニーアを襲う。彼は僅かに後ろに後退し、剣を楯のように翳して響素が生み出す斬撃を受け止める。
剣身に幾つもの火花が走り――次の瞬間ニーアの眼前が白銀の爆発によって覆い尽くされた。
同時に、グレイアースが動いた。一気に間合いをつけて、爆発で体勢を崩したニーアへと迫る。
迫りながら、グレイアースは〈魔狼〉を下段から大振りに振り上げる。
爆炎が晴れた時には、グレイアースはすでに剣を振り抜き終えた後だった。そのグレイアースの剣の振るい方を見て、ニーアはギョッと目を剥く。こっちの意図に気づいたのだろうが、時すでに遅し。
ニーアの足下から生じた白銀の斬撃は、先ほどまでの斬撃よりもはるかに範囲が広く、ニーアは上に飛び上がりながら剣を楯にするしか対処する術がなかった。
無論、それがグレイアースの狙いでもある。
大振りの斬撃によって空中に打ち上げられたニーアを、追撃の爆発が襲う。空中という無防備な場所では、追撃の爆炎から逃れる術がなかった。
ニーアの身体は、巨大な白銀の爆発に飲み込まれて見えなくなる。
そこでグレイアースが追撃に出た。
手にする〈魔狼〉を両手で握り直し、それを目にも止まらぬ速さで連舞する。
虚空に幾つもの軌跡が走る。その数は五つ。
出鱈目に放たれた巨大な斬撃場――それらすべてがほぼ同時に爆発し、空間一帯が爆炎に飲み込まれた。
(これならば……!)
必殺を確信した刹那――爆炎の中から転げるように飛び出て来た影――ニーアは全身のあちこちから煙を発しながら、それでも五体満足の様子であの焔と衝撃の中から這い出てきた。
おそらく、周囲の響素を束ねて熱を遮断する障壁を形成したのだろう。あれだけの爆発の中でほとんど火傷もなく現れたのは、そうでもなければ説明がつかない。
地面に膝をつき、渋面を浮かべて剣を杖代わりにして起き上がりながら、ニーアは忌々しげにグレイアースを見た。
「くそ……本当に遠慮がねーな。お前」
「当たり前だ。君を殺す気で放っているのだからね」
そう言って、グレイアースは再び剣を構える。そして今度こそニーアに止めを刺すために剣を振り抜こうとした間際、傍観していた麗愛が唐突に叫んだ。
「ニーア! アレの使用を許可する! 遣り合うならば、同じ土台でだ!」
アレ――の意味するものは、当人ではないグレイアースには分からなかった。だが、どうにも嫌な予感がした。
麗愛がニーアに指摘したアレを使われる前にケリをつける。その想いと共に、グレイアースは〈鋭牙の銀狼〉を発動させ、ニーアを切り払おうとして――それに気づいた。
ニーアの周囲、そこに渦めく響素の流れ。ニーアを中心に渦巻いたそれは、集束しながらニーアの中に流れ込んでいく。
(――まさか!?)
その現象と、麗愛の言ったアレの刺す意味を理解した瞬間、グレイアースは自分の鈍感さに舌打ちしながら、ニーアを両断するべく〈魔狼〉を振るい〈鋭牙の銀狼〉を発動させる。
だが、それよりも早く、ニーアが叫んだ。
「――〈
ニーアの起動鍵語が紡がれた刹那――彼の周囲に集っていた響素が膨れ上がり、爆発する。一瞬、グレイアースの〈鋭牙の銀狼〉の力が呑まれるほどの響素が彼の周囲で渦を描いていた。
まるでニーアを守るように。
響素は緋色を帯び、風となって彼の周囲で渦を巻いていた。
そして、その風を纏い、長剣を携えてその場に佇むニーアの姿に、グレイアースは一瞬空寒い何かを感じ、思わず一歩後退った。
が、すぐに被りを振って、考えを改める。
(何を気圧されている。ただ彼が唯一響律式を使っただけだ――それに、たとえ彼の響律式がどのようなものであったとしても)
グレイアースは、自らの剣を見下ろした。白銀の光を発する剣身は、その刃に触れる全てをその牙にて食い散らす狼の牙だ。
(――どのようなものであったとしても、この〈鋭牙の銀狼〉で切り伏せればいい!)
そう――自らに言い聞かせて、グレイアースは緋色の風を纏ったニーアを見据え、〈魔狼〉を手に彼を切り捨てるべく地を蹴った。
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