平行世界、チートな勇者と小悪魔と(前編)

目覚めてすぐ、僕はその異常に気づいた。


何気ない朝だった。

いつもの部屋。カーテン越しに滲んでくる春の朝日も柔らかく、優しい。

そして、鼻腔をくすぐるパンとコーヒーの香りと、朝日に負けないぐらいほんのりと柔らかそうな卵焼きの匂い。


目覚めてから数秒と経たずして、僕はその『異常』に気づいたのだ。いや、気づいたというよりもむしろその『異常』こそが僕を目覚めさせたといっても過言ではない。


リリィさんがパンを焼けるわけが無いし、コーヒーを淹れられるわけが無い。仮にできたとしてもするわけが無い。


そういうのは大体にして僕の役回りだからだ。コーヒーが飲みたいのなら自分で淹れるのではなく僕を叩き起こす。リリィさんはそういう人だ。


ご理解いただけただろうか。

僕が目覚めた時点でパンとコーヒーと卵焼きの香りが漂ってくるということが極めて『異常』な事態であるということを。


飛び起きてベッドを見るともぬけの殻だ(誤解のないように言っておくが、リリィさんはベッド、僕は床の上に布団を敷いて寝ている)。

ならばやはり、リリィさんはキッチンか。

なんとも言えない嫌な予感に包まれながら、僕はキッチンへと繋がるドアを開けた。


「やぁ、少年。おはよう。いい朝だな」


キッチンの隅に無理やり拵えた二人がけの小さなテーブルで、リリィさんはコーヒーを飲んでいた。


そしてその対面に、見知らぬ女性が座っている。

くるんとカールした栗色のボブヘア、少し野暮ったさを感じる黒縁のメガネ。しかし圧倒的に違和感バリバリなのは彼女のその服装だ。


学校の白い体操着に赤いスパッツ。

今から運動会にでも出るのだろうか。だが女学生と呼ぶにはあまりに大人びている。見たところ二十歳前後といった印象だ。


というか、なぜリリィさんはこの見知らぬ体操服の女性と僕のキッチンでお茶してるのだろう。

寝起きで頭が回りきらずんやりと立ち尽くしていた僕に、リリィさんはいつもの口調で彼女の素性を明かしてくれた。


「紹介しよう。こやつは私の従者、セシルだ。私を追って、勝手に天界から抜け出してきたらしいのだが」


「お言葉ですがリリィ様。人間界へ下ることは第四の神から承認を得ております。勝手に参った訳では御座いません」


僕に挨拶するより先に、セシルという名のその体操着の女性は、リリィさんの紹介に対してやや不服そうにそう答えた。


すごくトーンの高い声だ。

だが透き通るような声色ではなく、どことなく機械音声のような冷たさを感じさせる。


「まぁ、細かいことは良い。とりあえず身の回りの世話はセシルがやってくれる。今朝も料理、洗濯、掃除までこなしてくれた。少年、おぬしもこの朝飯を食ってみろ。うまいぞ」


料理、洗濯、掃除なら僕だってできますよ、などと思ったが口には出さない。そんなことで神族と張り合ったとて詮無きことだ。


しかし、いつになく豪華な食卓を見渡す僕に素朴な疑問が湧いてくる。

パンとコーヒー、卵焼き。

そこまではいい。


「あの、セシルさん?これは?」


「肉じゃがですね。この国の伝統的な料理と聞き、作ってみました」


「いや、じゃがいもと人参はいいとして、確か牛肉は切らしてたハズなんですが…、どこから調達してきたんですか?」


「ああ、タンスの上に金庫が置いてありましたので、そこから少し拝借して購入してきました」


「えぇぇ!?それ、金庫じゃなくて僕の財布ですよ!返して下さい!」


しれっと財布を取り出したセシルさんの手から、僕は財布を奪い返す。

この中には、今月の生活費として三万円が入っていた筈だ。バイトをクビになった今、この三万円がしばらくは僕の全てと言っていいほど貴重なお金なのだ。


震える指で財布の中身を確認する。

そして僕は驚愕の事実を目の当たりにした。

一枚たりとも、紙幣が無かったのだ。


「あの、セシルさん?確かこの財布の中には一万円札が三枚入ってたと思うんですが…」


「一万円札…?ユキチ・フクザワですか?」


「そうです、ユキチ・フクザワが三人です。肉じゃがを作るために牛肉を買ったとはいえ、それでもまだユキチ・フクザワは二人残っているハズでしょう!」


「はい。二人残っています。変わり果てた姿になりましたが、ここに」


「ソウセキ・ナツメ!これ別人ですよ!二万七千円も使ったんですか!?牛肉以外に一体何を買ったんです!?」


「いえ、牛肉しか買っていませんが」


「まさかのオールビーフ、二万七千円分!?」


ああ、なんてことだ。

さすがの僕もこれ以上は言葉を失ってしまう。


「まぁまぁ、少年よ、細かいことは気にするでない」


「細かくないですよ、リリィさん!あと二千円で今月をどう乗り切れと!」


「食べるものには困るまい。冷蔵庫の中に約一頭分に匹敵する量の牛肉があると考えろ」


「そんなに無いでしょ!?あったとしても、乗り物代とか飲み物代とか、他にも色々と出費はあるんです!それなら生きた牛が一頭いてくれた方がマシですよ!乗れるし、牛乳も飲めるし!」


「まぁそう怒るな。セシルとて悪気があった訳ではなかろう。それより、今日の私は機嫌が良いぞ。さっそく三人で出掛けるとするか」


「お金もないのに?どこに行くってんですか、リリィさん!」


「なに、その辺りを散策するだけでも楽しかろう。では私は冥土服に着替えてくるゆえ、二人はそこで待っておれ」


そう言ってリリィさんは隣りの部屋へ姿を消した。ドア越しに鼻歌が聞こえてくる。確かに機嫌は良いらしい。


でも、初対面のセシルさんといきなり二人きりにさせられた僕の居心地はすこぶる悪い。

それ以前に、僕の機嫌もすこぶる悪い。

生活費をほぼ使い果たされた上に、それに対する謝罪すらないのだから。


とりあえず文句のひつとでも言ってやろうかと考えていたところ、唐突にセシルさんの方から僕に話しかけてきた。


「さて、人間の男よ。本題に入ります。私がここに参ったのは、単にリリィ様のお世話をするためだけではありません」


先ほどより声のトーンをぐっと落として、真剣な顔で、というより、メガネの奥の鋭い瞳でほとんど僕を睨みつけるようにして、セシルさんは驚きの一言を僕に放ってきたのだった。


「単刀直入に言います。今すぐ、ここから出て行ってください」


「は、はい?あの、どういうことですか?出て行くも何も、ここ、僕が借りてる部屋なんですけど…」


「百も承知です。ですが貴方はリリィ様にとって非常によろしくない存在なのです。リリィ様と貴方を引き離すこと…、それが私の最大の目的なのです」


「いや、ちょっと待ってください、セシルさん。意味がわかりません」


「具体的な説明が必要ですか。ならば少し、説明に時間を取りましょう」


はぁ、と大袈裟なため息をひとつついて、体操着で椅子に腰掛けたセシルさんは、隣に立つ僕を見上げながら話を始めた。


「どういう訳か、リリィ様は貴方のことを大変お気に召しているようです。元来、一箇所に留まらない性格のリリィ様が、すでに何日間もここに滞在しているのが何よりの証拠です」


「そうなんですか?だからって、 なぜ、僕とリリィさんを引き離す必要があるんです?」


「一つ目の理由。私もリリィ様にお会いするのは久しぶりでしたが、ここまで牙を鈍らせたリリィ様を見るのは初めてです。貴方とともに生活することで、明らかにリリィ様の警戒心が衰えています。これは極めて危険な徴候であると言えます」


セシルさんのその言葉に、確かにうなずける部分はあった。

出会った頃のリリィさんは、もっとこう、近寄りがたいオーラのようなものを常に身に纏っていた気がする。


それが一緒に暮らすようになってから、随分と軽減されてきたように思う。一歩間違うとおじゃる丸のようなユルいキャラになっていたりする。


「ここまでは理解しましたか、人間の男よ。そして二つ目の理由。リリィ様は常に、いつ魔族からの襲撃に晒されるかわからないという危険性と隣り合わせの生活を送っています。ですがいざという時、貴方では、リリィ様をお守りすることができません」


「それは、その…」


反論をしようとしたが、何も言葉が出てこない。

改めて言われてみれば確かにそうかもしれないと、自分自身が納得してしまっていたからなのかもしれない。


「私からの話は以上です。さぁ、リリィ様が着替え終わる前に出て行ってください。自分の意思で出ていかないのであれば強制的に排除します。こう見えても、私も神族に連なる者ですので。人間一人、空間から排除することなど容易いですよ」


セシルさんの目は、本気だった。

僕はその時、生まれて初めて、自分自身に『殺意』が向けられる感覚というものを知った。


「理解してください、人間の男よ。貴方とともにいることで、今、リリィ様の命は危険に晒されているのです。それを黙って看過するなど、数百年もお仕えしてきたこの私には到底、できないのです」


僕が聞いたのは、その言葉が最後だった。

納得した訳じゃない。

諦めた訳じゃない。

でも僕は、まるで逃げるように、自分の部屋の玄関のドアを開け、外へ出た。


何がなんだか、よくわからなかった。

何を信じていいのか、わからなかった。


ただ、僕は。

わずか二千円の全財産をポケットにねじ込み、二人を残して部屋を後にした。


「あぁもう、何だってんだ、畜生」


毒づきながら、僕は一人、トボトボとあてもなく歩く。

部屋を出た時はセシルさんに気圧されてたけど、冷静になって思い出すと腹が立ってくる。


そもそも、僕が出て行く必要なんてないのだ。あの二人が出て行くべきなのだ。

そう思っていながらも、足は自然と自分のアパートから遠ざかっていた。


そりゃあ、僕だって。

いつまでもリリィさんと一緒にいられるなんて思ってない。いなくなれば寂しいかもしれないけど、いつまでも居座られたらそれはそれで困る。


でもその反面、しばらくこうして二人で暮らすのも悪くないかなと思える程には、居心地がよかったのも事実だ。そこは否定しない。


もちろん、僕は人間で相手は神だ。

そううまくいかないだろうということは予想していたけど。

まさか、こんな形であっさりと引き裂かれてしまうとは思ってもいなかった。


ああ、駄目だ。

さっきからリリィさんのことばかり考えてしまう。僕にはもっと考えるべきことがある筈なのだ。

例えば、バイトのこととか。


先日バイトをクビになってしまったため、新たな仕事を探さねばならない。しかも早急に。貯蓄はほぼゼロに等しいのだ。


そう考えた時、僕は自然と、とある板金工場へと向かって歩き始めていた。

そこには以前、就職の手助けをしてあげた人物が働いている筈なのだ。


「こんちはー。ジョーイくん、いる?」


「あ、お兄ちゃん、久しぶりー!元気ィ?…って、あれ?あまり元気じゃなさそーだね?」


寂れたその工場で働いていたのは、本の中の世界から飛び出してきた金髪の天才少年、ジョーイくん。


あの日以来、ここで住み込みで働かせてもらっているらしい。十二歳の少年を雇うほうも雇うほうだが、ジョーイくん曰く「ここは闇企業だから大丈夫だよ!」とのこと。


だがジョーイは板金の仕事をする様子もなく、工場の隅に置かれたパソコンに向かい、何やら忙しげにキーボードを叩いている。


「ジョーイくん、何やってるの?仕事、しないの?」


「いやー、それがね。なかなか板金の仕事だけじゃ五兆円も稼げないことに気づいたんだ。だから最近ね、副職を始めたんだ!一発当たれば大儲けできるんだよ!」


そう言って、健康そうな笑顔を僕にしてみせるジョーイ。

何やら胡散臭さを感じたものの、「大儲け」という言葉に引け寄せられるかのように、僕はジョーイに近づいていった。


「大儲け?一体、何をどうやって稼ぐの?まさか、株とか?」


「違うよー。これこれ、これだよ!スマホゲームアプリの開発!大ヒットしたら一瞬でボクは大金持ちだよ!」


「はぁ。なるほど、そこに目をつけたのか。でも個人開発のスマホゲームが大ヒットするなんてそうそうないと思うけど」


「まーまー、そこが天才と凡人の差ってヤツだから!そうだお兄ちゃん、ちょっとテストプレイしてみてよ!まだ序盤部分しか完成してないけど、斬新さには自信があるよ!」


ニコニコと満面の笑みを振りまくジョーイに促されるまま、僕はパソコンの前に座る。


「えっと、これがゲームのタイトル?『ドラゴンファンタジークロニクルプロジェクト』…、いきなり斬新さのカケラもないけど大丈夫?」


「タイトルなんて後でいくらでも変えられるよ。それより大事なのは内容!まず見てほしいのが幼なじみの主人公とヒロインが異世界から勇者を召喚するシーン!ちょっとここ、読んでみて!」


「いや、その設定もずいぶん使い古されてるもののような気がするけど…。まぁちょっと、やってみるね」


「うん!特にボク、日本語の文章…っていうの?それがまだよくわからなくてさ。テキストに変な部分があったら教えて?」


「了解。どれどれ?」


【主人公】

今すぐ、私どもの準備は整いました。その端末と錠剤を持ち、旅立つ権利を毎日得ています。どうぞ旅とかその他、を始めてみてください


【ヒロイン】

ははは(猿のように笑う)。あなたは苦難、最後まで、どのように整うのか示してください。すべてはそれです。あなたと私のために用意されています


【主人公】

ははは(猿のように笑う)。愉快にごうごうと流れます。そしてそれはあなたと私、この端末と錠剤に基づいて用意されています


【ヒロイン】

然るべき者よ!あなたは死にます。古代人、そしてそれは破るあなたを許します。端末と錠剤、それらはすべてそれらではありません


「あの、ジョーイくん?」


「なぁに?どっか、おかしなトコあった?」


「いや、どっかおかしなトコというか、おかしなトコだらけで極めて難解なんだけど…。結局この二人、なんの話してるの?」


「だーかーらー!幼なじみの主人公とヒロインが異世界から勇者を召喚するシーンだってば!そう思ってもっかい読んでみてよ!」


「う、うん……。いや、でも、どう思って読んでも『猿のように笑う』以外の文章がまったく理解できないよ?端末と錠剤って何?」


「むむむー!おっかしいなー、翻訳ソフトの調子が悪いのかなー?このあと、主人公がいよいよ勇者召喚の呪文を唱えるんだけど、じゃあそのシーン、ちょっとお兄ちゃんが書いてみてよ。勇者の名前は…、そうだね、まだ開発中だから『零式』とかでいいや」


ジョーイはそう言って、僕の正面にキーボードをずらす。

主人公の性格や口調などの細かい設定まではわからなかったけど、とりあえず少しでもジョーイの参考になればと、思いついた文章を打ち込んでいく。


【ヒロイン】

ねぇ、ホントにこんなので異世界から勇者様を召喚できるのかな?


【主人公】

ここまできた以上、やってみるしかないさ!出でよ、我が声に応えよ、異世界の勇者・零式!この世界を守りたまえ!


「まぁ、こんな感じで…」


いいんじゃない?と言うつもりで、キーボードのエンターキーを押したその瞬間。


いきなり工場の照明が落ち、一瞬、昼間とは思えない暗がりに包まれた。

そして工場の床に突如として巨大な青白い魔法陣が浮かび上がり、大気はビリビリと震え、轟音と共に稲妻が走る。


「あの…、お兄ちゃん、何したの?もしかして、ガチで勇者召喚しちゃったり…、した?」


未だおさまらぬ地鳴りと稲光の中、ジョーイが冷静にそう問いかけてくる。


僕も不思議と冷静だった。

というより、何が起きてるのか分からず、ただ黙って事の成り行きを見守ることしかできなかったと言うべきか。


やがて、静寂が訪れる。

照明も元に戻り、大気の振動も、稲光も、地鳴りもピタリとおさまった。


そして驚くべきことに。

先程まで巨大な魔法陣があったその場所には────。


なんというか、ごくフツーの兄ちゃんが、ボサッと突っ立っていた。


グレーのパーカーにジーンズ、市販のカラーブリーチで染めたと思しき安っぽい茶髪。どこからどう見ても、僕と歳の違わぬフツーの青年だ。そしてなぜか、裸足だった。


「あれ?なに?ここ、どこ?何が起きた…?あれ?キミら、誰っすか?」


そのフツーの青年は工場の中をキョロキョロと見回して、至ってフツーのリアクションを取る。


どういう理屈か知らないけど本当に召喚に成功してしまったようだ。彼が異世界の勇者かどうかは別として。と言うか、どう見ても日本人の顔立ちなのだが。


「うぁ、すげー!すげーよ、お兄ちゃん!ホントに異世界から勇者・零式を召喚しちゃったよ!やっぱ、ボクって天才だったんだ!」


呆気に取られている僕の横で、ジョーイがそう歓喜の声を上げた。そしておもむろに懐から電卓を取り出し、叩き始める。


「うひひ!このテクノロジーを売り込めば莫大な利益になるぞ!五兆円も夢じゃない!これなら『貴婦人サラ』を完成させられる日も近いかも…!?」


「いや、あの、ジョーイくん?違うって、絶対。この人、どう見てもフツーの日本人だよ」


とりあえず、興奮するジョーイをなだめようとする僕。だがジョーイの言葉はすべて、召喚されたその青年の耳にも入っていたようだ。


「え!?なに、俺、異世界に召喚されたの!?零式!?え、それ名前なの?まじで!?え、やばくね?てことは俺、めっちゃ勇者じゃね!?」


ああ、まずい。

何かとんでもない方向に話が進み始めた。

ここは何とか、現実を突きつけて速やかにお引き取り願わねば。


「いえ、違います。よく聞いてください。召喚されたのは事実ですが、ここは異世界ではなく、日本です。最寄りの駅まで案内しますので新幹線に乗ってお帰りください勇者様。出身はどこの都道府県ですか?」


「鳥取…、いや、違う!俺は異世界から召喚された勇者・零式だ!とっ、とっと…、そう!トットリー王国出身なのだ!」


「鳥取県ですか。ならば乗り継ぎが必要ですね。確か鳥取には新幹線が走ってない筈ですので 」


「おい、鳥取を馬鹿にするな!い、いや、違う!俺の出身はトットリー王国だ!異世界だ!断じて砂丘などない!」


「ならば問います。零式さん。ここに召喚される直前、あなたはどこで何をしてましたか?」


「居間でヒルナンデス観てた」


「わかりました。今すぐ時刻表を持ってきますのでさっさと帰宅してください。お金は持ってますか?」


「いやごめん、今のウソ!いや、ウソっつーか、ほら、アレだよ!パラレルワールドってやつだよ!似てるけど時間軸とか、その、つまり、ちょいとばかし何かが違う世界なんだよ!」


ううむ。

どうやら彼は、自分が異世界から召喚された勇者だと押し通すつもりのようだ。


まぁ、それだけなら別に害はないような気もするけど、なぜそこまで異世界から召喚された勇者であることにこだわるのだろうか。


「なぜって、決まってんじゃん!異世界から召喚された勇者はチートだって、昔から相場が決まってんじゃん!さぁ、大暴れしてやるぜ!悪の魔王はどこだ!?モンスターは!?」


「誰が決めたんですか、そんな相場。ていうか、ここには悪の魔王もいなけりゃモンスターもいませんよ。日本ですし」


なんだかまともに相手をするのに疲れてしまって、僕は少しぶっきらぼうにそう答えた。

だが、あくまでジョーイはキラキラと目を輝かせていた。よく見ると瞳が『¥』マークになっている。


「お兄ちゃん、ちょっと待って!これは大きなビジネスチャンスだよ。もう少し、彼を観察してみよう。空間を超えてここに召喚されたのは確かなんだから…、何らかの衝撃で、もしかすると常人にはない異能力を覚醒させてるかも!」


「んなバカな。面倒くさいから僕はもう帰るよ。じゃあまたね、ジョーイくん」


「企業に売り込めたら報酬は約束するよ、お兄ちゃん。最低でも一千万円は保証してあげる」


「どこまでもついて行きます、ジョーイ様。ささ、早く彼の観察を始めましょう」


金欠の僕はあっさりと手の平を返し、テンションMAXの零式さんと、例の『ドラゴンファンタジーナントカ』とかいう開発中のゲームデータが保存されたノートパソコンを持つジョーイと一緒に工場を出た。


「さぁ、モンスターをガンガン倒してレベルを上げるぜ!世界の平和はこの零式様が取り戻すッ!」


取り戻すまでもなく至って平和な町並みを歩きながら、先頭を歩く零式さんが吠える。

出来るだけ他人を装って、少し距離を置いてその後に続く僕とジョーイ。


「あの、ジョーイくん。ひとつ聞いときたいんだけども」


「なぁに、お兄ちゃん?」


「そのゲームの『設定』では、零式さんってどれぐらい強いの?」


「んー、レベルの低いうちは弱い。ただ、レベルが100になると『ギャラクティカ・ギャラクティカ』っていう究極破壊魔法を覚えるんだ。惑星ごと破壊してしまう魔法だからちょっと厄介だね」


「厄介だね、で済ませていいのかそれは。ていうか、ジョーイくんて何でそんなに世界を破壊させるのが好きなの?」


「だってさ、世界の破壊は男のロマンでしょ?」


ロマンで世界を破壊されていてはたまったものではないが、とりあえず、僕とジョーイは零式さんの行動の観察を始めることに。


どのみち、この日本にはモンスターも魔王も生息していないのだ。敵を倒してレベルを上げるのがお約束の世界、そうそうレベルなど上がりはしないだろうけど…。


「あー、喉乾いたなー。お、自販機発見!ちゃらーん!零式のレベルが1上がった!喉の乾きを癒した!」


おかしな効果音を発しながら、どうやら零式さんのレベルはひとつ上がったご様子。

だが、惑星すら破壊する究極魔法、『ギャラクティカ・ギャラクティカ』を習得できるのはレベル100だ。さすがに、そこまではそう簡単に上がりはすまい。


「おぉ、一本当たり!ちゃらーん!零式のレベルが1上がった!幸運が3アップ!ハッピーな気持ちになった!そこの村人A、おごってやるよ、何飲む?」


「誰が村人Aですか。でもまあ、せっかくなんでそこのアイスコーヒーを」


「おっけー、これな!ちゃらーん!零式のレベルが1上がった!お人好し度が5アップ!さぁググッと飲み干してくれ、遠慮はいらねぇ!ちゃらーん!零式のレベルが1上がった!男前度が4アップ!カリスマ性が少し上がった気がした!」


「あの、ちょっと待って、ジョーイくん」


危機感を感じ始めた僕は、はしゃぐ零式さんには聞こえないよう声をひそめ、こっそりとジョーイに問いかける。


「なんか、恐ろしいスピードでレベル上がってるんだけど、彼。しかも、ゲームの中で何に使われるのか皆目見当もつかないパラメータも一緒に上がっちゃってるけど。大丈夫なの…?」


「まぁ、最初のうちはレベルも上がりやすい設定になってるからね…。もうちょい、様子みてみよ?」


「ちゃらーん!ちょうど百歩歩いた!零式のレベルが1上がった!体力が3アップ!足が疲れた!」


「ちょっとジョーイくん!歩いて疲れてんのにレベルアップしちゃってるよ!?これ、ホントにやばいんじゃないの!?」


「う、うん…。しかもね、お兄ちゃん。ボク、今ね、とんでもないことに気づいちゃったかもしんない」


そう言って、歩きながら器用にノートパソコンを操作するジョーイが顔を曇らせる。

とんでもないこと…?

一体、なんだろう?


「あのね、目の前にいる『零式』さんと、ゲームの中の『零式』のデータがね、どうやらリンクしちゃってるみたいなんだ」


「リンク?えっと…、どういうこと?」


「さっきからデータをトレースしてるんだけど、零式さんが『ちゃらーん!』って言うごとに、ホントにレベルが上がってることがわかったんだ」


「んん…?つまり、それって、どういうことになるの?」


「この零式さん、自分が強くなったと『思い込む』ことで、ホントに強くなってるってことさ。もしかしたら、これが…、彼が覚醒させた異能力なのかもしれない」


「えぇっ!?てことは、なに?零式さんがもし『自分は世界最強の男だ!』と本気で思い込んでしまったら?」


「ホントに世界最強になる、ってことだね。さぁお兄ちゃん、どうする?ボク、緊張でゾクゾクしてきたよ。うひひ!偶然の産物とはいえ、これはガチですごいテクノロジーだ!『人類最強候補』を量産する空間転送プログラム…、こいつぁ貴婦人サラを完成させてもまだお釣りがくるかもしんない!うひひ!うひひひひ!」


すっかり瞳を『¥』マークに変えてしまったジョーイの押し殺した低い笑い声。

それはまるで、平和な昼下がりを謳歌する人類へのレクイエムであるかのようだった。


「お、いい女発見!ちゃらーん!零式のレベルが1上がった!ねぇ彼女、どこ行くの…、って無視かよおい!ちゃらーん!零式のレベルが1上がった!打たれ強さが10アップ!ちょびっとセンチメンタルになった!」


やばい。

やばいぞ、これは。


自分が異世界に召喚されたチートな勇者だと『完全に』思い込むことで、人はこれほどまでに強くなれるものなのか…!?


僕はなすすべもなく、かといって、この場から逃げ出してすべてを忘れてしまうだけの勇気もなく。


ただ、テンションの高い零式さんとジョーイのあとをついて歩くしかなかった。


(後編へ続く)








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クロシロジャッジメント 光姫 琥太郎 @Mitzhyme

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