深遠なる電子世界、死神は地を這うが如く

一人の時間というものは気楽である。


実際のところ、先日からリリィさんと奇妙な共同生活を始めてからというもの、僕のその『一人の時間』は大幅に減った。


いや、決してその状況に不満がある訳というではない。ただ、たまに一人になると気楽で良いという話に過ぎない。


基本的にリリィさんは僕が外出する時には必ずついてくるのだが、唯一の例外がある。

それが、今。

アルバイトへの行き帰りだ。


ただし、今はあまり気楽だなどと言っていられる余裕はなく、17時から始まるバイトに間に合うか間に合わないかのギリギリのラインの中で、僕の気持ちは微妙に焦っていた。


自然と早足になる。

次のバスに乗り遅れたらアウト。


そうなってしまうと、民家の庭先を突っ切って先回りするか我が人生最高の猛ダッシュを披露するか、いずれにせよそのバスよりも早く次のバス停に到着する必要性が生じてくる。


無論、そんな芸当が可能なら、わざわざお金を払ってまでバスになんて乗らないのだろうけど。


結局のところ、僕は急いでいた。

だがどういう訳か、急いでいる時に限って厄介事に巻き込まれるという珍妙な特技を僕は持っている。


そして、今日もまた。


「やぁ、これはいいところで出会った!今、ちょっと時間、いいかい?」


あと少しでバス停、というところまで来たところで、コンビニから出てきた若い男性に声をかけられる。


よく見ると、大学で同じゼミに所属するスケダイ先輩だった。新入生歓迎コンパで飲み潰れた僕の介抱をしてくれた、外見には特にこれといって何の特徴もないが気のいい先輩である。


妙に切羽詰まった様子で、もともとあまり血色のよくないその顔色も今は殊更に白い。


何かあったのだろうか。

コンビニで弁当を買おうとしたら財布を忘れたことに気づいたとか。


「スケダイ先輩、こんにちわ。でも生憎、僕も今は持ち合わせがないのです」


ジャケットのポケットをぽんぽんと叩いて、僕は『アイハヴノーマネー』のジェスチャーをして見せる。

だが、スケダイ先輩は首を大きく横に振った。


「いや、お金の話じゃないんだ。なに、ものの一分で済む話だよ、手間は取らせない。だから頼む!」


そう言って、しまいには両手を合わせて頭を下げ、拝み倒してくるスケダイ先輩。


大して仲良くもない(先輩の本名がダイスケである、という程度のことしか僕は知らない)後輩にここまで頭を下げてくるとは一体何事であろうか。


先輩には何度かお世話にもなったし、これからも卒業するまでお世話になるであろう存在でもあるし、あまり無下にはできない。


だが、一分一秒も無駄にはできない状況に追い込まれていることもまた、今の僕にとっては確かな現実なのだ。


「はぁ。まぁ、話を聞くだけなら、何とか。何かあったんですか、先輩?」


「いや、じつは困ったことになってね。頼みというのは他でもない、キミ、パンデレに登録していないか?もししているなら、俺のアカウントのフォロワーになって欲しいんだ」


予想もしていなかったその話の内容に、僕は一瞬、きょとんとしてしまう。


パンデレというのは、つまるところ一種のSNSだ。

『誰もが主役になれる場所』というキャッチフレーズで、近年徐々にその利用者数を増やしてきている。


近況を呟いたり写真をコメント付きでアップしてみたりと、やること自体は従来のSNSと大差はない。


だがその基礎コンテンツに加え、実用性にこだわったインターフェースの採用、セキュリティとコミュニケーション機能の強化を軸として独自性を打ち出し、他の類似サイトとの差別化をはかっている。


「パンデレ…、ですか?いやまぁ、一応、ユーザ登録はしてますけど」


「そうか、助かった!じゃあ一刻も早くフォローしてくれ!今からアカウント名教えるから!」


早口でまくし立てるスケダイ先輩の勢いに押され、ポケットから取り出したスマホでパンデレのマイページを開き、先輩のアカウントを検索した。


「あ、あの、スケダイ先輩…?先輩のフォロワー、僕も合わせて二人しかいないんですけど」


「そこは気にしなくていい!でも、いいかい?これだけは約束して欲しい。何があってもフォローを解除しないでくれ。頼む!絶対だよ!」


ちゃんと僕にフォローされたことを自分の端末上で確認し、スケダイ先輩は逃げるようにその場から立ち去っていった。


何なんだ、一体。

そこまでしてフォロワーの数を増やしたいのだろうか。


ギリギリで乗り込めたバスの最後部の席に座り、車窓を流れる街の景色を眺めながら、僕はぼんやりと今起きた出来事を振り返っていた。


まぁ、いいか。

スケダイ先輩をフォローして、僕が不利益を被ることは何もない筈だ。


どのみちパンデレもそこまで頻繁に覗いている訳ではない。僕にとってのそれは、あくまで暇つぶしのツールに過ぎないのだから。


そんなこんなで、僕は。

イヤホンを耳に装着し、お気に入りの音楽を聴き始めた頃には、スケダイ先輩のこともパンデレのことも、すっかりと忘れてしまっていた。


しかし、事件は次のバス停で起きる。


サラリーマンやOLの人たちがよく乗車してくるオフィス街のバス停で、そういった仕事帰りの人たちの中に紛れ、その『少女』は静かに現れた。


漆黒のゴシックロリータファッションに身を包み、その両手にしっかりと握られているのは巨大な鎌。


そう。

マンガやアニメなどに出てくる、いわゆる『死神』が持っているような、禍々しく、そして、先端がバスの天井に届くのではないかと思われるほどに巨大な鎌だ。


その瞬間、僕は思う。

あぁ、この人はヤバイ。

かなりイタいねーちゃんだ。

顔立ちは可愛らしいのに、勿体ない。


だが不思議なことに、通報されてもおかしくないほど奇抜な出で立ちのこの少女の存在に、他の乗車客は目もくれない。


普通なら遠目にジロジロ見たり、思わず二度見したり、運転手が「お客さん、巨大な鎌の持ち込みはご遠慮願います」と注意したり、最低限、その程度のリアクションはあって然るべきだろう。


だが車内にいる誰もが、あからさまにエキセントリックなその少女にまったく関心を示さない。まるで、僕だけにしか見えていないかのようだった。


あぁ、嫌な予感がする。

そして存外に、僕の嫌な予感は的中率が高い。


「すみません、ここ、いいですか」


他に空席があるにも関わらず、その漆黒の少女は僕の隣の席に座った。

そして何食わぬ顔で、いきなり自己紹介を始めたのである。


「はじめまして、死神のマグロと申します。以後、よろしくお見知りおきを」


「はぁ。死神のマグロさん…、ですか?」


「はい。真っ黒と書いて真黒(マグロ)です。なかなかに死神らしく凶悪なイメージをもつ名だと、近所での評判は上々です」


「いや、凶悪なイメージといいますか、魚類っぽいイメージといいますか。で、その死神さんが僕に何の用なんです?」


「厳密に言うとまだ見習いなのですが、あと一人、人間を呪殺することが出来れば晴れて一人前の死神になれるのです。どうか応援してください」


「はぁ。まぁ、その、頑張ってくださいね。あ、でも僕はまだ死ぬのは嫌ですよ?やり残したこといっぱいありますし」


「いえ、呪殺のターゲットは貴方ではありません。貴方が先ほど、このバスに乗り込む直前にお会いした冴えない男性の方です」


「え。それってまさか、スケダイ先輩のことですか…?」


「@sukedaidaisuki。私は彼に、『フォロワー数がゼロになった瞬間、死ぬ』という呪いをかけています」


「それはまた、何といいますか…、ずいぶんと遠回しな呪いですね」


「仕方ないのです。一人前の死神なら無条件での呪殺も可能なのですが…。私たち見習いには、毎日タンスの角に足の小指をぶつける、とか、自販機でジュースを買った時に三割の確率で違う商品が出てくる、とか、そういう地味で間接的な呪いしかかけられないのです」


「それ、死神というか、ただの疫病神ですよね。そんな条件下で人を殺すなんてさぞかし大変でしょう。心中お察しします」


「ありがとうございます。ですがそんな私でも、ようやく、ようやく、呪殺成就の一歩手前まで漕ぎ着けることができたのです。ターゲットのフォロワー数は残すところあと一人となりました。ですがここで、思わぬ邪魔が入ったのです」


「それだけ地道に努力してきたというのにひどい話ですね…。一体、誰が邪魔をしたんですか?」


「貴方ですよ!貴方が軽々しくターゲットをフォローしてしまったがゆえに!してしまったがゆえに!!ヤツのフォロワー数はまた二人に増えてしまったのです!」


「いや、すみません。話の途中から薄々勘づいてました。僕にも決して悪気はなかったので、そんなに怒らないでもらえませんか」


「怒ってません。怒ってませんから、今すぐ彼のフォローを解除してください。さもなくば貴方も、強制的に『排除』しなければならなくなります」


ゆるやかに揺れるバスの中、淡々と続いていた僕と死神マグロさんの会話は、一旦そこで途切れた。


ああ、困ったな。

また面倒な存在に出くわしてしまった。

見た目が可愛い女子の知り合いはこの数日間で飛躍的に増えたけど、なんか、こう…、『人間』がいない気がする。


「えと、つまり、マグロさん?僕がスケダイ先輩のフォローを解除しなければ…、まずは先に僕を呪い殺そうとかいう物騒なお考えをお持ちでいらっしゃいますか?」


「いえ、呪殺のターゲットを変更することは出来ません。諦めることは可能ですが、ここまできた以上諦めきれません。なので貴方には、フォローを解除するまで地味な呪いを受けてもらいます。そうやって私は、他のフォロワーたちを『排除』してきたのですから」


ううむ、困ったな。

スケダイ先輩にあれだけ懇願された手前、すぐにフォロー解除してしまっては今後、顔を合わせづらくなる。


かといって、毎日タンスの角に足の小指をぶつけるのもそれはそれで辛い。

ならば、こうしよう。


「あ、もしもし、店長。あの、今ですね、車に跳ねられた仔犬の看病をしてまして。一時間ぐらい遅れるかもしれませんがいいですか?」


僕はバイト先にそう電話をして、マグロさんを連れて次のバス停で降り、とある知り合いの住むアパートへと向かった。


この、ゴスロリ大鎌少女が本当に死神なのかどうか、それを見極めてから判断を下そうと考えたからだ。


「こんちは。お邪魔します」


「あぁ?誰だか知らねぇが、今ちょっくら忙しいんだよ!とっとと帰ってくれ!」


鍵のかかっていないアパートの一室のドアを開けた僕に、いきなり女性の怒号が浴びせかけられる。


構わず部屋の中を覗き見ると、足の踏み場もないほど物が散乱した室内で、テレビにかじりつくようにしてゲームに熱中するショートヘアの若い女性の後ろ姿が。


「お久しぶりです、グランさん。今日はちょっと、聞きたいことがありまして」


「なんだてめぇ、小僧じゃねぇか。ん?その後ろにいるのは死神か?いや、見たところ死神見習いか。オレ様の部屋にそんな辛気臭ぇヤツ連れてくんじゃねぇよ。んで、何の用だ?」


「いえ、もう用件は済みました。ありがとうございます。ゲームを続けてください。ではまた」


「はあぁぁぁ!?意味わかんねぇよ!ちゃんと用件の説明しろよコラァ!」


コントローラを投げ出して激昴するグランさんに、僕はつとめて冷静に事の顛末を説明した。


「あぁ、そういうことかい。確かにその女ぁ死神だ。オレ様がまだ現役の死神だった頃、何度か稽古をつけてやったことがある。もう三百年も前の話になるがな」


「はぁ、何やらいろいろとツッコミ満載な事情があるようですが…、マグロさんはグランさんのこと、覚えてます?」


「ひっ、ひひぃぃぃ…ッ!」


話しかけてみるも、どういう訳か、マグロさんは部屋にも入らず玄関先にうずくまってガタガタと震えている。

どうやらグランさんのことを大層恐れているらしい。


「そ、それはそうですよ…!グランさんは、あ、貴方がた人間世界に例えるなら、ぶ、部長代理クラスの方なのですから…!」


部長クラスまではいかないのか、とか色々ツッコミたかったけどそれは置いといて、僕はグランさんの部屋を早々に後にした。


「だがな小僧、気をつけろよ。見習いとはいえ呪いはかけられる。ま、オレ様なら人間一人呪殺するのに五秒とかからんがね」


何やら勝ち誇ったようなグランさんの声を背にし、いまだに震えの収まらぬマグロさんを連れて僕はアパートを出た。


さて、こうなると頼れる者は一人しかいない。だがそのためには、もう少し時間が必要だ。


「あ、もしもし、店長。あの、今ですね、海岸で子供たちに苛められている亀を助けているところでして。さらにあと一時間ぐらい遅れるかもしれませんがいいですか?」


再びバイト先に電話をして、僕は背後にマグロさんを連れたまま、自宅へと足を向ける。


バスの乗客同様、通行人もまるでマグロさんに関心を示さないところを見ると、どうやら普通の人間には彼女の姿が見えていないようだ。


死神見習い、マグロ。

どうやらその肩書きに嘘はなさそうである。


「あの、ちょっと。今度はどこに私を連れていくのですか…?もうこれ以上、神魔界のお偉方にはひひぃぃぃッ…!」


「おや少年、今日は随分と早い帰宅だな。仕事はどうしたのだ?」


「あぁ、リリィさん。ちょっと困った案件が舞い込みまして。こちらの死神見習いが、えっと、あれ?こちらの…、あれ?マグロさん?」


「いやあぁぁぁ!神界の門番、リリィ!?この方も、貴方がた人間世界に例えるなら部長代理クラスの方ですよ!もうやだぁぁぁ!」


「あの、マグロさん?落ち着いてください。所詮、部長代理ですから」


「くるっくー!」


「あぁ!しかもその肩にとまるのは神の御使い、ハトではないですかッ!ついに出た部長クラスですよッ!!」


「えぇ!?ハトのほうが役職、上なんですか!?」


情報の氾濫に頭を混乱させる僕。

いや、落ち着け。

今はハトの役職なんてどうでもいい。


「とにかく、リリィさん。僕は今、この死神につきまとわれて大変なんです。どうにかなりませんかね?」


「ふぅむ、なるほどな。だが、神魔の戦いとなれば話し合いは無意味だ。あくまで決闘にて白黒つけねばならん」


ああ、やはりそうきましたか。

だが、それは想定内。むしろ、リリィさんに決闘をしてもらいたくてここまでマグロさんを連れてきたのだから。


「では早速、今回もジャッジさせて頂きます。今回のお題はずばり、フォロワー数対決です」


「少年、いきなりですまんがフォロワーとは何だ?」


「言葉で説明するのは非常に難しいので、ここではとりあえず『下僕』、という解釈でお願いします」


ずいぶんと語弊はあったが、やむを得ない。ここはわかりやすさ重視だ。

さらに僕は細かなルール説明を続ける。


「お二人には今から、パンデレ…、『誰もが主役になれる場所』のキャッチフレーズで有名なSNSサイトにユーザ登録してもらいます。今から約六時間後、深夜零時までにより多くのフォロワー数を獲得したほうを勝者とします。ただし、他のユーザをフォローするのは反則とします」


「だが少年よ、登録も何も、私はその須麻保とやらを持っていないのだが」


「変な当て字はやめてください、リリィさん。スマホなら昨日買ってあげたでしょう。どこにやったんですか?」


「うむ、防水加工と書かれていたので浴槽に沈めてみたのだ」


「一刻も早くサルベージしてきてください。マグロさんはスマホとか…、持ってないですよね、死神ですし」


「はい、スマホはありませんが農都巴祖婚ならあります」


「ならそのノートパソコンでお願いします。面倒なので細かいことは全部スルーしますね」


かくして、神界の部長代理と死神見習いのSNSフォロワー数対決の火蓋が切って落とされた。

もちろん、リリィさんが勝てばマグロさんは僕に呪いをかけない、という条件つきで。


ただし、万が一リリィさんが負けるようなことがあれば、僕はこれから毎日、タンスの角に足の小指をぶつける人生を送らねばならないのだ。


「さて少年よ、決闘を開始したのはよいが、何か策はあるのか?とりあえず登録はしたぞ。下僕はまだ誰もいないが」


マグロさんが逃げるように姿を消したあと、リリィさんが訊ねてくる。

もちろん、ただ待っていたところでフォロワーが増えるはずもない。


「いいですか、リリィさん。まずは僕がリリィさんをフォロー…、いえ、下僕になります。そして、リリィさんのコメ…、いや、ありがたいご教示を、そのまま僕が、僕の下僕に流して拡散します」


「なんと、おぬしにはすでに下僕がいるというのか!」


「はい、少ないですけどね。ですがそれだけでも、何のコネも持たないマグロさんよりは有利になる筈です。早速やってみましょう」


そこまでは偉そうなことを言っていた僕だったが、実はこの先はノープランだった。

まずはリリィさんに、思わずフォローしたくなるような魅力的な内容の投稿ネタを考えてもらわねばならない。


「ではリリィさん。まずは初心者であることを武器に攻めましょう。『私、このサイト初めてだから誰かお友達になって下さい』とか、そんな感じで」


「いきなり『下僕になれ』ではいかんのか?」


「初対面ですからね、そんなこと、ジャイアンでもなかなか言いませんよ」


リリィさんと作戦を練れば練るほど不安になっていく。

結局、一時間経過後のリリィさんのフォロワー数は僕も含めてわずか三人に留まった。


しまった、意外と現実は厳しい。

そして僕は、覗き見たマグロさんのマイページでさらに厳しい現実を目の当たりにする。


@maguro_death

フォロー 0人 フォロワー 134人


なんということだ。

この一時間の間に、一体どうやってマグロさんはこれだけの大人数からフォローされたというのか。


しかし、マグロさんの投稿内容を見て、僕は一瞬で納得した。というか、何かを悟った。


マグロさんめ…、自撮り作戦に出ていらっしゃる!


フォロワーからのコメントも『コスプレ神の領域』『鎌のリアル感ハンパない』など、おもにアンダーグラウンドな方々から絶大な支持を集めつつあるようだ。


おまけに『みんな、だーい好き!いぇい♪』などとネットアイドルさながらのコメントも書き込んでおり、さっきまでグランさんやリリィさんを相手にビクビク震えていたマグロさんとは別人のようだ。


これはまずい。

このままだとさらにこのゴスロリ大鎌少女の自撮り写真は拡散され、慰める余地もないほどの大敗をリリィさんが喫してしまう恐れが出てきた。


「なんと、生意気な見習い風情が。少年よ、私も自らの写真で対抗するぞ!」


「確かにそれも良い考えです。ですがリリィさん、あなたにはこの作戦を真似ることは出来ません」


「なんだと?理由を申してみよ」


「あなたがお借りしているその『肉体』の持ち主を知る者の目に触れる可能性があるためです。前にも言いましたけど、目立つような行動はできるだけ控えてください」


「なるほどな。だが、顔、いや、目だけでも隠せば案外、ごまかせるかもしれんぞ」


「それはまぁ、そうですけど…、正直、気が進みませんね」


「固いことを言うな。ほれ、写真を一枚撮るだけであろうが」


結局のところ、僕はリリィさんの勢いに負け、渋々ながらその作戦を実行することにした。


メイド服のリリィさんに目隠しをし、部屋の隅に座らせる。少し照明を落とし、薄暗く妖しい感じを演出する。


「じゃあ、リリィさん、そのまま両手を後ろに…、そしてそのまま少し前かがみになってみましょう。あと、膝と膝の間を少し開けて…、そうです、そうです、もう少し開けますか…、あと、少し顎を上に…、はい、あと、もう少しだけ膝と膝の間を……!」


「少年よ」


「なんですか、リリィさん!」


「鼻息が荒い」


「すみません、我を忘れました」


そんなこんなで仕上がった少しインモラルな写真を投稿してみる。

ポツリポツリとフォロワーの数は増え、20人を越えた。

だが、このペースでは到底、マグロさんには勝てない。


これは長期戦になりそうだ。

僕は今一度、バイト先に電話をかける。


「あ、もしもし、店長。あのですね、うっかり毒リンゴを食べてしまいまして、今、白馬に乗った王子様のキス待ちの状態です。キスされ次第いきますので」


これで後顧の憂いは絶った。

あとは決闘に集中する。


午後八時時点での二人のフォロワー数は、マグロさんが155人、リリィさんが34人。

リリィさんのインモラルな写真もそこそこ評判は良いが、やはり差が大きすぎる。


残すところあと四時間。

何か策を講じなければ。

とにかく、SNSでウケる鉄板ネタを片っ端から試してみるしかない。


鉄板その一。

『料理ネタ』


「ではリリィさん、今か ら僕は料理を作りますのでちょっと待っててください」


「そうか。麻婆豆腐と炒飯が食べたいぞ」


「いえ、食べるために作るんじゃないんですよ。写真を投稿して下僕を増やすためです」


それから小一時間かけて料理を作り、リリィさんのアカウントで投稿してみるも…、反響は特になし。

すでにフォロワーになっている数人から、当たり障りのないコメントがつけられるのみだった。


やはり料理ネタとなると、例えば『簡単なのに美味しい』とか『家庭でレストランの味』とか、そういった付加価値が必要になってくるのだろう。


鉄板その二。

『子供ネタ』


「どこに子供がいるというのだ、少年。今から二人で子作りに励むのか?」


「悪くないです。悪くないですが、断腸の思いで却下します」


鉄板その三。

『動物ネタ』


「動物?この私に近所から野良猫をかき集めてこいとでも申すのか?」


「それもいいですが…、流石に動物も難しいですね…」


「くるっくー」


「動物…、動物か。確かに犬や猫なんかの可愛い系の方がウケはいいでしょうけどねえ」


「くるっくー!」


「だがこの建物は家畜の飼育が禁止されているだろう。無闇に連れ込むとなかなかに面倒なことになるぞ」


「くるっくー!!」


「なんだ、先ほどから騒々しいぞ、ハトよ。あとで炒飯をついばませてやるゆえ、今しばらく大人しくしておれ」


「いや…、ちょっと待ってください、リリィさん!ハトです!ハトを使いましょう!」


「ハトを使った料理を作るのか?」


「違いますよ!ハトの愛くるしい写真をガンガン撮って投稿するんです!これで鳩マニア垂涎間違いなしですよ!」


これは我ながら良いアイデアだった。

ハトをテーブルに乗せ、あらゆる角度から写真を撮りまくる。


ハト部長の神力も手伝ってか、フォロワー数はみるみる伸びていく。

ここにきて、リリィさんの怒涛の反撃が始まった。


だが、時間の流れは無情である。

深夜二十三時五十五分。

あと五分で勝敗は決まる。


リリィさんのフォロワー数は、174人。

頑張ったほうだと思う。

だがマグロさんは、三時間も前の時点ですでに150人を超えるフォロワーを擁していた。


勝てない。

おそらく、リリィさんの負けだ。

相手が悪かった。

マグロさん、このままいけばパンデレのカリスマコスプレアイドルになれるんじゃないだろうか。


「なに、勝負の行方は蓋を開けてみるまでわからんよ」


何時間も前に僕が作った炒飯をもそもそと食べながら、リリィさんはここにきてなお余裕の表情だ。


それもそうか。

今回の決闘、リリィさんは負けてもデメリットは何もないからな。僕のひとり負けだ。


そしてひとつ、深いため息をついて、僕はマグロさんのマイページを表示してみた。


@maguro_death

フォロー数 0人 フォロワー 0人


「は…?え、はい?」


衝撃の結果に僕は目を疑い、穴のあくほどスマホの画面を睨みつける。

違うユーザのマイページかとも思ったが、投稿内容はすべてあのマグロさんのものだ。


フォロワー数が、ゼロになっていた。


なぜそうなったのかは、わからない。

ただ一つ確かなのは、これでリリィさんの勝利は確定し、僕は毎日タンスの角に足の小指をぶつける人生を送らずに済んだ、ということだけだった。


翌日。

昨夜の決闘の結果がどうしても腑に落ちなかった僕は、再びグランさんの部屋を訪れた。


「あぁ、あれな」


床一面に散らばった漫画の単行本を、ひとりでポテトチップスを頬張りながら読んでいたグランさんは、さも興味がなさそうに答えてくれた。


「あいつ、見習いの分際でオレ様のフォロワー数を越えて調子に乗ってやがったからな。ヤツのフォロワーは全員『排除』してやったよ。見習いは見習いらしく、地味ぃに大人しくしとけってんだ」


僕はその話を聞いて、率直に思った。

魔界、怖えぇ。

そして、マグロさんのフォロワーたちに合掌。


家に帰ると、珍しくリリィさんがスマホを手に真剣な顔をしている。

何をしているのかと覗き込んで見ると、開かれていたのはパンデレのトップページだった。


「うむ、これはなかなかに楽しいものだな。今度はさらにきわどい写真を投稿してやろうか。下僕が増えるぞ」


「やめて下さい、通報されますよ。パンデレは他のサイトよりそういうのに厳しいんですから」


「そうか。しかし少年よ、気になっていたのだがパンデレとはどういう意味だ?日本語でもないし、外来語にしては語感が妙だ」


「あぁ、略語ですからね。『ピーターパン&シンデレラ』…、誰もが主役になれる場所、です」


そう言って僕は、慣れないスマホの操作に悪戦苦闘するリリィさんを見つめて、爽やかに笑ってみせた。


追伸。

バイトは、クビになりました。

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