静謐なる図書館、速読は桃太郎を殺すか
日曜日の朝に、雨は似合わない。
お天気の神様とていちいち曜日を気にして雨を降らせている訳ではないだろうから、こればかりは致し方のないところではあるのだが。
それでも、やはり、思う。
日曜日の朝に、雨は似合わない。
「少年よ」
「なんですか、リリィさん」
「今日はどこにも出掛けぬのか。退屈すぎて足からキノコが生えそうなのだが」
ワンルームアパートの狭苦しい部屋の窓際から、雨に濡れる日曜日の雑踏を見つめていたリリィさんがそう呟く。
気の抜けたグレーのスウェットの上下とボサボサの髪がしどけない。
いや、しどけないという表現は適切なのだろうか。まぁいいや、とにかく、しどけないということにしておこう。
「くるっくー!くるっくー!」
さらにその背後にあるキッチンから聞こえてくるのはけたたましいハトの鳴き声と、バサバサと翼を羽ばたかせるような音。
あの鳥類モドキ、なぜかオーブンを見ると興奮して攻撃を仕掛ける習性があるらしい。オーブンに何か嫌な思い出でもあるのだろうか。
「とりあえず出掛ける予定はありませんね。雨降ってますし、面倒じゃないですか」
ベッドの上でスマホの画面から目を逸らすことなく、僕はリリィさんに答える。
しかし、彼女はそんな僕の回答に不満げだ。
「ふん、つまらんのう。しかしおぬし、さっきから何をしておるのだ?携帯電話の画面を指先でつつき回すのがそんなに楽しいのか?」
「いえ、小説を読んでたんですよ。電子書籍というヤツで…、ってうわぉ!?」
ふと視線を上げた僕の鼻先に、いつの間にかリリィさんの顔。
ほのかにシャンプーの香り漂う長い髪が僕の頬をくすぐる。そして、大きめサイズのスウェットの胸元から覗く豊かな谷間。
ああ、リリィさん。
それ以上は勘弁してください。
ベッドの上で美少女と急接近とか、心臓に悪いです。心臓とか、いろいろ。
えぇ、いろいろと。
しかしそんな僕の青少年丸出しの狼狽っぷりは気にもとめず、リリィさんはさらに急接近して僕のスマホを覗き込んでくる。
「なんだ、文字ばかりではないか。斯様なものを読んで面白いのか?」
「面白いですよ。僕、小説読むの昔から好きなんです」
「小説か。所詮、絵空事ではないか」
「絵空事代表みたいな存在のくせして何言ってるんですか。とりあえず便所掃除でもしてきてください。今日はリリィさんの番ですよ」
「なんだと?いつから掃除が当番制になったのだ?」
「リリィさんが言い出したんでしょうが!月から土曜日まで全部僕がやるんですから日曜日ぐらいやってくださいよ!」
そう言いながら、僕はスマホを片手にリリィさんの体の下からモゾモゾと脱出する。リリィさんはさらに不満げな顔をして、ベッドの上にちょこんと座ったまま睨みつけてきた。
「退屈だ。依然として退屈だ。便所掃除の前に、今おぬしが読んでいる小説のあらすじを教えよ。少しは気晴らしになるやもしれん」
「まぁ、いいですけど…。えと、今読んでたのは『仮面の貴婦人は二十三度哭く』というタイトルの小説でして」
「ふむ」
「主人公はジョーイという名の天才科学者の少年で」
「ふむ」
「彼は世界を破滅させるために『貴婦人サラ』という究極兵器の開発に挑むんです」
「ふむ」
「でも実際に、その兵器を作るためには莫大な資金が必要で、そのお金をどうやってかき集めるか…、というところまで読みました」
「そうか。それでおぬし、今日の晩ご飯は何を作ってくれるのだ?」
「あの、大してあらすじに興味がないなら聞かないでもらえますか、リリィさん。めちゃめちゃ時間を無駄遣いした気分です」
僕は嘆息とともにスマホをスリープモードにし、改めてリリィさんに向き直る。
どうやら、どこかに連れ出してあげないことには斜めになりっぱなしの彼女のご機嫌は収まらないらしい。
「リリィさん。わかりましたよ、買い物にでも行きましょう。便所掃除は帰ってからお願いします。とはいえ、豚肉もキャベツもまだあるし、玉ねぎも…、あぁ、ミルクがなかったかな」
「ミルクとはなんだ?」
「牛乳のことです。今朝、リリィさんが1リットル飲み干した白い飲み物です」
「リットル?」
「いえ、もういいですから出掛けましょう。僕がトイ…、いや、便所に行ってる間に早く着替えてくださいね」
のそのそと立ち上がった僕を見上げ、リリィさんの顔がパァと輝く。
そんなにお出掛けしたかったのだろうか。そこまであからさまに表情を変えられるとなんだか罪悪感に囚われてしまう。
だが考えてもみれば、リリィさんは幾千年もの間、魔族と争いを続けている神族の勇猛なる戦士だ。
こんな狭苦しいワンルームに閉じ込めておくのは少々酷というものなのかもしれない。
そんなことを考えつつトイレから出ると、すでにお気に入りのメイド服を着たリリィさんが待ち構えている。
長い髪を後ろでひとつにまとめたその姿は『出会った時の』リリィさんを彷彿とさせた。
ただ一点、長いスカートが邪魔だったのか、今はかなり短めにカスタマイズされている。おかげでその白い太ももは露になり、素晴らしく素敵と言えば素敵なのだが、この格好で外出すると素晴らしく目立つ。
リリィさんが憑依している『肉体』の持ち主を知る者に見つかってしまうと厄介なのであまり目立ちたくはないのだけど、リリィさんは「この服が最も霊力が高まるのだ」と言って聞かない。
まぁいいか。
先日の下着売り場のように、突然、グランさんから決闘を申し込まれる危険性もある。
それに最近は僕も、通行人からジロジロと見られることにも慣れてきてしまっていた。
「では出掛けるとするか。ハト、参るぞ!」
そしていつものように右肩にハトをとまらせ、リリィさんは嬉しそうな顔で僕のあとをついてくる。
こうして、まるでコスプレアイドルとそのマネージャーの様相を呈した僕らのお出掛けは始まった。知らない人が見たらきっとテレビや映画の撮影かなにかと勘違いすることだろう。
しかし、今日は雨が降っているおかげでリリィさんもさほど目立たない。傘をさして歩く時、人の視線は自然と下がるものだ。
僕らもひとつの傘に身を寄せあって歩く。
今更ながら、美少女との散歩は悪い気はしない。そう、散歩自体は。
「ん、ちょっと待て、少年」
スーパーへの道すがら、突然、リリィさんがある建物の前で足を止めた。
市立の図書館だ。
同じ傘に入っている以上、リリィさんが足を止めれば僕もそれに従わざるを得ない。
「リリィさん、どうしました?図書館に何か用事でもあるんですか?」
「うむ、ここには先ほどおぬしが読んでいた電子書籍とやらが山ほどあるのか?」
「いえ、ここにあるのは本物の『本』ですね。僕もどちらかと言うと電子書籍より紙の本のほうが好きなんですが…、って、リリィさん!?」
僕の持つ傘からするりと抜け出して、リリィさんはスタスタと図書館の入口に向かって歩いていく。右肩にとまるハトが雨に濡れ「くるっくー!」と痛切な悲鳴を上げた。
慌てて僕も彼女の背中を追う。
濡れた傘を畳み、傘置きに無造作に突っ込む。急ぎ足で受付を通り抜け、リリィさんのすぐ背後まで追いついた時、彼女はすでに、数多くの書物を前に仁王立ちしていた。
「ふふふ、これは素晴らしい…。膨大な知識の強烈な香りがするぞ。少年よ、これはまた随分と楽しめそうな遊び場ではないか!」
「あの、リリィさん?楽しめそうなのは何よりですが、静かにしてて下さいね?図書館では静かに、ってのがこの世界の掟ですので」
ともあれ、リリィさんの機嫌が良いのならそれに越したことは無い。
僕もしばしの間、久々に訪れた図書館を堪能することに決めた。
「お、あった。これだ」
小説のコーナーを歩き、僕はお目当ての本を手に取る。
『仮面の貴婦人は二十三度哭く』
僕がスマホで読んでいた小説だ。さっきはリリィさんのせいで読書の中断を余儀なくされたけど、何気に続きが気になっていたのだ。
前半はスマホで読み、後半は紙の書籍で読む。雰囲気がガラリと変わるだろうし、それはそれでまた乙なものだ。
僕はその本を持ち、すでにテーブルの一角で読書を始めていたリリィさんの隣の席に座る。
リリィさんが何を読んでいるのか気になり、チラリと覗き込んでみたものの、何やら恐ろしく難しげな本だったためすぐに目を逸らした。
こんな本を読んで楽しいのだろうか。
だが、穴のあくほど本のページを見つめるリリィさんの瞳は少女のようにキラキラと輝いていた。
まぁ、少女のようにっていうか、見た目は完全に少女なんだけどな…、などと思いつつ、僕が自分の持ってきた本を開いたその瞬間。
ボフン!という凄まじい音とともに、開いた本からもくもくと白い煙が立ち昇った。
「げほっ、えほっ!な、なんだ、これ!?」
目の前を包む霧のような白い煙の壁を、パタパタと手のひらで扇ぐ。そしてその霧が晴れた時、いつの間にか、僕の隣に金髪の少年が立っていた。
「わー、お兄ちゃん、ありがとー!やっと封印が解けたよぅ!」
「……は、はい?あの、どちら様?」
ぽかんと開いた口を塞ぐことも忘れ、僕はその、満面の笑みを浮かべる金髪の少年をまじまじと見つめてみる。
見たところ小学校の高学年ぐらいの背格好なのだが、着ている服は妙に高級そうで、なんというか、庶民ではない『品位の高さ』のようなものを窺わせる。
チェック柄のカッターシャツに半ズボン、少しゴツめのサスペンダー、そして足元にはピカピカの革靴、という、いかにもお坊ちゃまな出で立ちだ。
「おい、おぬしら、やかましいぞ。図書館では静かにしろ。子供は親の元へ帰せ。気が散る」
自分の読んでいる本から顔を上げることもなく、リリィさんがそう言って僕を叱る。事情がよく飲め込めず混乱していた僕は、ただ「すみません」と謝るしかなかった。
しかし、今、なにが起きたんだ?
本を開いたら煙が出てきて、その煙の中から金髪の少年が出てきて…?
「うん!だーかーらー、お兄ちゃんがボクの封印を解いてくれたんだよ!ボクね、ずっとね、この本の世界の中に封印されてたんだ!」
テーブルの上に開かれた本のページを指差し、ニコニコと無邪気に笑いつつ、少年はそう言った。
「はぁ。いや、ちょっと待ってね。あの、封印を解いたって、僕が?」
「そーだよ!こんな古い本、誰も開いてくれないって思って諦めてたんだ。そしたらね、お兄ちゃんがね、マヌケな顔で開いてくれたんだよ、この本を!」
「いや、マヌケは余計だけど…。で、キミは誰なの?」
「ボクは天才科学者、ジョーイ!ずっとこの本の中に閉じ込められてたんだ!」
その名前に、思い当たる節がある。
ジョーイというのは、確か、この本の主人公で…。そうだ、アレだ!
「究極破壊兵器…、『貴婦人サラ』の開発者か!」
「うえぇ!?お兄ちゃん、すごー!なんで『貴婦人サラ』を知ってるの!?もしかしてボクのファン!?」
「やかましいと言っているだろうが、おぬしらぁっ!遊ぶなら他所へいけ、他所へ!」
思わず大きな声を出してしまっていた僕とジョーイに、真面目に読書をしていたリリィさんから雷が落とされる。
だが今は、冷静に読書なぞしている場合ではない。
「いや、あの、リリィさん。聞いてください。今、目の前でとんでもないことが起こっちゃってるんです」
「とんでもないこと?おぬし、何をやらかしたのだ?というか、その小僧は何処の子だ?」
只ならぬ空気を察してか、ようやく本から顔を上げてくれたリリィさんが、僕の隣に立つジョーイの存在に気づいたようだ。
「あの、この子はジョーイという名の少年科学者で、本来ならこの本の主人公なんですが…、どういう理屈だか本の世界から飛び出してきてしまいまして」
「そうか。なら本の中に帰ってもらえばいいだろう。そんなことで私の集中を乱すな」
「わかりました。という訳でジョーイくん、おとなしく本の世界の中に帰ってもらっていいですかね?」
「えぇぇぇ、やだよ!せっかく封印が解けて自由になったのにぃ!そう簡単に戻ってたまるかー!」
地団駄を踏み、僕とリリィさんからの申し出を断るジョーイ。今にも大声で泣き出しそうな雰囲気だ。
ああ、困ったな。
ここで大泣きされると流石に職員たちも黙ってないだろう。確実にここからつまみ出されるに違いない。
それならそれで僕は構わないのだが、ここで読書を邪魔されたリリィさんはきっと、丸一日以上は不機嫌になるだろう。
一つ屋根の下に暮らす者として、それだけは極力、避けたい。
「えーっと、じゃあ、ジョーイくん」
僕は椅子に座り直し、立った状態で座っている僕と同じ目線のジョーイに優しく話しかけてみた。
「キミ、封印から解けたって喜んでるけど…、この先どうするの?住む家もない訳でしょ?きっと、本の世界の中の方がキミは幸せだと思うんだ」
「やーだーよー!本の中の世界には自由がないんだ!いつまで経っても同じストーリーの繰り返しなんだからさ!いい加減、飽き飽きしちゃうってもんだよ!」
「うん。いやまぁ、それは仕方のないこととして諦めてもらわないと」
「だからいやだってばっ!ねぇお兄ちゃん、知ってる?本の中ではさ、『貴婦人サラ』は完成しないんだ。最後の最後で阻止されちゃうんだよ。そんな結末はね、天才であるボクのプライドが許さないんだ!」
「はぁ。いや、なるほど。ということは、つまりジョーイくん、キミはまさか…、こっちの世界で『貴婦人サラ』を…?」
「そーさ。完成させるのさ!そしてこの世界を破壊しつくすんだ!そうしなきゃボクの気が収まらないよ!」
ああ、なんてことだ。
なぜ僕の周りにはこうも世界を破滅させたがる連中が集まるんだ。
だがこうなっては仕方ない。悪気はまったくなかったとはいえ、僕にだって封印を解いてしまった責任はある。
そしてこんな時、頼れるのは一人しかいない。
「えと、読書中すみません。絵空事代表のリリィさん、ご助力願えませんか」
そこでようやく僕は、リリィさんに事の顛末を伝えることに成功したのだった。
「ふむ、なるほどな。いかに矮小な人間世界とはいえ、滅亡ともなると神魔戦争に何らかの悪影響を及ぼすかもしれぬ。ここは私が護ってやろう」
「ありがとうございます、リリィさん。ですがどうします?ジョーイくんとて、そうやすやすと帰ってはくれないでしょう」
「おぬしが決闘のお題を決めろ、少年。それで白黒つければよい。私が勝てば速やかに本の中へ帰ってもらえ。ジョーイとやら、おぬしもそれで文句はないな?」
「ボクはなんだっていーよー!このお姉ちゃんと戦って勝てばいいの?そんなんラクショーだよ!ずぇったいに本の中になんて戻るもんかっ!」
そう言って腰に手を当てて笑うジョーイ。
ずいぶんとリリィさんを過小評価しているようだが、それならそれで都合は良い。
単なるメイド服を着た少女と侮っているうちにさっさと勝負をつけてしまおう。
とはいえ、決闘方法はどうしたものか。
ある程度はリリィさんにとって有利に運ぶものでなければならない。
しかし、例の本を途中まで読んでいるので僕も大筋だけは知っているが、このジョーイという少年は紛れもない天才だ。おまけに身体能力も高い。
物語の序盤で学校の球技大会か何かのエピソードがあったのだが、フットボールの試合で上級生たちを相手に獅子奮迅の大活躍を見せていた。
考えろ。
考えろ、僕。
このスーパーボーイを相手に、リリィさんが確実に勝てる決闘の方法は?
今回はグランさんとの決闘と違い、リリィさんが敗れたところでいきなり世界が破滅するような事態にはならないだろう。
だがジョーイは、言うなれば狂気の卵のようなもの。
空想の世界から生まれ落ち、純粋で無邪気な破壊衝動を持つ、やがては『人類の敵』とさえなりかねない存在なのだ。
グランさんあたりと手でも組まれた日にはとんでもない事になるかもしれない。
やはり、今、ここで叩いておかねば…!
「あ、そうだ!」
そこまで考えて、僕はあることを思い出した。
物語の序盤で描かれていた何気ないエピソード。その中に、この天才少年を打ち負かすヒントが書かれていた───!
「では、リリィさん、ジョーイくん。今から二人の決闘内容について発表します。異議は認めませんからね?」
そう言った僕の顔を、いつの間にか正面の椅子に並んで座っていた二人が真顔でじっと見つめてくる。
そして僕はひとつ大きく息を吸って、告げた。
「速読対決です。同じ本を、より早く読み終えた方の勝ちとします」
「えぇぇー!?本を読むのぉ!?」
あからさまに不満の声を上げたのはジョーイだった。
そう。
それこそが天才・ジョーイの弱点。
彼は読書が大嫌いなのだ。
親が大金を払って雇った家庭教師から、もっと本を読みなさいと叱られるエピソードがあった筈だ。
一方で、リリィさんは落ち着いた表情を見せている。薄い唇の端に余裕の笑みさえ零し、隣に座るジョーイを見下ろしていた。
「ふむ、速読とな。受けて立とう。どれでも好きな本を用意するが良い。だが少しは考えて選べよ?子供でも読める本でなければ公平な勝負とは言えんからな」
「あー!ボクを子供呼ばわりしたなー!むっかー!ぜってー勝ってやるし!」
ああ。
我ながら、こんな事でよかったのだろうか。大の大人が二人がかりで子供をいじめているような感じがして気が引ける。
だが情け容赦は無用だ。
僕のこの肩に、今、全人類の明るい未来への希望がかかっているのだ。
「では、この本にしましょう。ちょうど全く同じものが二冊ありましたので」
そう言って僕が二人の目の前に並べた本。
日本人なら誰もが知っている、童話『桃太郎』だ。
本といっても、半分は絵本のようなものだ。一語一句飛ばすことなく普通に読んだとしても、まず五分とかからないだろう。
「では、いきます。読み終えたら本を閉じ、『読んだ』と宣言してくださいね。はい、よーい、はじめ!」
「読んだ!」
「読んだ!」
僕がスタートの合図を送ってから三秒と経たずして、凄まじい勢いで本を閉じ、二人はほぼ同時に叫んだ。いや、あくまでスピードだけで言えば若干ジョーイの方が速かった。
速かった、のだが。
「いや、あの、すみません。二人ともちゃんと読みました?なんかこう、本をバラバラとめくってバシンと閉じただけのように見えたんですけど……」
「ちゃんと読んだよ!ほら、僕の勝ちだね!桃太郎の活躍、ちょーカッコよかったよ!」
と、ジョーイ。
「私も読んだぞ。お婆さんの献身ぶりに目頭が熱くなったよ」
とリリィさん。
ううむ。
本当だろうか。
嘘くさい。特にリリィさんが嘘くさい。
だがここで、二人とも『読んだ』ことにしてしまえばジョーイの勝ちだ。その結果、世界滅亡を目論むマッドサイエンティストを野に放つことになってしまう。
僕は額にじっとりと汗を滲ませながら、この場を切り抜けるための策を必死に模索する。
この世界を守るために、何としてもリリィさんを勝たせなくてはならないのだ。
「リリィさん、ジョーイくん、ちょっと待ってください。確かにスピードではジョーイくんのほうが上でした。ですが公平なジャッジを行なうために、今から二人には僕の出す質問に答えてもらいます」
「少年よ、ジャッジとは何だ?」
「リリィさん、話の腰を折らないでくださいよ。それぐらい、あとでググッといてください」
「ググるとは何だ?」
「あーもー!電子の情報網を活用して正解を導いてくださいってことです!とにかく、今から僕が『桃太郎』の物語にちなんだ質問を出しますので、それに順番に答えてください。先に正解した方を勝者と認めます」
「えー、めんどくさいなぁ…。でもお兄ちゃん、もちろんボクが先攻だよね?スピードではボクのほうが速かったんだもん!」
ジョーイからのその申し出に、僕は黙ってうなずく。確かに、それぐらいのアドバンテージを与えなければフェアとは言えない。
「ではジョーイくん、第一問いきます。桃太郎がお供にした動物は、イヌ、サル、キジと、もう一匹は何?」
「え、えーっと……」
考え込むジョーイ。
僕は汗ばんだ両手の平を握りしめる。
意地悪な問題などではない。きちんと物語を読んでさえいれば即答できる問いだ。
『読んでいない』ことを前提とした、これは僕の賭けだった。
そしてしばしの逡巡の後、ジョーイは答えた。
「えっとね、トラ!」
「ぶぶー。残念、不正解。正解は『それ以上お供はいない』でした」
「えぇぇ、なんだよそれ!ずっこい!」
「ずっこくないです。では次、リリィさんの番ですよ。これでリリィさんが正解すれば勝ちが確定します」
できるだけ平静を保ちながら場を進行させる僕。それでも内心、かなりヒヤヒヤしていたのだ。
だがこれでジョーイの初撃は凌いだ。
あとは、リリィさんにこれ以上ないほどの簡単な質問をぶつけ、それに答えてもらえれば万事オッケーという訳である!
「ではリリィさん、いきます!ずばり、桃太郎は何から生まれましたか!?」
「んー…、お婆さん!」
「いや、違うでしょ!お爺さんもお婆さんもそんなに元気じゃないでしょ!桃ですよ、桃!桃から生まれたから桃太郎でしょ!」
ああ、なんてことだ。
絶好のチャンスボールを投げたというのに、ここまで潔く全力で空振りされるとは。
「はい、お兄ちゃん、次はまたボクの番だよ!次はぜったいに答えるからね!」
リリィさんが不正解となった瞬間、再び天才少年・ジョーイに余裕の笑顔が戻る。
今度は先ほど以上に慎重に問題を考えなければならない。
デタラメな問題を出したにせよ、『そのような記述はない』という正解もある、という可能性をすでに第一問で示してしまったのだから。
だが、ここで退くことはできない。
リリィさんを勝たせ、ジョーイの魔の手からこの世界を救うために、絶対に解けない問題を出さねばならない…!
「ではジョーイくんに第二問、いきます。サービス問題なので三秒以内にお答えください。きびだんごの定価は一本180円ですが、毎週火曜と水曜と金曜は二割引となっておりその日はウェンズデイでありさらにその上タイムセールで一割引となっていましたが原材料の価格高騰に伴い定価が三割増になっていました。さて桃太郎が持っていたきびだんごの価格はいくらでしょう!?」
「うおお、ちょこざいな!120円っ!」
「ぶぶー!さらに消費税がかかるので不正解!ジョーイくん、残念!」
「なんだよ消費税って!?てか、問題のクオリティ違いすぎない!?」
目を見開いて反論してくるジョーイだったが、僕のジャッジは覆らない。冷静に考えれば桃太郎のストーリーには全然関係ない問題ではあったが、そこはそれ。
「さぁ、リリィさん。第二問です。ここら辺で終わりにしちゃってくださいよ!」
「無論だ。先程は失態を晒したがもう大丈夫だ」
「ではいきます、第二問!いいですか、問題をしっかりとよく聞いてくださいね?桃太郎はァ、『鬼』ヶ島にィ、何を退治しに行ったでしょうか!?」
「んー…、お婆さん?」
「だから違うぅ!お婆さん、そこまで色んなシーンに登場してきませんから!あの人、脇役ですから!」
普段通りのしれっとした顔でこちらを見つめてくるリリィさんを睨んで僕は吠える。
いや、違う。
しれっとした表情の中に、何やらいつもと少し違う目線の鋭さを感じる。
ああ、なるほど。
ここで『お婆さん』という回答を敢えて二回続けてきた理由、わかりましたよ、リリィさん…!
次こそは正解が『お婆さん』となる問題を出してこい、という訳ですね!
無言で見つめ合い、互いに深くうなずくリリィさんと僕。
なんだか初めて、リリィさんとスムーズな意思の疎通がはかれた気がする。
ちょっぴり、嬉しい。
「さあ二人とも、泣いても笑っても次が最終問題ですよ。最後は両者共通の早押し問題です。先に正解したほうの勝ちですからね!」
さあ、リリィさん。
お願いしますよ…!
ジョーイよりも早く『お婆さん』と答えて下さいね!
「ではいきます!桃太郎にきびだんごを作ってくれたのは誰ですか!?」
「はい!鬼っ!」
「鬼ッッ!!」
「あの、すみません。二人ともおとなしく元の世界に帰ってもらっていいですかね?」
意思の疎通などまったくはかれていなかったことに脱力しきった僕は、この決闘のジャッジを完全に投げ出した。
「うん、まぁ、じつはね、ボクも本の世界の中に戻ってもいいかなーとは思ってるんだけどさ」
今までになく真剣な顔で、ここにきてジョーイが意外なことを言い出した。
「でも、本から出てきたのはいいけど…、じつは、どうやったら本の中に戻れるのかわからないんだ。ねぇお兄ちゃん、ボク、どうやったら戻れるの?」
「あの、えーっと…、リリィさん、どうやったら彼は本の中に戻れるんですか?」
「知るか。ググれ」
リリィさんは興味なさげにそう言い放って、先ほどまで読んでいた難しげな書物に再び目を落とした。
かくして、今日もまた。
世界の平和は守られたのである。
たぶん。
さて、ここからは後日談になるが。
僕が自室で平和な春の昼下がりを堪能しているところへ、ジョーイは現れた。
「あ、お兄ちゃん、こんちはー」
「こんちはーって、ジョーイくんじゃないか。まだ、本の中に戻る方法は見つかってないの?」
「うん。でもね、それならそれでさ、やっぱりこの世界で『貴婦人サラ』を作ってみるのもアリかなーって。どー思う?」
「いや、ぶっちゃけかなり迷惑なんでやめて欲しいけど。でも確か『貴婦人サラ』ってさ、作るのに莫大な資金が必要になるんじゃなかったっけ?」
「うん、そーなのー。大体ね、五兆円ぐらいかかる見通しなんだ。だからバイトを始めようと思ってさ。んでね、お兄ちゃん、この履歴書の保護者の欄にね、サインと印鑑をちょーだい!」
「はぁ。まぁその…、うん。稼げるといいね、五兆円」
手渡された履歴書にサインをして、僕はそれをジョーイに返す。
そして僕は、とりあえず。
志望動機の欄に書かれていた『世界の破壊』という不穏な言葉に二重線を引き、『家計を助けるため』とこっそり書き直しておいたのだった。
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