終章 カオス コスモス シンフォニー

カオス コスモス シンフォニー

 ニャルラトホテプとの決着から四日経ち、絵里は学校生活に復帰していた。長く休んだのは風邪でごまかして、ノートを借りてなんとか写し終えたのが昨日。勉強の遅れを取り戻したいと思いつつも思うだけで、次の期末テストはほぼ諦めていた。

 学校帰り制服のままで、絵里は賑やかな街を歩いていく。店先のラジオからは、この前の大規模流星群についての解説ニュースが流れていた。まさか自分が小惑星を破壊した結果ですとは言えず、気まずい思いが絵里の顔を少し引きつらせた。

 人類滅亡を回避して、異界からの怪物の侵入を減らし、連続誘拐犯を捕まえても世の中が変わったわけではないし、世間に公表できないのもわかっている。

 自分がすべきことは、いい音楽を作ること。父のギターとは別に新しいものを買おうと、絵里は楽器店へ向かっていた。HPLから今回の事件の報酬として、何度も通帳を見直すぐらいの額が振り込まれていた。新しい楽器でいい音楽を作るなら、魔術師としても貢献できると自分を納得させた絵里の足取りは軽かった。

 騒がしい人の流れに乗り進む絵里は、向こうから歩いてくる長身の男を見つけてしまった。神父服を着ている男は、旧友にでも会ったような気さくさで声をかけてくる。

「やあ。ご機嫌いかがかな」

「あなたに会うまではよかったよっ!」

「それは失礼した」 

 言葉とは裏腹に嫌らしい笑いを浮かべるニャルラトホテプに、絵里は肩を落とした。

「あなたは倒せない。だって世界そのものなんでしょ」

「私が真の意味で滅びる時は、我が主が夢から醒める時だけだな。そうならないように足掻いているのだが」

「それで今日はなんなの? この前の続きするつもり?」

「そう気構えないでくれたまえ。雪辱戦もまた趣きがあるが、それはいずれの機会にしよう。急がなくても、君にもまた出番は来る」

「来るんだ……」

 げんなりする絵里とは対照的に、ニャルラトホテプは晴れやかだ。

「さて本題だが、私がこれと認めた役者には様々な舞台の扉を開けてきた。そして君にもだ、庵野絵里。新たな世界へ、はるかな星々へ、次の冒険へと行ってみないかね」

 絵里は、ニャルラトホテプとの闘いの中で駆け巡った世界のことを思い出した。興味が無いと言えば嘘になるし、冒険なんて言葉を使われては胸が踊ってしまう。

「って、どうせそこでも悪巧みが待ってるんでしょ。わかってるんだからね!」

「私から積極的に仕掛ける真似はしないさ。ただ、蒔いてある物語の種に君が近づいた時には、きっとおもしろいことになるだろうな」

「やっぱりあるんじゃない。うーんでも……いらないよ」

「ほう」

 意外そうなニャルラトホテプに少し笑って、絵里は街へ目を転じた。人々のざわめき、自動車のエンジンが唸る音、ラジオからは懐かしい曲がかかり、足音や、自転車の澄んだベルの音が絡まる。ここには混沌と調和がある。

「まだここでやってないこと、いっぱいあるからね」

「断言するが、私が関わらなくても君は新たな舞台へ招き寄せられるタイプだ。きっとまた、我が主がお気に召すような物語が生まれるに違いない」

「それならそれでいいよ」

 絵里は胸を張り、挑戦的な色に瞳をきらめかせる。

「神さまが参ったって言うまで、負けないから」

 ニャルラトホテプは深くうなずく。少女を見る男の目に、一瞬だけの幻のように慈愛の色が浮かんで消えた。

「二度と再び千なる異形の我に出会わぬことを宇宙に祈るがいい。我こそは這い寄る混沌、ニャルラトホテプなれば」

「べーっだ!」

 舌を突き出す絵里をニャルラトホテプは嘲笑い、歩み去っていった。

 絵里はスマホを見て時間を確認する。少し待ち合わせに遅れそうだ。早足になって人の波をすり抜けていく。

 待ち合わせに指定した噴水広場には、同じ目的らしいたくさんの人がいた。それでも絵里は目当ての相手を一目で見つけた。世界で一番可愛い子を探すだけだから簡単なものだ。

「ごめんっ、遅れたね」

「いいえ。私も来たところです……ふふっ、このやり取りをするために実はかなり早く来ていました。いちごパフェの美味しい店も調べてあります」

 嬉しそうに言うパートナーに、絵里の顔も緩む。

「ありがとべるちゃん! はしゃいでるね」

「はしゃいでいる……」

 想定していなかったパターンなのか、べるは少し考えこむ。後ろの街頭ビジョンでは、ボーカロイド青葉べるとコラボしたCMが流れていた。コラボしたアパレルブランドの服を着た青葉べるが、ポップなラブソングを歌い、踊っている。

 ふと、得心したらしいべるが告げた。

「……デートですから」

「……デートだったか~」

 確かに、待ち合わせしてスイーツ食べて買い物に行くのは立派なデートだ。気づいてしまうと、一気に顔が熱くなる。べるはいたずらっぽく微笑み、抱きついてきた。

「あわわっ」

 腕を絡め、しなだれかかるべるの重みが心地いい。二人は顔を見合わせ、どちらからともなく笑い合った。

「行こっか」

「はい!」

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バベル ーボーカロイドと歌う世界ー 犬井るい @fool_zero

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