趣味

@araibed31

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穏やかな昼下がり。

佐藤太一はいつものように地方紙を読みながら、少しぬるくなったコーヒーを啜っていた。

政治・経済の記事に軽く目を通した後、スポーツの記事を読もうとページをめくった時だった。

チャイムが鳴った。

きっと牛乳屋か宗教の勧誘だろう、と彼は思った。

今回も、伏し目がちに嫌そうな顔をしていたら、向こうの方からいなくなってくれるだろう。

彼は玄関へ続く廊下を通り、ドアを開けた。

そこには、恰幅のいい中年男とやせぎすな青年が立っていた。

二人は対照的だったが、共に黒いスーツを着ており、その目つきは鋭いものだった。

「えーと、何か御用ですか」

来訪者は牛乳屋ではないようだったが、やはり何か売りつけられても困るので、嫌そうな顔を作りながら佐藤は言った。

「捜査にご協力頂きたいのです」

中年男が言った。

「この近辺で殺人事件が起こっています。弓瀬川の近くで2名の他殺体が見つかったのです。警察としては、一刻も早く犯人を検挙したいと考え、近隣住民の皆様に聞き込み調査を行っている次第です。何か知りませんか。」

青年が続いた。

「何か、と言われましても。」

正直佐藤は面倒くさく感じていた。何が楽しくてこんな日曜日に刑事と話さねばならないのか。

「私は何も知りませんよ。弓瀬川は釣りをしている人も多いですから、そのあたりで聞き込みされたほうがいいんじゃないですか。それでは、私はこれで・・・・・・」

「ちょっと待ってください。まだ質問は終わっていませんよ。先週の火曜日から木曜日、どこで何をしていましたか。」

青年は食い下がった。

「会社ですよ。決算前なので大忙しで資料を作っていました。9時くらいまで会社に残っていましたね。」

「そうですか、ご協力ありがとうございました。」と中年男は矢継ぎ早に言うと、踵を返した。

青年は佐藤を一瞥した後、小走りで中年男についていった。

半分占めたドアの隙間から、佐藤は二人が去っていくのを見つめていた。

何を話しているのかはわからなかったが、中年男が青年に小言を言っているような様子だった。

聞き込み調査一つに反省会でもしているのだろうか。

刑事も大変だな。

上司との関係は良好な佐藤であったが、四六時中一緒に仕事をするのは自分だったら御免だな、と思いながらドアを閉めた。

佐藤はリビングの椅子に腰かけたが、何となく新聞の続きを読む気をなくしてしまった。

ぼんやりとテレビをつけたが、動物園のアシカの赤ちゃんや今日の天気の話ばかりで、事件のことはまだニュースにはなっていないようだった。

佐藤は、冷え切ったコーヒーを啜りながら、夕方から雨が降るなら洗濯物は早めに取り込まないといけないなぁ、と思った。





原晶子は困惑していた。

というのも、彼女にとって思いもよらない内示が下されたからだ。

それは、一言でいうと雇用形態の変更だった。

日本でも有数のメガバンク、そのエリア総合職として5年勤務していた彼女は、地元でこれからもずっと働いていくだろうと考えていた。

にも関らず、全国転勤ありの通常の総合職にならないか、と課長に言われたのだ。

思えば朝から嫌な予感はしていた。

出勤してきたときに、課長は昼休みに話したいことがある、と言っていたのだ。

いざ会議室に行ってみると、彼女の部署の課長だけでなく、強面の人事部長が座っていた。

人事部長は沈黙こそしていたが、課長が話を切り出したタイミングで分厚い書類を出してきた。

書類には原の今後の勤務地や仕事内容について書いてあるようだったが、彼女にとってそれをじっくり読んで吟味する時間などなかった。

というより、時間は与えられなかった、というほうが正しい。

人事部長と課長が無言で彼女を睨み付けていたからだ。

「はぁ……」

小さなため息をつきながら、7時半過ぎになって原は帰路についていた。

結局書類にサインはしたものの、自分が転勤族になってしまったという実感はなかった。

特にメガバンクは転勤の頻度が多く、生まれてこの方地元で暮らしてきた彼女にとって、これは痛手だった。

彼女は自分の就職活動のことを思い出していた。

こんなことなら、もう一つの内定先に行っておけばよかった。

当時21歳だった自分は、地元の中堅メーカーではなく今の勤務先を選んだ。

最後まで悩みはしたが、大手というブランドと両親の勤務先が金融関係であるという事情から何となくそうしたのである。

そんなこともあり、気分を変える意味で、いつもと違う道を選んで帰ることにした。

少し肌寒い季節になってきており、日が暮れるのも早い。

弓瀬川の川沿いはあまり手入れもされておらず、歩道であるにも関らずところどころに草が多い茂っていた。

「すみません、少し道をおたずねしたのですが」

後ろから声がした。

振り向くと、灰色のパーカーと黒いズボンをはいた男が立っていた。

薄暗いこともあり顔はよく見なかったが、原は男から威圧的な何かを感じた。

「なんですか?」

原は少し後ずさりしながら言った。

「このあたりに郵便局はありますか」

「えと、あそこの道をまっすぐ行って突き当りを左です」

「そうですか」

「……」

「ところで、良い手袋ですね。どこで買ったんですか」

「へ?」

「手袋ですよ、手袋」

「近所の服屋ですよ、それが何か」

この男はなんだか気持ち悪い。

原はそう感じた。

「近所。このあたりの人ですか。」

「いや、違いますけど。もういいですか」

原は逃げ出したくなった。

この男はいわゆる不審者というやつじゃないだろうか。

「ちょっと待ってください。もう少しお話ししましょうよ」

男が右手をこちらに伸ばしてくるのを感じ、原は本能的に駆け出した。

駅まであとどれくらいだろうか。

しかし、男から逃げたいという気持ちのまま、原は川沿いの土手を転げ落ちていた。

何かに躓いたのか、男に体当たりでもされたのか分からなかったが、少なくとも自分が危機に晒されているという事だけは理解していた。







駅から徒歩10分。

杉本信博が働いているオフィスは好立地であり、空調とコピー機の音、パソコンのキーをたたく音だけが無機質に響いている。

昼ご飯を食べた直後というのは眠くなってかなわない。

が、あくびをかみ殺して杉本は紙の資料とパソコンを見比べていた。

「部長、どうですか」

「うん……悪くないな。」

佐藤が持ってきた資料は、その内容もさることながら、レイアウトやグラフ、色の使い方が見やすかった。

「もうこの資料はいいぞ。今日は前言っていた来季予算の見直しをしておいてくれ。」

「わかりました」

杉本は内心驚いていた。

いつものことだが、佐藤の仕事ぶりはすごい。

1週間前に佐藤の作った資料はもっと見にくかったのに、それをもう改善してきたからだ。

しかも、資料自体は200ページを超す膨大なもので、ほとんど一から手直ししたような状態だった。

佐藤なりに、資料作成の肝を考え、努力したのだろうということが伺えた。



その日の夜、佐藤は自宅のソファーに腰かけながら小説を読んでいた。

小説の内容自体はなかなか興味をそそるものだったが、いかんせん文体が柔らかすぎて好みには合わないな、と思った。

彼は夕食と風呂を済ませた後のこのひと時を何よりも楽しみにしていたので、少しがっかりした。

そして、一日の締めくくりとして散歩に出かけようと思った。



西尾駅から浜道通りを15分ほど歩いたところに、小さな地蔵がある。

この地蔵の角を左に曲がると小道に続いており、ここは佐藤のいつもの散歩コースになっていた。

都会の中の小さな自然、といった具合で道のわきには雑木林が茂っており、穏やかな気持ちで散歩が出来るのである。

「今日はずいぶん冷えるな」

佐藤はいつものようにパーカーにスウェットといった格好であったが、夜風が衣服の隙間から入り込んでくるのを感じていた。

20分ほど歩いて、明日も早いからそろそろ切り上げようかと思った時である。

何かが引きずられるような音がした。

佐藤はふと、幼少期に親戚の農業を手伝っていたことを思い出した。

肥料を運ぶ際に、楽をするために手で抱えるのではなく引きずるのだが、彼が今聞いた音はまさにそんな音であった。

その時と違っていたのは、引きずられていたのが肥料ではなく人間の体だった、という事だ。




声を出してはいけない。

佐藤は思った。

が、もはや遅かった。

街灯に照らされた一人の男は、少し驚いた表情でゆっくりと振り返り、佐藤の方を凝視していたからだ。



「うっ……」

余りの恐怖に佐藤は立ちすくんだ。

一目散に逃げだして安全な所で通報をするべきだ。

襲われた人は重症だろうか。

死んでいるかもしれない。

救急車も一緒に呼ぶべきだ。

ここまでに何分くらいで着くのだろうか。

そういった思考の断片が稲妻のように、彼の頭の中を駆け巡り、はじけて消えていった。


が、そのどれもが行動にはつながらなかった。

道のわきに止めてあった自動車のトランク、その中から血液がべったりついた刃物を取り出し、自分の方にゆっくりと向かってくる男の姿を、佐藤は他人事のように見つめていた。


瞬間、佐藤はやっと気づいた。

自分は今まさに殺されようとしていること。

身を守らないといけないが、自分には武術の心得もないければ武器もなく、万事休すであるということ。

ついさきほど食べたツナ缶冷製パスタが最後の晩餐になるだろうということ。


しかしながら、神はこの哀れな彼を見捨てなかった。

刃物をわきに抱えて猛然とこちらに向かって来た男は、なぜか佐藤の手前3mほどのところで後ろ向きに滑りこけたのである。

男も、佐藤も、全く事態が飲め込めなかったが、先日の豪雨によって溜まった下水がマンホールから少しあふれており、男はそのせいで滑ってしまったのだ。


後頭部を路上に強打し、悶絶する男。

この好機を佐藤は見逃さなかった。


男の右手から刃物をもぎ取ると、左ひざを男の腹に押し当て、全体重でもってのしかかった。

咳き込む男に、佐藤は追撃を加える。

左手を握り込み、拳の側面でハンマーのように振り下ろす。

1回。2回。3回。

執拗に右目を狙ったため、男の右目ははれ上がり、眼球が内出血している。

佐藤は満足げに微笑みながら、今度は右手に持った刃物を逆手に持ち替え、一気に振り上げた。

「切りつけるのではなく、差し込むんだ」

突如、頭の奥で声がした。

佐藤はその声に従い、怯えて顔を庇った男の両腕、その隙間に向かって丁寧に刃物を差し込んだ。

ブスリ、と音を立てながら刃先は首の中央部に埋まっていった。



男はポロポロと泣き始めたが、佐藤はつい笑ってしまった。

「お前は今から死ぬんだぞ」



男は、金魚のように口をパクパクさせていたが、もはや声も出ないらしかった。


佐藤は深呼吸を一回だけ行い、集中した。

そして、両手に持った刃物で一気に男の体を切り裂いた。

しかし、刃物は男の胴体の真ん中あたりで止まってしまった。

スーパーで売っているアジの開きのようにするつもりだったのに、思い通りにはいかないものだなぁと、佐藤は思った。


その後彼は、完全に絶命した男のジーンズから車のキーや財布を奪い取った。

割と大きめのボックスカーのトランクは半開きになっており、そこにはブルーシートや工具箱などが入っていた。

準備の良いことだと思いながら、男の死体と当初引きずられていた女の死体をシートにくるみ、トランクの中にしまった。

佐藤は、男が自分で作ったらしいお手製の洗剤を見つけたので、それを血の付いた地面にたらし、雑巾とモップできれいに掃除した。


彼は車に乗り込み、男の運転免許証に書いてあった住所に向かうことにした。




今日は良い趣味を見つけたぞ、と佐藤は思った。





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