善の所在

台上ありん

善の所在

 法律に「善」は書いていない。僕は法学部というところに二年あまり所属して、それを学んだ。

 罪刑法定主義の観点から、法には悪に関しては事細かに書いてあるが、善に関しては一句も裂いていない。十戒のほとんどが「○○するなかれ」で書かれてあるのはとても示唆的だ。

 法律はいわば悪の標本だ。

 では、善はいずこに在るのだろう。

 法による支配が、聖者の徳による支配よりもマシであることは、人類の歴史が証明している。これは、善の勧奨よりも悪の排除のほうが人間社会を平穏に運転できるということの状況証拠になるだろう。人間の延髄は悪の澱が層を成してできているらしい。

 しかし法は常に片手落ちだ。法に書かれない悪は、悪ではあるが罪ではないという、ゴミの吹き溜まりを社会の脇道のすみに作り出す。

 法の専門家や弁護士に人間のクズが多いのは、彼らが本質的に善とは遠いところに居るからなのだろう。人間のクズが法曹になるのか、法を学んだものがクズになるのかはわからないが、僕は直観的に後者だと思っている。

 僕は自分の前でふたつに分岐した道の、いずれを選択するべきかと悩んでいた。学部卒業後、ロースクールに行って法曹を目指すべきか。それとも大学卒業後は、こまごました法の文言から解放された生活をするべきか。僕が人間として生きた二十年余りは、人間に対して希望を持ちそれを捨て去るにじゅうぶんな時間だった。「大人とは裏切られた青年の姿である」と昔の文豪が書いたが、この世界は必ず裏切られるようにできてある。

 僕の名前は、燕智仁つばめともひとという。姓を「えん」という読み方をされ、大陸出身と間違われたのは、一度や二度ではない。ヤクルトスワローズのファンからは少しうらやましがられる。

 ずいぶんと珍しいこの苗字だが、父が瀬戸内海に浮かぶ小さな島、西燕島さいえんじまというところの出身で、この島には同じく「つばめ」という苗字の世帯がいくつかある。

 ということで、西燕島は父の実家、僕にとっては祖父母の家ということになるのだが、祖父母がともに僕が小学生のころに他界したので、僕は数えるほどしか西燕島には行ったことがない。若いころの父は就職を期に西燕島を離れ、四国側瀬戸内海沿岸の某市に移り住み、必要がなければ島には近寄ろうとしなかった。必然、僕も祖父母に会いに行く機会が少なかった。


「ねえ、シルバーウィークに、島に行ってみん?」と柚本美礼ゆずもとみれいは僕に言った。

「島に?」

「うん、連れて行ってや」

 美礼と僕は恋人どうしの関係にある。同い年で、法学部の同じゼミに所属している。

 美礼は二度、妊娠中絶している。一度目は僕が費用を持ったが、二度目はどうしたか知らない。実際に、誰の子供をはらんだのか、自分でもよくわかっていないようだ。美礼が言うには、タイミングとしてはゼミの教授の岡田の確率が高そうだと言っていた。

 どうでもよろしい。

 美礼も実は、ルーツを西燕島に持つ。母の両親、つまり母方の祖父母が西燕島の出身で、昭和の初期に出稼ぎのため夫婦で大阪に移り住んだということだった。

 僕がそれを知ったのは、大学のゼミでのことだった。刑法や刑罰の歴史と保護法益が話題になったとき、僕は西燕島のことを発表した。発表と言っても、きちんと調査してレジメを作って、という立派なものではなく、父から聞いたことと、子供のころに数回だけ見た島の様子をざっと述べただけだ。

 ほぼ円形で周囲3キロに満たない小さな島で、ずっと無人島だったが、三〇〇年ほど前から、罪人を遠島に処するために使われ始めた。遠島、俗にいう島流しは、死罪に次ぐ重い刑罰で、必然、西燕島には重罪人が集まった。傷害致死、窃盗の累犯者、また当時の権力者にとって都合の悪い者など。

 西燕島では、島の中心部の小高い山で上質な御影石が採石できるということで、罪人にはここでの重労働に従事させられた。もちろん今では採石は行われていないが、僕が子供のころに遠くから見たその山は、てっぺんの近辺から一本も木が生えておらず、まるで皮膚をはがれたように岩肌がむき出しになっていた。

 また、海の波が激しくぶつかる岸には、丸くえぐられたような場所がある。父はそれを指さして、「智仁、見ろ。あそこ、へこんでるだろ。あれは昔、水牢になってたんだ」と言った。父が子供のころは、ぼろぼろに錆びては居たが、水牢の鉄格子が一部だけ残っていたらしい。水牢の岩は大潮の満潮時に、首だけがギリギリ水面の上に出るように設計されており、ここに投獄された者は、ほかのいかなる拷問にも勝る苦痛を経て死に至った。ちなみに水牢に入れられるのは、島から脱出を図った者。

 当時は自白至上主義であったため、ずいぶんと冤罪もあったのだろうが、最期まで自分の冤罪を訴え続けたまま島で死んだ僧侶がいたそうだ。西燕さいえんという、そこそこ地位の高い僧だったらしいが、当時の権力者の逆鱗に触れ濡れ衣を着せられたというのが西燕の主張だった。

 島で唯一の僧籍だった西燕は、罪人や役人の同心の中でも尊敬を集め、唯一特別扱いを許された。北寄りの小高い丘に小さなお堂が建てられて西燕はそこで寝泊りをした。お堂では仏の道を説く即席の講習会が開かれることもあり、島で死亡した者が出た日は、そこでささやかな葬礼が行われた。

 島流しに処されるのは単身者に限らず、一族まとめて島に送られる場合もある。その場合は、ぺらぺらの板と藁で作られた家をあてがわれ、そこで一家で住むことになっていた。明治期になって島流しの罪は廃止され、刑期を終えた者、また終身刑でも二十年を超えて島で労役を果たした者は島を出ることを許された。しかし重罪人に帰る故郷などあるはずもなく、引き続き島で生活するものがほとんどだった。

 よって、今島に住んでいる者は、罪人の末裔ということになる。島はそれまでは楠島くすのきじまなどと呼ばれていたようだが、島流しの廃止を奇貨として、仏のごとく何代にも渡って景仰され続けた潔白の僧侶の名に改名された。

 島には今でも、20人余りの人が住んでいる。

 僕はゼミでおおよそこんなことを発表した。日本中、どこにでも有りそうな話で、教授を含めゼミのメンバー誰一人、強い興味を持つ者はいなかったようだ。

 その日授業が終わった後、バッグを肩にかけて教棟の階段を降りようとしていたところ、

「燕くん」と声を掛けられた。

 声を発した主は、柚本美礼だった。同じゼミに所属しているため、顔と名前は知っているが、ほとんどしゃべったことはない。僕の彼女に対する印象は、「平凡だな」というものだった。同年代の日本中の女性を全部集めて平均すれば、きっと彼女のいで立ちが完成するのではないかと僕は思った。

「なんですか?」僕はわざと他人行儀を装った。

「さっきの話、もうちょっと聞かせてくれへん?」と美礼は不躾な関西弁のイントネーションで言った。

「さっきの話?」

「ほら、島の」

 僕はまるで敵を見るかのような視線で美礼を見た。

「島って、さっき言ったことで僕の知ってることはほとんど全部出尽くしたよ。もう、何も残っていない」

 僕には罪人の末裔というアイデンティティはない。しかし、このことについて他人に深く掘り下げられるのは、あまりいい気分ではなかった。

 島流しが廃止された後、島で唯一の産業である採石では、島の人口すべてを養うことは不可能で、漁師に転職するものも居たがにわか仕込みの漁法ではまったくうまく行かず、結局、島の住人は男女問わず小さな漁船にすし詰めに乗って、四国沿岸の造船工場に働きに行く者がほとんどだった。

 代替わりを経て、西燕島で誕生した者が船に乗って学校に通ったり働きに出たりする時期になっても、島の出身者は「罪人の子」ということで差別的な扱いを受けることがしばしばあった。人権などという言葉がまだ日本語に翻訳されて間もないころのことで、致し方ないとはいえ、祖先の罪にて断罪される彼ら彼女らの無念さ、いかばかりであったろう。

 島を抜けて、転居する者も多かった。転居先ではもちろん、出身地を偽った。そして一度抜けた者は、僕の父のように、よっぽどのことがなければ島に近寄ろうとはしなかった。

「実はね、たぶん私も、もともとは西燕島の出身やねん」と美礼は好奇心をむき出しにした表情で言った。

「え?」

「おかあはんのほうのおじいちゃんおばあちゃんから、ちょっとだけ西燕島の話、聞いたことあんねん。子供のころやけど。おじいちゃんは昔、そこに住んでてんけど、いろいろあって。瀬戸内海の、島流し用の島て言うてたから、まちがいないわ」

「へえ。奇妙な縁があるものだな」

 関西弁を隠そうともしないしゃべり方で島にゆかりのあることを弁ずる美礼が、僕にはなんとも滑稽だった。

 美礼の祖父母が島を出た理由も、おそらく僕の父と同じものだろうと僕は勝手に想像した。祖父母―母―そして娘と、三代目にもなれば、悲愴な物語も好奇の対象の昔話になるらしい。

「せやから、ちょっと聞かせて」

「いや、だからもう僕には新しい情報はないよ」

「おんなじ話の繰り返しでええねん。コーヒーでも飲みにいかへん?」

 こんなきっかけで僕たちは知遇を得た。

 あまり考えずに行動する美礼と、ゴールが見えるまではスタートに立たない僕との差異がうまく噛みあったらしく、あまり人との関わりを持つのを好まない僕でも美礼と会うのは苦痛ではなかった。僕たちはいつの間にか付き合うようになった。

 実は同じ学科の友人のあいだで、柚本美礼という学生は極めて貞操観念が緩い女だという下世話な噂が立っていて、僕もそれを耳にしたことはあったのだが、僕は気にしなかった。肉体はどのようなもっともらしい理由を付けても個人の所有物であり、他人がそれを拘束するのは無理だ。「恋人」や「結婚」などという呪いのお札で縛ろうとしても、大して効果はない。

 それともうひとつ付け加えるならば、僕と美礼の関係は非常に冷めたものだった。性欲と暇つぶしとカネ勘定の、需要と供給がうまく均衡したというだけに過ぎないのかもしれない。


 シルバーウィークに西燕島に行こうと美礼に言われて、僕はあまり気が乗らなかった。せっかくの連休を、そんな陰鬱な場所で過ごすくらいならば、家で寝ていたほうがいくぶんマシだろう。

「行ったこと、あるんやろ? 連れてって」

「行ったことあるって言っても、最後に行ったのは小学生のころで、もう10年以上も前のことになるよ。僕は案内役の資格を欠いてる」

「なんも知らへん人よりはマシやん」

「一人で行けよ」

「そんなん、言わんとってや。どうやって行ったらええかも、わからんし」

「たしか、港から出る小型のフェリーに乗って行ったような記憶があるけど。島の人たちは漁船を持ってる人が多いから、てフェリーの乗客はほとんど居なかったような。まだ運航してるのかな」

 美礼は手提げのバッグのなかからスマートフォンを取り出すと、文字を打って検索し始めた。

「まだ、あるみたいやで。ほら。1日2回だけやけど」

「へえ。採算あうのかねえ」

「よし。ほな、行こか」

「いやだよ。観光地でもあるまいし、何か珍しいものでもあるわけでもないし。島の人間でもないものが行ってうろうろしたら、不審人物と間違われるよ」

「もともとは私らも島の人間やん」

「違うだろ。……だいたい、なんでそんなに行きたいんだよ。あんなところ」

「じゃあ逆に聞くけど、なんで行きたくないん?」

 そう言われて僕は返事に窮した。

 仮に行ったとして、祖父母はもう他界しているため、島に僕の直接の知り合いはいないが、世帯数は少ないが狭い所に密集してるため、どこに誰が住んでいる、あるいは住んでいたかということをすべての人が把握してるはずだ。島の住人の中には子供のころの僕を知っている老人もいるだろう。そういう人たちに声を掛けられたら、僕はいったい何と言えばいいのか。

 なぜ行きたくないのかと問われて、僕はとっさにそんな理由を思いついたが、それが言い訳だということも僕は同時に自覚した。

 行きたくないから、行きたくない。そうとしか言えない。論理的ではない、感情的な何かが僕のなかにあるらしい。いったい、それは何なんだろう。僕には父と違って島を嫌うような理由はないはずだ。

「わかったよ。行けばいいんだろ、行けば」僕はとうとう根負けした。

「やったー」と美礼は子供のように喜ぶ。

「でも、さっき言ったように、僕に案内役を期待するのは止めてよ。スケジュール管理も美礼がやってくれ。もちろん、日帰りになる」

「うん。わかった。2本しかフェリーがないってことになると、1本目で行って2本目で帰るしか選択肢ないなあ」


 敬老の日の午前10時半過ぎに、僕たちは西燕島に到着した。この島で降りた乗客は僕たち以外にはいなかった。久しぶりに乗ったフェリーは、僕が子供のころに乗ったものとはおそらく違うものになっていた。昔は、漁船に毛が生えた程度のボロボロの船で、港から直接西燕島に行ったはずだが、今回乗ったのは、そこそこきれいで大きなフェリーで、離島をいくつか回って、そこで幾人かの乗客を下船させてから西燕島に向かった。僕たちが降りた後も、船のなかには乗客が残っていたから、まだ別の島にも行くのだろう。

 船着き場に降りると、フェリーは海面に白い泡を立ててバックし、舳先の向きを変えると轟音を立てながら次の目的地に進んで行った。

 9月末だが、昼になるとまだ日差しが強くて、何もしないのにうっすらと汗ばむほどだった。美礼は背中にリュックサックを背負って、まるでハイキングにでも行くような格好をしている。僕はいつものように、ジーパンにTシャツ姿だった。

 僕にとっては久しぶりの父の故郷だったが、何も感想らしきものは覚えなかった。懐かしい、とすら思わなかった。

 もちろん父には、今日島に行くなどということは一言も告げていない。

「で、これからどうする?」と僕は多少めんどくさそう言った。

 この島に来ることだけが目的だったわけだから、もう目的は果たしたと言える。ならば、もう帰ってもよさそうなものだが、次のフェリーが来るまで帰る手段がない。美礼によると、帰りの船が到着するのは、午後3時半ということだった。

「うーん……。とりあえず、言うてた岩がえぐれて水牢になってるっていうの、見てみたい」

「悪趣味だなあ。それなら、ここからあっちの方向に行ったところだったかな」

 船着き場から島の円周を右に向かえば、水牢の跡がある。左に行けば、30軒ほどの民家がひと所に身を寄せ合うように建っていて、当然島の住人はそこに住んでいる。僕の祖父母の家も取り壊されていなければまだそこにあるだろうが、今はいったい誰の名義になっているのかも僕は知らない。まさか、ほかの人が住んでるなどということはないだろう。

 5分も歩けば、目的地に着いた。わずか10メートルほどだけ砂浜になっているが、その先は濃い灰色の岩がむき出しの崖になっていて、崖の上には今にも崩れ落ちそうな場所に、松の木が斜めに向かって生えていた。崖は海の水面の少し上の部分でえぐれていて、そこが昔父が教えてくれた水牢だ。

 久しぶりにみると、記憶のなかのものよりもだいぶ小さかった。美礼はなぜか理由はわからないのだが、少し感激しているようだった。

「あそこ、入ってみてもええん?」と美礼は無邪気に言った。

「さあ、知らない。僕は入ったことはない。島の人の所有物ってことはないと思うけど。別に重要文化財というわけでもないし、いいんじゃないかな」

「ほな、行ってみよ」

 美礼は砂の上を走った。僕は歩いて、美礼の足跡をたどった。

 引き潮の時間帯で、でこぼこした岩肌を靴を濡らさず歩いて、水牢に入ることができた。薄暗くて、ひんやりとする。波が岩にぶつかる音が、牢のなかで反響してひどくうるさい。

 高さはおそらく150センチもないだろう。いくら昔の人が今よりも身長が低いとはいえ、これでは腰をかがめないと入れないに違いない。むしろそのほうが、拷問としては過酷なのだろう。その苦痛を想像すると、僕は全身が締め付けられるように錯覚して、身ぶるいした。

「ここで、何人くらい死んだんかなあ」美礼の声もここに至っては少し落ち着いていた。

「さあ。一人や二人ではないだろうね」

「幽霊が出るとか、そういう怪談みたいなん、ないん?」

「聞いたことないよ。幽霊が出たとしても、ここで死んだ最後の人は、もう100年以上も前になるだろう。さすがに成仏したんじゃないかな」

「怨念にも時効って、あるんやな」と美礼は冗談を言って、陰気に笑った。

 岩にぶち当たった波が、白いひとつの粒になって僕の足もとに飛んできた。ジーパンの濡れた部分が楕円形に濃くなった。

「もう出よう」

「うん」

 水牢から出ると、美礼は島の中央にある小高い丘を指さして、

「あれが、採石場やったとこなん?」と言った。

「そうらしい。行ったことないけど」

「ほな、行ってみよか」

「行ってみよか、って……。そんなに気軽に行けるようなとこじゃないだろう。もう人が行かなくなって長いこと経つだろうし」

「行けるところまで、行ってみよ。どうせ、フェリーが来るまで、何もすることないんやし」

 それもそうだと僕は思った。子供のころこの島に来たときは、父や祖父からは危ないから行ってはいけないと強く言われた。もちろん一度も行ったことはない。遠くからだけではなく、近くで昔の罪人が労役を科された場所を見てみたいという欲求が僕にも湧き起ってきた。

「それじゃ、こっちだよ」

 採石場への登り口は、船着き場のある地点から島の中心部を隔てて正反対側にある。水牢のあるところからそこまでは、もう古くなってひび割れてはいるがコンクリートで舗装されていて、普通に歩いて行けた。

 丘の上へ登る道は、ところどころ朽ちてはいるがしっかりと元の形を残した枕木が敷き詰めてあって階段状になっている。勾配は少し急ではあっても足場としては申し分ない。意外に思ったのか、美礼が、

「もっと、草だらけで歩きにくいところかと思てたけど、ちゃんとした道やん」と言った。

「採石場に行く途中の、ちょっとだけ広くて平らになってるところが、墓地になってるんだよ。そこまでは通りやすくなってる。そこから先は、僕も行ったことないけど、道なんて呼べるものじゃないよ」

「へえ」

 2、3分ほど登ったところで、道はふたつに別れている。

「ここを右に行くと、さっき言った墓地。で、こっちが採石場に行く道」と僕は言った。

「うん」美礼は少し息が上がっていた。

 一歩進むごとに、道は険しくなっていく。もはやそれは道と呼べるようなものではなく、急勾配の斜面に生えた雑草を滑らないように踏みつけ、両手をすがるように草を握りながら身体のバランスを支えて登った。遠くから見たらすぐ手が届きそうな低い丘だったものが、今はとんでもない高山のようにすら思えてきた。

 ジーパンを履いてるいるのに、脚に雑草がまとわりついて変にかゆい。後ろを振り向くと、美礼は顔を歪めながらなんとか着いて来ていた。いったいこの道を、昔の罪人は石を担いだままどうやって降りたのだろうか。自分の身ひとつを動かすだけでせいいっぱいだった。

 永遠に続くのではないかと思った登り坂だったが、周りに雑草が少なくなってきたと思うと、意外に早く頂上にたどり着いた。固い地面がだだっ広い。正面には、明らかに人為的に削られた、直角の石の壁になっていた。もちろんそれは、苦役の傷跡だ。

 島の頂点から眺める海の景色は、最高だった。

「ああ、きれいね」美礼は額の汗を手の甲でぬぐった。

 遠くに、僕たちが住んでいる四国沿岸の陸地が見えた。僕たちの先祖は、この場所からいったいどのような気持ちであの陸を眺めたのだろう。

 僕は石の壁を背にして、地面の上に座った。ちょうど、壁の向こうが南側になっているため、僕の周囲は一面日陰になっている。足がしんどい。美礼はリュックサックを肩から下ろして、僕のすぐ横に座った。

「ごはん、食べよか」

 美礼はリュックサックのなかから、弁当箱と水筒を取り出した。

「なんだ。弁当なんか持って来てたのか」

「うん。島にはお昼食べられるようなとこはないと思て。智仁のぶんもちゃんと用意してあるから、心配せんでもええで」

 僕はてっきり、美礼のリュックサックの中は空っぽか、せいぜい財布くらいしか入ってないと思っていた。持ってやれば良かったかな、と今さらながら思ったが、もう遅い。

「ピクニックをするには、たぶんこの近辺ではもっとも最悪な場所だな」と僕は憎まれ口を叩いた。

「そやな」

 美礼が持ってきたサンドウィッチを食べた後、僕は固い地面を背中にしてその場に寝っ転がった。

 来てみると、意外に悪くない場所かもしれない。僕はそう思った。しかしではなぜ、僕はあれほどここに来ることを拒もうとしたのだろうか。やはり僕のなかにも、父と同様の罪人の子孫という意識がどこかにあって、それが僕にこの島から足を遠ざけさせようとしたのだろうか。その一方で、美礼は純粋に、この島を観光地として楽しんでいるようだ。いったい何が、僕と美礼をかように峻別しているのだろう。

 僕の粗末な内省が次々と疑問を発生させるが、何も解決はしてくれなかった。

 美礼がいきなり、寝転んでいる僕の身体の上に覆いかぶさって来た。そして、僕の股間に手を当てて、

「ねえ。しよ。一回でええから、外でしてみたかってん」と僕の耳元でささやいた。

「何言ってるんだ。昼間っから。誰かに見られたら、どうする」

「こんなとこ、誰もけえへんて。ええやん。ほかにすることもないんやし」美礼は性欲に満ちた表情を僕に向けた。

 そして僕のジーパンのベルトを外しにかかった。

「また妊娠したらどうするんだよ。持ってきてないだろ」

「そんときは、また教授にたかったらええやん。あいつ、カネだけは持ってんねんから。頭ん中はカラッポやけど」

「ふん」

 僕は身体は異様に興奮しながら、頭は冷静でどこか白け切って、されるがままになった。美礼が僕の身体の上で律動するリズムに合わせるように、罪人が鉄のノミをふるって採石する音が聞こえた、などというとあまりにロマンチックかもしれない。実際、そんな音は聞こえなかった。僕は果てしなく後ろめたかった。

 事が済んで、美礼は少し冷静になったのか、削り取られた石の壁を指で撫でて、

「いったいここに連れてこられた人たちは、何の罪を犯したんやろね。これほどの罰を受けんといかんのって、よっぽどやね」と言った。

「死罪でなくて島流しってことは、故意の殺人ではないだろうけど、それに近いものだろう。極悪人には違いないよ。冤罪でないならば」

「そう」美礼は少し悲しそうな表情をした。

「さあ、もう下りよう。ちょっと、墓地に寄って行ってもかまわないか?」

「うん。いいけど、なんで?」

「祖父母の墓がここにあるんだよ」

「え、そうなん? お墓、移してないん?」

「うん。親父も僕もろくに墓参りにも来ないから、荒れ放題になってるだろう。添える花はないけど、来たからには手くらいは合わせて帰らないと、バチが当たりそうだ。明日は秋分の日だし、ちょうどいい」

 下りの道は想像していたよりもずいぶん楽で、登りにあれほど苦労したのが嘘のようだった。すぐに墓地へ通じる分岐まで着いた。

 墓地には、古いものや表面につやを残した新しそうなものまで、合計で約30基ほどの墓が建っている。

 僕の家の墓は、墓地のいちばん端っこにある。もちろん、花もしきびもお供え物も飾られてはいない。「燕家累代之墓」という文字の陰になる部分に、乾いた苔がこびりついていた。

 僕は墓の前にかがんで、手を合わせた。なぜか僕の後に続いて、美礼も同じようにした。

「なんで美礼がうちの墓を拝むんだよ」と僕が笑いながら言うと、

「なんか、人が手合わせてるのに私だけ知らん顔してたら、悪いような気がして」

「ひょっとしたら、美礼のご先祖の墓も、どこかにあるんじゃないの?」

「私もそう思てちょっと探してみたんやけど、おかあはんの旧姓と同じお墓が3つくらいあって、どれがそれかわからんねん。適当に手合わせて間違ってたら、なんか悪い気するし」

 墓地の真ん中には、小さなお堂がある。お堂のすぐわきには、ブリキのバケツが置いてあって、ひしゃくの柄がバケツからはみ出している。本当に小さなお堂で、建坪六畳くらいしかない。屋根の瓦はいくつか滑落していて、土塀の一部が崩れている。築100年近くは過ぎているだろう。よくまあ、こんな吹けば飛びそうな建物が、豪雨や台風に耐えてこられたものだと感心した。

「あれがもしかして、西燕さんっていうお坊さんが住んでたとこなん?」

「まさか。西燕が生きてたのは元禄あたりだから、300年近く前。いくらボロボロでも、あれがそんなに昔のものってことはないだろう。ひょっとしたら、この島が島流し用に使われなくなったころに建てられたものかもしれないね」

 お堂の格子戸の前に立つと、小型の南京錠が外れているのが目に入った。僕は子供のころに、ここに来たことを思い出した。あのときは、南京錠がしっかり掛けられていて、細い木製の格子から中を覗くことしかできなかった。結局、暗くて何も見えなかったが。

 父からは、このお堂には、西燕が掘ったという木製の阿弥陀如来像が安置してあると聞いたことがあった。

 僕は南京錠を取り外して、格子戸を開けた。

「なにしてんのん。勝手にそんなことしたら、バチ当たるよ」美礼は僕の腕を引っ張った。

「大丈夫だよ」根拠があったわけではないが、僕はそう言った。

 靴を脱いで中に入ると、久しぶりに差し込んだ太陽の光が埃を舞い上げて、鼻がむずがゆかった。お堂の隅には、もう長らく使われてなさそうな箒と塵取りが壁にもたれている。

 正面には、素人がDIYで作ったような粗末な棚があって、その上に無造作に高さ30センチほどの小さな阿弥陀如来像が置いてあった。鎌倉の大仏をそのまま縮小したような、座禅を組んだ姿をしている。像は長い年月をその身に受けてきたことを示すように、真っ黒に色づいていて目や鼻の凹凸が少しだけ削れている。

 僕はこの小さな木像に恐怖を感じた。長きに渡って祈りを一身に受けてきた像には、苦痛と怨念と死後への祈りが染み込んで溢れている。この島で死んだ罪人が、極楽浄土へ往生できたのかどうかは僕には知る術もないが、そうであって欲しいと願った。

「なあ。西燕さんはなんで、尊敬されたんかなあ」美礼が仏像をぼんやりとした目で眺めながら言った。

「それは、僕にはわからないよ。でも、ほかに頼れる人がいなかったんだろう。西燕さんも決して、楽ではなかっただろうね」

 それ以後、僕たちは一言も発せず、まるで呆けたかのように像を眺め続けた。

 お堂の外から、カラスの鳴き声が聞こえてきて、僕は我を取り戻した。

「今、何時かな? そろそろフェリーが来る時間じゃないか?」

 美礼はスマホを取り出した。暗いお堂の中でディスプレイが光って、低い天井を薄く照らした。

「あ、3時14分やね。そろそろ、行こか」

「うん」

 外に出て格子戸を閉め、南京錠をもとに戻した。

 僕は今日この島に来て良かったと思った。その理由は、僕が島に来たくなかったと思ったのと同じように、僕にはうまく説明できない。ただ、やはりこの島が僕のルーツなのだということは、強く感じた。

 次に来るのはいつになるだろう。おそらく、かなり先のことになるに違いない。


 3時30分になっても、船着き場にフェリーはやって来なかった。それどころか、3時40分になっても、4時になっても来ない。

「なんで来ないんだろう」

「事故でもあったんかな?」

「まさか、祭日は運航の時間が変更になるとか、そういうのかな」

 美礼はスマホで何かを検索し始めた。

 ふと後ろを見ると、島の住人に違いない70は過ぎてそうなおばあさんが、歩いていた。おばあさんは僕たちをちらりと見た。

「あの、すみません」と僕は声を掛けた。

「はあ。なんですか」明らかに、不審者でも見るような目だ。

「フェリーが来ないんですが、何かあったんでしょうか?」

「フェリー? 夕方の? もうだいぶ前に行ってしもたろ」

「え? まさか。僕たち、3時半よりも10分以上前に、ここに着いてましたけど、来てませんよ」

「あー。フェリーの時間、今月から変更になったんよ」とおばあさんは、僕たちが驚くべきことを軽い口調で言う。

「そんな、まさか」

「30分はようなって、3時に来るようになった。あんたら、知らんかったんかね?」

「そんなアホな。港のホームページにも、3時って書いてるのに」美礼は顔を真っ赤にして戸惑っている。

「変更し忘れたんだろうな」僕は意外に冷静だった。

 翌日も祭日なので、1日くらいはどうにかなるだろう。今は誰も住んでいない僕の祖父母の家もあるし、最悪でも鍵を壊して中に入ればいいし、野宿をしたところで、せいぜい蚊に刺されるくらいで死ぬわけではない。

「あんたら、ここに何しに来たん? 旅行かね?」とおばあさんが言った。

「墓参りです」と僕はとっさにウソをついた。

「墓参り?」

「ええ……。祖父母の墓がこの島にあるもので」

 おばあさんは瞼にしわの寄った目を僕の顔のほうに向けた。

「あんたひょっとして、燕さんとこのお子さんじゃなかろか?」

 不意に僕の苗字が呼ばれた。

「ええ、そうですけど」

「やっぱり。どっかで見たことある顔やと思ったんよ。久しぶりじゃね。お父さん、元気にしとるで?」

「ええ、まあ」

「秋のお彼岸に、お墓参りに来るなんて、若いのに感心じゃね。よう帰ってきたね。わたし、斉藤のおばちゃんよ。覚えとる?」

「あ、はい。いえ……」と僕は曖昧に言った。

「船、逃してしもたんやったら、うちに泊まって行きよ。どうせうちも、旦那も死んだし子供もよそ行ってしもたし、布団だけは余っとるんじゃけん」

「いえ、でもそんな。悪いですよ」

 斉藤さんは僕の両手をしっかりと握った。

「遠慮せいでもええ。子供のころ、うちに泊まったことも、あったろがね。ほかに泊まるとこもないんじゃろ? 遠慮せずにおいでえ」

「はあ」

 僕は美礼の顔を見ると、美礼は僕よりも困惑した表情をしていた。

「お嬢さん、あんたもお墓参り?」

「いえ……。祖父母がここの出身だったんですが」と美礼は言った。

「そう。お祖父さんのお名前は?」

「吉田っていうんですけど……」

 美礼がそう言うと、斉藤さんは少し曲がっていた背筋を、ショックを受けたようにピンと伸ばした。

「吉田! ひょっとしてあんた、保治郎さんのお孫さんかね?」と大きな声で言った。

「ご存じですか? そうです。私の祖父は吉田保治郎です」

 美礼がそう言うと、斉藤さんは目をつぶって手を合わせて、「なむあみだぶ、なむあみだぶ」と小さな声で何度か繰り返した。

 僕たちがその姿にあっけに取られていると、

「この島はお寺がないけんね、吉田西燕さんの弟子にあたる人がずっと養子を取るていう形で、ご供養してもろうてたんよ。最近はずっと、保治郎にいちゃんのお兄さんが西燕さんのお勤めをやってくれよったんじゃが、5年ほど前に、息子さんと一緒に船でひっくり返ってしもてね……」

「え?」

 僕もこのときはじめて、西燕の苗字が吉田ということを知った。思わぬところで自分の先祖のことを知った美礼のほうが、僕以上に驚いていたが。

 斉藤さんは構わず話を続けた。

「そいで、最近はずっと、仏さんのご供養をしてくれる人がおらんかって、遠くのお寺から来てもらっとったんじゃけど。うちの亭主のお葬式も、西燕さんのお経でお見送りできんかって、申し訳ないと思うとったんじゃが……。あなた、お名前は?」

「はあ。柚本美礼といいます」

「柚本さん、どうかうちのお仏壇でお念仏唱えてくれんじゃろか? 西燕さんの縁者の方がご供養してくださったら、うちの亭主も成仏できます。お願いします」

 斉藤さんは美礼に深々と頭を下げた。

「でも私、そんなんしたことないし……」

「般若心経だけでも、南無阿弥陀仏の一言だけでもええんです。お願いします」

 斉藤さんは顔を上げ、目に涙をためていた。

 美礼は僕の顔をじっと見た。僕は小さくうなずいた。


(了)

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善の所在 台上ありん @daijoarin

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