-5-
いったん基地へ戻ると、
ミーチャはビールをエサに、ヘリのパイロットを口説いてしまった。
なんと故郷の近くまで、乗せてもらえることになったのだ。
そこからさらにジープを借り、
ハイウェイをご機嫌な速度でかっ飛ばした。
この状態のミーチャに運転などさせられないから、
もちろんハンドルを握っていたのは僕だ。
自分にこんな陽気なマネができるとは、
その日まで知らなかったくらいである。
ミーチャはウイスキーのビンに直接口を付けて飲み、
僕も同じビンから飲んだ。
普段なら、そんな真似はしなかったろう。
戦争は終わった。隣には一番の友人がいて、
僕は、あの愛らしいカーチャと結婚するのだ!
今、
いつ有頂天になればいいのだろう?
そう、今だ。
今、自分の幸せな気分にフタをしてしまうくらいなら、
僕は一生幸せを知らぬままになる。
ほどほどの幸せに浸って、
最高の幸福を知らないまま墓場へ行く。
「そうだ、ペルホーチン。
女の穴から出て、自分の
結婚を墓場なんて言うヤツもいるが、そうじゃあない。
そんなのは、本当の最悪を知らないヤツの言葉だ。
なあ、ペルホーチン? 俺達は今まで最悪だった。
だから、そろそろ最高の幸せってものを知ってもいい頃だろう?
飛ばせよ、ペルホーチン。
どうせなら、ぶっ飛ばしていけ!
最高な気分ってのは、ぶっ飛んでるもんなんだ」
僕もミーチャも、凄くハイになっていたのは間違いない。
その離れは、
建ててくれたものだった。
僕は静かにエンジンを切ると、
ミーチャの耳元へ、忍び込んで彼女を驚かせてみるのはどうか、
と持ちかけていた。
もう夜が明けかかっていた。
だから、見間違いではないはずだった。
ただ、僕は凄く酔っていたし、
夜通し運転して疲れ切ってもいた。
信じたくなかった。
いや、信じる信じない以前に
受け入れる準備さえ出来ていなかった。
カテリーナは、別の男の腕に抱かれて眠っていた。
村で、一番ハンサムだと噂されてる男だった。確か。
突然、ミーチャがベッドを蹴っ飛ばした。
2人は何事かと
そのとき、男とカテリーナが同じデザインのエンゲージリングを
填めているのに気がついた。
ミーチャは、もう引き金を引いていた。
男の頭が吹っ飛び、もうハンサムかどうかなど、
どうだっていいような状態になって、ぶっ倒れた。
僕にも、手の
思い出していた。
「……ペルホーチン?」
そのときカテリーナが、震える声で僕の名前を呼んだ。
ミーチャは片手で銃口を突きつけたまま、
彼女の手から指輪を抜き取った。
裏側には、2人のイニシャルと結婚した年月が刻印されていた。
「僕が……出征した、翌月だ」
最前線の犯罪者部隊へ放り込まれたのと同じとき、
カテリーナは別の男と教会にいたのである。
「違うのよ! まさか貴方が、こんなに早く戻ると思わなかったから」
「手紙には、こんなこと書かれていなかった」
「お願い、話を聞いて?
私のことを愛してくれてるんでしょう?」
ミーチャから銃口を突きつけられてるというのに、
カテリーナは、少しも瞳を動かさずに僕を見ていた。
ついでに言えば、そこに血まみれで倒れている男へ
泣き叫ぶことさえしなかった。
僕は……捕虜収容所で、尋問を担当させられた。
捕虜は最初、質問されると、しきりに瞳を泳がせた。
けど、別の尋問官が入れ替わり立ち替わり現れて、
まったく同じ質問を浴びせていく。
すると、徐々に瞳の動きが少なくなっていくのだ。
嘘に慣れていくほど余裕が出てきて、
反対にそこだけ瞳を動かすまいとするようになる。
尋問室に設置された監視カメラ越しに、
その変化を観察するのだ。
僕らはこうやって、嘘を見破った。
何度も。
「君のお父さんから志願するよう頼まれたとき、
君の心は、とっくに僕から離れていたんだね?」
「違うわ、ペルホーチン! 私の瞳を見てっ」
彼女は、瞳を動かさない。
「僕を最前線の犯罪者部隊へ入れるよう指示したのも、
お父さんだったのかい?
そうすれば僕が死ぬか、仮に生き残っても、
僕らが戦場でやらかしたことをネタに、
約束を
彼女は、瞳を動かさない。
「そして、君達はお父さんが話を付けてくれるまで、
どこかに身を隠すつもりだったというわけだ」
「ねえお願い、私を信じて!」
彼女は、瞳を動かさない。
「無理だよ、カーチャ。
君はその後も、僕に嘘の手紙を送り続けた」
「貴方を愛していたわ、でも仕方がなかったの!
ねえ、お願いだから、その人に銃を下ろすように言って」
さすがのカテリーナも恐怖に耐え切れなくなったのか、
一瞬だけミーチャを見た。
彼は、この世の者とは思えぬ恐ろしい顔をしていた。
「俺達の祖国は死刑を禁じているが、
引き金を引くのも無理からぬという
だが、だがこいつはどうなんだろうな?」
「ペルホーチン、お願い!
この人に銃を下ろすように言って!!」
「スケはこう言っている。
ペルホーチン、お前が決めていい」
ああ、ここへ来るまでだった。
ここへ来るまでが、幸せの頂点だったのだ。
「結婚は、戦争と同じくらい人を狂わせる」
「そうよ! 私達っ、結婚するんでしょう!?」
ミーチャが、引き金に力を込めた。
高そうな羽毛布団に風穴が空き、朝焼けに
カテリーナは、腰を抜かしていた。
「なぜ邪魔をした、ペルホーチン?」
寸前、僕が彼の腕を
「ダメだ、ダメだよ、ミーチャ。
君は、女を撃ったことがないんだろう?」
「まだわからないのか? こいつは二本足の豚だ!
女じゃあない」
「それでもダメだ。
勝利の女神が去ってしまったら、どうするつもりだい?
君は僕から、
たった1人の友人まで奪うつもりなのか?」
彼には、彼だけのルールがあった。
いつでもミーチャは、それに従ってきたはずだ。
命令よりも、
ミーチャは自分自身のルールを一番大切にしていたはずだった。
そんな彼が、僕のためにルールを曲げようとしてくれた。
それで、それだけで充分だった。
不意に、どうしてミーチャが捕虜を1人1人、
自分の手で撃ち殺そうと思い立ったのか気が付いた。
きっと僕とミーチャは同じだ。
僕達には、最初から故郷などなかった。
帰る場所がないというのは、
こんなにも途方に暮れた気持ちにさせられるものだったのか。
みんなが平和な世界に浮かれている中、
これからどこへ向かえばいいと言うのだろう?
大人になってからも、
迷子になることはあるのだ。
カテリーナは、ようやくトマトのように
恐怖で近づくことが出来ず、ただ泣いた。
僕とミーチャは、引き返して裏口へ向かった。
キッチンを通るとき、
いつか彼女が好きだと言ったカサブランカが、
花瓶に生けられているのをみつけた。
カサブランカはお祝いのときに送れば、
『
また男と女の間に送られるとき、
それは『
来るときは、気がつかなかった。
花瓶の水は
僕らはそのまま、国境を越える羽目になった。
離れを出るとき、ミーチャは電話線をブチ切っていたが、
それでも、よく逃げ
もっともミーチャは捕まっても、
けど、
認めてくれるとは思えなかった。
流れ流れて、今はサンフランシスコのバーで
それより詳しい場所は言えない。
僕らは、そういうご身分ではなくなっていたし、
人間はどんなことにも慣れるものだ。
これはこれで、案外、楽しくやってるつもりでいる。
ただ困らされたのは、どんな仕事でもミーチャは長続きしないことだった。
正直、頭が痛かった。
結局、まともな仕事に
もともと、ミーチャは地元でマフィアの用心棒をしていた時期もあったらしい。
要するに昔取った
軍で実戦を経験していたことも、
高く買われることになった。
ただ回ってくるのは、キナ臭い仕事ばかりだ。
大抵はどこかの誰かが、
見晴らしのいい丘へ置かれた石板に
名前と
それでも仕事の前だけは、ミーチャも酒を飲むのをやめる。
普段から、彼の飲み過ぎに悩まされていた僕にとって、
これは歓迎すべき事だった。
酔っぱらったまま引き金を引くのは、
ミーチャはそんなことを言っていた。
彼の女神に対してか、死に対してか? それは、知らない。
どちらでも、大した違いはないだろう。
ともかく少しの間、彼の
金を手に入れた後は、また酒を飲みに行った。
まあ、最悪という程じゃない。
俺の肩には、女神が尻を乗せている 籐太 @touta
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