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僕らは山岳地帯さんがくちたいに暮らす少数民族の集落しゅうらく

襲撃するよう命じられた。


この集落がゲリラに協力していたのは、疑いようがない。

食料や医薬品が貯め込まれていただけでなく、

地下へ隠した倉庫に大量の弾薬や小銃しょうじゅうの部品まであるのを発見したのだ。


ただし大した抵抗ていこうはなく、

住民は1人残らず、広場へ集められることになった。


周りには草木の一本も生えず、

急な斜面には乾いた土と剥き出しの岩がゴロゴロ転がっている。


そこは山羊やぎを飼う以外にどうやって暮らしているのか、

不思議に思うような土地だった。


上官は、彼らを皆殺しにするよう命じた。


食料と医薬品の補給ほきゅうだけなら、戦時法せんじほうでも問題ない。

だが武器の補給は別である。

これを使って仲間が殺害されたかもしれないと言われれば、

否定のしようがなかった。


しかし、彼らは明らかに兵隊ではなかった。

若い男はほとんどおらず、老人ばかりが目立っていた。

他には、女と子供だけだ。


要は、他の集落への見せしめに過ぎなかったのだろう。


どうも、上官は最初からこうすると決めていたらしい。

おそらく、もっと上から降りてきた命令だったんだろう。


正直言って、僕はただ青ざめて立ち尽くしていた。

兵士というのは、命令には逆らえない。


しかも、他よりも明らかに粗暴そぼうな者ばかりを集められた犯罪者部隊が、

これからこの長閑のどかな集落にどんな地獄を描き出すのか?


想像するだけでも怖ろしかった。


「他はかまわないが、女は撃てない」


突然、そう言った者がいた。

無論のこと、上官は烈火れっかのごとく怒り出した。


「フェミニストにでもなったつもりか、ミーチャ!?」

「俺をミーチャと呼んでいいのは、友人だけだ」


そう、ミーチャだった。


「おたくには見えないかもしれないが、

 俺の肩には、今も女の尻が乗っている」

「なんだと?」


「名前は、勝利の女神という。

 女を撃つと機嫌をそこねる可能性がある、

 だから女は撃てない」


上官は、ミーチャの眉間に銃口を押しつけた。

ミーチャはポケットからしおれた煙草たばこを取り出すと、

ゆっくりした動作で火を点けた。


「撃てないと思っているのか? 貴様!」

「さあね、俺は女を引っぱたいたことなら何度もあるし、

 泣かせた数はもっと多い。

 だが、女を撃ったことは一度もない。それだけだ」


ミーチャが煙を吐き出す。

いつの間にか、その向こう側に数名の隊員が集まっていた。

皆、ミーチャを支持するように上官をにらみつけている。


だが、士官には当然、護衛ごえいの兵が付く。

彼らは即座に小銃をかまえ、

いつでも発砲できるようミーチャ達を包囲したのだ。


それ以外の隊員はにやにや笑いながら、

事の成り行きを見守っている。


「ほ、捕虜ほりょとして、収容所へ送るのでは?」


たまらず、僕はそう口走っていた。

ただし、声が震えるのを隠し切れていなかったように思う。


「住民がいなくなれば、どうせ殺したと噂が立ちます」


無視されるかと思ったが、

ミーチャは火をけたときと同じく、

ゆっくりした動作で煙草を踏み消した。


「さすがはペルホーチン先生、

 悪くないアイデアだと思うがね」


「バカを言え! 手間が掛かり過ぎる」


だがそう言う上官の瞳にも、かすかに迷いが見て取れた。


「どのみち、死体の処理も俺達にさせるつもりなんだろう?

 だったら自分の足で歩いてもらった方が、

 こっちも楽ができるはずなんだがね、なあ?」


様子見を決め込んでいた隊員も、

これには同意を示したのだ。


上官は、自分がこの犯罪者集団から嫌われているのを知っていた。

そして戦場では、時折、背後から流れ弾が飛んでくることも。


「チッ、勝手にしろ」


結局、そう吐き捨てて、

引き下がってしまったのだ。


もっとも、ほっとしたのも束の間のことだった。

このゴタゴタのせいで、僕達の撤収てっしゅうは遅れることとなった。

なんと、その集落で一晩明かさねばならなくなったのだ。


ゲリラの補給地であるということは、

つまりここが彼らの勢力圏内であることも意味する。


そんなところにわずかな部隊でとどまれば、

襲って下さいと言ってるようなものだったろう。


あんじょう、僕らは包囲され、夜襲を受ける羽目になった。


僕は、こういうとき星の光だけで敵をさがすのは、

余程訓練を積んでいなければ無理だということを学んだ。


できたことと言えば、心の中で祈るくらいだった。

神様とカテリーナが交互に現れ、

生と死の境界を何度も往復させられた。


やがて、銃声が止んだ。

爆音で馬鹿になった耳が、誰かから名前を呼ばれるのを聞いた気がした。


ペルホーチン准尉じゅんい、すぐに来てください。


僕は、先程、爆音があったほうへ

足を引きずるようにふらふらと近づいていった。

そこには指揮所があるはずだった。


だが、それらしいものはどこにも見当たらない。

上官とその取り巻きは、まとめて吹き飛ばされていた。


たとえ、僕よりずっと優秀な医者だったとしても、

たとえ、将来どれだけ医学が進歩したとしても、

きっと同じ診断を下したことだろう。


つまり、もう手遅れだと。


「申し上げにくいのですが、

 今、部隊で一番階級が高いのは、ペルホーチン准尉です。

 指示をお願いできませんか、准尉?」

「……ドミートリー軍曹ぐんそうは?」


呆然としながらも、かろうじてそう聞いていた。


「はい、ドミートリー軍曹が包囲の外から攻撃してくれたのです。

 おかげで、敵を追い払うことが出来ました」

「……わかった、とにかくこの場を離れよう。

 捕虜は置いていく、かまってる余裕なんかないからね。

 それから、実質的な戦闘指示は彼に任せるべきだ」


どうやらミーチャは襲撃を読んで、

最初から集落の外に自分の分隊ぶんたいを待機させていたらしい。


どこまでが事実か知らないが、

とにかく報告書には、こう書かれることになった。


『報告のあった集落を調査中、我、大量の武器弾薬を発見せり。

 同時に、働き手となるはずの20-40代男性が極めて少ないことに気付く。


 つまり集落は単なる補給地ではなく、

 ゲリラ兵そのものも、補給している可能性が高いと判断。


 住民は、ゲリラの家族である。

 敵を誘き寄せるため、これを一時拘束することとした。


 我々は臨機応変なる状況判断から、

 普段は隠れ潜み、奇襲とテロを繰り返すゲリラ兵を

 正面から多数撃破することに成功したものである。


 この戦果に対し、

 犠牲はわずかなものであった。』


これは僕の想像なのだが――

おそらくお偉いさんの中に、この犯罪者部隊が制御不能と判断されれば、

困ったことになる人がいたのではないだろうか。


ともかく、僕らは無事帰還きかんを果たし、

事なきを得た。




その夜、僕は隊の仲間からミーチャの行きつけの酒場を聞き出していた。

果たして、彼はそこにいた。


僕は思いきって、ミーチャの隣へ腰を落ち着けたのである。


「同じ物を」


店の主人にそう言うと、なぜか苦笑にがわらいされた。


「ミーチャは、うちじゃ一番安い酒しか飲まない。

 どうせ祝杯を挙げるなら、もっといい酒を頼んでくれるとありがたいんだけどね」

「とっておきは、いざってときまで残しておくものさ」


ミーチャは、グラスの中で氷が溶けていくのを

ながめているらしい。


「それに安い酒の方が、手早く酔える。

 いい酒でなきゃ酔えないなんてヤツは、

 反吐へどを吐かない代わりにクソを垂れてる。


 どっちも酷い臭いだが、反吐を吐くほうが、

 まだしも正しい酔っ払いってもんだろうさ」


「同じ物を」


僕は、もう一度繰り返した。

すると主人はあきらめたようにグラスを運んできた。


「なにか用かい、ペルホーチン先生?」

「実は、貴方にお礼を言いたくて」


「よしてくれ。

 連中は、自分の女や家族を取り戻そうとして攻撃してきた。

 つまり男と男の勝負だった。

 誰かに礼を言われる筋合いじゃない」


「もちろん、そのこともですが」


僕もミーチャと一緒になって、

氷が酒で溶けていくのを眺めた。


虐殺ぎゃくさつを命じられたとき、反抗はんこうしてくれたでしょう?

 おかげで、その……ほこりを捨てずに済みました」


そのとき、からんと音を立てて

グラスが笑ったような気がした。


「俺達は死刑の代わりに戦場へ送られてきた。

 だが、どうせ死ぬなら納得して死にたい。

 こいつになら負けてもしょうがないってヤツと戦って死にたいし、

 せめて男のまま死にたかった、それだけだ」


「わかります」

「そいつは、意外だね」


僕は、一口グラスを傾けた。

安物の合成酒だった。


「僕には、結婚の約束をした女性がいるんです。

 もし無抵抗な女性を撃っていたら、

 もう彼女の前には立てなくなっていたでしょう」


ミーチャは、相変わらず氷を眺めている。


「だから、僕も男のままでいたい。

 彼女の前では……いえ、たとえ彼女が見ていなかったとしても、

 僕は男のままでいたい。ただし……」

「ただし?」


「僕は、男のまま生き残りたい」


残りの合成酒を一気に飲み干す。

最後まで言い切るには、勢いが必要だった。


「隊の仲間も、できれば死なせたくないと思ってます。

 もちろん……軍曹のことも。

 即死しない限りはですけどね」


ミーチャは少し可笑しそうにすると、

彼もまた一息にグラスを空けてしまう。


普段の彼は、この世の者とは思えぬほど恐ろしい顔をしている。

爬虫類はちゅうるい獲物えものを狙うときさえ表情を変えないような

不気味さをただよわせているのだ。


でもいったん笑うと、不思議なくらい人懐っこくなった。

今の彼は、まるで寂しげな子犬のように見えたのだ。


ミーチャは、グラスを主人の方へ突き出した。


「おかわりかい?」

「いいや、ウイスキーがいい。

 本物のアイリッシュウイスキーがあったはずだ」


グラスは、当然のように2つ運ばれてきた。

彼の周りでは、よくあることだったのかもしれない。


言わば、ミーチャ流の儀式だったのだろう。


「いいんですか、ドミートリー軍曹?」

「ミーチャだ、先生。友人はみんな、俺をそう呼ぶ」


ミーチャが、グラスを差し出してくる。

軽く打ち合わせると、ガラスのんだ音色ねいろが心地よく響いた。


ストレートのアイリッシュウイスキーは少しきつかったが、

それまでの人生で、間違いなく一番美味うまい酒だった。


「よろしく、ミーチャ」

「よろしく、ペルホーチン」


アイルランドの至宝しほう、ブッシュミルズ蒸留所じょうりゅうじょのシングルモルト。

これこそミーチャにとって、とっておきの一本だった。

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