#5

 何か用事でもあったのだろうか。

 扉が閉まる音を背にし、横の壁に寄りかかる。携帯電話の画面に見えた名前は高校のクラスメートだった。画面のボタンを押して、耳に当てる。

「もしもし?」

『さっさと出ろよ』

「……お前かよ」

『悪かったな、おれで』

「いや別に悪かないって」

 ディスプレイに表示された名前とは違う声に脱力感を覚える。天城といい、どうして今日はこう斜め上に向けて予想を裏切ってくれるのか。

 別に何が悪いとか文句を言うわけではないけど、なんというか、もっとこう、想像通りにことが運んでもいいのではないかと思わずにはいられない。いや全て思い通りに行くのは、それはそれでつまらないから逆の発想だと考えると――つまりは、いいのか?

「それで、何だよ。何か用件あったんじゃねえの?」

 気を取り直して聞けば、そうだよ、なんて不服そうに返された。なんだか理不尽な攻撃を受けているような気がしなくもない。後ろの方で本来の携帯の持ち主が、彼をなだめる声が聞こえる。無断の拝借でなくて何よりだ。

『おまえに会いたいって奴がいるから電話を借りたんだ』

「誰だよ?」

 冬休みに入ったばかりのこの時期、そんなことを言う人物なんてそういない。

 ひとつ上の友人だろうか――と考えて即座に否定する。あいつの性格上、それは有り得ない。人に頼るくらいなら堂々と乗り込んでくる奴だ。もしくは傍観するだけ。

「なになに、俺のファン? そっかー、弱ったな。俺の知名度もそこまで広がったか」

『馬鹿か』

 身も蓋もなく、さらに言えば隙もなく一蹴するとはどういうことだ。へこむじゃないか。

 声が聞こえなくなり、代わりにくぐもった音が聞こえる。

「おーい、りょう?」

『――透也?』

 呼びかけてみると、予想だにしない声が返ってきた。

 半開きの口のまま固まる。あ、とも、う、とも言えない響きが口から漏れた。

『久しぶり』

 まずは落ち着こうか。いや、とにかく落ち着け。とりあえず落ち着くんだ俺。落ち着けばなんとかなる気がしなくもない。最初に根本的なことから訊こう。うんそうしよう。

「……なんでいんの?」

 一年と少しぶりに聞く彼女の声に、嬉しいような、泣きたいような、あきれるような、そんな感情がこみ上げてくる。

『随分ひどい言い草だね。帰ってきたら話すよ』

 天城とよく似た口調。それでいて天城とは違う声音。ああ、この声は――

「もちろん。洗いざらい話してもらうかんな、逃げんなよ」

『誰がよ』

 その後代わった携帯の主に礼を述べ、耳から離した携帯の電源ボタンを押し、カバーを閉じる、たったそれだけの動作がいやに長く感じられて。果たして自分の携帯はこれほどまでに重かっただろうかと錯覚すらしてしまう。

 ――ああ、そうだ。思い返せばそうなのだ。

 コーヒーなんて、大人が飲む眠気覚ましとしか認識していなかった自分が、どうしてこだわって飲むようになったのか。今ではカフェに付き合ってくれる天城を、どうして笑わずにいさせたか。

 なんのことはない。それより以前、自分に入れ知恵をしてくれていた人物がいたからだ。天城を見ながら、果たして自分は誰を見ていたのか。

「うわあ……」

 忘れていたきっかけを思い出すと、自分でも情けない声を上げ、携帯をつかんだままずるずると床に座り込んだ。

 顔から火が出そうだ。手汗も凄い。よく震えなかったものだと感心する。

「終わったか――ってうわ、大丈夫かよ」

「あー……問題ない」

「どこかだ」

 やってきた結城に片手を上げる。確かに、頭を抱えてしゃがみこんだ姿は間違っても電話が終わった後の体勢ではない。

桐生きりゅうから、なんだって?」

「いっや、なんでも――」

 答えかけて止める。

「あれ、なんでお前が知ってるんだ?」

 隣を見上げて尋ねた。

 覚えている限り、電話がかかってきたときに結城が携帯電話を見た場面はなかった。取ったのは天城だ。結城のわずかに見開かれた目の意味を、こちらが知るわけもなく。

「あいつ、説明してないのか」

「は?」

 聞き返した言葉がなんと滑稽こっけいに響いたことか。

 嘆息たんそくした結城は壁に寄りかかると、こんなことを話し始めた。……おい、その前に仕方ないってつぶやいたの聞こえたぞ。

「頼まれたんだよ、桐生に。お前を連れ出してくれって。天城が」

 前後が色々とおかしい。つまり彼が言いたいのは、桐生から天城に自分を連れ出してくれと言われた、ということだろうか。思わず指を差した。

 それは、もしや。

「誘拐犯?」

「人を差すな。身の代金はカフェ代」

 しれっと返され、悪戯が成功した子どもみたいに笑われる。ああ、これは。もしかしなくても――

「やっすいな俺」

 やられた。そう、覚えがありすぎた。あれは初めから計画されていたものだったのか。

「逃げるつもりが、お前のせいで駆り出された」

「それは陣さんの手腕だ、陣さんの手腕。俺関係ねえもん」

 本日最初に結城に会ったときのあの態度は、決して嘘ではなかったということだ。それだけで、自分と同じく巻き込まれた側だと知って変な共感を覚えた。

「天城すげえ」

 ひとつ優位に立ったと思ったら、いつの間にかやりこめられていたなんて。これだから女子は怖い。

 貸しにするどころか、延滞料金が必要なほどの借りを作ってしまった。

「ありがとな」

「じゃ、クリスマスプレゼント」

 いかにも言いたくなさそうな結城の態度と柄にもない単語に吹き出しかけるが、差し出された右手を見つけて慌てて飲み込んだ。しばらく逡巡しゅんじゅんし、代わりの返事をする。

「出世払いで返す」

「却下。年内に現物で返せ」

「いやいやいや、無茶言うな!」

 今日が何日だと思っている。年内があと何日残されていると思っているんだ。

「じゃあ借りひとつ」

 それもなんだか悔しい。

「――あーもう、年内に、現物で、だよな!?」

「わかってるじゃん」

 自棄やけになって叫んでも簡単にあしらわれる。本当にこいつらは性格が悪い。

「つーかなんで年内?」

「明けたらそんな余裕ないだろ」

「あー……受験生でしたね俺ら」

 結城のひと言で現実に帰ってきた。強制送還とはまさにこのことだ。

「――なんだなんだ、二人して秘密の会議か?」

「そんなとこ」

「違うだろ」

 扉から空いて陣さんが顔を出す。適当に返したら、即座に結城から否定された。

「ひどいよね、一人だけ仲間外れにするんだから」

 陣さんの後ろから出てきた天城にも言われた。別に仲間外れにしたわけではないのだが。そもそも俺に電話がきたから外に出ていただけであって、そこにあとから結城がやってきたのであって。

「……俺のせいじゃねえ」

「なにが?」

 独り言のつもりだったのに隣の結城には聞こえていたようで、なんでもないと返す。

「みんな今日はありがとう。こっちは凄い助かった」

「たまには悪くないんじゃない?」

「そんな、陣さんの頼みだもの。私の手が必要だったらいつでも言って」

「頼りにしてる。よし、撤収するぞ」

 陣さんと結城が並んで背を向けた後、天城から意味ありげな視線を送られる。片手で詫びて見せると、天城はわずかに目を細めて微笑み、陣さんたちの後に続いていった。

 大丈夫、――うん、大丈夫。

 今ならどんなことでも乗り越えられそうな気がするんだ。根拠は全然と言っていいくらいないけれど。

 それでも終わりに待つのがハッピーエンドなら、それはとても素敵じゃないか。



  了

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めりー・めりー・でい 季月 ハイネ @ashgraycats

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