第1話 ラクルス共和国
「47のA、47のAと・・・ここか。」
私は自分の席に座るなり、よほど疲れていたのかそのままぐっすり眠りについた。
私が目を覚ましたのは、朝食の機内食が配られはじめた頃だった。窓からは明るい陽が差し込んできている。私はしばらく眼下に広がる険しい山々を眺めていた。
「ぐっすりとお休みのようでしたな。」
ふいに隣の席の男性が話しかけてきた。初老のその男性は、落ち着いた表情や身なりから上品そうな紳士にみえた。
「そうですね・・・ずっと仕事ばかりの毎日だったので・・・」
パンを手に取りながら答えた。
老紳士は名刺を取り出し、私に手渡した。渡された名刺を見てみるとそこには
≪明京大学 考古学研究室 考古学者 引出 譲二≫とあり、裏をみると
カタカナとローマ字で≪Dr.インディー・ジョージ≫と書かれていた。
(・・・インディー??)戸惑っている私に老紳士は説明を始めた。
「私の名前は、ひきで じょうじ と言うのですが、読みにくい上に外国人には発音が難しいらしいので音読みして、呼びやすい名前で自己紹介することにしているんですよ」
呆気に取られている私に、海外では当たり前のことだというその男性。
そのあと、何気ない会話がしばらくかわされ、その初老の男性はラクルス共和国には仕事で何度も来ているということがわかった。
「もう、ここが第二の故郷のようなものですな。」
そう言って男性は笑った。
「フォウスロウインへは観光で行かれるのかな。だったら現地でガイドを雇ったほうがいい。何しろ英語もろくに通じないところだからね。よかったら知っているガイドを紹介してもいい。いかがかな?」
男性の問いかけに、私は喜んで答えた。
「実はその件が心配だったんです。助かります、是非とも紹介して下さい・・・」
機内アナウンスがながれ、間もなく着陸態勢にはいることを告げた。飛行機が大きく旋回をはじめる。
男性から住所と電話番号を書いた紙を受け取りながら私は聞いた。
「フォウスロウインへは、またお仕事ですか。」
男性は一瞬、深刻な表情になり言った。
「・・・・・・復讐・・・だよ・・・」
びっくりして言葉を失っている私を見て、男性は元の穏やかな笑顔に戻って言った。
「はっはっは、冗談だよ。私としたことが悪ふざけが過ぎたかな。いやいや、申し訳ない。」
私はいたずらっ子のように首をすくめて笑う男性をみて、一緒に笑った。
「ところで、その時計・・・」
男性は、私のしている腕時計を見て言った。
「これですか、これは随分昔に祖父からもらった時計ですが、どうかしましたか。」
「うむ、実は私は時計のコレクションが趣味でね、いろいろな国の変わった時計を集めているのだが、その時計は実に素晴らしい。どうだね、私に譲ってはもらえないだろうか。無論、相応のお金は支払う」
私は自分の腕時計を改めて見てみた。大学入学の祝いに近くの時計屋で買ってもらったもので、どうみてもそんなに価値のあるものにはみえない。考えている私に男性は財布を出しながら言った。
「今、あいにく日本円は両替してしまって、現地のラクルス共和国の通貨しかないがいいだろうか?」
そういって差し出されたお金が現地のすべての滞在費と土産代を足してもお釣りがくるくらいの高額だったため、私は時計を売る事にした。
軽い衝撃があり、飛行機は無事着陸したようだった。まだ狐につままれたような気分の私を残して、男性は簡単な挨拶の後、さっさと降りていってしまった。
(もしかして、偽札か?・・・でもガイドブックに載っているお金と同じだし、透かしもある・・・)
試しに使ってみる事にした。空港の売店でおそるおそるジュースを買ってみる。店員は黙って受け取る。何も問題ないようだ。
他の店でも試してみたが大丈夫だった。やっと安心した青年は自分がかなり得な取引をしたことを実感した。
タクシーの運転手に、紹介してもらったガイドの住所を見せ市内に向かった。紙に書いてある名前を告げると、ちょっと小太りの、陽気な男がでてきた。なんとなく人の良さそうな人物だった。男に訳を話すと、快く滞在中のガイドを引き受けてくれた。
宿泊するホテルは、ガイドの男が手配してくれた。部屋に入るとこの街のシンボルでもある神秘的な湖、ローエン湖が見える。
絶好のロケーションに満足しつつ、翌日の観光の打ち合わせをした後、明日に備えゆっくり休むことにした。
翌朝、目を覚ますと私は窓の外に目をやった。霧に煙るローエン湖に一艘、また一艘とヨットの帆が揺れながら進んでいく。
中世の町並みを残すこの街の中で、最も古いといわれる教会の鐘の音が響きわたる。その音に誘われるようにホテルの外にでた私はしばらく朝の散歩を楽しむことにした。石畳の並木道の両側に歴史的な建物が続き、道端には露店からあふれた新鮮なフルーツの香りが漂う。
違う時代にタイムスリップしたかのような錯覚にとらわれながら、私は散歩を楽しんだ。
その後、部屋に戻って朝食を済ませた私は待ち合わせの時間に、ガイドの男の待つロビーにおりた。そして街の観光に出発した。
この日の予定の観光を一通り終わり、ホテルへもどる途中、橋の上でたくさんの花を抱えて泣いている小さな女の子がいた。
なんとなく放っておけない気持ちになった私は、ガイドの男を通じて訳を尋ねさせた。ガイドの男が言うには、この女の子は貧しい家の子で持っている花が全部売れなければ家に入れてもらえないのだが、今時、子供が売る花なんてそんなに売れるわけがなく、途方に暮れて泣いていたと言うのだ。昔からバカがつくお人好しとよく友人から言われる私は、その話を聞いて花を全部買ってあげることにした。
女の子はとても喜んで、何度も何度もおじぎをしながら帰っていった。私は少しでも人の役に立つことが出来たと思うと気分が良かった。ガイドの男は私の行いに感心していたが、しばらく歩いて一軒の店の前で立ち止まり言った。
「この店は一人の女性がやっている刺繍の店ですが、まぁ一度覗いてみて下さい」
私が店の中に入るときれいな刺繍製品が並んでいて部屋の片隅で一人の中年の女性が刺繍製品を作っていた。
「この女性は数年前事故に遭い、ご主人を失い、自身も失明してしまったのですが、残された二人の子供と年老いた母親の為に刺繍製品を売ったお金でほそぼそと暮らしているのです。値は少々張りますが、見て下さい、この出来栄え。とても盲目の女性が作ったものだと思えないほどでしょう」
そう言われて商品をみてみると確かに少し高い気がするが、それも仕方がない気がした。私は少し考えた後、いくつかの刺繍製品を購入した。盲目の女主人は丁寧にお礼を言って私の好意に涙ぐんだ。
私はここでも少し人の役に立てたような気がして満足だった。
翌日は、郊外のユーケンハイムへ向かった。これらの手配もすべてガイドの男に任せた。少し高いような気がしたが私は彼を信頼していたので列車の手配や観光のあらゆる手配は任せることにしていた。
麓の駅から登山列車に揺られながら山頂を目指す。途中、色鮮やかな高山植物が斜面に広がり目を楽しませてくれた。
そして頂上に着き私は思わず、声をあげた。目の前にはまぶしい白銀の世界が180度のパノラマで広がっていた。
雲は眼下に海のように浮かび、遠くの峰々は神々しく輝いてみえる。本当に素晴らしい景観だった。
その次の日も青年は展望デッキがついた山岳特急で列車の旅を満喫した。目もくらむような峡谷を走り抜け、信じられない高さから落ちる滝の側をとおり、岩山をくりぬいたトンネルを出たところで列車の旅は終了した。
さまざまな観光を堪能して帰る頃には時計を売ったお金のほとんどを使い切っていた。
私はお金も使ったが素晴らしい旅ができ、少しは人助けもできたので、さわやかな気分で帰国の途についた。
私は飛行機の中で、自分が旅をしたかった理由がこの満足感を味わうことにあったのだと、改めて実感していた。
私を見送ったガイドの男は、一軒の家に入っていった。そこはあの盲目の女性の刺繍店だった。
「お帰りなさい、あなた」
「お帰りなさい、パパ」
家の中にはあの花売りの少女もいた。
「いやー。今回は、あの馬鹿がつくほど人がいい青年のおかげで、かなり儲かったな」
上機嫌で男はテーブルに売上金であるお金を置いて、椅子に腰掛けた。
「ほんと、ご苦労様」
男にビールを注ぎながら女性も上機嫌だった。
「今回は本当にうまくいったなぁ。おまえ達の演技力もなかなかだったぞ。あの青年すっかり騙されていたようだし。まぁ、昔ほどたくさんお金を使ってくれる旅行者は減ったけど」
男はテーブルの上に積みあげられた紙幣を見ながら満足げにビールを飲んでいた。
そして、あまりに嬉しかったのか身振り手振りで今回の事を話しはじめた。
ふとした拍子に手が当りビールを倒してしまった男は慌てて瓶をおこし、笑いながら言った。
「あーしまった、テーブルが水浸しだ、いや、ビール浸しかな、ハハハ・・・。早く拭いてくれ・・・ハハハ」
ぬれたテーブルの上の紙幣をながめていた少女が声をあげた。
「パパ、お札が・・・」
テーブルの上のお札を見ると濡れた部分から色が変わり始めている。
「ややっ、これは・・・。どういうことだ・・・偽札か?!」
唖然としみ見ている三人を尻目にお札はどんどん色と模様を変えはじめ、やがて肖像画のようなものが浮かび上がった。
覗き込む三人。
そこには・・・機内で私が出会ったあの老紳士が、意地悪く舌をだした表情で浮かび上がっていた。
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