知らない(ふりをする)ことも罪ですが……。

 組織的な情報操作、事実の隠蔽やプロパガンダ(政治宣伝)の影響もあったかもしれません。

 私の知人も共同住宅の党派がらみか何かで長年、集団ストーカーや生活プライバシー剥奪、地上げ屋的な嫌がらせのような被害にあっていたそうです。後にそのことが発覚すると加害者の一人が逆ギレして騒音を立てたりするようになり、周囲の住人が何人も引越してしまいました。しかしそれまでは、被害にあっていた知人の方がとりあってもらえず、変人扱いされたりしていたようです。

 組織や集団は人間の力を、良くも悪くも増幅します。惰性がついて皆がヤバいと思っても誰も言い出せず、止まらなくなってしまうこともあります。悪者を懲らしめていたつもりがリンチ事件の加害者になっていたり、食わせて神輿(みこし)を担がせていた連中が暴走して、一緒に心中させられる破目になったり……。ホロコーストにおいても、何度か映画化された『スタンフォード監獄実験』のような、集団的精神病理が働いてしまったのかもしれません(『ミルグラム実験』というのもあったようですね)。

 科学技術だけでなく、心理技術や組織技術の悪用・誤用も要注意です。毒ガス、洗脳、『省庁』組織などで凶悪犯罪を行ったオウム事件もそうでしたが、現在でも新技術による犯罪・事故や特殊詐欺、組織的不祥事などは後を絶ちません。一人一人の罪は小さくても、戦争ともなればその人達自身も含め、数百万人が犠牲になるのが恐ろしい。ニーメラー牧師の詩を思い出しました。

 強制収容所で虐殺に加担した親衛隊員達も、その冷酷さを買われて(?)か、後に武装親衛隊髑髏師団という戦闘部隊に編入され、東部戦線に送られて人員がほとんど入れ替わるほど損耗し、大部分が生還できなかったそうです。戦争で冷酷粗暴、無思慮で無責任な人々が『淘汰』されたおかげで戦後の繁栄があったのだとしたら、それも恐ろしい。もし同様の状況が生じたら、無辜の人々を巻き添えにしてまた同じことが? と考えると、さらに恐ろしい。両者の境界は相対的・連続的なものであり、我々自身がそのどちらにも含まれ得るのですから……。

 科学・技術(社会的な事実認識)が発達すると、経済・社会活動(現実行動)は豊かになるが大規模化して、複雑化・急速化します。そこで、必要とあれば大勢が動くが、それに当たっては衆知を生かして事前審査・事後改善ができるよう、制度・政策(意思決定)は巨大化と同時に分権化し、内容的にも高度化します。皆で考えることが、可能かつ必要になります。

 敗戦などで膿(うみ)を切って出した時期なら、各組織・個人が新しい仕事に励んでいれば、あとは個々の利益を追求してもよかった。しかし、その後の技術革新による社会変化や副作用が大きく現れてきた今日のような時代には、再び悲劇を繰り返さずに次の時代を拓けるような、新しい技術や政策について皆で話し合い、考えていくことが必要と感じます。

 突然食糧生産が壊滅したり、錯乱性の疾患が流行ったりしたら、治安の悪化を防ぐのは難しい。しかし、皆で食料を分け合ったり、対策を考えたりすれば解決できるのに共食いを始めてしまうのは、政策や民度に問題がある。技術と政策、両方が必要だと思います。

 富の生産を行って、社会の豊かさを保つ技術としては、
物的資源の枯渇や環境破壊を低減する新素材・エネルギー技術。
人的資源の経年・経代劣化を人道的に防ぐ医療・教育・ICT技術。
資源の再分配・再投資をよりよく行う人口知能・ビッグデータ技術。

 富の分配を行って、社会の健全性を保つ政策としては、
新しい技術を適切に開発し、実用化して普及させる科学・技術政策。
政策を考え、支え、受けて活かせる人材を育む教育・保健政策。
経済・社会における再分配と再投資を両立させる社会・経済政策。

 今なら、新しい技術が生まれつつあるし、政策を考えて行える余裕もあると思います。悲劇の教訓を踏まえつつ、人類がより良い未来を築いていけるよう期待したいです。


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