雨の上がった日曜日

芳賀 概夢@コミカライズ連載中

雨の上がった日曜日

「ちょっと子供っぽかったけど、まあまあかな。……で、来週は何を見に行く?」


 一志は、いつもの決まり文句を耀子に投げかけた。

 投げかけられた耀子は、一志から少し離れて映画館のホールを出たばかりであった。

 片手に持ったコートやハンドバックを周りの人に引っかけないように気をつけている。

 しかし、少し前を歩く一志は、さっさと歩き、同じように映画館から出てくる人波を横へ逃げる。

 その後ろから慌てて、耀子も人混みを抜けて薄いイエローのワンピース姿を見せた。


「俺は今度、見たいアニメがあるんだよ。まあ、二人とも二十歳過ぎだけどさ、大人向けのストーリーだから。来週は……」


「らっ、来週は……」


 耀子が、一志の言葉を少しだけうわずったような声で遮った。

 そして、視線を落とす。

 一志の視界から、彼女の顔が見えなくなる。

 仕方なく、一志はしばらく、彼女の少しパーマのかかったショートカットを見つめていた。

 しかし、一向に話し始めない。

 一志は、うつむき加減のままの耀子を少しのぞき込むようにする。


「ん? 来週、用事?」


「う、うん……」


 顔を上げず耀子がうなずいた。

 そして、いつものコースを歩きだす。

 この後は喫茶店で、見てきた映画の感想や次の映画の予定を話しながら過ごすところだった。

 もう、そういうスケジュールで二年間は過ごしている。


「じゃあ、次は再来週の日曜日?」


 彼女の背後を歩きながら、一志はまたこういう時の決まり文句で尋ねた。

 週末の日曜日、二人の都合がいい時に映画好きの二人で映画を見る。

 それはほぼ毎週のイベント。もちろん、それはお互い暗黙的に、その予定を他の事柄より優先していたからだ。


「というか、もしかしたらもう……」


 耀子はボソボソと答えると、今度は歩みを早めた。


「お、おい。どうしたんだよ?」


 一志はジーパンの脚を大股に歩きながら、彼女を追いかける。

 しかし、耀子は無言のまま進み続ける。


「おい。いったいなんなんだ?」


 一分ぐらいは黙っていた一志だが、すぐに我慢できなくなり耀子の腕をつかんだ。


「なにか気にくわないことでも……」


「村西、私ね!」


 腕を掴まれて止まった耀子は、ばっと振り返った。


「私……来週、お見合いするの」



 ☆☆☆



 二人は近くにあった公園のベンチにとりあえず腰掛けた。

 公園といっても小さい子が遊ぶ遊戯用ではなく、桜並木が有名な少ししゃれた公園だった。

 それなりに広く、街の喧噪からも少し離れられる。

 時間は夕方近くで、人通りも減ってきている。

 これからこの公園に増えてくるのは、きっとカップルだろう。


「お見合いって……いつ決まったの?」


「数日前に……」


「ふ、ふ~ん……」


 一志が鉄製の白いベンチから立ち上がって伸びをした。

 そしてそのまま春の夕暮れへ視線を向けていた。

 逆に耀子は下を向いたまま話を続ける。


「親が持ってきてくれた話なんだけど……」


「行くの?」


「迷ってる……。ねえ、どうしたらいいと思う?」


 まるで怖々としたように、耀子は一志の背中を見た。

 が、一志は振り向かずにそれに気がつかない。


「どうしたらいいって……」


 一志は頭をかきながら、少し間をおいた。

 それから、深呼吸をするようにして言葉を続けた。


「そんなの好きにすれば……いいんじゃないか?」


「そんなの好きにって……村西!」


 突然の耀子の怒声に、一志は身をこわばらせた。

 そして今度は彼が怖々と振り返る。

 はたして、耀子の顔は恐ろしい形相で一志をにらんでいた。


「あーもう! あんたはどうしてそうなのよ!」


「な、なにを怒ってるんだよ」


「なにをですって!? わかんないの!」


 耀子は勢いよく立ち上がり、両の手の拳を下に突き下げた。


「わかるかよ!」


「だからあんたは、バカだって言うのよ!」


「なんだとぉ!」


「バカって言ったのよ、バカって!」


「こ、こいつ……またバカって言ったな!」


「言ったわよ! 言ったからなに!?」


「うぐっ……」


 今までも口げんかは何回かしてきた仲だった。

 それでも、なんとなく最後には元の鞘に収まった。

 「友達」という鞘に。

 でも、今日の耀子の迫力はいつもと違っていた。

 その迫力に、一志が圧される。


「どうして、村西はそうなのよ!」


「なにがだよ! おめーのがよくわからねぇぞ!」


「バカ! お気楽男!」


 ぷいっと後ろを耀子は向く。


「お気楽男ってなんだよ! 俺だってデリケートな……」


「なにがデリケートよ! まだ春先で涼しいっていうのに、そんな薄手のシワシワなワイシャツ一枚で映画に来ておいて!」


 振り向きなおった耀子に胸のあたりを叩かれて、一志は思わずむせる。


「も、森崎だって薄着じゃないか」


「私のはおしゃれなの! お気に入りなのよ! わざわざ着てきているの!」


 そしてベンチに折りたたんで置いていたコートを手にとって、「上着も持っているの!」と怒鳴ってからそれを素早く着た。

 黒いコートで、春を感じさせるクリームイエローが隠されてしまう。


「持っているなら着ればいいじゃんか……」


「やっぱりバカ!」


「なっ、なんだとぉ〜。俺はおまえが風邪とか……」


「私のことより、自分の身なりを気にしなさいよ! 確かに、村西が風邪どころか病気になったところなんて見たことないけど。何とかは風邪引かないってやつかしら? もうっ、なんにつけても鈍いんだから!」


「森崎、おまえいい加減にし……」


「にぶちん!!」


 怒号をあげようとした瞬間に、一志は先に硬直させられてしまった。

 初めて見たそれに、激しい動揺を感じてしまう。

 それはたまりかねたように、耀子の双眸から潤んで流れ出している。


「バカァ!!」


 耳をつんざき、そして心の中まで突き刺さるような涙声。

 一志は耀子が走り去る背中を見ていることしかできなかった。



 ☆☆☆



 出会いは、高校の映画研究会というクラブだった。

 二人とも映画が趣味で、好きな作品が似ていた。

 それからクラブ活動以外でも、二人でも映画を見に行くようになった。

 偶然かどうかわからないが、大学も一緒だった。

 そして大学を卒業して就職しても、映画を見に行っていた。

 でも、いつからか二人とも映画が真の目的ではなくなっていた。

 二人ともそれに気がついていたが、気がつかないふりをしていた。

 いや、そうではなかった。

 気がつかないふりをしていたのは、一志だけだった。

 耀子は待っていたのだ。


「くそっ。男が言わないとだめなのかよ」


 一志は一人、自分の部屋のベッドでゴロと寝転がっていた。

 あれから一週間経った。

 今日は、問題の日曜日だ。

 その間、話したのは電話で一度だけ。

 なにを話したかったのか、自分でもよくわからない。

 向こうは「バカ」と言ったのを謝っていたような気がした。

 こちらは話題に困って、それこそバカみたいに見合いの場所や時間、相手のこととか聞いていた。

 そして、結局電話では何も変わらなかった。

 あと一時間ほどで見合いが始まる。


「もうわかっているんだからいいじゃんか、口にしなくても……」


 一志の独り言が空しく抜ける。

 電気もつけず、カーテンも閉め切った真っ暗なアパートの一室。

 外からは激しい雨の音だけが聞こえている。


 ザー……ザー……


 その音が胸の奥まで響き、常に責めているような気がしていた。


 早く、早く……


 と。

 きっと自分は今、情けない顔をしている。

 鏡を見なくてもわかる。

 そして理由もよくわかっている。

 しかし、こんな顔で……合わせる顔があるのかと、髪の毛をかきむしる。


 ザー……ザー……


 涙を「空知らぬ雨」などというが、雨はまるで誰かの代わりに泣いているかのようだ。

 車なんて持っていない。

 今から式場に行くなら、自転車だ。

 きっとびしょびしょに濡れるだろう。


「そしたら、表情もよくわからないか。……ああ、もう!!」


 がばっと起きあがると、一志は押し入れからレインコートを取り出した。

 そしてそれをまとうと、雨の中に飛び出したのだ。



 ☆☆☆



「バカバカバカ、バカッ!!」


 耀子は、もの凄い形相だった。

 半泣きになりながらも、耀子は一志を睨みつけていた。


「あんた、なんてことしてくれるのよ!」


「…………」


 その耀子の怒りはもっともだった。一志はすぐに反論できない。

 一志はレインコートを着ていたはいいが、自転車を飛ばしていたせいで、予想通り全身びしょびしょに濡れていたのだ。

 その濡れた姿で頭から滴をたらしながら、今まさに見合いのレストランに入ろうとする耀子の前に現れたのである。

 そして、驚いている耀子を強引に引っ張ってきたのだ。

 しかも、店の中にいる見合い相手が見ている目の前で。

 周囲も呆気にとられている中、耀子はぐいぐいと引っ張られていった。

 慌てて耀子は「あ、ちょっと……すぐ戻ります」と愛想笑いをしたのはいいが、どう見ても相手にいい印象を残しているわけがない。


「あんたのせいで、見合いが台なしじゃないのよ!」


 レストランの裏庭の目立たないところまで連れてこられ、耀子はやっと左腕を離された。あまりに強く握られたものだから、耀子は腕の痛みに右手を添えた。


「ごめん……」


 それを見て一志は謝るが、耀子にとってはそれどころではない。


「ごめんじゃないわよ!」


 雨は一志が着く寸前になってやんでいたが、まだコンクリートの地面は濡れている。

 その雨のシミでも見つめるかのように視線を落としたまま、彼は小さい声でもう一度だけ「ごめん」と謝った。


「…………」


 だが、そこで沈黙してしまう。


「もう! 用事がないなら私、戻るからね」


 腕を組んだまま、耀子が踵を返す。

 慌てて、一志は耀子の肩に手をかけた。


「待ってくれよ!」


「なぁ〜によ?」


 非常にけだるそうに、そして呆れた顔で彼女は振り向いた。

 その彼女の顔を一志は正面から見つめる。


「好きな相手が見合いするなんて聞いて……我慢できなかったんだ」


「はい?」


 尻上がりの声で耀子が聞き返す。

 だが、一志はひるまずに続けた。


「森崎が好きなんだ。見合いに行かないでくれ!」


「…………」


 言うべきことを言い終わると、一志は覚悟を決めた。

 好きだった。

 そして、相手も自分を好きになってくれていると少なからずは思っていた。

 しかし、この前の喧嘩で愛想を尽かされているかもしれない。見合いの場にこんなかっこで乱入して嫌われたかもしれない。

 でも、もしかしたら……。

 いろいろな不安と期待を抱えながら、一志は耀子の答えを待った。


「はああぁぁぁ〜……」


 耀子は瞳を閉じて、腕を組んだままで深くため息をついた。

 そして呆れたような声。


「本当にもう。言うのが、遅すぎ! 当日に言ってどうするのよ!」


 そして彼女は、踵を返してしまう。


「見合いに戻るからね」


 まるで、死刑を告げられたように、一志は一瞬だけ固まった。

 それでも、最後の声を振り絞る。


「も、森崎!」


「耀子!」


 耀子がバッと振り返って、一志を指さす。


「つきあうんだから、名前で呼んでよね……一志」


 少し頬を紅潮させて、耀子はウインクする。


「え? つきあうって……見合い……」


「ちゃんと戻って、説明して断らなきゃ失礼でしょ。むら……じゃなかった。一志のせいで大変よ」


「あ、じゃぁ……」


「私も一志のこと好きよ」


 耀子が、先ほどよりも紅潮した顔で満面の笑みを一志に向けた。

 その瞬間、今まで死にそうな顔をしていた一志の顔もほころぶ。


「よ、耀子。俺も、おま、おまえ…が……ハッ、ハッ……」


――ハックシュン!!


 全身を飛び跳ねさせるように、一志は大きなくしゃみをした。

 そして、鼻をずるっとすするようにする。


「あ、あれ? まさか……」


「風邪、引いたの?」


 目を丸くしていた耀子が、悪戯っぽく笑ってみせた。


「一志……あんた、バカじゃなかったんだね」


「ちぇっ……」


「すねないでよ。あとで看病してあげるから」


「看病? ……そうしたら、初めてだな」


「なにがよ?」


「二人で一緒の日曜日に、映画へ行かないなんて」


「……こ、これからはそういうことが、増えるんじゃない?」


「俺が日曜日に風邪を引けばか?」


「あはは……ばーか」


 雨の上がった日曜日。

 二人は初めて、今までと違う時間を過ごすのだ。

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