第5-2話 阿鼻叫喚の地獄絵図は 古代日本から始まった。

 そこには一人の、先ほどの老人のたたずまいがあった。


 老人は豚美に、

 「今から起こることは、誰にも話してはいけない。親にも。兄弟にも。誰にもじゃ」

 そう言って、豚美に包みをよこした。


 「これを赤鬼に渡しなさい。そして、赤鬼に、こういうのじゃ。地上を元通りにしろ。さもなくばおまえを焼いて食べてしまうぞ」

 それとは別に願いごとが5つ叶う匂い袋を豚美はもらった。老人は伝えたい用件だけ豚美に言うと、すぐに枕元から消えていなくなった。


 にわとりの鳴き声で再び、目を覚ました豚美は、昨日の出来事が夢でないことを願いごとが5つ叶う匂い袋で遅れて知った。


 豚美は宿を引き上げ、赤鬼が住む、山のふもとに向かった。

 老人から預かった包みを気にすることもなく背中に背負い、とぼとぼと歩き始めた。


 幾つもの竹藪のトンネルをくぐり、小さな山を3つ登っておりた。

 その先に、赤鬼の住む、屋根の尖った小さな青い家があった。


 栗の木で家が隠れていたものの、小さな集落があったので、すぐにわかった。

 栗の花の匂いが辺りに立ちこめていたから、赤鬼の家がそこにあることは、明白だった。


 豚美は、

 「お~い。お~い。赤鬼や~い」 

 野太い声で赤鬼を呼んだ。


 奥から、のそっと、やせ細った赤鬼が現れた。

 「私に用事があるのは誰じゃ? わしに食べられてもいい、おなごは誰じゃ~。名を名乗れ~」


 赤鬼はもう三日も何も口にしていなかったので、豚美が肉の塊に見えて仕方なかった。


 「わしに用事とは、なんじゃ?」

 「地上を元通りにしてほしいのです。さもなくばおまえを焼いて食べてしまうぞ」

 豚美は用件を矢継ぎ早に伝えた。


 赤鬼は鼻先で豚美を笑い、豚美どんを物のように扱った。

 「して。わしへの報酬はなんじゃ?」


 豚美は老人から預かった、風呂敷に包まれた紫色の包みを手渡した。

 「報酬は、私でございます」

 そう言おうとして、願いごとが5つ叶う匂い袋を差し出した。


 「村に平和を戻してほしい。私は死にたくないし、もうこれ以上、誰も死んでほしくない。犠牲も、代償も払いたくないぞなもし」

 そう言って、願いを赤鬼に伝えた。


 願いを5つ叶える匂い袋を赤鬼に手渡し、

 「これで願いを叶えてください」

 赤鬼はどこかで嗅いだおぼえのある匂い袋をまじまじと見つめ、それが誰のものか瞬時に悟った。 


 赤鬼は豚美を上から下から、斜め右上から何度もなめ回すように眺め、こいつは特上の肉。ロース肉に違いない。ある確信を持った。


 特一級品の肉だ。間違いない。上から下から品定めした。

 そして念のため受け取った風呂敷包みを目の前で広げ、老人からの包みを広げた。


 そこには若かりし頃の赤鬼。

 赤鬼の母親が、横長の墨絵に収まっていた。


 桐の小箱には、赤鬼のへその緒が入れてあり、箱には名前が記されていた。赤鬼太郎……。母親の青くかすんだインク文字。


 赤鬼は色あせた墨絵に心を奪われ、童心に返った。

 そして胸が張り裂けてしまいそうな衝動に駆られ、胸キュン状態になった。


 墨絵は、かなりの年数が経っていたが、描かれていたのは紛れもない赤鬼の家族とかつて住んだ我が家だった。


 かつて暮らした雲の上に、母親が雷太鼓を軽々と背負った姿で、1人気丈に描かれていた。それは紛れもない、5歳で生き別れた母親の姿だった。


 「どうしておまえがこれを」

 豚美は宿で出会った老人のことを事細やかに話した。


 背格好。肌の色。輪郭。身長。話し方。身のこなし方。声色。

 どれも赤鬼が知っている父親像そのものだった。


 父親は怒ったとき、修羅の形相になるものの、普段は人と変わらず天上天下。どこでも普通に暮らした。角も短く、簡単に髪に隠れたし、牙も短く、人間の犬歯のように、なんなく口に収まった。


 母親も父親も簡単に人間の世界に紛れ込めたけれど、風貌の違う赤鬼だけは、いつも蚊帳の外で、人間世界でも天上界でも意味なく嫌われた。


 のけ者にされ、一風変わった身なりを人から指摘され、出会った人すべてから後ろ指をさされた。


 赤鬼は幼少の頃に、両親に捨てられたことをとても残念に思っていた。

 それがトラウマとなり、大人になり、人へのコンプレックスになった。


 背丈が大きく、角が大きく、角が地肌から突き出していたので、人種の差別を受けるたび、幼少の頃の赤鬼は泣いて過ごした。愛だとか情だとか恋だとかを信じなくなったのは、この容姿と深く関係していた。恋人がいないのも、他人に対して攻撃的なのも、すべてはコンプレックスの裏返しだった。傷つくのが恐かったのである。


 赤鬼は地上の姥捨て山に、老婆と一緒に捨てられた20年前を思い出し、一人感慨にふけった。


 あれから22年が過ぎたのか。

 おれ様も歳を取るわけだ。

 赤鬼は一人、しみじみとした。


 赤鬼は幼少の記憶をほとんど失っていたが、母親が書いた墨絵を見て、失った二十年を懐かしさを込めて振り返った。


 それにしても色んなことがあったな。

 楽しいことばかりではなかった。

 思えば、つらいことのほうが多かった。


 人間に不信感を抱いたこと。

 食べるものもなかった時代、自分が差別を受けたこと。

 人間界を支配するようになったこと。


 いつか世間に復讐してやろうと思っていたこと。

 多くの物事が、赤鬼の脳裏を早送りした映像、コマのように頭をよぎった。


 自分は人として、鬼として、認めて欲しかっただけなんだ。

 家族で仲良く暮らしたかっただけなんだ。


 たったそれだけの望みが、なぜか叶えられなかったことをとても残念に思った。包みの中には手紙があり、また家族四人で暮らさないかと書かれていた。


 赤鬼は、豚美を食べることも忘れて、手紙を読みふけった。

 母親の元気そうな姿が、手紙の生き生きとした文脈から伝わってきた。

 手紙の脈々とした文面が、赤鬼の心をひどく揺さぶった。

 赤鬼は、ノックアウト寸前だった。


 もう一度、家族四人で暮らすのも悪くない。

 お母さんは私を受け入れてくれるのだろうか?

 お父さんは失った22年をどう受け止めているのだろう?


 雲の上へ帰ろう。

 私が帰れる場所は、あそこしかない。

 地上を汚すのはもうこれで最後にしよう。

 私が地上にいては、人々が不幸になる。

 人々の不幸の上に、私の幸福が成り立っているというのか…。


 思い残すことも、もう何もないはずだ。

 人を不幸にして、自分だけが幸せになれると信じていた遠い日が、間違いであることに今、気付いた。


 最後に地上を元通りにしよう。

 赤鬼は、ふと何かを思い出したように、もくもくと連なった雲を呼びよせ、天上に帰れと命じた。


 幾層にも連なり、地上への日差しを遮っていた雲はすべて空高く昇り、散り散りとなって、どこかへと消えた。


 かわりに突き抜けるような青空が頭上に広がり、空が輝きを取り戻した。久しぶりに見るコバルトブルーの雲一つない景色は、人々に安堵の気持ちを与えた。


 人を喰う負の連鎖も、これで断ち切ることができるだろう。人々の不幸を願うのも、もう金輪際やめにしょう。赤鬼は地平線をただひたすら眺め、感慨にふけった。


 後日、空から母親と父鬼が赤鬼を迎えにきて、一家は雷雲に乗って天上へと消えた。人々は200年ぶりに鬼のいない安らかな空間を取り戻した。


 鬼は人々の心の、元凶だったのだ。

 人々の心を映す幻のような存在、それが赤鬼だった。


 赤鬼は、人々の心を映し出す、メタファーだったのだ。

 もう地上を荒らすこともないだろう。


 ただ1つ。

 人間が欲望にまみれたとき、再び雷雲に乗って地上に警告を与えにやって来るかもしれない。


 地上では人々に幸せの連鎖が広がり、人を喰う風習。生け贄の儀式は人々の記憶から遠く忘れ去られるようになった。


 木々は緑を取り戻し、畑、田んぼには穀物が実った。

 毎年、穀物は豊作を迎え、人々が食べ物で困ることもなくなった。


 豚美は生け贄にならずにすんだ。

 人間万事塞翁が馬。

 災い転じて福となし。


 豚美は、赤鬼に食われることなく、村のリーダーになった。そして時を改め、卑弥呼を名乗った。地上は光を取り戻し、誰もが平和を口にするようになった。


 性善説。性悪説。

 どちらが本当の人間の姿なのだろう?


 神は答えを出さなかった。

 神は鬼を地上に使いに出し、ただひたすら人間の本質を見極めようとした。


 卑弥呼は小さな村で3人の子供を授かった。臨。皆。前。

 それぞれに名前をつけ、未来を託した。

 《第4章、完…第5章 ダンデライオン、命燃え尽きるまでへと続く》


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涙なくして語れない、どこまでも突き抜ける、カオスな話!! 婆雨まう(バウまう) @baw-mau

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