第5章 おらは赤鬼。
第5-1話 人食いの風習があった古代日本を描いた異色問題作。
《第4章 おらは赤鬼》
むかしむかし。
黒歴史に記された邪念台国の時代。
今で言う相模の国のはずれ、丹沢山のふもとに、赤鬼の住む家があった。
屋根の尖った小さな家で、大きな栗の木に囲まれていた。
庭にはヒマワリの花、チューリップ。モクレンの枝があり、春には山桜が咲いた。
それらの草花に水をやるのが赤鬼の日課で、赤鬼は独り者だった。
赤鬼の頭の両端には2本の黄色く、ほのかに黒ずんだ角が、にょっきりと突き出ており、顎から2本の長い牙。
茶色い短めの髭を蓄えていた。
威厳のある、ごつい顔から時おり見せる人なつこい笑顔で、村人たちは簡単に赤鬼にだまされた。
背は二メートルをゆうに越え、右手に銅製の大きなイボイボの棍棒を携え、困った人たちを家に招き入れた。
何が不幸かって、その当時は天正の大飢饉に見舞われていて、米も不作で、食べるものがどこにも見当たらなかった。
それは村人も赤鬼も同じことで、食うに困った生き物たちは、負の食物連鎖を起こすべく、暗い未来をただひたすら歩いた。
共食い。小さな動物から段階を踏み、人々は兄弟、親、子供を食うことをおぼえた。
食べられるものは4つ足のお膳をのぞいて、なんでも口に入れた。
村人は五里離れた裏山まで狩りに出かけたが、当然のことながら獲物は何も獲れなかった。
雨降りが三月続き、空には大きな入道雲が幾層にも、もくもくと連なり、地上は真っ暗な闇に覆われた。
空は完全に光を失い、地上にあるモノすべて、一様にみな輝きを失い、モノクロームの世界に支配された。
いく夜も、いく朝も雨は降り注ぎ、大きな川は氾濫して集落を襲い、甚大なる洪水被害をもたらした。
羽アリが大群となって民家を襲い、イナゴの群れが、高台にある、わずかな地上の穀物を一つ残らず食い散らかした。雨は更に三月降り続き、田んぼ、畑は冠水し、わずかばかりの作物もすべて失った。
人々は飢えをしのぐため、大みみず。カタツムリ。すずめ。芋虫。カブトムシの幼虫。亀。スッポン。野ウサギ。キツネ。熊の胃を口にして飢えをしのぎ、太陽が再び天高く昇るのを待った。
しかし太陽は人々の頭上には二度と現れないばかりか、暴風雨が人々を苦しめ、それに輪をかけ、空腹が人々の心を蝕んだ。
食べられる野草はすべて口にした。ねずみも焼いて食べた。
当然のことながら村人の胃袋はそれだけでは満たされなかった。
やがて食べるものが地上からすべてなくなり、タンパク質を求めた村人達は、いつしか人喰いへの風習を復活させた。
小高い丘にある、わずかなオレンジ色の果物は鳥たちに食い荒らされ、あけび。桑の実。タラの芽。のびる。せり。ヤマゴボウ。植物動物を問わず生き物すべてが、山から消えてなくなった。
残された生き物は食うに必死だった。
何も食べるものにありつかない者は、仕方なく木の皮をはぎ、それを口に入れ咀嚼し、毒キノコでさえ、あく抜きして湯がいて食べた。畑の土を食って飢えをしのぐ者もいて、そこには阿鼻叫喚の世界が広がった。
誰々の家の誰べーが死ぬと噂になれば、伝染病などの病気はないか。
死体を食べることばかり考えて昼も夜も過ごした。
当然のことながら犬や猫も焼いて食べた。
それ以外、人々は空腹を満たす術が思いつかなかったからだ。
人が死なないときは、更に困った。
食べるものに困った村人は、仕方なくジャンケンをして自分の左腕を切り落として食べる暴挙に出た。
村人の多くは左腕を失い、日常の生活に支障をきたすようになった。
それでも食料は足りず、やがて人々は自分の左足も切断して食べるようになった。
五体満足なのは若者と子供。
そして女、赤鬼だけだった。
老人達は、まるで案山子のような風体で、あてもなく集落をさまよい、寝てばかりの日々を過ごした。
これでは駄目だ。
村が滅びる。
くじ引きで生け贄を捧げる儀式を執り行うようになり、
祭司は、隣村の集落を襲うよう村民に命じ、同じ村に住む村人同士の共食いは避けるべきだと明言した。
何十里と離れた隣村を若い十代、二十代の若者が襲撃し、しばらくして捕虜を連れて帰るようになった。捕虜は数日、生かされ。やがて呪いの儀式のあと殺された。
そして当然のことながら村人達の胃袋の中へ収まり、頭蓋骨が、祭壇に並べられた。心臓は祭司が焼いて食べ、神殿には頭骨が規則正しく並べられ、幾夜も幾夜も祈りが捧げられた。
隙あらば、隣人を刃物で殺し、食べてしまう。
そんな殺伐とした環境の中で、それでも人々は幸福を求め必死だった。
村人は仕方なく、誰も入山したがらない赤鬼の住む山へと入り、数少ないイノシシを捕まえに山へこもった。帰らぬ人となった若者も多かった。赤鬼も、何を隠そう食べ物に困り飢えていた。
雑草ばかり食べていた赤鬼は、ひどくやせ細ってしまい、栄養のある、滋養のある人肉が食べたくて仕方なかった。
いきのいい若い者は、おらんかね♪
はよ、こっちこんかい♪
赤鬼は毎夜、歌を歌って、ひもじさを紛らした。
山を訪れた村人たちの多くは、イノシシを捕るはずが神隠しに遭い、とどのつまり赤鬼の胃袋の中へと消えてしまった。
食うものがない村人は、仕方なく、犬や猫に子供を産ませ、皮をひんむいて焼いて食べたりしたが、それだけでは分量が足りず、今度は自分で産んだ子供、人間の子供を食べるようになった。
新生児の肉は美味だった。
滋養があって、柔らかくて、赤みがあって、まるでうさぎの肉のような甘みがあった。
セックスしては子供を産み、そして殺しては焼いて食べる。
飢えは辛うじて抑えられたが、いつしか村の人口は半分に減り、長老たちも、子供たちも、村民の餌食になった。祭司が村の将来を占った。
「この村には悪魔がいる。悪魔をこの村から追い払わん限り、この村に幸せは永遠に訪れないじゃろう」
村人は口々に噂し合った。
「赤鬼のところへ、誰かを嫁に出したらどうじゃろう? 悪魔払いをしてもらえば、村にも平和が蘇るんじゃなかろうか? 」
赤鬼に嫁っ子を献上し、この地上に幸福を取り戻してもらおう。
赤鬼に嫁さんを授ける計画がなされ、村人は昼夜話し合った。
いくばくかの月日が流れた。
せっかく生け贄が決まっても、赤鬼のお嫁さんにはなりたくないといっては泣き、やはり使いに出せるような女子はいなかった。村の人口はとうとう3分の1になった。
人々は飢えと疫病で次々と死を迎え、こんなことなら死んだ方がましだ。口々に愚痴をこぼし合った。
「おらが死んだら。おらの肉を食ってけろ」
そう言っては涙ぐみ、やせ細った体でお互いを抱き合う老人達。
死ぬことだけが、この苦しみから逃れられる唯一の選択肢なのだと、誰もが信じて疑わなかった。
本当に食べるものがなくなってしまったある晩、村人は祭司を襲った。
丸まると肥えた祭司は、肉厚で、脂肪の鎧を一枚身にまとっていた。村人は祭司を焼いて食べることにした。
祭司は、
「我が子羊の過ちを許せ。悪いのは人間ではない。人間の業だ」
そう言い終わるやいなや槍で突かれ絶命した。
そして十字架に貼り付けられ、火あぶりにされ、人々の胃袋の中へと収まった。
村人の多くが餓死し、その餓死した死体を喰らう負の連鎖は、祭司の手をもってしても、やはり止められなかったのである。
村人はリヤカーに腐った遺体を積み、赤鬼のところへ願掛けに行った。
願いごとを聞いてもらうために出かけたのだけれど、この村人も、結局は赤鬼に食べられてしまい、帰ってくることはできなかった。
赤鬼は、リヤカーに積まれた遺体を大きな鍋に入れ、ぐつぐつ煮て食べた。肉は腐る一歩手前が一番美味しいことを赤鬼は知っていた。そして新鮮な生きのいい肉がもっとおいしいことも、経験から知っていた。
「もっといきのいい、生きた人間はおらんかね?」
赤鬼は満足した笑みを浮かべ、月に向かって何度も吠えた。
苦しみのあるところには必ずや食うに困る者がいて、それがかえって赤鬼には好都合だった。赤鬼を利用するつもりが、結局は相手に利用され、骨までしゃぶりつくされる。
鬼を利用しようなんて幻想は、死ぬまで抱かない方がいい。
赤鬼を頼ってくる村人達は、かっこうのカモだった。
カモがネギをしょって、向こうからやってくるのだ。
赤鬼には笑いが止まらなかった。
赤鬼は悩み相談所を丹沢山の中腹から裾野に移動し、村人が訪れやすい環境を作った。そこで蜘蛛のように糸を張り、人々が訪れるのを待ち構えた。
人をだます人間というのは、本当に悪人のような面構えはしていないものだ。
どこが優しげで、人なつこさを浮かべている。
ご多分に漏れず、赤鬼も、時折見せる優しい笑顔を武器にしていた。
修羅の本性を現すのは、人を鍋で、ぐつぐつ煮て食べるときだけだ。
人間の本性は性悪でできている。
言い訳なんて、あとから、とってつけたようなものばかりだ。
人を羨み、妬み、嫉妬し、人に不幸が訪れることをただひたすら望む。
多くはそんなものだ。
人間の原点は悪だ。
悪でできている。
人をこらしめて何が悪い?
人を喰らって何が悪い?
それが赤鬼の本心であり、心の根底にあった。
人間を焼いて食べようが、人が一人死のうが、それは赤鬼には全く意味のないことだった。そんな赤鬼に願掛けをしにくる村の民は後を絶たず、一帯は集落となった。
「赤鬼様なら、人間の苦しみをわかってくれるはずだ。我らの神だ。我々を今の状況から救ってくれるのは、あのお方しかいない」
赤鬼の商売は繁盛した。
ある女性が遠くから赤鬼を訪ねてきた。
ある晴れた初夏の晩で、その日は鈴虫が一晩中うるさく鳴いた。
「願い事はなんじゃ?」
「はい、赤鬼様。母親の健康が、すぐれません。寝込んでしまって、歩くのがやっとでございます」
そうか、赤鬼は茶色い髭を蓄えた顎を無造作になで、優しく語りかけた。
「そして。貢ぎ物はなんじゃ?」
中年の女性を見おろした。
女性は悲しげな瞳を浮かべ、
「私の左目玉でございます」
赤鬼を見上げた。
何か願いを叶えたければ、何かを失わなければいけない。
すべては代償の上に成り立っていることを赤鬼は、こんこんと説いた。
願いを叶えたければなおさらのことだ。
この世の一番大事なもの。命の次に大事にしているものを差し出さなくては、願いなんて成就するわけがない。
「して。左目を失ってもいいというのか?」
赤鬼は念を押した。
女は悲しげな瞳を赤鬼に向け、力なく言った。
「はい、赤鬼様。左目を失っても私には右目玉がございます。左目の代わりになってくれる、かけがえのない子供たちも、4人います」
年の頃が30代の女性は、ふん。と大きな気合いを入れ、右手を左目の前に持ち上げ、指で奥深く突いた。
そして勢いよく左目を突くと、左目に親指、人差し指。中指を突き立て。鬼に血にまみれた左目玉を献上した。
「どうぞ。赤鬼様」
赤鬼は、よだれをたれ流し、ことのほか喜んだ。
「おいしそうな目玉の刺身じゃ。よだれが止まらんわい」
そして赤鬼は出された左目をぺろっと、一口で飲み干した。
「おまえは自分の、それも一等大切なものをこのわしに差し出した。特一級じゃ。おまえの願いはすべてかなえてあげよう」
赤鬼は満足げな笑みを浮かべた。
こうして女性は母親が元気を取り戻す薬草を赤鬼から手に入れることができた。
それから一週間して、赤鬼を尋ねてきた別の来客があった。
客人はリヤカーに遺体を2つ積み、赤鬼に願いごとをした。
「肉はな。腐る一歩手前が一番おいしいのを知っておるか?」
肉の味が、生前の人間の活動実績からくることも、その頃にはよくわかっていた。
よく動き回り、よく考える人の肉が、比較的、柔らかくておいしいことを赤鬼は経験から知っていた。
やがて三月が過ぎ、村人は願いごとを叶えたくても、献上するものがなくなる状況に陥った。
左手を失い、左足を失った老人。
それにくわえ、左目、左手を失った女性。
腎臓、肺を1つ、片方だけ献上した若者。
人々は献上するものがない中で、誰かを生け贄にする術をまたしても復活させた。
誰かが幸せを手に入れるために自らが犠牲になる。
多くを助けたいが故に、その中の誰か一人が犠牲になる。
こうして、えせ宗教のような、欺瞞に満ちた和の精神が育まれた。
「豚美。これも、おら達、家族のためじゃ。赤鬼のところさ行き、嫁にもらってもらいんしゃい。もし、いらぬといわれたら、おまえの心臓を献上してきんしゃい。ここに媚薬がある。これを飲めば、苦もなく死を迎えられる。これは家族5人分の願いごとを叶えてもらうための行いじゃ。遊びではないぞ」
村の中で一番容姿が醜い、おデブの豚美に白羽の矢が当たった。今日まで育ててくれた恩を返さなければならない時が、ついに訪れた。悲しんでばかりいられなかった。
豚美は翌日、早朝。早速、赤鬼に会いに山へ登った。
献上する物は、自分の体だった。
命と引き替えに家族の平和を祈願する。
山に登って3時間。豚美は偶然、山のふもとに粗末な茶屋を見つけた。
ここは宿屋にもなっていて、奥に横になれる6畳のスペースがあった。
ここで一泊することにして、豚美は背中に背負った荷物を椅子の上におろした。
店頭には粗末な割れた皿の上に、人間の肉でできた、みたらし団子が並び、上に、とろみがかった、あんかけが塗ってあった。豚美は、自分が腹を空かせていることを今、初めて知った。
豚美は、みたらし団子を2本、もらった。
粗末な団子だったけれど、お腹が空いていたので、すぐに2本をたいらげてしまった。
もう、これで団子を食べることもないのかもしれない。
そう思うと、なにやら悲しくなって、涙がとめどなく流れた。
豚美は、ほんの一瞬、逃げ出してしまおうか、この場から消えてしまいたい衝動に駆られた。
いやいや、それはできない。
悲しいことだが、これもそれも、みな家族のためじゃ。
家族の幸せのため、私は命を犠牲にするしかないのだ。
この尊い命も、誰それの役に立ってこそ、ひときわ輝くというものだ。
誘惑に何度も負けそうになったけれど、すんでのところで思いとどまった。
これは家族のためだ。
遊びじゃない。
村を存続させるために仕方のないことなのだ。
みたらし団子を3本追加し、ついでに飲めない酒をあおった。
豚美は飲めない酒を飲んでは、しくしく泣いた。
茶屋で知り合った父親ほど年齢の離れた男に声をかけられ、これから赤鬼に会いに行くのだと事情を話しては、また、しくしくと泣いた。
豚美は涙で真っ赤に腫らした瞳を男に向け、これも仕方のないことなのです。心ここにあらず宙を見上げた。
なんたる偶然。何を隠そう、この男こそ、天上界で恐れられた赤鬼の父親だった。たまたま地上に降りてきて、村の様子を見に来ていた赤鬼の父親は、困ったことが起きたものだ。なんとかしなければと思った。
豚美は、涙で真っ赤にはらした瞳を何度も着物の裾で拭い、
「神様はおらんのかね、私はもうじき殺される」
しくしく泣いた。
夜が更けた。
眠りに落ちたのは、午前3時頃だったと思う。
気がつけば鼾をかいて、ふとんの上で大の字になって豚美は寝入っていた。
豚美は、うとうとして、よだれをたらして、横向きになった。
鼾が止まり、宿に静けさが戻った。
何時間が過ぎたのだろう。
「おい豚美。豚美どん」
豚美を呼ぶ、小さな声で目が覚めた。
《2話へ続く…ここで終わりではありません》
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