選ばれてしまった英雄

皐月

第1話 選ばれた英雄

 昔話に出てくる英雄。何でも出来て完璧で、文句なんてつけようがなくて、圧倒的な存在を打倒してしまう存在。

 遠い世界の話。僕には、僕等には関係がないはずの話。……そのはずだった。

「……ねえ、冬芽。私、英雄に選ばれたみたい」

 由香の手には鮮明な赤い手紙。希望に燃え盛る炎の象徴と言われている手紙の赤さが今は毒々しく見える。

 由香とは長い付き合いで、人となりを知っている。運動は出来ない。勉強は中の下。変わった知識に傾倒しているとか、そんなこともなくて、箱入りのお嬢様と思われても仕方ない世間知らず。良い所なんてパッと思いつかない程だ。だから、平凡を体現した僕以上に彼女にその赤い手紙が届くなんて思ってもいなかった。

「……宛先が間違えているとか」

「そ、そうだよね」

 震える手でゆっくりと赤い手紙の封を開ける。それは戻れない道へ、彼女を連れ去っていく。死神の鎌が降りていくような、そんな光景にしか見えなかった。

 間違え? 英雄を選ぶのにそんな適当なことが出来るはずがない。だから、それが届いた時点でもう避けようがないと分かっていた。だけれども、縋るように彼女が開けた手紙を覗き込む。

『おめでとうございます。秋月由香様、あなたは英雄に選ばれました』

 白い文字で、簡潔に書いてあった。彼女の手からこぼれ落ちる手紙がやけにゆっくりと見えた。

「ま、まだ人選ミスとかかもしれないし、もしかしたら由香のことよく知らないで送っていて、実際はとか……」

 自分で言っていて分かっていた。虚しい言葉の羅列。叶うことのない楽観視。いや、これは現実逃避と言うのだろう。

 英雄に選ばれる。その時点で、それは決定事項で覆ることがない。少なくとも前例はない。子供だって知っている。でも、俺には直視が出来なかった。備えていれば、なんて言い訳もあるが、咄嗟には無理だ。

「そう……だね」

 だけど、それに何よりショックを受けたのは僕じゃなかった。由香が一番ショックなはずなのだ。落ちた手紙に視線を固定させて僕に表情を見せまいとしているようだった。

「……ごめん」

「……私、英雄になるんだね」

「っ! まだ決まったわけじゃ……」

「ううん」

 最後まで言えなかった。顔をあげた由香の顔が笑っていたから。小さい時から見飽きるほど見た笑顔。哀しいのに、それを我慢して、泣きそうな顔で苦しい顔で笑う。そんな顔をさせたのは……僕だった。

 言葉が出なかった。言える言葉が分からなかった。

「冬芽、じゃあね」

 固まったままの僕に彼女は手を振っていた。

 気付けなかった。またね、ではなく、じゃあね、と言われた意味に気がつけなかった。彼女と本音で話せるのはこの時だけだったかもしれないと、思った時にはもう遅かった。



 遅くはなったがこれは、彼女と僕の別れの物語だ。

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選ばれてしまった英雄 皐月 @snowdorp

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