第8話

 結局宗介は幸太郎の言葉を信じなかったのか、祭りが始まる時間まで彼の家に居座り、また無理やり引っ張るようにして幸太郎を村の広場へと連れて行った。


 幸太郎はいくらなんでも気を遣い過ぎだろうと宗介をくさしたが、一向に彼が気にした様子もない。


 彼らが会場に着いた時には、もう鍋が三つほどその中央に並んでいた。すでに火も入っているようで、辺りには味噌のいい香りが漂っている。村の皆が持ち寄った具材もいい具合に煮こまれているはずだ。


 ちなみにその中には、幸太郎の畑で取れた芋も含まれている。彼はどうせ無駄になるならと、自分の畑で収穫した作物のほとんどを祭りのために提出していた。



 先の言葉通り、幸太郎は広場の端の方に陣取ると、手始めに振舞われていた酒で乾杯した。宗介は幸太郎を広場に連れてきた後も、まるで見張り役のようにして彼と離れずにいる。


「竜助のところにも行ってやったほうがいいんじゃないか?」


 何度か幸太郎は言ったが、宗介はその度に首を振った。


「あいつだって足りない頭で色々考えてるだろうさ」


 最後にはそう言って、彼はやはり動こうとはしなかった。彼なりに幼い頃からの友人を信頼しているのだろう。幸太郎もそれ以上何も言わなかった。


 また幸太郎たちが酒を飲んで話をしていると、意外に少なくない数の村人が彼らに話しかけにやってきた。特に幸太郎と一緒に水田の世話や収穫をした者たちが多い。


 彼らはそれなりの時間を幸太郎と過ごしたから、少なからず情が湧いたのかもしれなかった。もちろん、幸太郎の事情については皆が知っている。彼らは口々に幸太郎の身を気遣い、それから少し小声になって一彦や宇之助の悪口を言った。


 この小さい村では噂はすぐに広まる。また同時に噂には尾ひれがつきもので、幸太郎と一彦が声を荒げて言い争っていたという話はもう次の日には村に広く知れ渡っていた。その前の話し合いの場で、宇之助が騒いでいたこともそれに拍車をかけたらしい。


 我が子可愛さに一彦は幸太郎を身代わりにした、という話は今では事実として村に受け入れられていた。


 今、幸太郎のところに来ている者たちは心情的に彼の味方のつもりのようである。素直に受け取れば、ありがたいことではあった。


 しかし幸太郎のところにこれだけ人が来るということは、一彦のところにも彼に味方する者たちが行っているはずだ。この分だと祭りの最中は、互いに顔を合わせることなどできないだろう。


 そしてその通り、彼らはなかなか帰って行かなかった。さらに幸太郎の代弁としての悪口も、いつの間にか彼ら個人個人が持つ一彦への悪口に変わっている。そのため、彼らがようやく帰っていった後、幸太郎がふうと安心したようなため息をついたのは無理のないことだった。


「いいのか? あんなふうに好きに言わせて」


 その間ずっと黙っていた宗介は、いささか憤慨したように言った。彼は幸太郎が一彦に恩を感じていることを知っているのだ。しかし幸太郎は大丈夫だと言ってまた酒を飲む。


「自分たちさえ分かってればいいんだ」


 幸太郎がそう答えると、宗介は何も言わず、小さく数度頷いてまた手元の椀を掴んだ。



 そうして酒を飲んでいるうちに高かった日も落ち始め、辺りは少しずつ赤茶けてきた。それに伴い、祭りの様相も少しずつ変わり始める。


 三つ並んでいた鍋の中身もそろそろ残りが少なくなってきた。祭りの明るい雰囲気にはしゃいでいた子供たちはようやく疲れたのか、今はその声も聞こえない。辺りの空気はしっとりと落ち着いたものに移り変わっている。


 しばらくしてついに日が完全に落ちると、即座に鍋は片付けられた。そしてその場所には再度薪が積まれ、今度は規模の大きな焚き火が始まる。そこからもくもくと煙と炎が立ち上るのを合図に、広場からは徐々に人が流れ出ていった。


 その流れに乗ろうと、幸太郎はその場で立ち上がる。しかしもちろん宗介はそれを手で引っ張って止めた。


「……一応祭りにはちゃんと参加したんだから、もういいだろ」

「まだ終わってない。いいから黙ってここにいろ。帰るのは俺が許さん」


 いささか酔った口調で宗介は言うと、幸太郎の腕をさらに引っ張ってまたその場に座らせる。宗介も意外と力があるのだ。手を振りほどけない幸太郎は仕方なく顔だけを動かし、人の少なくなっていく周囲を見回している。


 彼が最初に見つけたのは、離れたところに座る竜助の姿だった。


 竜助は何人かの知り合いに話しかけられながらも、どこかうわのそらのようになりながら、焚き火から立ち上る煙を眺めている。気付いているのかいないのか、彼は幸太郎たちがいる方には一度も目を向けなかった。


 またそこから少し離れた場所では、香が涼と一緒に座り込んで二人で何かを話していた。特段その表情に変わったところはない。こちらも幸太郎たちの方には顔を向けなかった。気付いているのかどうかもやはりはっきりしない。 


 そんな中、燃え盛る焚き火の前に一人男が出てきた。勘ノ助であった。この催しは毎年持ち回りで担当の者を決めるが、今年は勘ノ助の番だったらしい。彼は広場にいる者たちに向かって大きな声をあげた。


「ようやく日も暮れた! そろそろ次・に移ろうと思うが、問題ないか!」 


 その声に応じるようにして、複数の箇所から囃し立てるような声があがる。勘ノ助はそれを手で制して、また大きな声を出した。


「ならば次に移る! まずは今年初めて祭りに参加する者、お前たちは皆一彦の後に付いて行け! 詳しくは着いた先で一彦が説明する!」


 すると横に控えていたらしく、勘ノ助のすぐ脇に一彦が出てくると、彼は片手を挙げて大きく振った。それをきっかけにぽつぽつと広場にいた若い男たちが立ち上がり、その前に集まっていく。


 もちろんそこには竜助たちの集団もいた。竜助の表情は優れない。しかし、そんなことを周囲が気にするわけもなく、その他は全員がどこか期待に満ちたような表情を浮かべていた。 


「これで全員だな! では皆、俺の後について来い!」


 あまり普段と変わりない様子の一彦がそう声を上げて歩き出すと、その者たちもぞろぞろとその後を付いていく。その集団からはなんというか――。


「これ、端から見てるとすげえ恥ずかしいな」


 幸太郎の隣にいる宗介がぽつりと言った。幸太郎も内心そう思っている。


 去年の自分たちもああだったのか。ああだったのだろう。一年前の自分たちを思い出すと、幸太郎はやはり恥ずかしかった。しかし、そういう恥を共有することすら計算されたものだとしたら、よく考えられたしきたりであるとも思う。


 そうして一彦たちが広場から出ていった後、もう一度勘ノ助は大きな声を上げた。


「では後は皆、よろしくやってくれ! 一応、俺はこの広場で控えてはいるが面倒は起こさないようにな!」


 それだけ言い終わると、勘ノ助は焚き火の前からいなくなった。それを合図に、広場にいる男たちは動き出す。


 例えば、幸太郎の近くに座っていた男は合図とともに立ち上がると、目星をつけていたらしい娘に向かって一直線に歩いて行った。その歩く速度は走っているのかと思うほど早い。そして彼は娘の前に立つと彼女に声をかけた。


 あるいは、もう最初から二人の中で決まっていたのかもしれない。声をかけられた娘は嬉しそうな顔をして立ち上がると、彼の腕を掴んだ。二人は連れ立って広場の外に出て行く。そんな光景は広場の中でちらほらと見られた。


 一方、その近くに座っていた娘のところでは話が上手くいかなかったらしい。しばらくその男は娘に話しかけていたが、最後にははっきりと断られたようだ。


 ただ男にめげた様子はなく、また別のところに向かうべく彼はその場を離れる。もとより一度で決まるとは思っていなかったのだろう。相手の決まっていない者はまだいるはずだと、彼はまた広場の中を移動し始めた。そして意外と彼と同じような状況の者は多い。前者のような一度で決まる例は極稀だった。


 この催しの特筆すべき点としては、これ・・が挙げられるだろう。


 基本的にこの場では、相手を探すのに前もって約束しておくのではなく、その日その場で流動的に相手を決める。一応、先に決めておくことが禁止されているわけではないのだが、あまりそれを歓迎するような空気もなかった。催しが意図する方向と違うからだ。あくまでこの夜の催しは、変わらない日常から逸脱した非日常の場だった。


 そうして、がやがやとし始めた目の前の光景を幸太郎が眺めていると、ふと隣の宗介が立ち上がる。


「じゃあ、そろそろ俺たちも行くか」


 そう言って、彼は幸太郎も立ち上がるよう目で伝えた。


「行くってどこに?」

「分かってるだろ。まさか、香に何も言わないでこの村からいなくなるつもりか?」


 そう言って宗介は幸太郎が立ち上がるのも待たず、歩き出した。幸太郎はしばし考える素振りを見せたが、結局立ち上がると彼の後を追った。


 二人がその場所についた時、香たちは二人組の男に話しかけられていた。しかし、彼女たちに付いて行く気はまったくないようで、伸ばされた手を荒く払っている。しばらくして二人組が諦め、去っていったところで宗介は彼女たちに声をかけた。


「よう!」


 その声に彼女たちは振り向く。そして宗介と幸太郎の顔を確認すると、涼ははっきりと分かる嬉しそうな表情になり、香はなんとも言いがたい微妙な顔をした。香は幸太郎に対して、どう振る舞っていいか迷っているようだった。


 宗介はそんな香の様子に一切触れることなく、無造作に涼に近づくとその肩を抱いた。そして彼は幸太郎と香、それぞれに目をやってから言う。


「じゃあ、そういうことだから。後は二人でなんとかしろよ」 

「え?」


 幸太郎の反応を一切無視した宗介は、涼と連れ立ってその場から去ろうとする。そこに慌てたように「ちょっと!」と香が声をかけると、今度は涼が振り向いた。


「お互い仲良くしてね」


 それだけ言った彼女はまた前を向き、そうして二人はすたすたと歩き去っていった。もちろんその場には香と幸太郎の二人が残される。


 あまりの宗介たちの早業に、最初からこれが狙いだったのかと幸太郎は思った。が、もうすでに後の祭りなのだ。どうにかこの状況を飲み込んだ幸太郎は香の方を向いた。すると、彼女は突然のことに混乱しているらしい。涼からは何も話を聞いていなかったようだ。


「えーと」


 そして覚悟を決めた幸太郎はようやく香に声をかける。


「なんていうか、この前はごめん」


 香はその言葉に怪訝な表情を返した。少しして、彼女はようやく何について謝られているのか分かったらしい。「あー」と間の抜けた声を出した香は、それから小さくうんと頷く。


 それから我に返った彼女はいきなり跳ねるようにして動き出し、幸太郎の手をぎゅっと握った。そして彼女はその手を引いて、力強い足取りで歩き始める。


「ん、え?」


 そんな幸太郎の戸惑いを香は完全に無視した。そして彼女は彼をそのまま広場の外まで引っ張っていったのだった。



 黙ったまま歩き続けた二人が着いた先は、幸太郎の家だった。香は勝手知ったる様子で玄関の戸を開けると、彼と手をつないだまま中に入る。そうしてようやく彼女は幸太郎の手を離した。


「あのね」


 間髪入れず、香は幸太郎に顔を向けると彼の顔を見つめる。それから彼女はためらう様子もなく、あっさりと言った。


「考えたんだけど、私たち結婚しちゃえばいいと思うの」


 さっきまで歩きながら色々考えていた幸太郎も、そのまったく予想していなかった言葉に驚くだけで、何もきちんとした反応を返すことができなかった。香は構わず話を続ける。


「ね、そしたらさ。全部解決するでしょ?」


 幸太郎には彼女が言っている意味がよく分からなかった。どうも彼女の中だけで話が進んでいるように思える。


「ちょっと、ちょっと待って。それはいったいどういうこと?」


 幸太郎の質問に、香はなぜ分からないのだという表情をした。


「いや、だってさ。幸太郎は一人きりだから兵に取られるんでしょ。だったら、私と一緒になってさ。自分の家族作っちゃえばいいんだよ。そしたら兵にならないといけない理由もなくなるでしょ? もちろん代わりに行くことになる別の誰かには悪いけど、でも……」


 香の言葉を聞いて、幸太郎は唖然とした表情になった。彼女は本気で言っているのだろうか。


「いや、それは――」

「大丈夫。私、幸太郎の稼ぎが少なくても文句は言わないから。きちんと毎日働いていてくれさえすればいいよ。それに私もちゃんと働くし。あと時折でいいから、私に気を遣ってくれればいいかな」


 そう言って香はかすかに笑うが、幸太郎には笑えなかった。


「いや本当に、ちょっと待って。その、話をどんなふうに聞いてる?」


 やはり変だと思った幸太郎が真剣な眼差しで問うと、香は不思議そうな顔をして答えた。


「幸太郎が清洲に行かないといけないんでしょ? 家族がいないから。だから行かないで済むように私考えたんだ。ウチの養子になるとか色々考えたんだけど、でもこれが一番いいかなって。代わりに行く人はまた一彦さんとかがうんうん唸って決めたらいいんだよ」


 散々噂は流れていたはずだが、香が耳にすることはなかったのだろうか。いや、それよりも――。彼女にはちゃんと全てを理解してもらわなければならない。


 幸太郎はなんとも言いがたいような難しい表情で、彼女に言い聞かせるように言った。


「香。俺が清洲には行くことはもうはっきり決まっててさ、ありえないんだ。行かないのは。いまさら何を言っても断れるはずがないし……、それに自分で考えて決めたんだ」


 そして幸太郎は香の顔を見つめながら、さっきまで考えていた自分の望む方向に話を進める。香は黙って彼の顔を見つめながら、幸太郎の話を聞いていた。


「それにもしかしたら、この先村にも帰ってこれないかもしれない。だから、なんて言うか、香はさ。俺じゃなくて――」

「待って!」


 その時突然、香が強い口調で話を遮った。幸太郎はもちろん話すのを止めて、彼女が口を開くのを待つ。


「どうして……そういうこと言うの?」


 さっきまでの表情が嘘のように、香はひどく悲しげな顔をした。


「ごめん。でも」

「違う! そういうことじゃないの!」


 もう一度話を遮った香は続けて言う。


「……知ってるよそんなこと。でも、今日くらいはいいじゃない。全部嘘でも。お祭りの日なんだから」


 その言葉が彼女の口から出た瞬間、幸太郎はようやく気付いたのだった。やっと彼は香の言いたいことを理解した。彼はまったく香の思いを取り違えていたのだ。


 香は言うまでもなく、幸太郎の抱える事情を全て正しく理解していた。彼女は全て受け入れた上で幸太郎に冗談・・を言っていたのだ。


 幸太郎が最初に謝ったことで彼女は思い出したのだろう。二週間前、幸太郎が香をからかったことを。彼女はその仕返しの形を取るようにして、冗談を言っていた。非日常が許されるこの祭りの日だけでも自分の思い通りになってほしい、その一心から出た言葉だった。そして幸太郎はその彼女の冗談にちゃんと乗せられなければならなかった。


 幸太郎の表情が変わったのを見て、香はもう一度言った。


「ねえ、さっきの……全部解決するでしょ?」


 今度こそ、幸太郎は頷いた。


「……うん。全部解決する」


「なら、私と結婚してくれる?」


「……する。いや、その、そうじゃなくて。結婚、しよう」


 ようやくそこで香は表情を優しげなものに変えた。


 それから二人は、お互いに話すことが冗談だと承知しながら、出来の悪いおままごとのような会話を続けた。最後まで幸太郎はぎこちなかったが、香はしっかりと自分を騙しきっている。もしかしたら、お登勢の心配は余計なものだったのかもしれない。この場の空気を支配しているのは完全に香だった。


 そうして時間は経ち、夜は段々と更けていく。


 香はその日、初めて幸太郎の家に泊まっていった。



 そうして祭りの日の三日後。


 幸太郎を含む五人の若者は、それぞれの思いを胸にこの村を出発した。

 そんな彼らを多くの村人が見送る。

 しかしその中に、香の姿はなかった。

 彼女はその日、自分の家から一歩も外に出ようとはしなかった。

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