七ツ星

いうら ゆう

七ツ星

 さて。

 それではあなたにひとつだけ、昔話をお聞かせすることにいたしましょう。

 昔々、あるところに美しい娘がいたそうです。

 おや。頭を捻った方がいるようですね。

 なぜ『いました』ではなく『いたそう』なのかと。

 答えは至極単純です。

 なぜなら、彼女を『美しい』と評したのは、彼女を所望した一人の王だけだったから。他に娘を『美しい』と評した者がいなかったから。

 ですから、一人の娘がいたことは確かですが、果たして彼女が本当に美しかったのかは今となっては分かりません。

 では、改めて話を始めましょうか。


 昔々、あるところに美しい娘がいたそうです。


 娘は、森の傍の古ぼけた小屋に、年老いた両親と暮らしていました。

 王が娘と出会ったのは、彼女に言わせるならば全くの偶然でした。王はこれこそまさに運命なのだと娘にしきりに繰り返し聞かせましたが、やはり彼女にしてみればいつもの道を歩いている途中に、たまたま落ちていた石に蹴躓いたのと大差はないように思えました。

 事実、彼女が王と出会えたのは、森の中で倒れていた王の身体に娘が蹴躓いただけだったからです。

 こっそりと一人城を抜け出し、狩りに興じていた王は、追っていた獲物に逆に体当たりされた揚句、馬から振り落とされました。動くこともままならず、三日三晩、飲まず食わずで横たわっていたところに娘が蹴躓いたのです。

 自分が蹴躓いたのが人であったことに驚いた娘は、相手の意識が朦朧としていることに大層慌てました。

 彼女は、ちょうど今しがたもいできたばかりの葡萄を一粒ちぎると、彼の口に葡萄の果汁を落としました。汁気を押し当てた指先からわずかに彼の口元が動いたのを感じとった娘は、もう一粒葡萄をちぎって種を取り除くと、彼の口に実を含ませてから、助けを呼びにその場を離れました。

 翌日、王は娘の家で目を覚ましました。

 それでも、自力で起き上がるにはまだ難がありましたから、娘と彼女の両親は、手分けして彼を看護しました。

 ようやく王が言葉を口にできたのは、さらに三日が経った日のことです。

「変わった、味、だな」と王は、与えられたスープを口に含み、言いました。王はひどくしわがれている自身の声に驚きましたが、娘が微笑したのを見て、どうやら伝わったらしいことを悟りました。

 お口にあいませんでしたか、と娘は首を傾げます。

 いや、と王はかぶりを振りました。

「豆を潰したものにほんの一摘み塩を加えたスープです」

 それだけか、と王は尋ねます。それだけです、と娘は答えました。

 娘らの暮らしぶりは、王のそれと比べると、実に貧相なものでした。

 それでも、王が彼らとうちとけるのにそう時間はかかりませんでした。

 特に、彼と娘は、多くの言葉を交わしました。

 それは、娘の知っている庭先や森、村の出来事だったり、王の知っている都やこの国、隣国の出来事だったりと、話す内容はまちまちで、あちらこちらへ飛ぶ話題を、彼らは飽きもせず語りあったのです。

 やがて歩けるようになった王は、ある夜、風にあたりたいのだ、と娘に請いました。彼女は快く引き受けると、彼に手を貸し、家の外へと連れ出しました。

 雲のない、星月夜。空に広がる満天の星に、王は我を忘れて圧倒されました。

「ここは、星が綺麗だな」

「…………」

 このように美しい星はそうはない、と王は感嘆を洩らします。娘は「ええ」と溜息をつきました。

 次の日の朝、王はすっかり元気になっていました。もう娘の手を借りずとも、自由に動き回ることができました。

 そうしてこの日、彼はこれまでの世話の礼を述べると共に、自分がこの国の王であることを娘と家族に初めて明かしたのです。

 事実を知らされた三人は声も出ぬほど驚愕しました。

 王が娘の父に城への連絡を頼むと、年老いた父は、大慌てで村で一番足の速い若者の元に行き、城にこのことを知らせるよう言伝を託しました。

 王は「共に城へ来てほしい」と娘の手を取りました。

「お前はとても美しい娘だ」と王は言いました。

 妃となってほしいのだ、と彼は言い募ります。

 途端、娘はひどく傷ついた顔をしました。

 娘の両親は大変喜びましたが、娘は頑として首を縦には振りませんでした。

「父母のことが心配か」

 それもあります、と娘は答えます。

「村から離れるのが嫌なのか」

 それもあります、と娘は答えました。

「では、他に何がある」と王は尋ねます。

 娘は、口ごもりました。

「私のことが嫌いなのか」と王が問います。

 いいえ、と娘は首を左右に振りました。

「王様。私は目が見えません」

 娘の告白に、王はひどく困惑しました。なぜなら、毎日率先して王の世話をしてくれたのは彼女でしたし、昨夜王と連れ添って外へ出たのも彼女だったからです。

 娘の目が見えぬとはとても信じられぬことのように王には思えました。けれども、彼が娘の目に手を伸ばしても、娘はたじろぐどころか、眼球をほんのわずかにも動かさなかったのです。

 娘は王が彼女の額に触れて初めて、反応を示しました。

 それで王は彼女の目が本当に見えないのだということをようやく悟ったのです。

 しかし、それも王が娘を諦めるにはいくらか足りませんでした。ですから、王は構わず娘を説得しにかかりました。

 やがて城から迎えが来ても、どうにか娘から承諾を得ようと、王は奮闘し続けました。

 とうとう日暮れの時刻となっても、王の説得は終わりそうもありません。

 さすがに娘は根負けして、「では、王様」と彼に一つ条件をつけました。


「あなたは、ここは星が綺麗だとおっしゃいました。ですが、私は星を見たことが一度もありません。だから私に星を七つ持ってきてください。もしも、あなたが私に星を七つくださったのなら、私はあなたの元へ参りましょう」


 城へ戻った王は、すぐさま国中に星を探すようお触れを出しました。

 すると、すぐに星は見つかりました。

 流れ星を拾ったと言う人々が、地に落ちた星を手に城へやって来たのです。人数はちょうど七でした。

 王は大変喜んで、早速娘の元へ星を持って行きました。

 ごらん、と王は、娘の手に持ってきた星を七つ載せました。

 星は、娘の手には重く、ごつごつと固いものでした。

「これは、本当に星なのですか」

「そうだとも。これが、お前が望んだ七つの星だ」

「では、これがあの日あなたが言ったのと同じ美しい星なのですね」

 微笑んだ娘に、王は言葉を詰まらせました。

 娘が手にしているその星は、茶色に焼け焦げ、あの日の星とは比べ物にならぬほどみすぼらしかったからです。

 結局、王は娘の手から七つの星を取り上げると、道に捨ててしましました。

 続いて、王は国中の学者を城に呼び集めました。

 何かよい案はないか、と王は学者たちに問いました。

 すると、一人の学者が“七つ星”と呼ばれる魚がいることを王に進言しました。

 王は大変喜んで、早速娘の元へ“七つ星”を持って行きました。

 ごらん、と王は、娘の手に持ってきた“七つ星”を載せました。

 星は、娘の手には柔らかく、鱗があるように思えました。

「これは、本当に星なのですか」

「そうだとも。これが、お前が望んだ七つの星だ」

「ですが、これは魚のようです」

「“七つ星”という魚なのだ。それに、鱗は銀に光って美しい」

「では、これがあの日あなたが言ったのと同じ美しい星なのですね。星は魚の形をしているのですね」

 微笑んだ娘に、王は言葉を詰まらせました。

 夜空の星が、魚と同じ形をしているはずがありません。

 結局、王は娘の手から“七つ星”を取り上げると、道に捨ててしまいました。

 困りきった王は、子どもから老人まで、城中の家来をみんな集め、何かよい案はないか、と問いました。

 すると、使い走りの子どもが、「そんなこと簡単ですよ」と申し出ました。

「水を張った盥に、夜空を映せばいいのです。そうすれば七つと言わず、たくさんの星を手に入れることができるじゃないですか」

 王は大変喜んで、夜になると早速娘の元へ水を張った盥を持って行きました。

 ごらん、と王は、数多の星々を映す盥の水に娘の手を差し入れました。

 星は、娘の手には冷たくて、掴みどころのないものでした。

「これは、本当に星なのですか」

「そうだとも。これが、お前が望んだ星そっくりそのままだ。七つと言わず、お前はたくさんの星を手にしているよ。とても美しい。あの日に見た星にも勝る美しさだ」

 ですが王様、と娘は悲しそうに言いました。

「私には、井戸で汲んだ水と変わらぬように思えます。やはり、私にはあなたの言う星を知ることはできないのですね」

 王は、絶句してしまいました。

 娘の手から、盥を取り上げ、星を映す水を道にぶちまけるもできませんでした。

 王は、娘の目が見えぬことをちっとも気にかけなかったことに気付いてしまいました。

 王の手元には何も残りませんでした。

 星を映した水は一滴残らず零れ落ちて、地面に吸い込まれてしまいましたから。

 王には他に思い当たる“星”がもうありませんでした。

 季節は巡り、再び、実り多き秋を迎えました。

 あれ以来、王が娘を訪ねることはありませんでした。他に星を見つけられなかったのですから、訪ねられるわけもありません。

 ある日、家来の一人が、籠に溢れんばかりの果物を詰めて、王へ献上しました。今年、城の庭で採れたばかりの果物です。

 その中で、王は一際鮮やかな果物に目を留めました。

 ああ、それは思いつけばなんと簡単なことだったのでしょう。

 王は、早速準備を済ませると、娘の家へ出かけました。

 果たして、娘は以前と変わらず、森の傍近くの小屋で、年老いた両親と共に暮らしていました。

 久しぶりに訪ねて来た王に、家の扉を開けた娘は、初め怪訝そうな顔を見せました。

 しかし、「分かるか」と問うた彼の声に対し、娘はとても驚いた後、「はい。王様」と慎重に頷きました。

「ようやく星を七つ見つけた」

 ごらん、と王は娘の手を取り、鮮やかな濃い紫の粒を七つ載せました。

 星は、娘の手にはとても軽く、皺が寄った表面は柔らかくも固いものでした。手の内から立ち上がる豊かな香が、娘の鼻腔をくすぐります。

「これは本当に星なのですか」

「そうだとも。これが、望み通りの七つの星だ」

「では、これがあの日あなたが言ったのと同じ美しい星なのですね」

「そうだ。これは美しい星なのだ。試しに一つ食してみるといい」

 王に促され、娘は掌の粒を一つ口に含みました。粒を齧ると、パッと甘みが広がります。自然と笑みが広がる芳醇な味でした。

 そして、娘はこの粒の味を知っていました。

「王様、これは干し葡萄です」

「そうだ。これは干し葡萄だ」

「ならば、王様。これは、星ではありません」

「いいや、これはあの日、私がお前と見た星、そっくりそのものだ」

 娘は首を傾げます。

 よいか、と王は娘の掌から干し葡萄を一粒摘み上げました。

「夜は、これと同じ色をしていた。空に広がる数多の星は、これと同じ大きさだった。それだけではない。星は時には指針となるものだ。道を示すものだ。あの日、お前は私に道を示した。もはや死ぬばかりと思っていた私に、お前は葡萄を与えてくれた。あぁ、助かるのだ、と教えてくれた。これと同じようにとても甘く、おいしかった。それに、星は人が願いをかけるものだ。私は、あの日、お前と一緒にいられたらよいと願った。そして私は、お前がこの七粒を星と認めてくれて、一緒にいられることを願っている。だからこれは紛れもなくあの日と同じ星なのだ」

 少なくとも私にとってはこれが七つの星なのだ、と王は干し葡萄を一粒、娘の掌に戻しました。

 娘の手にあるのは、彼女が食べた干し葡萄とあわせて七つ。

 掌にある干し葡萄を、娘は恐る恐る包み込もうとしました。

 王はもどかしそうに娘の手に両手を添えると、今度こそ約束の星をしっかりと彼女の手に握らせたのです。



 さて。

 王と娘の七ツ星は、これでおしまい。

 その後二人が、どうなったのか。

 あとはあなたの想像にお任せして、私はここで口を閉ざすことにいたしましょう。

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