第4話 ジュウサンパーセンテゥ
さて。何はともあれここまで読んでいただいて誠にありがとうございます。
ここまで引っ張るだけ引っ張ったのでここからは素直に書かせていただきます。
つまりストレートに。
「シン・ゴジラ」は面白いのか。
その前にまさかとは思いますがここに至るまで私が「シン・エイガカン」に書いた新世紀ロボットアニメの話とシン・ゴジラに何の関係があるのか。これ、解らない人はいますまい。
居ないとは思うけど、もし仮にそんな人がいたら。コレを読んでいて「ハテナ?」と思っていたら。こう言ってあげたい。
ググれよタコ。
指動かして脳みそ使え。
以上です。
それではシン・ゴジラへの感想です。
さて、男が何故あれほど酷い目にあっていながらまた例のロボットアニメの監督作品に手を出してしまったのか。
それは男にとって、ゴジラという映画がかけがえのないものだからに他ならない。
ゴジラは、男にとって亡き父親との数少ない思い出だった。
子供の頃、男の見たかった映画は「何とか漫画祭り」的なアニメ三本立てばかりだった。父親にせがんで連れて行ってもらおうとしたのだが、父は元来の映画好きで
「あんな子供向けの物にそこまで金は払えない。だったらお前一人で観ろ。お父さんは別の映画観てるから、終わったら外で待ち合わせよう」
などと変わった事を言う父親だった。
そんな父が、唯一それだけ一緒に観てくれたのが、ゴジラだった。
男の思い出の中にはいつも同じ風景があった。薄暗い映画館。スクリーンは1つの建物に3つしかない狭い場所。全席指定ではなく自由席だった。画面の中を所狭しと暴れ回る怪獣王ゴジラ。微妙に湿気ったポップコーン。塩がきき過ぎてややしょっぱいポテトチップス。甘いけどバニラの味があまりしない最中アイス。サイズの大きな紙コップに入った薄いコーラ。
そして傍らには、付き添いという事を忘れて夢中になる父親。
見終わった後に父は必ずこう言うのだ。
「やっぱりゴジラは強いんだな」
そして彼もまた頷くのだった。
そんな父ももうこの世にいない。
男は新世紀ロボットアニメ3(仮)を見たあのメンバーで、新しく生まれ変わったゴジラの半券を握っていた。
見終わった後、男は思った。
これは俺の知ってるゴジラじゃない。
と。
凄く面白い。発想が素晴らしい。ゴジラも怖い。俳優も良い。会話劇も良い。テンポも良い。終わり方も良い。男の好みにもバッチリ合っている。映画として、かなり完成度の高い作品だと思う。良い意味で幅広い客層に向けて作られている。ゴジラを知らない人間でも十分に楽しめる内容になっている。
だがしかし、男は思う。
これはあの日、父と観たゴジラじゃない。
全くの別物だ。
完成された1つの映画だ。VSシリーズと銘打ったあのゴジラではない。あれはもう、過去の遺物だ。あのゴジラはもう終わったんだ。父もいないのだ。男はようやくそれに気が付いた。
考えてみればあの新世紀ロボットアニメ新劇場版もそうだった。あれは全くの別物なんだ。子供の頃にシン君と胸を躍らせた時間はとうに過ぎ去った。あの日感じたあのワクワクはもう返ってこない。あれはもう、思い出なのだ。新劇場版にソレを求めてはいけない。
男はそう思った。
映画は時代を映す鏡である。その時その時代の息づかいを新作映画を観る事によって感じる事が出来る。シン・ゴジラは、まさに2016年を描いた作品だ。純粋に作品として素晴らしい。
男はもう、過去を観ようとはしなかった。新作映画に過去を重ねて観る事は新作映画へ失礼だと思ったからだ。
男は今日も、新作映画を観に映画館へ足を運ぶ。目の前に広がる、未来を観る為に。
男は自分に未来を観るように気付かせてくれたシン・ゴジラに感謝している。
ただ1つだけ
「石原さとみの英語。発音は気にならないけど『確率は13%』って台詞。『サーティーンパーセンテゥ』ではなく『ジュウサンパーセンテゥ』って言ったのがメッチャ気になった。13は日本語かい!」
という点だけが、どうしても解せなかった。
男はシン・ゴジラを見終わった時の事を振り返ってみて、トウジの心境をこう語る。
「マジで面白かったけど、監督。もう続編は作らんといてくださいね」
以上
これにて劇終である。
シン・エイガカン 三文士 @mibumi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます