第九話

第一章:あの日、あの時、あの場所で―――


*****




辰巳たつみ。…辰巳なんだろ?」


「………」


「…なぁ、何とか言えよ」


「………」


 答えはない。それどころか辰巳は何の反応も示さない。俯いたその懐かしい顔には、しかし表情がないのだ。生気が感じられなかった。それこそ、後ろで倒れている千里ちさとと呼ばれた少女のように。


「おい、聞こえてるんだろ辰巳―――っ⁉」


 混乱する頭のまま、また呼びかけようと一歩を踏み出したところで肩を掴まれる。その力の強さに思わずバランスを崩した。何事かと肩越しに背後を確認すれば、そこには険しい表情をした幼馴染がいる。


「離れて、恭佑きょうすけ

歌南かな…?」

「離れて。分かってるでしょ、蒲生がもうがここにいる筈がない」

「いや、でも…」

「いいから、離れなさい!」

「っ…」


 まるで、自分が駄々をこねる子供のようだった。歌南の一括に思わず足が竦む。


「恭佑、行こう」

雅輝まさき…」

「詳しい話は後だ。久保田達は先に行った」

「………」


 歌南、雅輝。普段から一緒にいることが多い友達。そして、に何があったのかを知っている数少ない人物でもある。そんな二人の言葉でさえ、どこか他人事のようで。ふわふわとしたハッキリしない意識の中でいくつかの記憶が点滅を繰り返す。

 おかしい、おかしい、おかしい。そうだ、俺は…。辰巳は…。




「そちらの事情は知りませんが、早くこの場を離れて下さい」


「「「!」」」




 凛とした声が響いた。歌南、雅輝、俺の三人が振り向けば、そこには件の青い髪をした少女が佇んでいる。


「離れて下さいって、あなた…」

「おや、言葉が優し過ぎましたか? 消えて下さい、そう言ったんです」

「っ…」


 あまりにも真っ直ぐな言葉に歌南も言葉を失った。


「おいおい、待てよ。何を言って―――」

「何度も言わせないで。関わるなと言ってるんです。いいですか、一刻も早くこの場から立ち去りなさい」

「っ…。何なんだよ…?」

「ちょ、恭佑⁉」

「何なんだよ、さっきから!」

「………」

「いいか、あそこにいるのは俺の友達だ! 関わるなだの消えろだの…何様だよ⁉」

「……はぁ。めんどくさ」

「あぁ⁉」

「面倒くさいって言ったんですよ、ガキが」

「っ⁉」

「友達と言いましたね? だったら、尚更分かっている筈でしょう―――」




「―――




「っ…」


 身体が震える。

 そうだ。そうなのだ。おかしい。辰巳が、ここにいる筈がない。目の前にいる筈がない。…いてはいけない。少女の言葉が正しい。


「ショックを受けようが、私に罵詈雑言を浴びせようが一向にかまいませんが、それよりも先にやることがあるでしょう」


「死んだ人間は蘇らない。貴方達の目の前にある非現実イレギュラーはこの世の歪みそのものです。それ以上関わるのであれば―――」




「―――死にますよ」


「「「っ…」」」




 三者三様、息を飲む。こちらに反論させないだけの威圧感を、この目の前の青い少女は放っていた。眠そうに見えるたれ目だが、その奥では青い瞳が爛々と輝いていた。

 綺麗だ。そんな途方もなく場違いな感想を抱きながらも、果たしてここから自分は何をどうすればいいのか分からなくなっていた。歌南も、雅輝も、それぞれ困惑の表情を浮かべたまま動けずにいる。




「…………け…?」


「「「⁉」」」


「!」




 その場に一石を投じたのは、本当に小さな小さな音だった。音、声音。この場にいる歌南、雅輝、俺、そして、青い少女。この四人の誰のものでもない声。

 それはつまり―――




「―――ウオオオオオォォォォォオオオオォオォォォオオオッッッ‼‼‼」


「っ⁉」


 そう、先ほどまで何の反応も示さないまま俯いていた辰巳が突如として咆哮を上げる。


「ちっ! ほら、走りなさい‼」


 舌打ちをした青い少女が声を荒げた。先ほどまでの静かな威圧感ではない、怒気さえも感じられる言葉が吐き捨てられる。


「いや、でも…」

「早く‼」

「行こう、二人とも!」

「ちょ、日輪。待って…」

「待たない! ダメだ、おれ達には何も出来ない!」

「でも、あの子…」

「いいから‼」

「「っ」」


 半ば強制的に雅輝に手を掴まれ、歌南と俺はその場に背を向ける。辰巳と、そして、青い少女を残したまま。




「―――アアアァァアアアアァァァアアアァッァアアアアッッ‼‼‼」




「っ…」


 背後からまた咆哮が聞こえる。それはもう、人間のものだとは到底思えないほどのもので。雅輝に引っ張られて走りながらようやく思考が働き始めた。

 そうだ、辰巳がここにいる筈がない。辰巳はもういない。その死んだ辰巳がここにいたという現実がおかしいのだと。




*****




「ちょっと! そろそろ離して日輪!」

「おっと、ごめん」

「………」


 どれくらい走っただろう。歌南が声を上げたところで俺達三人は立ち止まり、その場で立ち尽くす。

 何を話せばいいんだろう。これからどうすれば…。


「わたし戻るから!」

「え…はぁ⁉ 何言ってんだよ、歌南ちゃん」

「あの子一人で何が出来るって言うのよ!」

「それは歌南ちゃんが戻っても同じだろ!」

「っ…。そう、だけど…」


 歌南は悔しそうに言葉を詰まらせていた。雅輝の言っていることが正しい。俺にはもうそれだけしか分からない。


「…あの千里って子は?」

「息はしてた。だから、久保田達には何よりも早く病院に連れていけって言ってある」

「そう…。やるじゃない、日輪なのに」

「一言多いからね」


「「「………」」」


 沈黙が訪れる。正直、二人が何を話しているのか。久保田達がどうしたのか。そんなことはどうでもよかった。何故、辰巳があんなことになったのか。そして、あの少女はどうしているのか。それだけが気がかりで仕方ない。


「恭佑…」

「………」

「恭佑!」

「えっ…ああ、うん…?」

「…。アンタも凄い顔色。少し休んだ方がいいんじゃない?」

「…うん……」


 歌南の言葉も耳から耳へと抜けていく。何も話さないが、複雑そうな表情でこちらを見ている雅輝にはどんな顔をすればいいのかも分からない。

 辰巳のことで頭がいっぱいだ。


「辰巳…」


 どうして。何で。何が。どうなって。そもそも…。いや…。

 まとまりのない感情は未だに燻ぶり続けていた。その先へ行こうとしても、情報ねんりょうが足りない。


「……。日輪、やっぱりわたし戻るから」

「はぁ⁉ いや、だから…」

「後味が悪いの! あの子がどうなったかも気になるし…。それに、アンタもどうせ戻るつもりだったんでしょう?」

「え? いや、何のことだか…」

「わたしたちの鞄はしっかり持ってきたくせ、自分のは置きっぱなし」

「…バレてましたか。つっても、正直流石に自転車まで回収する余裕がなかっただけなんだけど」

「はいはい。…ほら、恭佑!」

「………」

「恭佑!」

「あ、うん…」

「戻るわよ」

「……え?」

「第二公園に、戻るの! 早く立ちなさい」

「いや、でも……」

「あーもう、どっちなのよ! どうせ蒲生のことが気になって仕方ないんでしょ?」

「そうだけど…」

「だったら、あんなどこの誰かも分からない子の言葉を聞くより自分で確かめないと」

「うん……」

「大丈夫。わたしもいるから」

「おれも忘れずに~」

「二人とも…」

「何かあったら、また逃げればいいでしょ。何なら日輪を置いてでも」

「…えっ⁉ そんな流れ⁉」

「ほら、行くわよ恭佑!」

「あ、おう…」


 また、だ。俺は何もできないまま。こうして歌南に手を引かれる。さっきまでは雅輝に引かれていた。結局、何も自分一人では出来ないまま、それでも世界は回っている。




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千歳玉響。 灯火可親。 @takemottexi

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