コード

りい

第1小節 プロローグ

階段を上ってすぐの扉。その扉を開けるとあまり広くない部屋には似合わないほど大きなピアノが置いてある。黒く光るその光沢を父さんは美しいと言う。そこから目線を上げると大小様々な賞状が飾られている。一番左から真ん中辺りまでの症状に書いてある名前は父さんの名前、宮下正継。日本屈指のピアニストで子供の時から多くのコンクールで入賞は当たり前。今でも全国各地に自分のピアノの音を届けに行っている。しかし世界には届かない。そんな人。その次から右端を除いてまでの賞状に書いている名前が母さんの名前、宮下晴。これまた子どもの頃にはコンクールで賞状を取りまくり、今ではなかなか有名なピアノの先生になっている。毎年多くの生徒がコンクールで入賞しているんだから教えるのも上手いらしい。そして右端にある一番小さな賞状に書いてある名前が宮下和音。俺の名前だ。小さい時にコンクールで入所して貰った賞状で、その時の父さんと母さんの喜びようは凄まじかったらしいがもう覚えていない。外を見ると雪が降っている。都会の人は雪を見ると感動するらしいが、生まれも育ちも雪国な俺にとっちゃこれはただの悪魔だ。ホワイトデビル。電車は止まるし、バスだって30分遅れるのは当たり前。ただでさえ少ないってのに・・・。話が逸れたけど、そんなすごいピアニストの間に生まれた俺は、初めからそういう運命だったのか、はたまた神様がそう仕組んだのか、ピアノは小さい時から弾いていた。しかし、俺には両親のような才能は無かったようで、さっきの賞状を取ってから今までコンクールで入賞を果たしたことがない。

「はぁ、もう辞めてえな」

こんなことを言っているにのなぜピアノの前にいるのか。それはこれからピアノの練習をしなくてはいけないからだ。母さんと。

「俺ももう中3だぞ。」

そんな虚しい呟きをかき消すように母さんは部屋に入ってきた。

「なんか言った?」

ちらっとこちらを見ながら母さんはため息をついた。

「あんたね、私が来るまでにちゃんとじゅんびしときなさいって言ってるよね。楽譜すら出してないじゃない。」

練習は決まってこの始まり方。

「あぁ、ごめん。」

俺だってやりたくてピアノやってるんじゃないんだよ、何でもかんでも調子いいこと言いやがって。なんてことも言えず俺は黙ってピアノの前に座った。これから練習する曲はショパンの、ワルツ 第8番 変イ長調 Op.64-3。今度のコンクールの課題曲だ。練習している時、なんて言われたか。リズムが違う?ずれた?強弱が的外れ?知ったことか!楽譜通りに弾くなら機械に任せればいい。俺はロボットじゃないんだ。母さんとピアノの練習をしている時はいつも同じことを考える。だから上達しないんだろうな。でもしょうがないじゃん。嫌いなんだもん。

2時間も練習させられて1階に降りると珍しく父さんがいた。

「和音、ピアノは楽譜通りに弾きなさい。」

お前もそれを言うか。多分父さんは俺のことが嫌いだ。入賞できないどころかろくにピアノも弾けない俺に愛想をつかしているに違いない。そんな人の言葉など俺にはなんの意味もなく、

「・・・ごめん。」

とだけ返しておくことにする。

「どこかに出かけるのか。」

着古したダッフルコートを着て、玄関に向かう俺に父さんは聞いてくる。

「うん、ちょっとそこまで。行ってきます。」

そう言って俺は出かけた。この家から飛び出す瞬間が好きだった。足の枷が外された気分。開放感。ふわふわと浮かびそうな脳内にニヤニヤしながら行き付けのCDショップへ足を運ぶ。別に音楽が嫌いなわけじゃない。ピアノの音が嫌いなわけじゃない。ピアノを弾くのが嫌いなんだ!

近所のおばさんに会釈をし、車も来ないのに無駄に長い信号を無視して、俺は目的の店へ急ぐ。今はただ、純粋に音楽に浸りたかった。堪能したかった。

CDショップに辿り着いてまず目指すのは視聴コーナー。ヘッドホンを耳につけて、適当な、よさげなロックバンドの音楽を頭の中に流し込む。あぁ、落ち着く。歪みのかかったギターサウンド。細かく刻まれるドラム。自分たちの叫びをメロディーに乗せて歌うロックバンドというのが俺はたまらなく好きだ。普段家では聞くことの出来ない、いい意味での騒々しさがそこには詰まっている。田舎の若者が都会に憧れる感覚。まぁ俺も田舎者なんだけどね。1曲聞き終えてからまた次のバンドの曲を聞こうとCDのジャケットを見ていると妙に俺の目を引くジャケットがあった。ギターを片手に持って両手を広げている男。気になる。目に止まったのは聴いてみる。これが俺のポリシーだ。よかったな、この和音の目に止まって。そんなことを考えながらそのCDに対応しているボタンを押した。ドラムスティックで4拍子のリズムを取った後に聞こえてきた音。刹那に俺の心は奪われた。奪われたと言うか、振り回された。

なんだこれ。なんなんだ。ギターの音じゃない。ベース?でもベースってもっと低音でズブズブした音でこんなはっきり聞き取れなかったような。しかもこんなに高音と低音がバラバラに、でも心地よく絡み合っている。なんだなんだなんだ。

途中からピアノが入ってきた。

普通はピアノが主役なのになんだこのベース。まるで譲る気がない。なんていうか、ピアノとベース、お互いが主人公だと言わんばかりに殴りあってる。あ、ベースが勝った。誰だこんな音楽を作れるのは!俺は興奮していた。今まで聞いたことがない音楽に、ただただ興奮していた。

「誰だこれ?」

気づけば声が出ていた。このCDを作った人が気になり、ジャケットに目を落とす。

マーカス・ミラー。そこにはそう書いてあった。ていうか、右手に持ってるのギターじゃなくてベースなのか。しかし分からない。初めて聞く名前だ。俺はさっきまで聞いていたロックバンドのことなんか忘れてこのマーカス・ミラーのCDを買っていた。

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コード りい @Ry_codo969

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