6『エピローグ』



 ―――

「それでは、おじいさま、おばあさま。これより村の警邏に行ってまいります」

「おお、気をつけてねぇ」

「無事に帰ってくるんだぞ、桃太郎」

「はい」


 身支度を整え、二人の待つ家を後にする。

 青空だ。今日も平和で何より何より。

 深く空気を吸い込むと、肺いっぱいに草木の匂いと……魚の焼けるいい香りがした。思わず視線を下ろすと、川の近くで村人が魚を焼き、桜の花びらを盃に浮かべながら酒盛りをしていた。


「おお、桃太郎どの!」

「これはこれは。賑やかでござるな」

「宴会はこうでなくてはねぇ! 今年の桜も綺麗じゃ! 桃太郎どのもそうは思わんか?」

「ん? ああ、そうでござるな……」


 川べりに並んで咲いた桜の木から、風に吹かれて散った花びらが舞い上がっていた。気付かなかった。もうこんな季節だったのか。


「とても、綺麗だ」


 そういえば、鬼退治から帰ってどれくらいの月日が流れたのだったか。一ヶ月? 二ヶ月?……いや、もっと経ってたはずだ。たしか……一年? 二年? 少なくとも、桜が咲いていた季節に旅立ったのを覚えているから一年は経っているはずだ。


「桃太郎どのも、一杯、いかがですかな?」

「……お気持ちだけ頂いておきます。これから村の見回りがありますので」

「そうかのう。じゃったら、お勤めが終わったら寄ってくだされ」

「ありがとうございます。それでは」


 ぼくは歩き続けた。

 歩き続けて、歩き続けて……どこへ到着するのだろう?

 鬼退治という勤めを終えたぼくは、これからいったいどうすればいいのだろうか。

 踏みしめた砂利が、風に撫でられて揺れる花々が、舞い落ちる桜の花びらが、ぼくの行く末を示すはずもなく、ただあるがままに流れていた。


 ……あるがままってなんだろう。


 川辺に寄ることもなく家へ帰り着いたぼくは、答えを探して運命の書を開いた。何度も何度も読んだぼくの物語。

 鬼退治をして、村に財宝を持ち帰り、めでたしめでたし。

 それ以降のことは記されていない。

 閉じてしまった物語。それでも生き続けなければいけない。

 ぼくはこれからどうすればいいのだろう。あるがままってなんだろう。

 日を重ねるごとに積み上がっていく疑問は、不条理な罰となって振りかかることになった。



・・

 ぼくはただ呆然と見ていることしかできなかった。

 燃え崩れる家々、人々。

 燃え焦げる畑、草花。

 燃え散る桜の木々。

 護ってきた平和が脆くも崩れ去っていく様を。

 無力。


「……なんだ、これは」


 突然襲撃してきた黒い群衆に、村はたちまちにして滅ぼされてしまった。

 無力。手にしたこの大剣はなんのためにあるのか。

 無力。これまで護ってきたものってなんだっけ?


――「これが、あなたの本来の力なのです」


 声が聞こえた。

 そこにいたのは、見慣れない二人組だった。


「……ぼくの、ちから、だと? こんな惨劇を生み出した原因が、ぼくだというのか?」

「そのとおりです。ですが、あなたが壊したものは、ただただ価値の無いモノだったのです」

「価値のないモノ……だと?」

「クフッ。ええ、そうですよ。不用品を処分しただけの話です。考えても見てください。記されたことに、いったい何の意味があるというのですか?」

「……なん――」

「閉じた物語を守り続けることに、何の意味があるというのですか?」

「なんだと」

「今のあなたに、何の意味があるというのですか?」

「なんだとォォッ!」


 斬りかかる。

 ぼくのすべてを一蹴したこの者たちを許せなかった。

 せめて一矢報いたかったんだ。

 守るべきものを守れなかった自分の不甲斐なさを棚に上げて。

 無下に消し飛んだぼくの生きる理由に対して。

 しかし、剣は折られてしまった。いともたやすく、まるで小枝のように。


「クフッ。主役というのは、なんとも悲しい運命を背負わされてますねぇ。無意味なものを守らなければならない宿命。しかし、無意味は無。無いものに価値なんてないんですよ」

「そんなわけない! 確かにあったんだ、守るべき意味がっ……」

「でしたら、あなたはなぜ迷ってしまったのでしょうか?」

「っ!」

「意味という道標をかかげているはずのあなたが、どこで道から外れてしまったのでしょう?」

「っ……」

 力がないから。ぼくに力がないからすべてが『無意味』になってしまった。

 あったはずのものも、何もかも。


「あなたに力を授けましょう」

「……ちか、ら……?」

「物語を終えたあなたに、物語を破壊し、創造する力を――」

「ナンセンスに色を付ける、混沌としたパレットを――」

「なっ、なにをっ!?」

「ようこそ。こちら側の世界へ」

「クフッ。カオスはすべての者を温かくお迎えします」

「やめ、あ、ぁぁっ、あぁぁぁああああ――」



・・・

 小高い丘の上で目覚めたぼくは、焼亡した村を見下ろして、これまで手にあったものがどうしようもなく壊れやすくて仕方のないものだったと気づいた。

 そんな華奢で貧弱なモノを押し付けた運命に対する憎しみの炎が、きっとぼくの運命の書を燃やして焦げ散らかしたのかもしれない。その片端が桃太郎のニセモノを生んで、本物であるぼくとともに破滅を望んでくれたのかもしれない。

 そのうちに、ぼくは桃太郎ニセモノの行動を制御することができなくなっていったんだ。彼らはぼくであり、悪でもあるものの、正義でもあった。そういったところから反発が生まれたのかもしれない。彼らはぼくに刃を向けるようになって、やがては歪の塊である桃太郎ニセモノ同士が戦いを始めた。


 襲撃してくる彼らを斬り倒すうちに、ぼくは倒されるべき存在なのだと思うようになった。そのとき、物語を終えて無意味になったぼくに、はっきりとした道標ができた。

 途中、戦禍に巻き込んだ村で、桜耶くんに出会ったことはとても大きい収穫だった。すべてが破壊され燃やし尽くされた地獄のような状況でも立ち向かうその姿に、自分を滅ぼしてくれる存在の形を見つけることができた。


 桜耶くんにぼくの持てる剣技を教えながら、強い者を探して旅をしていた。しかし、混沌に蝕まれた体も世界も滅びが近いと感じて焦りを感じていたとき、君たちと出会った。……圧倒的な正義との遭遇はもしかしたら悪者の運命だろうね。初めて自分に課せられた運命に感謝した。


 ―――


 ***

「言い訳をしていいかな。歩む道を見失った桃太郎ぼくには、もう選択肢がなかったんだ。……クふッ……」


 口から血泡を吹き上げながら、モモさんはえずくように笑った。


「剣豪さま……っ」

「桜耶くん、その呼び方はやめてくれないかな? そう呼ばれるような人間じゃないんだ。君に悲惨な運命を辿らせた私に、そう呼ばれる資格はない……」

「あなたが村の仇だったのは気付いておりました。それでも、それでも……気づくのが遅かったのです……あなたに憎しみを持つには、時間が経ちすぎていた……あなたの優しさに触れてしまったから……もう何もかもが遅すぎてしまったのです……っ」


 頬に血がつくことにも構うことなく、モモさんの手をあてがった。目から溢れた涙が、モモさんの指に絡みつく朱を混ぜて落ちた。


「なぜ泣いているんだい?」

「大事な人を、二度も失うなんて残酷です……!」

「大事な……人?」

「なあ、姉ちゃん」


 タオが言葉を投げかける。


「どうして気付けなかったんだ?」

「気付けなかった、とは? 何にかな」

「あなたを支えてくれる人々の思いです」シェインが言った。

「支えてくれる……人々……」

「それに気付いてさえいれば、あなたは道を外さずに歩き続けることができたんです」

「どうして、そんなことが断言できるのかな?」

「当然のことだ」タオが即答する。

「人は一人で生きているわけじゃない。寄り添って、助け合って、ときにはケンカとかするかもしれねーけど仲直りして、そうやってみんなで歩いて行くってのが人間だろう?……いたんじゃないか? 姉ちゃんを気にかけてくれる人たちが」

「いただろうか……」


 ふと何かに気付いたかのように、モモさんは血に浸るもう片方の手を開いた。ずっと握りしめられていたその手のひらにはひとひらの桜色が収まっていた。

 さっき空に手を上げて握りしめていたもの。それは桜耶さんの着物の破片だった。 何か心のなかで結びつくものがあったのかもしれない。手触りを確かめるように親指で撫で、目を細める。


「……ああ、そういえば……うん、そうだったかもしれないね。そっか……どうして今更になって納得してしまうのか……ふふ、くくく……大馬鹿野郎だ」


 視線を桜耶さんの方へ向ける。その目からは、ちろちろと灯していた残虐な混沌の炎が完全に消え失せていた。


「桜耶くん。君とは別の形で出会いたかった。心の底からそう思っている」


 モモさんの目から涙がこぼれ、線を描いて落ちた。――その時、地面が大きく揺れた。空を見上げると、まるでヒビ割れたガラスが少しずつ瓦解していくかのようにぼろぼろと空が海へ落ちていく。


「……そろそろ調律を開始するわよ。このままだと世界が本当に消滅してしまうわ」

「あと少しだけ待ってはくれないだろうか。最後の仕事を終えたいんだ」

「仕事……ですって?」

「桜耶くん。君にお願いをしていいかな?」

「……なんなりと、お申し付けください……っ」

「……君の手で、私を殺してはくれないか?」

「――ッ!」


 掴んでいたモモさんの手を離し、言われた内容への動揺に身を固める桜耶さん。

 レイナが割って入る。


「何を言っているの!? ダメよ、ここで死んでしまったら、あなたは調律の対象から外れてしまう。……主役は代役をたてて再開してしまうの!」

「ははっ、それでいいんだよ。倒された悪役は素直に舞台から降りないといけないからね。それに、この世界で芽生えた悪しき心を新しい世界に持ち越すわけにはいかないだろう?」

「でもっ」

「お嬢」


 タオがレイナの反論を遮る。


「タオ!?」

「姉ちゃんの最後の努めだ。それを否定するわけにゃいけない」

「っ……」


 全員が見守る中、桜耶さんは地に深々と刺された大剣に目をやる。


「でも……っ、……っ!」


 戸惑う桜耶さんの背中を押したのは、誰でもないモモさんだった。


「さぁ。世界が壊れきってしまう前に、アクを倒すんだ」


 ずるりと、頬に触れていた手が降りる。何かを期待しているように見える笑みを浮かべて目を閉じていた。

 逃げられない。彼女の表情を見てそう悟った桜耶さんは、立ち上がり、柄に手を添える。ゆっくりとそれを持ち上げ、剣先をモモさんへと向ける。


「ありがとう」

「っ……」

「……ありがとう」

「………………」

「…………すまな……かった……」

「――ぅぅううううううぅぅぅっ!」


 剣を振り下ろす。一息に押し込まれた剣先がモモさんの体を突き抜ける。刀身は半ばまで地面に沈んで止まっていた。斬られたところからモモさんの体が黒い霧と化し、跡形もなく散り広がった。後に残されたのは、モモさんが流した血と地を貫く大剣。刀身に、モモさんが髪を束ねるときに使っていた鉢巻が引っかかっていた。もともとは白い布地だったそれは、彼女の血を吸って朱く染まっていた。しかし、それでも帯の中心に描かれた桃の絵だけは、朱に染められることなくはっきりと浮き上がっていた。

 モモさんの存在を証明する唯一の証。それを拾い上げ、ただただ俯く桜耶さん。そんな彼女に、シェインが声をかけた。


「桜耶さん。あなたはどうするのでしょうか?」

「…………わたしは」


 立ち上がり、大剣を背中に収めると、僕たちの方へと振り向いた。目の下は赤くなっているが、なにか大きなことを決意したような、堂々とした顔つきをしていた。


「……わたしは、強くなって、人々の支えになりたい。剣豪さまみたいに導を見失って彷徨ってしまった人たちに手を差し伸べられるような、強い人間になりたい」

「そうですか」

「……おう、嬢ちゃんなら絶対にできる!」

「うん、ありがとう」

「さて、調律を始めるわよ」


 レイナは背後に背負っていた本『箱庭の王国』の留め具を外すと、ひとりでにページがめくれ上がった。真ん中あたりでピタリと止まり、そこから光の粒が漏れ出る。

 歪んだ世界を矯正し、元の姿へと戻す。レイナの『調律の巫女』としての力。

 顕現した調律師が光玉となって、世界へと浸透していく。


「混沌の渦に呑まれし語り部よ――」


 調律の祝詞を唱える。

 まばゆい光に包まれ、世界は修正された。――



 ***

 こうして、モモさんの引き起こした歪みは正され、世界には秩序が戻った。

 すべて解決したはずなのに、どこか後味が悪い。

 風が吹いた。凪ぐまでそれを受けてから、シェインが口を開いた。


「……これで、よかったんでしょうか?」

「よかったんだよ、これでな」

「……」


 再び全員が閉口する。


「……あっ、ねえ、あれって……」


 何かを見つけたらしく、レイナが指差す。村の外れで、三人の人間がなにやら話し込んでいる。

 二人の姿は見覚えはないが、もう一人、目立った大剣と桜色の着物から、僕の中で一人の人間が結びついた。


「あれは……桜耶さん?」

「みたいね」

「そうか……ここがあの嬢ちゃんの住む村なのか」


 小高い丘にいる僕たちには、眼下に広がる村の全容が見て取れた。

 村を囲むように桜が咲き乱れている。


「……綺麗ね」

「ですね」


 ふわりと穏やかな風が吹き、舞い込んでくる花びらと一緒に、三人の会話が混じって流れてきた。


「ここまでの見送り、本当にありがとうございます。この桜耶、修行の旅へと行って参ります。必ずや一人前の剣士となってこの地へと帰りますので、どうかお待ちくださるようお願い致します」

「修行の旅は辛く険しいものになるかもしれない。しかし折れることなく、剣を支えに挫けず精進するように」

「はい。お父様」

「必ず戻ってくるのですよ」

「お母様、心配かとは存じますが、わたしを信じて待っていてください。必ずこの村へ戻ります」

「ええ。ええ……あなたの無事を祈っているわ」

「ありがとうございます」


 二人に一礼し、踵を返す。


「それでは行って参ります!」


 何度も振り返り二人に手を上げる桜耶さん。だんだんとこちらに近づいてきて、言葉を交わすこともなく僕たちの横を通り過ぎていった。

 僕たちも彼女の後ろ姿を見送った。


「?……あの髪を束ねている鉢巻って……」


 シェインがなにかに気づいたらしい。目を凝らしてそれを見てみる。

 後頭部で括った長いポニーテール。それを留めている鉢巻に、桃が描かれていた。モモさんが持っていたものと同じ鉢巻に見えた。


「あれって、もしかして……」

「おそらく、モモの姉ちゃんが髪に巻いてたのと一緒のヤツだろうな」


 レイナとタオも気づいたらしい。


「どういう経緯で手に入れたのかはわからないけど、彼女にとってあれは世界が変わってしまっても大切な思い出なのね」

「……桜耶さんは道を外さないといいですけど」


 心配そうにシェインが言う。

 それに対して、タオが答えた。


「あれだけ温かい村なんだからな。嬢ちゃんはきっと大丈夫だ。それに、桃太郎の加護もあることだしな」

「そうね。それじゃあ、私たちも行きましょうか」

「そうだな!」

「ですね」


 どこまでも、いつまでも……とはいかないかもしれない。

 それでも、僕たちの旅は続いていく。頼もしい仲間となら、黒い霧の中でだってきっと歩んでいける。


「坊主! もたもたしてっと置いてくぞ!」

「あっ、待って!」


 最後にもう一度振り返る。

 村を囲む桜は、やっぱり綺麗だった。



            完

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真・桃太郎/バースト ばるじMark.6 ふるぱけ @hikarimo_6

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