絶対絶命

「このぐい呑み、いいわね」

「うん、でもね……」

 話し合った通りに訪れたみやげ物屋で私たちは唸っていた。視線の先には赤茶けた器。木目にも見える模様が特徴的だった。さわり心地もよく、手のひらにちょうど収まるいい具合のぐい呑みだった。オジサンくさいとかそういうことが問題なのではない。


「……七千を超えてくるのは予想外だね」


 お値段が少し、いや、わりと高めなのである。

 その葛藤をどう勘違いされたのか、店番のおばあちゃんが近づいてきた。

「それは中の畑焼って言ってね、ここいらで作ってる焼き物なのよ」

 私はへえとかふぅんとか情けない声しか出なかったけど、サヤちゃんは言葉を返した。

「この色、素敵ですよね。それで気になっちゃって」

 さすがサヤちゃん。褒めつつもさりげなく話を広げた。

「これはねぇ、廃坑の鉄錆を使っているのよ」

 その答えには頓狂な声を上げてしまった。


「鉄サビ?」


「そう、鉄錆。廃坑のもう使われなくなった鉄くずたちがこうして綺麗な焼き物になってるの。死んでたはずのその鉄錆たちに命を吹き込んだ職人さんがいるってこと」

 私には廃坑の鉄サビを使おうと思った理由は想像もつかなかった。それでもその人たちのお陰で、捨てられていた鉄サビはこうして生まれ変われたんだ。

 そう考えると急にこのぐい呑みが愛しく感じられた。

「サヤちゃん、私これ買う」

「はいはい、行ってきなさいな」

 どうやら彼女は買うつもりはないらしい。値段を考えれば当然だろう。でも私は自分への誕生日プレゼントだと思うと手痛い出費とは感じなかった。

「ぐい呑み、買うのかい」

 おばあちゃんも少し驚いている。こんな若い娘がぐい呑みに七千円も出すとは思わなかったのだろう。

「そしたらいろんな模様があるからゆっくり選びなね」

 そういわれて並べられたぐい呑みを手に取ってみる。

 あ、と小さな声が漏れた。

「ひとつひとつ違うんだ」

 木目が違うのはもちろんのこと、意図的につけられたような焦げた模様にも種類があった。

 こっちは梅、こっちは松、こっちは。


「雪の結晶……」


 大小一対の六花がぐい呑みを飾っていた。季節外れのはぐれもの。赤茶の器なのに雪の模様。なぜだか解らないが、それが妙にしっくりときた。

「私、これにします」

 緊張しつつおばあちゃんに器を手渡す。

「はいよ、大事にしてちょうだいね」

 おばあちゃんは柔らかく笑うと、緩衝材を詰めこまれた木箱に器をそっと置いた。包装用紙が落ち着いた焦げ茶をしているのも気に入ってしまった。

 財布を軽くした分の重みを感じながら店を出る。

「良い買い物した?」

 サヤちゃんが使い捨てカメラを取りだしながら尋ねてきた。

「……うん。なんか放っておけなかったし」

 はにかみながらカメラに向かって笑顔を向ける。

「確かに。ずっと売れ残ってるのかな」

 くすりと笑いながら彼女はシャッターをきった。

「かも。サヤちゃん、それ何枚目?」

「え? 一枚目だけど」

 そっか、撮ったのは前回だもんね。

「それより祠があるみたい。ちょっと行ってみたいな」

「えー、たぶん雪に埋もれてるよ」

 祠。あそこに行きたくはない。私は体験したからだ。

 どういうわけか、私は少なくとも一度以上、この現実を生きていた。初めはぼんやりとしていた記憶がだんだんとカタチを持っていく。

 前回は祠に行きそびれた帰り道、そこで滑って頭を打った。あのまま死んだのかそれとも意識を失ったのか。それは分からないけど、少なくとも私の意識はバスにゆられるところからやり直されていた。

「山道ちょっと歩くみたいだし、やめとこうよ」

 実際にもう一度転ぶかどうかは分からない。けれど、本能的にイヤな感じがするのだ。

「そしたらどうする? 宿、行っちゃうか」

「うん。のんびりしたいな」

「あ、それなら足湯行く?」

 敏感になった脳内センサーが作動。しかし足湯は危険と判断されなかった。

「じゃあ、それなら――」



『ほんとにだいじょうぶ?』



 聞き覚えのある声。

 目を向けると道の真ん中に少女が立っていた。朱の着物に包まれた真っ白な肌は、えも言われぬ清廉さを持っている。綺麗な黒髪はおかっぱに切りそろえられていて、どことなく和人形を連想させた。

『あなたが変わらないと何度も死ぬことになるってわかってる?』

 心臓が早鐘を打ったように鳴る。隣にいるサヤちゃんに視線を移す。でも彼女は動いていなかった。時が止まったように音も消え、私と少女だけが現実から隔てられていた。

「あなたは、誰?」

 どうして私が死んだことを知っているの? どうして私は同じ時を繰り返さなくちゃいけないの? どうして……。聞きたいことはあふれていたのに、上手く言葉にできない、声が出ない。

『あなただってどうにかしたいと思っていたんじゃない? だからその子のさそいに乗ったんでしょう』

 少女は私の質問を無視して、サヤちゃんを指差す。微かに笑みを浮かべながら止まってしまった彼女の横顔が私の心に突き刺さる。

 確かに私はどうにかしたかった。彼に捨てられたショックだけが大きくて、ぽっかりと空いた穴をどうにかしたいって、そう思っていた。今のこの気持ちの整理も、これからのことも、どうしたら良いか分かんなくて旅に連れて行かれることを選んだ。

「だったら、なんなの」

 見透かすような目の少女を睨みつける。

『だから、てつだってあげてるの』

 は? と声が漏れる。

「手伝うってなにを」

 意味が分からない。分かりたくもない。

『またちゃんと死ねたら、生まれ変わってやりなおし』

 少女は私の言葉に見向きもしない。

『それまで、なんどでもやり直してね』

 少女は笑みを残して姿を消した。それはどこまでも悪意がなくて、だからこそ私の心根をゾッとさせた。


「……カ……ハルカ……ハルカ!」


 サヤちゃんの声が大きくなったり小さくなったり響いたりかすれたりする。ぐわんぐわんと頭が揺れた。

「あ、ああ」

「どしたの。顔色悪いよ? 足湯って言ってたけど、そろそろ部屋入れるし、行く?」

「う、あ、うん……」

「気分悪いままじゃ楽しめないもんね」

 そして私はサヤちゃんに手を引かれる。歩道の雪は少ない。踏みしめて歩いてやろうと思ったのに。

「……ちょっと散歩したいな」

 いま部屋になんて行ったら二度と立ち上がれないような気がした。座りこんだら溢れかえってしまう気がした。

「使い捨てカメラだし、使い捨てちゃお」

 サヤちゃんからあまりにも軽いカメラを受け取った。

 それからは雲の上を漂うようだった。街の隅まで探索して、宿に戻ると日が暮れる。坂の上の温泉に行こうって、今度は夜の街に繰り出す。わずかに残ったフィルムを使い切ろうってまたカメラを持っていく。でもそこはあまりに幻想的で、なんのためにカメラを持ってきたのか忘れてまった。

 冷たく澄んだ空気を吸い込んで、白い息を吐く。時間が止まったように街は黙っていた。

 街灯は夜の藍をちろちろと照らしていた。欄干に積もった雪は、その橙の燈をふくんで柔らかくみえた。木造の建物が連なる通りに静かに積もる雪。とっぷりと浸かった夜の色。橙と白の混ざりあって解けるところ。

 目頭が熱くなる。

「なんだか、こう、すごいねえ」

 思ったことが上手く言葉にできないことを、今だけは恥ずかしいと思わなかった。

「あれ、うまい言葉が、その、見つからないね」

「サヤちゃん変なの」

 言葉が要らないときがあると思った。どうしたって言葉は後から来るもので、デフォルメしてしまうようで、とても脆くて頼りないものに思えた。

 私たちは静かに歩き出す。止まった時間がさっきみたいに苦しくないどころか心地よかった。街が作り物めいている。

「あー、あれ、坂の上の温泉行こう。きっとすごいよ」

 サヤちゃんの思い出したような言葉で、あてどない私たちの歩みは行き先を見つけた。


 ◇ ◇ ◇


 急な坂道だったが、雪も積もるほどではなく、多少息を荒げた程度で登りきれた。

「……さっむ」

 坂の上の温泉が露天になっていることを知っていても、それには抗いようもなかった。山に覆われたなかにぽつりと浮かぶ温泉街が奇妙に見える。あそこに立っていた実感が湧かなかった。あんな、ジオラマみたいな街。

「ここから見ても凄いのね」

 サヤちゃんは恍惚の表情で湯に半身をつける。ちらちらと舞う細雪が彼女の黒髪のお団子へ吸いこまれていく。

 やっぱり綺れ――。

「綺麗って言葉が無駄に見えるよね」

「えあっ? な、なにっ?」

 サヤちゃんは私の動揺には気づかずに答えてくれる。

「ほら、あそこにさっきまでいたんだよ」

 うんとかすんとかぼんやりした声を返す。サヤちゃんの黒髪に見とれていたとか、恥ずかしくて言えない……。

「凄いよね、こんな古い街並みが残っているなんて」

 こぽこぽと新しい湯が浴場に注がれて音をたてる。現実味のないあの街並みを抜け出して、この露天風呂に来た。途端に全ての不安が漏れだすようだった。裸になった私は、心までもが無防備にされ、いまここにいるような気がした。

 お湯に溶けるみたいに私は沈む。

 自分のしてきたこととか、彼にされたこと。そういう見て見ぬ振りをしたことが、全部流れてしまえばいいと思った。

「思い出してるんでしょ」

 鋭くはないその声に、私は射抜かれた。

「黙るってことはそういうことだもんね」

 なにも言えない。私にはもう、なにも言えない。ふられた私が、自分を笑ったのは傷ついたふりをしたかっただけだった。


――いや、傷ついたふりだと思い込むことで本当は傷ついていないんだと思い込みたかったのだ。


 痛くなんかない、痛いふりをしているだけだって思えば、痛みが自分のものじゃなくなった。

「……雪って溶けちゃうじゃん」

 でも、自分についた嘘を暴かれた私には、もう我が身を守るものは何もない。

「雪の結晶ってせっかくひとつひとつ違う形をしてるのに、そんなこと誰にも知られないまま消えちゃうじゃん」

 私のぼそぼそとした声は届いているだろうか。

「それってもったいないと思う?」

 私の押し殺した嗚咽は届かないでいるだろうか。

「ごめんね、友達だから甘いこと言わない」

 サヤちゃんの声は包みこむような柔らかさだった。

 彼女は近づいてきて、私の肩を抱き寄せる。

「ハルカの馬鹿。いっつも頑張って尽くして、それでもフラれるじゃん。合ってないんだよそういうやり方が」

 私は頑張っていた。頑張ってしまった。彼をつなぎとめるためにいろんなことをしてきた。でも繋ぎとめようとすること自体が間違っていたのかもしれない。繋ぎ止めなきゃ側にいられないようなものじゃダメなんだ。

「ハルカは馬鹿。大馬鹿。痛かったら喚けばいいし、悔しかったら愚痴ればいい。そんで言葉が出なかったら泣けばいいんだよ」

 言葉が出なくなる。歯と歯の隙間から漏れ出した呻きが小さな露天風呂に響く。大粒の熱い涙がボロボロと零れた。熱いお湯に浸かっているのに体が震える。サヤちゃんにしがみついていないと、こんなに浅い浴場でも溺れてしまいそうだった。自分の体をしっかりと留める。膝を曲げて、腕の中に抱え込んだ。

 呼吸が乱れる。息が吸えない。吸えてる? はい、肺が、痛いよ。胸が、痛いよ。

「雪が溶けたら春になるって昔から言われてるでしょ」

 サヤちゃんの手が、せなかに。背中? 細いゆび。どうして、私、必要ないよ。

 お湯と私の体温が、とけて、まざっていく。血と、温泉はさかい目をなくして。私、おん、せ……。

「――ん……ぇ?」

 朦朧とした意識が戻っていく。手元には焦げ茶の包装がなされた木箱と、使い捨てられていないカメラ。

 隣には動かないサヤちゃん。そして顔を上げた先には、



『よかった、十九回目でちゃんと死ねたんだね』



 朱の着物で身を包んだおかっぱの少女がいた。

「う、そ。なんで? なに? わたし、しんでない」

 さっきまでの感情がどこか遠くに感じる。

 おかしい、だって、ここは。このときは。

 慌てて手元の使い捨てカメラをみると、残り枚数が二十三。二十四枚撮りのはずだから、一枚しか撮ってない。

 そしてこの包みにはぐい呑みが入っている。だとしたら土産物屋を出て散歩の途中? 死んでないのに、私。

「いまは何時なの」

『せっかく旅行来てるんだし、時計を見ないで過ごしてみない?』

 いつか聞いたサヤちゃんの言葉で少女は返した。

「なんでこんなことするの……。私、どうしてこんなに辛いことしなくちゃいけないの? 死にたくないよ、私。こんなことをずっと繰り返して、ここに閉じ込められるなんて……。そんなの死んでるのと一緒だよ」

 遠ざかった痛みとは別の痛み、そして怒りがわき起こっていく。

『ううん、あなたはもう死んだの。自分の痛みを偽ってきた「あなた」は、たった今死んだの。だから新しい「あなた」はここから生まれ変わるの』

 告げられた予想外の答えは不思議と理解できた。

 さっきと違って自分の痛みが自分のものになっているのを感じる。

『やっと、だよ。二十回目で「あなた」はちゃんと傷ついた。ちゃんと痛みを知って、昔の「あなた」が死んで、それでようやく未来に進めるの』

 少女は指をひとつひとつ折って数える。

『私にできるのはこのくらい。……でも来てくれてよかった』

 少女は達成感を滲ませて呟く。

「あなたは、あなたは誰なの?」

 恐る恐る少女を見つめる。白いうなじが光の粒をこぼしているようだった。

『わたしはこの街の呪いそのもの。山奥の祠で、この街が変わらずにいられるように願って作られたこけし』

 気がつけば私の体はうずくまってお湯の中で膝を抱えていた。もう先ほどの痛みはなかった。その「私」は死んでしまったのだろうか。

 少女の声だけが聞こえる。もう背中をさすってくれたサヤちゃんの姿はここにはなかった。

『あたしはなにかを変えられたかな』

 変わることのない街の中で、少女こそ変わりたかったのかもしれない。

「うん、ありがとう」

『お礼は良いよ。こけしだしね、あたし。こどもは消さなくちゃ、ふふ』

 嬉しそうな声だけが少し響いて、薄れていった。

「こどもは、か……。ホントにこけしなのかな」

 でも、こけしかどうかよりも気になることがあった。

 少女は来てくれてよかったと言っていた。手助けをしてくれると言っていた。そして聞き覚えのある声。

「それにしても、いつから幼なじみだなんて思ってたんだろ」

 どこからが夢で、どこからが本当なのかはわからない。でも、いまここが現実で、ここから進まなきゃいけないことだけはわかっていた。それさえわかっていれば充分だった。

 湯けむりの中で立ち上がり、呆っとした街灯りの群れを眺める。吐いた息が白くなるほどの寒空の下でも、芯まで温まった体ならしゃんと立てた。

 息を吸うと鼻の奥がつんとする。


「はは……寒いや」


 私は顔をあげて小さく伸びをした。














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再誕ルートでいきましょう 宮下愚弟 @gutei_miyashita

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