踏んだre: 蹴ったre:

 車がひとつ跳ねて目が覚めた。道のデコボコがダイレクトに私のお尻に伝わってくる。

「ねぇサヤちゃん、揺れるね」

「田舎のバスに快適さを求めちゃだめでしょ」

 それもそうか。

 窓ガラスに触ると、指先から冷たさが入りこんでくるようで、ぱっと手を離す。

「来てよかったかも」

「そう? ならよかった」

 あくまで淡々とした彼女の声に渇いた笑いで返す。


 私は三日前、ハタチの誕生日にふられたのだ。


 二年つき合った彼には色々と尽くしてきた。周りの人曰く男運がないんだけど、サヤちゃん曰く私が悪いのだと。あまりにいつも通りすぎて、自分でも笑えてきたくらいだった。

 気分転換にはなるだろうし、どんな理由であれ、サヤちゃんと旅に行けるのは嬉しいけど。

「……雪降ってる」

 窓の外。白く染められた山を前に、小さく溜め息をつく。美しさよりも憎らしさが勝る風景だった。

「昨日言ったよ、それ」

「分かってはいてもさぁ、やっぱり落ち込むというか」

「いい眺めじゃない」

「でも寒いし」

「ちゃんと防寒着持ってきたんでしょ?」

 あれ。……ない?

「そんなとこだろうと思ってアウターは多めに持ってきたから」

 彼女はぽんぽんと自らのキャリーバッグを叩く。

「なんか荷物多いと思ったら」

 ちなみに私は抱えているボストンバッグに全て収まった。

 溜め息と共に視線を窓の外に向ける。

 どこまでも雪化粧。足跡もないその季節外れの雪に触れるのが少し怖かった。

「着いたみたいよ、ハルカ」

「あ、うん」

 バッグを抱えて降り立ったそこにはちんまりとした小屋のようなバス停が見えた。

 渡されたダウンジャケットが暖かい。

「えっと……まだ歩くの?」

「つべこべ言わんの」

 ガラガラとやかましい音を立ててキャリーバッグを引きずるサヤちゃん。

 真っ白な山肌を眺めていたら、サヤちゃんに手まねきをされた。


 ……あれ?


 おかしい。なにかがおかしい。確実におかしい。絶対におかしい。

「だって、私、転んだよね?」

 あれ? なんだっけ。転んだ? いや、どこで? いつ? 初めて来たはず。

 視界が歪む。気持ち悪くなってうつむく。地面が、ゆらゆら揺れて――。

「ハルカ、いつまでそこにいるの」

 サヤちゃんの声に顔を上げた。あれ、私どうしてたんだっけ……。

「ごめん、いま行く」


◇ ◇ ◇


「……古いねぇ」

 川を挟んだ堤防の上に列をなす木造建築たち。温泉街と呼ぶにはちんまりとしていて、どちらかというと温泉通り、くらいの規模だった。

「大正らへんに建てられたんだっけ」

「ハルカがそういうの調べてるの珍しいね」

 あれ? どうして知ってるんだろ。

「あ、見てみて。足湯あるよ」

 道ばた、それも堤防の端。川に一番近い場所に足湯が設けられていた。

「はいはい、あとで行こうね」

 そんなにしっぽを振ったつもりはなかったのに、犬のようにあしらわれた。

 あ、揚げ出し豆腐売ってる。休憩所もある。ここは……なんのお店か分かんないぞ。向こう岸にもお店はあるみたい。

「ほら、着いたよ」

と、サヤちゃんが立ち止まる。散らしていた気持ちと視線を目の前に戻した。

「おお、なんかそれっぽい」

「どれだよ」

 そこには黒い木造の建物が鎮座していた。どう呼べば良いのか知らないけれど、迫力と落ち着きのある外観。

「なんと言うか……懐かしい?」

「古き良きって感じするねぇ。あたしたち生まれてない時代のだけど」

 感嘆の表情を浮かべたサヤちゃんに連れられて、旅館へと足を踏み入れる。

 ふと、空気が変わったような気がした。

「ようこそ、おいで下さいました」

こちらの物音に気がついたのか、足音をたてて和装の女性が近づいてきた。

「あの、八島です」

サヤちゃんが名乗る。そんな雑で通じるの?

「ああ、はい伺っております」

 どうやら私の心配は杞憂に終わったようで、問題もなく話はついたらしい。

「チェックインまで荷物を預かってもらうことってできますか?」

「はいはい、できますよ」

 笑顔で応対する女性。私たちはお言葉に甘えて、荷物を預けることにした。

 その後サヤちゃんはいくつか話を受けて、なにかチラシのようなものを受け取っていた。

「では、なにか気になることがありましたら、お申し付けください」

 一つお辞儀をすると、彼女は奥へ去っていった。

「なんの話だったの?」

「ああ、あとで話すよ」

「どうしよ、私お腹空いちゃった」

「向かいのお蕎麦が美味しいんだってさ」

 心臓がドクンと鳴ったような気がした。


◇ ◇ ◇


 自信ありげなサヤちゃんに連れられたのはどこか見覚えのある構えのそば屋で。

「うん……? うん、うん」

「蕎麦は不満?」

「あ、ううん。そんなことないよ。どこかで見たことあるなと思って」

 自分で言いつつも、抱えていた違和感が次第に薄れていくのを感じた。

「テレビの取材が何度か来たことあるってから、観たことあるのかもね」

 あ、そう。そんな感じ。

「美味しいよね、ここ」

「いや、初めて来たからまだ知らないけど」

 あれ? なんで私こんなこと。

「……あはは、美味しそうだねって言おうとしたのだっ」

 いぶかしげな視線をもらうけど、気力でスルーする。

「まぁ、変なのはいつものことか」

 彼女はひとりで納得して暖簾をくぐってしまった。

 そうそう、いつものこと。

「ってサヤちゃんひどくない!?」

 慌ててあとに続いていくと、木の匂いに包まれた。実際の香りというよりは、木のある空間の放つ雰囲気のようなもので、気分が落ち着いた。

「二階があるみたいだし、行ってみようか」

 サヤちゃんの提案に頷く。

「この階段ずいぶん傾斜あるね」

 目の前でサヤちゃんのお尻がフリフリと揺れる。それは階段というよりも、斜めにかけられたハシゴのようだった。

 登りきると、畳敷きの落ち着いた空間が現れた。

「こういうの好きだな」

 サヤちゃんが満足げに目を細める。

「窓際の席、空いてるよ」

 私たちの他にはカップルらしき男女、高校生らしき男の子五人組がいるのみだ。ひとが少ないのはいまの私には嬉しかった。

「なに食べようかなぁ」

 ダウンジャケットを脱いで座椅子に腰かける。

「揚げナスの蕎麦が人気なんだってさ」

 メニューに目を通していたサヤちゃんがほれ、と写真を見せてくる。

「おお、美味しそう。じゃ、これで」

「……迷わないね、ハルカは」

 サヤちゃんにじとりと見つめられる。なんのことだろうか。

「ま、いっか。店員さん呼ぶよ」

「はぁい」

 不可解な彼女の発言に疑問を感じてはいたが、すでに心は外の風景に向けられていた。

 雪化粧がされた木造の家屋の群れ。タイムスリップでもしたかのような気分に陥っていた。でも、そんな昔の建物が今日まで残っているなんて、屍が死にきれずに働かされているようにも見えてきた。

「――で、このあとどうする?」

 降って湧いた声に意識を呼び戻される。

「坂を少し登ったところにも温泉あるみたいよ」

 サヤちゃんは眺めていたプリントをこちらによこした。

「さっきもらったやつ?」

 そこには温泉の一覧が地図と共に載っていた。どうやら星のマークが着いているのが私たちが泊まる宿とその姉妹館で、それらの温泉には無料で入れるということらしい。

「ホントだ」

 どうやら他にタダで入れる温泉は二ヶ所ほど。坂の上ってことは温泉街を見下ろして温泉に浸かれるってこと? なにそれ贅沢。

「この温泉街、夜景が綺麗だっていうから、上から眺めるのも良いかもね」

「でも危ないって書いてない?」

「あー、ホントだ。そっか急な坂道があるのか。……あ、でも迂回もできるみたいだよ」

 サヤちゃんが地図の上の迂回ルートを示した瞬間。

 ぞわりと、なにかが背中を這うような感覚に襲われた。

「……この道は、やめとこう。ほら、長いし。せっかく行くなら夜行こうよ。一応、坂道には電燈があるってさ」

 視界が狭まる。動悸が起こる。呼吸が浅くなる。

「そう? まぁ、夜でも気をつければ平気よね」

「う、うん。食べ終わったらお土産物とか見たいな」

 よかった、なんとかあの道を通ることだけは阻止できた。……どうして私は迂回路を嫌がったんだろう。

 かつて行ったことがあるような。そこでなにかがあったみたいに。

「土産? まだ来たばっかりなのに?」

「そう、うん。明日慌てながらお土産見たくないし」

 聡いサヤちゃんのことだから、こんな拙い論理で納得するはずがない。でも、彼女なら私が嫌がることはしないでくれるとも思っていた。たとえ理由ははっきりしなくとも、だ。

「よし、それじゃ――ってお蕎麦来たみたい」

 タイミングがいい。多少は怪しまれても話を流せた。

 お待たせいたしましたぁ、と気の抜けた声と共に置かれた器の中身は予想よりも豪勢で、私たちは思わず声を漏らした。

「おいしそう……」

「わさび入れすぎないようにね」

 サヤちゃんの忠告には生返事を。

 まず目を引いたのが油に濡れたナス。名前に違わぬ揚げナスっぷりである。ナス本来の黒紫色を油のつややかさが覆うことで、まるで磨かれた宝石のような輝きを放っていた。

 いただきます、と小さく手を合わせてからナスをはさみ上げる。つゆが滴っては、小さな波紋を作った。

 口に含むとじゅわわと油がしみ出した。

 幸せだ……。

 夢中になってナスと蕎麦を交互に口に運ぶ。つゆが濃すぎないのも、添えられた大根おろしもししとうも、全てがマッチしていて丁度いい。あとはこのわさびを――なんだって?

 さっきサヤちゃんはわさび入れすぎないようにねって、あれ。これもまた聞いたこと、が……?

「どしたの。わさび入れすぎた?」

 急に箸を止めた私を見て、サヤちゃんは声をかけてくれた。

「……いや、わさびに悶える未来しか見えないから控えとこうと思って」

 そう、と彼女は再び食べ始めたが、私にはもうこの食事を楽しむ余裕はなかった。味のしない蕎麦をすすりながら、私は思考の海に溺れていく。


――これは絶対になにかが起こってるッ……!!

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