再誕ルートでいきましょう
宮下愚弟
踏んだり蹴ったり
車がガタガタと揺れるので目が覚めた。それがあまりにも私の荒んだ心を撫でるので、オブラートで二枚くらい包んだ不満をもらした。
「ねぇサヤちゃん、揺れるね」
その言葉を受け取った彼女、
「田舎、それも山奥のバスに快適さを求めるのが筋違いだと思わない?」
それはそうかも。すとんと納得させられて黙りこくる。
窓ガラスに触れると、指先から冷たさが体に入りこんできたようで、そっと手を離した。
「でも、来てよかったかも」
「そう? 少しでも気が紛れるなら連れて来た甲斐があった。ハルカひどい顔してたから」
あくまで淡々とした彼女の声に渇いた笑いで返す。
私は三日前、ハタチの誕生日にふられたのだ。
二年つき合った彼とは
確かにすでに気分転換になってるし、どんな理由であれサヤちゃんと旅に行けるのは嬉しいけど。
「……雪なぁ」
窓の外。一面の銀世界を前に、小さく溜め息をついた。美しさよりも憎らしさが勝る光景である。
「昨日言ったし、それ」
私は怪訝な顔でサヤちゃんを見つめ、手元のスマートフォンを確認してみる。雪だという旨のメッセージはしっかりと入っていた。
「記憶にない……」
普通に返事してるのに。そんなにもぬけの殻だったのか、昨日。
「そんなとこだろうと思ってアウターは多めに持ってきたから」
彼女はぽんぽんと自らのキャリーバッグを叩く。
「なんか荷物多いと思ったら」
ちなみに私は抱えているボストンバッグに全て収まった。あるいは忘れ物だらけで収まってないのかもしれなかったが、ここまで来たらどうしようもない。
溜め息と共に視線を窓の外に向ける。
進めど進めど真っ白け。足跡もないその季節外れの雪を、全部踏み抜いてやりたかった。潰して固めて、泥で汚して。
「着いたみたいよ、ハルカ」
気がつくとバスは止まっていて、雪舞う曇天の下へ立たなければいけないらしい。それを考えるとおんぼろなバスのくたびれた座席も名残惜しかった。
「ほら、終点。降りるよ」
シートをひと撫で。
「あ、ああ、うん」
バッグを抱えて降り立ったそこは温泉街へ続く道だった。ちんまりとした小屋のようなバス停が見える。
渡されたダウンジャケットを羽織る。
「えっと……まだ歩くの?」
ちらちら降ってるんですけど、雪。
「つべこべ言わんの」
ガラガラとやかましい音を立ててキャリーバッグを引きずるサヤちゃん。雪かきされていたのか、アスファルトはしっかりと見えている。
一方で真っ白な山肌を眺める。そう、斜面が近いのだ。
こっちは積もってるんだ、飛び込みたいなとか考えていたら、サヤちゃんに手まねきをされる。
「……あれ?」
なんだろう、これ。どこかで見た事があるような。デジャヴってやつ?
「どしたの」
サヤちゃんの声で意識が引き戻される。と同時にようやく体が寒さを覚えた。
「あいや待たれい」
道の先に思いを馳せながら、彼女の作った薄い
◇ ◇ ◇
「わさびキツかったぁ……」
「だから気をつけなねって言ったでしょ」
旅館に荷物を預けたあと、腹ごしらえをしようとなった私たちは、蕎麦を食べることにした。私を連れ出すとか関係なく、サヤちゃんはサヤちゃんで旅行を満喫するつもりらしい。
「しかしすごい古い建物だね」
窓際のこの二階席からは、温泉街が一望できる。
川を挟む堤防の上に並んだ木造建築の数々。両岸に軒を連ねるそれら全てが
なにより温泉街と呼ぶにはちんまりとしていて、どちらかというと温泉通り、くらいの規模だった。それと変わったことに、ここのお店は皆、ガラス張りの引き戸になっている。
「なんでも明治だか大正だかに建てられたらしいよ」
「うわぁ、テキトーな情報だね」
人通りが少ないのが今は嬉しかった。シーズンは冬だというので、その所為だろう。
「まさか三月の終わりに雪が降るなんて考えたひとはいなかっただろうね」
サヤちゃんが通りを見て呟く。
「今日は雪降ってるし、もしかしたら」
「ああ、もう少し積もれば、もっと綺麗になるだろうね」
彼女は微笑むと食後のほうじ茶をすすった。
「あ、見てみて。足湯あるよ」
対岸の道ばた、それも堤防の端。下を流れる川に一番近い場所に足湯が設けられていた。
「はいはい、あとで行こうね」
そんなにしっぽを振ったつもりはなかったが、犬のようにあしらわれた。
あ、揚げ出し豆腐売ってる。休憩所もある。こけし売ってるよ……。ちょっと不気味で苦手なんだよね。ま、でも向こう岸にもお店はあるみたいね。来るときは気がつかなかったな。
「このあとどうする?」
私たちは荷物を預けただけ。チェックインまではまだ少しばかり時間がある。
「坂を少し登ったところにも温泉あるみたいだな」
サヤちゃんは眺めていたプリントをこちらによこした。
「さっきもらったやつ?」
そこには温泉の一覧が地図と共に載っていた。どうやら星のマークが着いているのが私たちが泊まる宿とその姉妹館で、それらの温泉には無料で入れるということらしい。
「おお、ホントだ! 夜の坂道は危険ですので充分お気をつけ下さい、だってよ」
どうやら他にタダで入れる温泉は二ヶ所ほど。坂の上ってことは温泉街を見下ろして温泉に浸かれるってこと? なにそれ贅沢。
「夜景が綺麗だってから、夜にするか」
「暗くなったら雪が固まって凍るだろうし、今から行かない?」
サヤちゃんの案もステキだけど、滑って怪我してもいいことない。でもそっか、夜景キレイなんだ。
「……」
ぺし、と軽く頭を叩かれる。
「そんじゃ、宿に戻って温泉セットだけ持ってこないと、でしょ?」
「……うん」
ほらほらと追い立てられて店を出ると、ふわりとした雪が鼻の頭に乗っかった。思えば風も少し強い。
「ハルカ、こっちこっち」
後ろからの声に振り返るとシャッター音がした。
「な、懐かしいものをお持ちですね、サヤちゃん」
少し感動。彼女が手にしていたのは使い捨てカメラだった。子供のころによく使ってたな、あれ。
「鼻に雪乗っけてるの、いい感じにダサいよ」
サヤちゃんはにやりとしながらカメラをしまう。
「な、なんじゃそら! バカにして!」
「記念すべき一枚目よ。喜んで」
「ちっとも嬉しくないし。……それ何枚撮りのヤツ?」
むくれる私の背を押しつつ、二十四と彼女は答えた。
「少ないね?」
「そう、だから大事に撮らなくちゃ」
「じゃあダサい顔なんか撮らなくていいのに」
「ハルカさぁ……前撮りした?」
前撮り……成人式前に撮ったあれか。
「お見合いに使われるって言われたよ。今どきお見合いなんか、ねぇ?」
「……結婚するかもしれないってのに、前撮りなんか要らないと思わない?」
「えっ、キレイに撮れてるしいいじゃない?」
「はァ……」
「な、なにそのため息は~!」
唇を尖らせた私は、サヤちゃんに支えられながら宿に向かった。
◇ ◇ ◇
スライド式のドアを開けると冷気が肌を刺した。
「……さっむ」
坂の上の温泉は露天になっていて、見渡す限り山に覆われた温泉街を全て望むことができた。
「そりゃあ雪降ってるしね。あぁ、景色めっちゃ綺麗ね」
平然とした顔ですでに半身を湯につけた彼女。ほっそりとしたサヤちゃんは慎ましいものだったが、無駄のないそのスタイルには常に憧れてきた。ちらちらと舞い込んでくる細雪が、彼女のしっとりとした黒髪、そのお団子にされたところへ吸い付くように乗る。
「サヤちゃん相変わらず白いねぇ」
旧友の柔肌に羨みの目線を向けながら、恐る恐るつま先をつける。
「ふおぉぉ」
じんわりとした熱さが足に伝わる。ゆっくりと体を沈ませていく。お湯に包まれるような感覚にとらわれた。
「この肌は生まれつきと不健康と努力のたまものね」
そういうサヤちゃんはちょっと誇らしげだ。自慢しすぎず、でも少しアピールしてしまうところが可愛らしい。
「黒髪も綺麗だし……お団子なのにツヤツヤしてるのがわかるなんて反則だよ」
生まれついて色素の薄い髪の毛をミディアムにまで切っている私としては、日本人と言わんばかりの髪質の彼女が羨ましかった。
「それ無い物ねだりよ。あたしだってハルカみたいにふわふわしたかわいい髪型に憧れることあるし」
まぁ、似合わないだろうけど、と彼女は続けた。
「くぅ、お湯が目にしみる」
湯けむりの中で劣等感にまみれた体を肩までつける。
「そんなに隠すことないのに」
とサヤちゃん。御身に言われましても、わたくしとしましてはただただ萎縮するばかりであります。
結局、彼には逃げられたし。
ふっ切れていたと思っていたことが、思わぬカタチで再浮上する。自分の女としての自信がなくなっていた。
「……」
視線を感じるが、それにはすがりたくはなかった。
「いま何時かな」
苦し紛れに会話を絞り出すと、湯に顔をうずめる。
「チェックインは二時からだから、まだ全然でしょ。せっかく旅行来てるんだし、時計を見ないで過ごしてみない?」
「おお、それはなんだかドキドキするね」
せっかく旅行が、ってサヤちゃんが連れ出してきたんじゃん――とは口が裂けても言えない。彼女が私のことを考えてくれているのは重々承知だし、ささくれた心が吐き出した言葉なんて飲み込むのが吉に決まっている。
「にしても昼間に来て正解だったかも」
私はもやを払うように話題を変えた。
「夜はこの銀世界も拝めないね」
「あ、うん。それもあるんだけど。坂道、急だったから」
どうも自分は風流とかそういう心が足りないのかもしれない。サヤちゃんにはきょとんとされてるし。
「確かにあれは夜じゃ危ないかもね」
わ、笑われた。サヤちゃんにいま笑われた。
「そう、昼に来て正解なの!」
「大回りの道をとれば危なくないらしいけどね」
そ、それは知らない……。
「さっきの地図にかいてあったよ。山道の奥に祠もあるってから、後で行ってみよう」
すっと次に向かうとこまで提案できるサヤちゃんが眩しいよ。
浮上しかけた私の体は、再び湯の中へ沈んでいった。
◇ ◇ ◇
「立ち入り禁止かなぁ、これ」
「書かれてはいないけど、雪しか見えないもんね」
温泉上がりのマッサージ機で身も心もほぐされた私たち。意気揚々と祠を目指したけど、結果は見ての通りである。温泉セットの入ったトートバッグを握りしめても、それは変わらない。
道のりはそんなに難しいわけでも、急な斜面なわけでも、遠いわけでもないのだ。ただ、入り口から積もりに積もった雪で覆われている。これではどこが地面か分かったものではない。
「なんだか残念だねえ」
「ま、仕方ない。戻ろうか」
名残惜しさを残しつつも私はその場を離れる。背後でシャッター音がして、そのあと足音がついてきた。
「悔しいから撮ってきた」
どこか満足げに彼女はカメラを掲げた。
「せっかくだし、来た道じゃなくて大回りして行こうか」
未だ雪はしんしんと降りゆく。昼間の薄ら明るい寒空と白い山肌に全ての音が吸い込まれて、ジャリジャリと地面をこする靴底の音も決して響きはしなかった。
「音が留まってるみたい」
居場所も分からぬ太陽を見上げていたら、シャッター音。
「口、空いてる」
にやりと笑うサヤちゃん。またブサイクな顔撮られた。
「貸して、私も撮りたい」
渡されたカメラを構える。仕返しを目論むも、どう構えても絵になってしまう。
「サヤちゃんだけずるい!」
もどかしさを抱えてファインダーを覗き込む。するとサヤちゃんがころころ笑った。
「ふふっ、ずるいってなによ」
あまりに無垢なその表情に思わずシャッターを押す。
「……めっちゃ可愛く撮れたかも」
「は? なにそれ、やめてよ」
口調が早い。これは照れている証拠だ。
サヤちゃんは素の自分を見られるのを恥ずかしがっていて、幼なじみの私でもああいうのはたまにしか見られない。……いや、そんなこともないか。
言葉の強さと裏腹に嫌がっているわけでもないのが憎めないどころか愛らしい。
「返して」
ひったくるようにカメラを持っていかれる。
「現像するのが楽しみだな」
にこやかに話しかけると、きりっとした目でこちらを見据えてきた。
「ハルカ、今夜はお酒飲もうか」
「ええっ、私飲んだことないよ!」
「そういうとこ箱入り。ハタチになったんだから、お酒くらい、ね?」
「や、やだ。サヤちゃん、目がコワいよ……?」
ヘンなスイッチ入れちゃったみたい。
にじり寄られて一歩下がると、体が宙に浮いた。
後ろに倒れ込むように、転んで? え、足下凍って? 滑って? ダメ、頭から落ち――――
鈍い音を立てて脳が揺さぶられた。
なに、これ。あついよ、サヤ、ちゃん。わた、わたし。
『おとなに……。あなた……せかい……どおわるの』
よく聞こえない、よ。サヤ、ちゃ……ん……?
『……やりなお……ね』
ち、がう、の……? きこえ、ない、て、ば。
意識はそこで途絶えた。
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