風の吹く温室

宮守 遥綺

風が吹き始める日

 僕の友人の話をしよう。

 その人は、僕の家がある高台を下って五分くらいの所にある橋を越え、大通りから一本奥に入った、車すらも通れないような狭い道を歩いて、約十分行った先。周囲にうず高く立ち並ぶ石造りの建物に囲まれた、二階建てレンガ造りのボロアパートの一・二階を、作品の展示スペースや応接室、地下をアトリエとして暮らしている。

 少し引いただけでギシギシと軋む木製のドアを開けると、チリンチリン、と来客を知らせるベルが鳴る。すると何の装飾もされていない廊下をトトト、と走ってくる音がして、齢十二ほどの少女が顔を出す。フワフワと揺れるのは、上質な生地の深い蒼色のドレスでとても上品に見えるものだ。今日着ているこのドレスは初めて見る。しかし相変わらずこの建物とは不釣り合いだ。 

「あ!ロルさん!」

「久しぶりだね、イルマ。アルはいるかい?」

「お久しぶりです。こっちです」

 小さなヒヤリとした手が僕の手を取り、引く。床にギリギリ付かないくらいの長さの裾を揺らして歩くイルマの後ろを、僕はゆっくりとついていく。ギシリギシリと床が鳴く音だけが静かに、響いた。

「そのドレスもアルが作ったの?」

「はい。アルさん、時々作ってくれます。嬉しいです」

 後ろを振り向いてキラキラとした顔で笑うイルマは、普通の子供のように愛らしい。友人が本当にこの子のことを愛しているのだという事が、よく分かる。実際、本当に、実の子供のように愛しているのだろう。

自分が初めて一人で作った、人形として。


「アルさん、ロルフさんが来ましたです」

 文法上明らかに間違っている敬語でイルマが、応接室として使っているらしい部屋の中へとノックの後、声をかけた。中からは『おー』と、なんとも気の抜けた、ダラけた返事が返ってくる。

 最初にここに来たときには、驚いた。

 多少変人ではあったにせよ、僕らのいた全寮制のギムナジウムでは、学年トップの成績を誇っていた奴だ。在学中はピリピリとした雰囲気を纏った、抜け目の無い優等生だった。アビトゥーア試験だって難なくクリアして、工学系が国内トップの大学に進学した。

 それなのに、卒業してから数年でこれだ。ドアを開けて応接室に入り、まず目に入ったのは、ダラリと二人掛けのソファに横たわって手足を投げ出す、よれたワイシャツを着た痩せた男。艶があったはずの髪は寝癖でボサボサ。目の下には色濃い隈。しかしその中で、鋭い真っ黒な目ばかりが昔と同じ強い光を湛えている。

「久しぶり」

「おー。久しぶり、ロル」

「客、来てたのか?廊下にあった人形、一体無くなってた」

「うん。息子が帰ってきたって、喜んでた」

「そうか。よかったな」

「……ぼくには恋人も、妻も、子供もいないから。あまり寂しいとかはわからない。だけど若い人でも老人でも、男の人でも女の人でも。誰かに傍にいてほしい、寂しいって言うなら、ぼくはその人のために人形を作る。というかぼくの『才能』ってそのためのものなんだ。これはぼくが初めて自分で人形を作った時……イルマが動き出したときから変わらない。君には前にも言ったけど、政府のためにとか偉い人の娯楽のために人形を作るのなんて真っ平御免だ。それなのに……どうしてみんな、ぼくを放って置いてくれないんだろう」

 心底うんざりしているという風に呟く俺の友人、アルノルト・エフラーは、結構有名な人形師だ。うちのギムナジウムを卒業した男子生徒の殆どは大学に進学し、卒業後は数学や化学、物理を扱う職に就く。そんな中で彼だけは、人形師をしていた祖父の元で人形の作り方を学び、こうして人形師になった。

彼の作る人形は、美しい。

 白い肌にさらさらの髪、大きな眼に、長いまつげ。パーツのバランスも良く、身体だって滑らか。何も言われずに見せられれば、本物の子供と見紛う程だ。着せる服にもこだわっていて、いつも上質な生地を使って細部の細かい所まで作りこむ。まさにその人形の為だけに作られたとしか言いようのない服を作るのだ。それを身につけた人形は、天使と呼ばれるほどに美しいのだ。彼はこれだけでも他の人形師を圧倒した。しかし、有名になったのはそれだけが理由ではない。

 

「コーヒー、持ってきました」

「ありがとう」

「……イルマ、今日は大丈夫?」

「大丈夫だと思います。前の時よりお水多く入れました」

 きょとん、とした顔で言うイルマにチラ、と視線を向けてからアルがコーヒーを口に運び、啜る。

「……薄っ!!また分量間違ってる!今度は水多い!」

僕もイルマのコーヒーを一口飲んでみたが、確かにこれは薄い。聞けば、前に淹れた時にも失敗していて、その時は異常に濃かったらしい。

 それでも文句を言いながらも彼の手は、イルマの長い艶のある黒髪を撫でていて。彼女も、それが気持ちいいのだろう。大きなラピスラズリの瞳は猫のように細められていた。その光景は、さながら本物の親子のようだったというのは、僕だけの秘密にしておきたい。

 

 彼が人形師として有名になった理由。

 彼の人形には、他の人形にはあり得ない『魂』が宿る。

 作った人形に、祈る。

 そうするとその人形はイルマと同様、まるで本物の子供のように動き出すのだそうだ。

 『人格や感情を持った、生きる人形』。それが彼の人形なのだ。

 

 そして、もうひとつ。

「あの廊下にいた少年の人形は、お母さんたちの元に帰ったんだな」

「うん。嬉しそうだった。親も子供も両方。作って、よかった」

「いくつだったんだ?」

「七つ、だったかな。外で遊んでいるときに川に落ちてしまったみたいだ。自分が死んでしまっているのはわかっていたらしい。だけどどうしても、両親に会いたかったって。自分が死んでしまって毎日泣いている両親に、『ごめんなさい、泣かないで』って、伝えたかったって。『傍にいるよ』って、言いたかったって」

「そうか。両親も、きっと同じ気持ちだったろう。もう一度会えて、話せて、きっと嬉しいと思う。……それがたとえ、人形が劣化して、ネジが壊れて、動かなくなってしまう時までだったとしても」

 彼の人形には時に、死んでしまった子供の魂も宿る。不運な事故で死んでしまった子、病気で死んでしまった子など。そんな子供は、両親の傍にまだいる事が多く、そしてもう一度両親と話がしたいと望んでいる場合が多い。

 そんな子供を亡くして悲しんでいる親が、此処に人形を依頼しに訪れ、彼が要望通りの人形を作る。そうするとその人形が、まだ両親の傍にいた子供の魂の器となってくれるのだそうだ。動き出した人形は、外見は多少違えど自分たちの子供。泣きながらお礼を言って帰って行く姿を、僕も微笑ましく見つめた事が何度かある。

 彼の人形は、人を幸せにする。

 孤独に泣く人々を、救ってくれる。

 そんな噂が客を呼び、やがて彼は国内だけでなく他国からも依頼を請け負う程の、有名な人形師になったのだ。

 だがそれが今、彼を悩ませている問題の種となってしまったことを僕は知っている。

「ぼくはね、この仕事で人を救えている今が、一番なんだ。これ以上なんて望まない。だから、誰かに召抱えられたいとなんて思わない。この小さなアパートで、イルマがいて、君が時々訪れて、飾ってある自分で撮った写真や、描いた絵や、作った人形を見に来てくれる人がいて。地下の小さなアトリエで人を幸せにできる人形を作る。それで充分なんだ」

 捲し立てるようにそう言った彼が、俯く。

 膝の上で握られた拳は、震える程強く握られていた。

「それなのに国はね、ぼくに人形を作れと言う。戦争のための人形を。武器を持った、戦うための。人を傷つけるための人形を。殺すための人形を。誰もわかってくれないんだ。ぼくの人形には魂が宿る。生きるんだよ、人形が。確かに身体は人形で、直せば何度でも使えるとしても、彼らはもう人なんだ。イルマも、今日のあの人形も。人形じゃなくて、人なんだよ。ぼくの、大切な子供たちなんだよ。ねぇ。それを、アイツらは差し出せと言う。ぼくは絶対に嫌だ。ぼくの子供たちを、苦しめたくなんてない」

 

 最近、僕の職場にも沢山の政府関係者が訪れるようになった。理由は簡単だ。戦争のための兵器開発に尽力せよ、ということだ。拒否権なんて、きっとない。

 だけど彼の言っている事はわかる。

 親は誰だって、可愛い我が子を戦争に出したくなんてないのだから。人形が彼にとっての子供なら、彼は人形を守るのだろう。何があっても。親とは、そういうものだ。

「……それが正しいんじゃないかな。親はいつだって子供を守りたいものだろう?それに、君の人形はそんなもののために使うべきじゃない」

 アルが、その眼を驚いたように見開いて僕の方を見た。そしてもう一度薄いコーヒーを啜ると、少し笑う。その顔は何処となく、イルマに似ていた。黒い髪のせいだろうか。

「イルマ、君のご主人をしっかりとお守りするんだよ」

「はい。私はアルさんの傍に、ずっといます。アルさん、一人にしないです」

 そう言って笑った彼女もやはり、何処か友人に似ていた。


 これが、少しだけ肌寒くなってきた秋の日。レンガ造りのボロアパートの一室での、僕と人形と僕の友人である一人の不思議な人形師の、他愛もない一日の光景だったのだ。


                        fin


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風の吹く温室 宮守 遥綺 @Haruki_Miyamori

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