9 聞いて欲しい依頼があるんだけど……。

 僕が街で万引き未遂を繰り返してゲロを吐きまくっていた頃、パメラはリグのところにいたんだって。

 母さんが、僕が『母さんの側にいなきゃダメ』と言ったのにもかかわらず、黙っていなくなっていたので不安に襲われたんだろう。僕の居場所を訊くために、パメラのウチへ電話したらしい。

 そうして彼女は心当たりといったら唯一の場所であるリグのところへ足を運んだわけだ。


 リグはあっさり僕が来たことをしゃべったんだそうだ。口止めされていない限りは誰かに訊かれたら話さない道理は無いんだって言う。


 けどパメラは待ち伏せしようなんてことは思わなかったらしく、ただ、リグに『ロルフを気にかけてやってください』とお願いして帰ろうとしたんだ。

 なのにリグったらパメラのささやかなお願いに金払えって言ったんだって。仔猫を預かるのはタダだったのに金取る基準がわかんねーよ。もしかしたら猫以外のことで、誰かに頼まれて動くときは金をもらわなきゃいけないってルールなのかもね。ご飯のローテーションみたいに。


 これにパメラは媚モードを落としてキレて説教かましたらしいんだけど、リグはもちろん動じなくて、パメラは“こいつ信用ならん”と一瞬思ったらしい。けど、一番初めにここに来たくらいに僕が信用してる彼を、自分も信用してみようと思ったんだって。


 でだ。彼女は猫が遊んでるのを見て気が付いた。猫たちがオモチャにしてるのはいっぱいのお札ってことを。もちろん僕の金だ。うっかり置きっぱなしになってしまった、リグへの依頼料だ。


 リグの金払え発言もびっくりだけど、彼女の発言もびっくりだよ。依頼料をその僕の金で払うって言ったんだってんだからさ。しかもリグは金の出所なんてどうでもいいから受けるわけさ。もうなにがなにやらわからない。


 で、パメラは“お金受け取ったんだからロルフを体はってでも支えてあげないとしょーちしないんだから!”なんてことを言って猫の家を後にしたらしい。


 だもんでリグは《仕事》モードで僕を探して街を歩いてたってわけだ。


 母さんはあの後――僕が『僕は父さんじゃない』って言ったあの後。なんだか緊張が解けたみたいな、ホッとして肩の力が抜けた感じな表情で、「そうよね」って。安心して溢れたらしい涙を流して、「ありがとう。ごめんね」て、言ってくれた。


 あの時リグはすぐにどっか行っちゃってた。殺し屋がその場にずっといるっていうのも変な状況だったから、気を使ってくれたのか、ボクの中の黒いものがなくなって彼の任務は完了したからなのかはわからない。


 でも母さんと一緒に帰っているとき『あの時もう一人誰かいなかった?』って訊かれたときは焦った。リグは母さんを殺そうとしたんだから。


 でも母さんは暗かったり混乱していたりでリグのことはちゃんと覚えてなかったから『気のせいで幻でしょ』で押し通すことができた。


 まぁね。日常はあんまり変わってないけど。


 出てくる料理はたいがい父さんの好物だし、勉強についてもやっぱりうるさい。

 変わったことといったら、僕が母さんに自分の希望を言えるようになったこと。言ったら僕のことをちゃんと母さんが考えてくれること。星座のポスターは相変わらず僕の部屋の天井を飾っているけど、それは僕の意思で飾ってあること。母さんと二人いっしょに、僕の部屋で天井を眺めながら、父さんとラブラブだった頃の母さんの話を聞くようになったこと。僕の星空の下に憧れの選手のポスターを気兼ねなく飾れていること。


 今までの僕は母さんに真正面から自分をぶつけていくのが怖くて、母さんが敷いたレールを歩いてただけだった。結局自分で伝えることをしないで、何もかもが他人任せで、そんなんじゃ相手はわかってくれるわけないのに、“なんでわかってくれないんだ”なんて思って、勝手に嘆いて、甘ったれてただけだったんだ。それがわかったから今はちゃんと、自分の意思を、母さんに伝えることができる。


 僕が母さんに僕を伝えられるようになってから、心なしか母さんの笑顔は儚げじゃなくなった気がする。


 うん。そうだ。父さんがいなくなってから、僕自身、いい子ぶってて、母さんに“僕”を見せようとしてなかった。そんな風に何も言わない僕だったから母さんは寄りかかりやすくて、僕を通して父さんを見ててもいいって思っちゃって……。ずっと僕らは甘えあって心がすれ違ってただけかもしれない。


 今の母さんなら、きっとそのうちみんなとの勉強会も復活させてくれる。

 そうしてもう一つ、大事な、どうしても母さんに理解して欲しいことがある。



    * * * *



「なんだお前。やっぱりまだ俺に殺して欲しいのか」


 部屋に入った途端、ベッドのほうからリグの声が飛んでくる。リグは今日もセクスィーダイナマイツなカッコで、ベッドの上に猫と一緒に寝転がっていた。

 僕は彼の言葉に思わずムッとする。

 あれ以来猫のところに来るのは今日で二回目なんだけど、前に来たときも同じことを言われた。


「もうんなこと言わないっつっただろ」


 ガキみたいにむくれて返した。

 僕の思い込みかもしれないけど、彼はなんだかよく僕をからかうようになった気がする。大事なやつにやっと泣いてやれたから、彼の中に少しだけ何か変化があったんじゃないか、と勝手に思ってる。


 部屋の隅でボスの隣に丸くなってるちっちゃいトラ猫を発見した。僕はそれを見て満足する。天窓から差し込む太陽の光の中で、いっぱいな猫たちに囲まれて、いつも同様に床の上に腰を下ろす。


「パメラがさ、“今まであの子預かっててくれてありがとね”って伝えてってさ」


 リグは聞いているのかいないのか、体の上に乗っけた猫とイチャイチャしている。多分誰かからの礼の言葉になんて集中力を使う気がないんだろう。


 断られても何度も何度も母さんにお願いしてた、夏休み終盤のある日。母さんが“根負け”って感じで苦笑して、猫を飼うことを許してくれた。僕が珍しく本気を見せたから、母さんは驚いてた。

 そうして今日。そいつを連れて帰る。


 リグから仔猫を引き取るときはパメラも一緒に行きたいって行ってたけど、僕が許さなかった。実は夏休みの宿題サボって溜めてたっていうから。僕がリグと二人で話したかったってのもあるけど、勉強に関しては手加減しないって約束だしね。


「言っとくけどさ、僕は礼は言わないよ。あんたとは貸し借り半々だと思ってるからね」


 リグは黒い目を一瞬こちらに向けただけで、すぐに猫とのキスを再開する。

 そう。キスだ。 


「いきなりさ、何の前触れもなくさ、人の唇奪うのって歴としたセクハラだよね」


 初対面で、しかも初めてのやつを、だ。

 リグは僕の話を聞いちゃいない。もしかしたらそのまま寝るかもしれない。そりゃあまぁ礼を告げない言い訳なんてどうでもいいだろうけどさ。とにかくかまわず話を続ける。


「あんたは僕を助けてくれた。それは間違いない。間違いないんだけど、甚大なダメージを与えたのも間違いないんだ」


 ホントは彼への感謝は何物にも代えがたいくらいの感謝だ。でも今は、こじつけでもなんでも引き下がることはできない。


「つまりさ、あんたのところに行った金、あれ、こっちとしては渡せないんだよね」


 彼は金に関しても律儀なルールを作ってあるのかやっと反応を見せて、こっちに神経を向けてくれた。


「あの依頼はパメラがしたんだ」

「でも僕の金だ」

「なにが言いたい。返して欲しいのか?」

「……じゃ、なくて。聞いて欲しいことがあるんだ」


 彼は僕の発言を依頼と取ったらしく上半身を起こして僕を見る。


「なんだ?」


 まだ猫を膝の上でふにゃふにゃしてるけど、一応ちゃんと聞いてくれる気になったらしい。

 自分の中でもよくまとまっていない感情だ。何でこんなことを願うんだろうと思う。理由を何とかつけるとしたら、ただただ僕の中の、ソレが占める割合がおっきくなってるからだと思う。


「あんたは僕に、“自分を汚すな”って言ったよね」

「ああ。言ったな」

「だったらあんたも自分を汚さないで」


 猫を撫でるリグの手が止まった。

 喉が引くついてくる。頭が酷く熱い。何をそんなに緊張してるのか自分でも分からない。


「あんたは……小っさい頃は仔猫を――リディアを、助けて嬉しかったんでしょ? 幸せになってたんでしょ? 何かに優しくして喜べる人なんでしょ? だったらあんたは綺麗な人じゃん? 僕に汚れんなって言うなら、あんたも汚れんなよ」


 強張りすぎて全身がつりそう。なのに口はえらく滑らかだ。

 リグが膝の上から猫をどけて、ベッドから降りてきて、僕の前に立つ。


「自分の人生が決められないって、それがつらいって言うなら、僕が決めてあげるから。……もっと自分を大事にしてよ」


 彼は自分が食べたいものすら決められない。自分がどっちに進むべきかも自分で判断できない。きっと彼は、金っていう基準を立てて、誰かの言うことを聞いていないと一歩も動くことができないんだ。どんなにその“誰かの言うこと”が汚れたものだとしても。


 そんなの、寂しいと思う。つらいと思う。リグが思わなくても、僕が思う。


 彼はすこし首を傾げた。僕の言ってる事がよく飲み込めないのか。

 そうして彼の腕が伸びてきて、彼の手が僕の頭にそっと添えられる。


「俺に惚れたか?」


 この人は……やっぱり猫でも女でも男でもすぐそういう風な対象に見るんだ。


「ちがうよ」


 ちがうけど、自分の気持ちの正体が自分でも分からない。

 感謝の念がそう思わせるのか。同情なのだろうか。機械みたいに動かされてきた自分が、機械みたいな生き方しかできない彼に、何がしかの共感を持っているのか……。全然わかんないけど――


「あんただって……幸せになってもいいんじゃないかって、思っただけだよ」


 さらりと頭を撫でられた後、背中に腕が回って引き寄せられた。


「ありがとう」


 無機的で機械的で事務的とも捉えられる声で言われた。


「ありがとう」


 もう一回、変わらない口調で言われた。

 彼の、精一杯の喜び。だと思う。


「……うん」


 人間味が感じられなくても、感謝の念が混じってるように聞こえなくても、


「うん」


 僕は彼の言葉を受け止める。

 彼が二回言ったから、直に体温を感じる中で二回分頷いて、僕も彼に告げる。


「僕も。いろいろ、ありがと」


 彼は猫にするみたいに撫でるでもなく、ゆったり僕を抱きしめて。

 彼の腕が強張っていた僕の体をほぐしてく。極度の緊張から底まで貫く安らぎ。緊張の糸を切った悪戯好きの妖精が、心地いい眠りに僕を誘う。僕を夢の中に落としていった。


 目が覚めたら、彼がいなくなっていた。

 ベッドの上に無造作に、数日前に僕が置いて行ったのと同じ二十枚のお札が置かれていた。


「なんの、つもりだよ」


 信じたくなかったから、信じないで、リグが帰るのを待ちながら猫たちと遊んだ。

 月が高く昇るまで待ったけど帰ってこなくて、あきらめてパメラが拾ったトラ猫と一緒に帰った。


 次の日も様子を見に行ってみたけど、リグはいなかった。その次の日は一日中待ってたけど、帰ってこなかった。


 トラ猫に名前をつけても、夏休みが終わっても、秋が近づいても。彼がいつものベッドに寝転んでることはなかった。


 猫屋敷の猫達は、彼がいなくなってもたくましく生きてる。いつも彼が寝ていたベッドを優雅に占拠してるなんてこともしばしば。


「なんでいなくなっちゃったんだろう」


 猫に囲まれたベッドの上にパメラと並んで座って、僕は呟いた。

 パメラには彼と初めて会った時のことから、彼の境遇まで。僕が知ってることを全部話した。

 僕が死のうとしてたこと。それを彼が止めたこと。彼が何者で、彼の動かない心のことも。全部。


「ロルフを、巻き込みたくなかったんじゃないかな」

「巻き込みたくないって、何に」

「わかんないけど。危ない自分の人生に、かな」


 猫たちは眠そうに目を細めたり、欠伸したり、リラックスしきって豪快にあおむけで眠ったりしている。外で、小雨が世界を叩いている音がする。


 リグは間違いなく自分の意思で出て行った。どっかで大怪我して動けないんでもない。《仕事》でヘマして殺されたとか、悪質な客に監禁されてるとかなわけでもない。彼は僕に金を残して行ったから。僕の“汚れないでくれ”って依頼を、拒絶して出ていったってことだから。


 やっぱり自分の危ない人生からはそう簡単に抜け出せるわけもなくて。パメラが言うように彼は、それが僕に飛び火することを恐れたのだろうか。


「さみしい?」

「わかんない」


 まだ、実感が湧いてない。別れの挨拶だってしてないし、帰ってこない、って決定的なことがあるわけでもない。それどころか、あの“闇”は、僕の心の闇が生み出した幻なんじゃないかなんて、いまさら考えてしまう。


「わかんないけど……泣いてもいい?」


 恥を忍んで訊ねてみたら、彼女は何も言わずに僕の頭を自分の肩に引き寄せてくれた。


 ホントに僕の闇が彼を生み出したのだとしたら、もう二度と彼には会えないんだろう。僕の中の黒いモノは、跡形もなく消えてしまったから。パメラと、リグが、消してくれたから。


「リグさんは、ロルフのことが好きだったんじゃないかな。好きだったから、傷つけたくないから。側にいて傷つけたくないって、自分で決めたんだよ」

「……うん」


 僕らの勝手な解釈だったとしても。


「決めることができたんだよ」

「……だね」


 彼がちょっとでも何かを感じて、行動したってことは、きっと確か。


 ――リグ。もう、幸せになるための才能ってのをさ、無駄になんてしないから。あんたが切り開いてくれた幸せまでの道を、ちゃんと大事にたどっていくから。死にたいなんて二度と言わないからさ。

 ――あんたも、いつかちゃんと幸せになるって、なりたいって……思ってよ?


 雨が落ちてく音を聞きながら、僕の涙が落ちていく。

 僕の“幸せ”が、頭を撫でてくれる。

 彼女が隣にいれば、へこたれないで、母さんを守っていける。生きていける。

 父さんに誓ったことを、果たしていける。幸せになれる。


 自分の心を、感情を、大切にしていける。


 目に浮かぶのは、仲良く嫁、姑をしているパメラと母さん。やっぱり僕ってパメラの言ったとおりマザコンかもね。でも、いつかホントにそんな日が来たら、絶対世界一の幸せ者になれるだろうな。


 眠ってるはずのボスがいきなり暴れだした。寝ぼけているのか何かを捕まえようとしてるみたいなしぐさで、空中を前足で掴もうとしている。

 僕らは一緒に噴き出した。

 うれしい……。うれしいな。一緒に笑顔になれる人が側にいるって……。


「そうだパメラ。今度の日曜日、母さんと三人で動物園でも行かない? 母さんもさ、パメラと一回ちゃんと話してみたいって言ってたし――――





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僕は死体になることにした あおいしょう @aoisyou

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