第48話 魔女と謂れた者たちの末裔



 ゆっくりと着地するような感覚と共に、突然私は眩暈と吐気に襲われた。余りの気持ちの悪さに私はその場に倒れ込み、嘔吐した。視界は未だに歪み、此処が何処だか確認することはできないが倒れ込んだ先が板張りの荷台ではなく、草が生い茂る地面であることは確認できた。先程まで聞こえていた筈の馬車が地面を走る音は消え去り、代わりに木の葉が風に揺られ擦れる音や鳥の囀りが聞こえてきた。



「お姉ちゃん。ここどこ?」



私の側で姉妹の妹だろう幼女の声が聞こえて来た。



「お姉ちゃん? 大丈夫?」



 妹は心配そうな声で姉に声を掛けている。どうやら姉の方も私と同様に眩暈と吐気に襲われているらしい。様子を確認しようにも私は自分の事で精一杯で他に気を回せる余裕は甚だ無かった。



「ありがとう、ニコラ。もう大丈夫よ」



 姉の方は体調が戻って来たらしく、妹に返事をしていた。



「小さいお姉ちゃんも大丈夫?」



 そう言ってニコラと呼ばれる妹が私の側までやって来た。しかし私は未だ返事をする余裕すらなく、その場に蹲っていた。



「よしよ〜し」



 返事が出来ない私に彼女は背中を優しくさすってくれた。



「あの大丈夫、ですか?」



 私の事を心配した姉が此方へやって来て、声を掛けてくれた。暫く安静にしていたからか、吐気は治ったが未だに少し視界が歪む。



「うん、なんとか……」



 私は姉の手を借り、立ち上がりながらそう答えた。そして妹にはありがとうとその場で出来る精一杯の笑顔でお礼を述べた。しかし、妹のニコラは私に返事することなく、呆然と辺りを眺めていた。



「ねぇ、お姉ちゃん」


「どうしたのニコラ」


「あれなに?」



 ニコラは姉の服の裾を引っ張り、私たちの正面を指差し尋ねた。私と姉は彼女の指差す方へと視線を徐々に上げた。視線の先には木々が生い茂る森がある。しかし、生い茂る木々の上部から塔の様な建物が姿を現していた。苔や蔦が生い茂り辺りの木々と同化していたが、その存在は明らかに人工的に作り出された物だと確信できる。

 そしてその塔の上部からは塔が地面と『平行』に左右へ伸び、周辺をぐるりと円状に囲っている。周りを確認すると正面にある塔と同じ様に地面からまっすぐ伸びた塔が、『地面と平行に伸びる塔』を支える様に幾つか点在している事が確認できた。



 これは遺物だ。



 全身の毛が逆立つ様な感覚と共に、私は塔の方へと歩みを進めた。



『やっと気がついたか』



 突然、後ろから声が聞こえたのたで私は歩みを止め振り返った。其処には少年が呆れた表情で腰ぐらいの高さの岩に座っていた。その傍には見覚えのあるピンク色の果物が数個、置いてあった。



「ほらよ」



 そう言って少年は私達にその果物を投げた。皆それぞれ上手く受け取った様で、ニコラは姉にすごいでしょと自慢していた。そして彼女は私の方へ振り向くとニッコリと満面の笑みを浮かべた。


 私も彼女に微笑み掛けた後、少年へと視線を戻した。



「これ、『また』盗ったの?」



 シャリと音を立てながら果実を食べ始めていた少年は驚いた様子で、顔を上げた。



「んな訳ないだろ! これはちょっと行った先に成ってるんだよ」



 成る程と私が納得しているとニコラが姉の服の裾を引っ張った。



「これ食べていいの?」


「ああ、いいぞ」



 姉が答える前に少年がニコラの質問に答えた。



「やった〜」



 そう言って、ニコラは嬉しそうにシャリシャリと果物を頬張り始めた。



「ん〜〜甘〜い!」



 美味しそうに果実を頬張るニコラの様子を見て、私と姉は思わず生唾を呑んだ。



「お姉ちゃん達は食べないの?」



 首を傾げ、不思議そうにニコラは私達に尋ねた。彼女の言葉に、私達は恐る恐る果実に口にした。



 ……!



「「美味しい!」」



 私達は果実を齧った瞬間、ほぼ同時にそう述べていた。果実を齧った瞬間、熟した桃の様にしっとりとした甘さが口いっぱいに広がった。しかし食感は林檎の様にシャリシャリとしており、不思議と食べ易く、夢中で果実を頬張ってしまった。



「だろ?」



 そう言って、少年はニヤリと笑みを浮かべた。



「これでお前達も仲間だな」



 少年の言葉に私はハッとした。もしかするとこの果実に毒か何かを盛られていたのかもしれない。どうやら姉の方も同じ事を考えていたらしく、私達は猜疑心に満ちた目で少年を睨んだ。



「何だよ? 別に毒なんて盛ってないぞ。ここら辺じゃ、その土地の物を口に入れるまで余所者を受け入れないって決まりがあるんだよ」



 どうやらこの果実に毒は盛られて無かった様で、私達はホッと溜息を吐いた。妹のニコラはそんな事御構い無しにシャリシャリと果実を頬張っている。



「それに、体調が良くなってるだろ? この実にはそういう力があるんだよ」



 言われて見れば、先程まで眩暈で視界が歪んでいた筈なのだが、元に戻っている。吐気で気持ち悪かったのもいつの間にか無くなっていた。



「たっく、お前ら、俺の事全然信用して無いんだな。だからテレポートでも酔うんだよ」



 少年は呆れた様に肩を竦めながら溜息を吐いた。信用も何も今日会ったばかりの人を信用しろと言う方が無理があるだろう。



 ん? 今テレポートって言わなかった?



 私は少年の言った言葉に違和感を覚えた。『テレポート』、能力の一つで、瞬間で別の場所に移動する力である。それはフェイリスが使っているので知っている。しかし、それは騎士や士官の移動方法としてしか利用できない筈である。いや寧ろ、彼が能力を持っている事自体がおかしい。



「ちょっと待って。テレポートって貴方、能力者なの?」


「ああ、そうだけど?」



 私の問いに、少年は嘸当たり前の様に頷いた。



「それじゃ貴方は、騎士か士官なの?」



 私がそう述べると、姉の表情が明らさまに強張った。無理もない。普通、騎士や士官は貴族しかなれないのである。彼が騎士か士官であるとすれば、彼は貴族であると言う事になる。そうなれば、彼の機嫌次第で平民である私達はどうとでもなる可能性があるのだ。



「いや、そんなんじゃない。俺は最も凄いぞ!」



 私達は彼の次の発言を息を呑んで見つめていた。



「正義の味方、言わば『ヒーロー』だ!」



 彼の突飛も無い発言に、私達は開いた口が塞がらなかった。そんな中、妹のニコラだけは顔を輝かせて少年を見つめていた。



「かっこいい……」



 まるで恋する乙女の様にうっとりとした表情で少年を見つめる彼女に、姉は頭を抱えていた。


 どうだと言わんばかりに鼻高く威張る彼に私は溜息を吐いた後、口を開いた。



「で、貴方は何者なの?」



 私の発言に少年は表情を歪め、私を睨んだ。



「ったく、空気読めよ」


「それで?」



 彼の視線に動じる事なく、私が畳み掛けると、仕方ないなと言わんばかりに肩を竦め、彼は話を続けた。



「俺は『魔女の末裔』のメンバーだ」



 彼の言葉に私は首を傾げ、姉は先程より更に表情を強張らせニコラを抱き寄せた。


 どういう事なのだろう。魔女の末裔と言うのは犯罪者に使う、所謂『比喩』の呼び名だ。何故彼が、自分の事をそんな呼び名で呼ぶのだろうか。私は不思議で仕方なかった。



「どういうこと? 貴方は犯罪者なの?」



 私の質問に少年は腕を組み、考えながら答えた。



「王国からすればそうかもしれないな。だけど、俺たちは王国から弾き出された人達や奴隷として捕まった人達を助ける活動をしている」



 どうやら『魔女の末裔』と言うのは、反王国組織の名前らしい。彼が自分の事を『ヒーロー』と言ったのは、強ち間違っていなかった様だ。しかし、それと能力を持っている事は話が別だ。



「貴方が魔女の末裔という組織のメンバーだと言うことはわかったわ。でも、貴方が能力者という事の説明はまだじゃない?」


「は? だから言っただろ、俺は『魔女の末裔』なんだって!」



 ますます意味が分からなくなってきた。魔女の末裔と言う言葉は犯罪者の隠語だ。犯罪者だから能力を持っていると言うのは説明にならない。私が首を傾げていると、彼は更に話を続けた。



「こう言ったらわかるか? 俺は『魔女と謂れた者たちの末裔』だ」



 ………………。



 彼が言わんとしていた事がやっと理解出来た。彼は自分の事を魔女と謂れた賢者の弟子の末裔だと言っているのだ。



「と言うか、お前。やけに能力って言葉に食いつくな。何でだ?」



 今度は少年が私に尋ねてきた。



「私も能力者だから」



 私がそう短く述べると、彼はやっぱりかと納得していた。



「貴族様のお嬢様だからな。薄々そうだとは思ってたよ」



 彼がそう述べると、私の隣にいた姉は少し私と距離を開けた。



「違う! 私はエイペスクの南にあるチェド村の農夫の娘だよ。えっと……士官になる試験の為にエイペスクに偶然いたの」



 私の言葉に少年は首を傾げ、姉はホッと溜息を吐いた。



「じゃあお前も、魔女の末裔じゃないか」



 少年はしばらく考えた後に、そう述べた。


 彼は、何を言っているんだろう。私が能力を持っているのはお父さんが能力者だからだ。しかし、お父さんが騎士であるという事は秘密事項なので、私は言葉を探す為、しばらく黙っていた。



「能力ってのは、能力を全く持っていない家系には発現しないんだ。だから、お前の親御さんの両方の家系の中に能力者がいたから、お前に能力が現れたんだよ」


「ちょっと待って、どういう事!?」



 暫く黙っていた私に、見かねた彼が能力の発現の理由を説明してくれた。しかし、その説明に思わず大声を上げてしまった。



「だから、お前の親父さんとお袋さんの両方の家系に能力者がいなきゃ能力は発現しないって言ってるんだよ」



 どういうことだろうか? 彼が言っているの内容は私がマグリットに教えて貰った内容と少し異なる。私が教えて貰ったのは、両親の片方が能力者なら能力が発現する可能性があると言う事だ。しかし、彼の話だと、私のお母さんにも能力があるという事になる。けれども、お母さんは能力を持っていなかったし、お母さんはチェド村の出身だった筈だ。なのにどうして……



「お前が住んでた村に魔女と謂れた賢者の弟子が住んでたんだよ。それで、お前の親御さんはその子孫だった。だからお前は俺たちと同じ魔女の末裔って訳だ」



 あっけらかんとそう述べる彼に、私は反論出来なかった。もし彼の話が本当ならば、お母さんは魔女の子孫でその娘の私はその末裔という事になるのだ。これ以上無い、衝撃の事実に私が打ちひしがれていると、何やら鞄がもぞもぞ動き始めた。



「ピィ」



 鞄の中から顔を出したのはリュウだった。そう言えば、あれからリュウの姿を見ていないと思っていたのが、色々な事があり過ぎて、すっかりその存在を忘れていた。どうやら私が捕まった際に、鞄の中に隠れたようだ。



「ピヨピヨ」



 リュウは辺りをキョロキョロと見回すと、鞄の中から飛び出した。



「あ! ピィちゃん」



 鞄の中から飛び出したリュウをニコラが指差した。すると、リュウはバサバサと羽音を立てて、ニコラの頭の上に止まった。



「えっと……ニコラ、はリュウと知り合いなの?」


「うん。ピィちゃんとは1人でお外にいる時に遊んでたんだ〜。小さいお姉ちゃんはピィちゃんの飼い主なの?」



 どうやら、私がお城に篭っている間、リュウは下町に行っていたらしい。 嬉しそうに答えるニコラを他所に、私は一度リュウを睨んだ。するとリュウはピヨピヨと慌てた様子で弁解しているようだった。



「お前、『動物使い((テイマー))』なのか?」



 ニコラと少年の問いに私は首を横に振った。



「リュウは私の友達の遣いなの」


「そうなのか。まあ、詳しい話はまた後でしよう」



 私の言葉にそう答えると、唐突に彼は歩き始めた。



「何処に行くの?」



 戸惑う私達に少年は振り返って答えた。



「俺たちの里だよ。もうじき日が暮れる。その前に帰らないと」



 そう言って少年は私達を置いて歩いて行く。



「ちょっと待って、私達はどうするの?」



 すると少年は再び振り返ると呆れた顔で答えた。



「何言ってんだ。お前らも来るんだよ。ほら。早くしないと置いていくぞ」



 少年の説明に納得は出来なかったが、ここで一夜を過ごす訳にも行かなかったので、私達は渋々少年の後をついて行った。するとニコラがスタスタと少年の隣まで走って行き何かを尋ねた。



「お兄ちゃん、あれなに?」


「あれか? 俺も詳しくは知らないんだが、『コウカドウロ』って言う大昔の『オブジェ』らしいぜ」


「『コウカドウロ?』、変な名前、それに変な形だし〜」


「だよな。大昔の奴らの考えることはよくわからん」



 二人は仲良さそうに歩きながらそんな事を話していた。



 え……ちょっと待って。



 私は振り返って、少年が『オブジェ』という遺物を確認した。先程から少し歩いたので、遺物の全体像が少しだが確認する事ができた。少年はあの遺物を『コウカドウロ』と言っていた。言われて見ればこのシルエットには見覚えがあった。そう、これは『高架道路』だ。

 私が知っている高架道路は自動車などを歩行者などと分離させて走行させるための道路であって、決してオブジェなどではない。しかし、目の前にある高架道路はシルエットこそ『高架橋』だが、苔や蔦、道路であったろう部分にも草木が生い茂っており、今や見る影もない。



 えっと……。



『お〜い。何やってんだ。置いてくぞ!』



 考える間もなく、少年たちが此方を振り返り私を呼んでいた。此処で置いて行かれたら、私には少年が言う『里』まで行く術を知らない。私は仕方なく思考を中断して、彼らの後を追いかけた。今日一日で様々な事があり過ぎた。ちょっと一旦整理して考えないといけなさそうだ。



『いい加減にしろ! もう置いてくからな!』


「待って! 私、足がすごく遅いの!」



 考え事をしながらゆっくりと歩いていた私に痺れを切らした少年が、私を置いて歩き始めた。慌てた私は、彼らの後を走って追いかけた。


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考古学者は夢を見る 藤沢正文 @Fujisawa

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