未来考証

碌星らせん

第一話「ポケベル」

 昔々、あるところに一つの島国があった。その国は面積は然程大きくなかったけれど、多くの人口を抱え、瞬く間に経済発展を遂げて世界第二位の経済大国と呼ばれるまでに伸し上がった。

 そう。嘗て「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などという夢のような言葉が囁かれ、この国が経済大国として君臨していた時代が、確かにあった。だから、人々は今でもその時代に焦がれるのだろう。


 憧れは数多の形となり、 物語を生む。映画、漫画、ドラマ、アニメ、ゲーム。数限りない創作物が、その時代を舞台に作られた。

 ……唯一つ問題なのは、今となっては殆ど誰も、その時代を直接は知らないことだろう。

「だから、その時代にスマホは無いんですって!」

 なのに、人々はその時代に焦がれる。しかも、「リアルな」という但し書を付けて。

 『その時代』は、およそ1980年代から90年代頭にかけて存在している。インターネットすらまだろくに普及していない頃だ。今回の企画は多少そこからずれてはいるが、の仕事は私に降ってきた。

「じゃあこの主人公とヒロインが待ち合わせるシーン、何で連絡を取ればいいとおもうかね?」

「設定は1999年ですね?」

「ノストラダムスの大予言をモチーフにしているからな」

 よくそんなマイナーネタを引っ張ってきたものだ、と内心少し感心する。

「なら、ポケベルかPHSですね。ポケベルは最盛期を過ぎてますが、ギリギリ現役です」

「ポケベル……?なんだそれは」

「こういうものです。短い文字メッセージを送るだけの端末です。送信文面には別途考証が必要ですね」

 VR会議の席に、ボタンとスリットの付いた小さな箱のような物体が現れる。ポケットベル、または縮めてポケベルと呼ばれた100の通信機器だ。

「ポケベル……」

「ポケベルか……資料があるかな……」

 会議の席で、監督や脚本家が頭を悩ませている。

「立体データは私が持ってますから、『プリント』すれば再現できますよ」

 この程度の簡単な電子機器なら、最新の3Dプリンタですぐに組み上がる。通信サービスは当然終わっているが、小道具として使うなら十分な筈だ。

「なら、それで行きましょう!」

 監督がそう叫んだ。

「今回の作品は、考証をきっちりやるって決めましたからね……」

 脚本家もそれに同意する。

「じゃあ、資料は今送りましたから」

 その時代の資料はネット上には殆ど残っていない。前世紀のウェブアーカイブを漁れば見つかるだろうが、その辺になると結局は私のような研究者の職分だ。

 もう一度言おう。その時代の資料は、ネット上には、無いのだ。だから、その時代を舞台にしても、致命的なミスを犯す作品が後を絶たない。

「他に修正点は」

「特に今のところは」

 目の前に表示された脚本には、山のように赤が入っている。当時は無かったガジェットや言葉遣いの修正が主だ。一応、一通りは全部指摘した筈だ。VR会議は時間の流れがわかりづらくなるので困る。

「じゃあ、修正稿上がったら、またチェックお願いします」

「ええ。それではまた」

 仮想会議室は目の前から消え、私はVRインターフェイスを机の上に置く。現実世界のせせこましい机の上には、保存処理されたCDやDVD、紙の本といった旧世紀の記録媒体とその再生装置が所狭しと散らばっている。

 作業はだいたいVR上なので、現実の机がどれだけ散らかっていようと、特に関係ないのだが、一応片付けて縦に積んでおく。

「百年前のことなんて、誰も気にしないのかなぁ……」

 今の作品は、かなりマシな方だ。もっと考証が酷い作品は幾らでもある。所詮は娯楽、視聴者が楽しめればいい、という考え方もある。作品そのものの面白さを削いでは本末転倒だ。時代考証というのは、かくも難しい。

 そう、20世紀末から21世紀初頭にかけてを舞台にした作品の、『時代考証』。それが、私の仕事である。……ちなみに本業は一応、大学の研究者なのだが、近頃は何方が本業なのかわからなくなりつつある。


 今は、2101年。

 20世紀の終わりに江戸を舞台にした時代劇が流行したように。今、まさに流行しているのは『平成モノ』と呼ばれる時代劇群だ。

 『平成モノ』とはその名の通り、1989年から始まる『平成』と呼ばれる時代を舞台にした時代劇。そのブームのおかげで、考証の仕事が激増している。脚本や描写のチェック以外にも、企画段階から関わることもある。もちろん内容も、大いに問題があるものから殆ど修正の必要の無いものまで様々だ。

 VRウェアのランプが振動する。もう、次の『会議』の時間だ。そして、これは……問題のある作品の方だ。

「だから、この規模の作品の監修ならせめて、初稿前にレクチャーさせてくださいって、言ってるじゃないですか!」

 手元のファイルには『本格世紀末時代劇、『泡沫の夢』』と銘打たれている。どうやら、バブル崩壊をテーマにしたハードな群像劇のようだ。キービジュアルも付いている。だが、この段階からして問題を抱えている。

 まず、登場人物が軒並みスマホを持っている。スマートフォンの登場は21世紀になってからだ。

 これぐらいなら、まぁ目くじらを立てようとは思わない。小道具の都合もあるだろうし、一々公衆電話などを挟むのも億劫だろう。

 スーツが全員、謎の省エネルック仕様なのも目を瞑ろう。


 ただ、何故。何故、登場人物の中にホームロボットが当たり前に存在しているのか。

「これ一体どういうことなんです!?」

 私は、何処か不気味なデザインのホームロボットのビジュアルを提示しながら問題点を指摘する。

 この『泡沫の夢』には、そもそも根本的な時代考証上の問題があった。ホームロボットのポッピーくんが、よりによって脚本上で重要な役目を果たしているのだ。この時代に一般家庭にあって許されるロボットなんて、ファミコンロボくらいのものだと思う。

「我々は、貰った資料を参考に脚本を書いたんです!」

「確かに、ロボットの資料出しましたけど‼それは2000年以降が舞台だからって聞いてたからですよ!!」

「まぁまぁ、10年しか違わないわけだし……」

「大違いなんですよ、その辺の10年は!」

 時代設定が最初の話と違うのも、大きな問題だった。バブル期の資料を作りなおさなくてはいけない。

「今回のプロジェクトは秘密優先で、あんまり外に情報出す訳には行かなくて」

「しかも、そこまでの変更となると……」

「…………もしどうしてもこれで行くなら、クレジットから名前はずしてください」

 暫く思い悩んだ後。私は大きく溜息を吐きながらそう答えた。

 こんな(考証的な意味で)出来の悪い作品のクレジットに名前を出されるのは屈辱だ。

 スタッフもそれを了承した。これで、この案件は殆どおしまいだ。私の代わりに他の考証担当が入るのか、それとも考証無しでやるのか。それに興味はない。



 ちなみに、その後伝え聞いた話では『泡沫の夢』は大ヒット作品となり、続編の制作も決定したそうだ。

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