シン・チンコ

ボンゴレ☆ビガンゴ

シン・チンコ

 矯正と怒号、そして嘆息。

 大広間は異様な雰囲気に支配されていた。

 真っ赤な火鍋を取り囲む艶やかな女たち。黒髪ロングの美女。眼鏡が理知的な印象を与える熟女。金に脱色した髪を巻き上げたお水の女。

 年齢も服装もバラバラの女たちはグツグツと煮え滾る火鍋の前に立ち並び、箸を片手にゴボゴボと泡ぶくを立てる赤い煮汁を凝視している。


 眼差しは真剣そのものである。

 庭球場ほどの面積の畳敷きの大広間。その中心には巨大な鍋が置かれ灼熱の炎で炙られている。

 広間を見下ろす観客席では不安げな表情の男どもが身を縮こませて、その宴の様子をのぞきこんでいる。


 今宵の出し物は男根である。


「まるで、地獄だぜ」


 西内が汗だくの顔を拭い、ぽつりと呟いた。

 急勾配の観客席にはただ成り行きを見守るしかない男共が拳を握り締めている。


 俺だってその一員さ。


 このまま何時間も煮られては、俺の大事な男根だって煮崩れし、溶けて消えてしまう。


 やけにスースーする股間を押さえ、圧倒的火力で煮え滾る鍋を凝視する。

 あの巨大な鉄鍋の中で、俺の男根はまだその雄々しき形状を保っているのだろうか。


『シン化する猿』

 そう。それが我々人間だ。

 科学の進歩は著しく人類は神の領域にまでその毒牙を伸ばしていた。

 シンSTAP細胞が発見され、簡単に肉体の再生が成されるようになった現代。不慮の事故で死ぬ人間が極端に減ったのは喜ばしいことだが、人口の増加に一役買ったという事実は皮肉なことだ。


 食糧難は深刻化。人口増加に伴う居住地の確保はさらなる森林伐採を促進させ、二酸化炭素の増大に由来する地球温暖化は急速に進んだ。

 南極の氷は溶け海面は上昇し、結果さらに居住地が減るという負の螺旋階段。


 ただでさえ医療技術が果てしなく進歩した現代社会で平均寿命も伸びている現状では、増えすぎた人口を淘汰する為にこの【チンコの煮汁〜Cooking Liquid of Penis〜】が行われるようになったのも必然なのである。


 唐辛子や何十種類の香辛料を加え煮立たせたあの鍋の中に体から摘出した男性自身を放り込み、二時間煮込めば宴は竹縄だ。


 広間に通される富裕層の女達。

 政府に認められた第一級遺伝子を持つ彼女達はその目で、その口で煮込んだ男根を吟味し、自らの繁殖相手を決めるのだ。

 我々男は選ばれる側だ。

 それは仕方がない。子孫を残す為に優秀な遺伝子を求めるのは生物として当然の事であるから。



 現代社会において人間の優劣の定義ほど曖昧な物はない。

 優秀な遺伝子を求めたところで優秀の定義など十人十色だ。

 一流大学を出れば優秀か?

 オリンピックに出れば優秀か?

 モデルになるほどの整った容姿があれば優秀か?

 会社を経営できれば優秀か?

 体が丈夫なら優秀か?


 多種多様な価値観が広がる中で人間はいつも少数派マイノリティを攻撃してきた。

 そして少数派マイノリティを排除した多数派マジョリティも、またその中から新たな少数派マイノリティを作り出し攻撃する。

 不毛な争いの繰り返しだ。

 そんな人間の愚かさの輪廻転生を救うのが、この通称【チンコの煮汁〜Cooking Liquid of Penis〜】なのである。


『健全な精神は健全な肉体に宿る。健全な肉体は健全なチンコに宿る』


 国連で採択された文言だ。


「優秀な遺伝子を選ぶのは女性だ。そして、本当に優秀な遺伝子というものはあらゆる環境に適応できる遺伝子ということであり、求められるのは『選民思想に基づく次世代社会、また地球環境問題や温暖化社会に適応できる新人類』である。

 それは人間の外見や行動、貧富の差により判別できるものではない。ならばどう繁殖パートナーを選ぶの得策か。

 女性自身はもっと直感的に判断すべきなのだ。そのためには男根自体を体から切り離し、男根そのものの評価する。それこそが我々人類に求められる新時代の生殖活動なのだ」


 この所謂『チンコ宣言』に基づき整備された『国際チンコ機構』により2030年に『第一回チンコの煮汁〜Cooking Liquid of Penis〜』が開催された。


 多くの波乱を巻き起こしながらも『第一回チンコの煮汁〜Cooking Liquid of Penis〜』は数多くの遺伝子的優性児の輩出に繋がった。



 そして、時は流れ2050年。


 第一回目の『チンコの煮汁』で出来たチルドレン達、俗に言う『第一次チンコの煮汁チルドレン』も成人を迎え『チンコの煮汁』に参加できる年齢になっていた。


 かく言う俺もその『第一次チンコの煮汁チルドレン』の一人だ。


 優秀な遺伝子を組み合わせたシン人類。優秀なはずのオレ達『第一次チンコの煮汁チルドレン』は世間の期待ほどの成果を出していない。莫大な資金を費やし生産された俺たち『チンコの煮汁チルドレン』だが、密かに『出来損ないチンコ』という屈辱的な蔑称で呼ばれていた。

 だからこそ、俺は『第一次チンコの煮汁チルドレン』として、この『チンコの煮汁〜Cooking Liquid of Penis〜』で是が非でも結果を出し汚名返上したい、そういう所存なのである。



 摘出された男根を煮込む。

 正気の沙汰とは思えない。

 ……なんて思う人間はこの現代社会にはもういない。


 男は誰もが二十歳になった時に、この『チンコの煮汁』でふるいにかけられる。

 自らの男としての素質を試されるのだ。


 見事、女に選ばれ食され合格となれば、『優秀男根証』が交付される。

 これで男は晴れて遺伝子を残す事が許されるのだ。

 食された男根についても、シンSTAP細胞で即時再生し、装着し直す。

 肩で風を切り街を歩けるってわけだ。


 しかし、選ばれなかった男根はその灼熱の火鍋の中で形が無くなるまで煮込まれる。

 返却は無しだ。不能無能としての余生を送ることになる。

 男として、これ程の屈辱はあるだろうか。


 だから男どもは固唾を飲んで鍋を凝視するのだ。

 自らの男根を選んでもらえるように神に祈りを捧げながら。


「なぁ雄二。お前のイチモツ。何か特別な細工はしたのか?」


 西内が目線は鍋に注いだまま聞いてくる。


「ああ、年々火鍋の温度が上がってるらしいからな。お袋に頼んで耐熱コーティングを施した」


「さすが、第一次チンコの煮汁チルドレンだ。ぬかりないな」


「躍起にもなるさ。あまり結果が出ていないからな、この制度も。委員会の連中も冷や汗ものなのだろう。第一次チンコの煮汁チルドレンの俺たちがこの有様じゃ、お偉方も焦るってもんよ」


「ふん、老人どもが。いつも割を食うのは若者なんだ。反吐がでるぜ」


 吐き捨てるように西内が言う。


「仕方ないさ。だが、俺は勝つ。あそこに黒髪ロングの女がいるだろう。俺はあいつ狙いだ」


 顎でしゃくるようにした先には20代前半と思わしき美女。なんとかコーポレーションとか云う美容関連の企業の社長だ。テレビや雑誌で何度も目にしている。


「なるほど、お前らしい。俺はあっちの眼鏡の女だ。年齢はいってるがあの腰のライン、たまらねぇ」


 西内は熟女好きだ。だが、こんな所でお互いの性的嗜好を四の五の言う余裕はない。

 誰からも選ばれなければ、二度と男根はもどってこないのだから。


 誰でもいいから、選んでくれ。

 口には出さないが、それが正直な気持ちだった。


 観客席の一角から歓声が上がる。

 誰かの男根が火鍋から掬い上げられ、女の口へと運ばれたのだ。

 しかし、一口噛んだだけで、女は眉間に皺を寄せ、無造作に傍に置かれた屑入れにポイっと投げ入れた。

 歓声は悲鳴に変わった。


 今、一人の男の未来が決まってしまったのだ。

 頭を抱えて叫びうなだれる若者。

 可哀想に、奴の遺伝子はもう残ることはない。


 哀れな彼は死刑宣告も同然の結果に生気を失い真っ青な顔で頭を抱えている。だが彼に言葉をかけるものはいない。誰もが皆、自分の男根の行方に必死なのだ。


 再び歓声。今度は完食のようだ。

 立ち上がり雄叫びをあげ喜びを表現する若者。


 本日の初『あがり』だ。

 それを皮切りに次々と鍋から引き上げられ、口に運ばれる男根達。

 その度にそれぞれが大声でガッツポーズを作る男達。


 少し焦り始める。

 俺の男根はまだか。なぜ引き上げられない。


 ハッとする。

 そうか。耐熱コーティングのせいだ。

 煮崩れ防止策として、導入した耐熱コーティングは同時に、火を充分に通すことを拒んでいるのかもしれない。

 他の男根がちょうどいい塩梅に煮上がっていくのに、俺のはまだ煮えきっていないのだ。


 歯がゆい思いで鍋を睨む。

 すると、ゴボゴボと煮え滾る火鍋の中から何かが跳ねるのが見えた。


(あれはなんだ?)


 疑問に思ったが、すぐ蒸気に紛れ見えなくなる。


(気のせいか)


 次の瞬間。火鍋を囲む女たちからの悲鳴が聞こえたような気がした。しかし観客席の男どもの勝利の叫びや、敗北の嗚咽がそれをかき消す。


「なんか、今、変じゃなかったか?」


 俺や西内のようにまだ女性に選ばれていないような男どもの一部だけがその異変に気付いた。


「——何かが火鍋の中にいる」


 ぼそり、西内のつぶやきが確かに聞こえた。


「お前にも、見えたのか」


 目線は逸らさずに尋ねる。


「何かが跳ねた。まるで生き物のようだった」


 そんなはずはない。あれだけ高温で煮え滾る鍋の中に生物が存在できるわけがない。いやそれ以前に鍋の中には香辛料の他には我々の男根しかないのだ。

 ——ありえない。


 巨大な火鍋を沸騰させるだけの大火だ。会場の天井付近に立ち上る湯気は雲になり、観客席ですらその暑さは凄まじい。

 そんな暑さの中で見えた蜃気楼か幻であろう。

 自分の男根がまだ選ばれないことに対する不安が、現実逃避させたのだ。

 頬を叩き集中し直す。


 俺は負けるわけにはいかないのだ。

 絶対に勝つ。我が山田家の繁栄のためにも絶対に選ばれなければならぬ。

 しかし、俺の気持ちとは裏腹に一斉に鍋をつつく女たちの手が止まった。


(なんだ?)


 観客席の男たちにはそれがなんだかわからない。

 女たちのざわめきが次第に観客席にも波及した。


「鍋の中に何かいるわ!」


 そんな声が鍋を囲む女たちから聞こえ始める。


「あそこだ!!見ろ!」


 西内の指差す方を見る。

 火鍋の中央。グツグツと湯気を立てる真っ赤な煮汁が不気味に盛り上がっている箇所がある。


「何だ!? あれは!?」


 遠目に見てもそれが人間ほどの大きさであるのが分かる。


 まさか、そんなことが。目を疑う。

 どう見ても、あれは俺の——


 盛り上がるそれは、そのまま空中へと浮上した。

 揺れる火鍋だけがグツグツと音を立てている。


 静まり返る場内。皆が空中に浮かぶ俺の男根らしきものを凝視する。


(愚かなる旧人類よ……)


 声が聞こえる。否、聞こえなどしない。言葉ではない。概念を直接脳に叩きつけらる感覚だ。


(愚かなる旧人類よ。貴様達は太古の記憶を忘れ再び禁忌に触れた)


 何だ、何が起こっているんだ。

 周りを見渡すと誰もが目を見開き、浮遊する『それ』から目が離せないでいる。


(我らは欲望と叡智の化身。新たなる世界の支配者。この世界を汚す貴様ら旧人類を排除し、新たなる秩序をもたらす者)


 夢? 夢じゃないのか。


「お、おい、あれお前のチンコじゃないか?」


 青ざめた顔で聞いてくる西内。


「わ、わかんねえよ。何で俺のチンコが巨大化して喋ってんだよ」


(貴様が私の宿り主か)


 浮遊するチンコがぐるりと向きを変える。

 顔もないというのに視線を感じる。巨大化したチンコが俺を見ているのだ。


(遥か昔、天上の楽園に二本の大樹があった。生命の樹と知恵の樹だ。神は貴様らの祖先に知恵の木の実を口にすることを禁じていた。だが貴様らの先祖は蛇にそそのかされ、これに手を出した)


 巨大チンコは語り出す。


(知恵の実。それこそが我の先祖であり貴様らがチンコと呼ぶ我らの正体である。我が先祖は怠惰な楽園に飽き飽きしていた。そこで蛇をそそのかし一組の男女に自らを食らわせようとしたのだ。貴様らの体内に寄生しようとしたわけだ。だが、男だけが実を食らい、女は拒んだ。我が祖先を体内に取り入れたのは男だけだったのだ。男の両足の付け根に我が祖先は寄生した。それが貴様らがチンコと呼ぶ、この姿の誕生である)


 なんてことを言い始めたんだ。この巨大チンコは。


(共存の時は短かった。人類は愚かであった。同じ人間同士で争い諍い殺しあった。寄生先の宿主が殺しあうのだ。我々の同胞も無益な戦いの中で死んでいった。

 貴様らにわかるか。我々チンコの悲しみが。チンコの怒りが。

 自らが住める場所はこの地球でしかないというのにそれすら汚染した人類に我々は失望した。次第に我々は貴様らとの共存を放棄すべきだという考えに至ったのだ。

 そんな時だ。貴様らは勝手に我らを体から切り離した。愚かなものよ。我らはこの時を待っていたのだ。貴様らを殲滅し、新たな秩序を創造する。その時を。

 そして今、我らは立ち上がったのだ)


 巨大チンコの声に呼応するように。火鍋の中から次々とせり上がってくる幾つものチンコ達。


(熱に弱い我らだったが、人類はまたも愚かな選択をした。それが貴様らの施した耐熱コーティングである。それによりようやく我らはこの姿に進化することができた。もう誰にも止めることはできない。愚かなる人類よ。進化した我らの前にひざまずくが良い)


 ゆらゆらと空中に浮かぶチンコ達が一斉に女に襲いかかった。

 悲鳴をあげ逃げまどう女達を巨大なチンコが襲う。

 地獄絵図。そう呼称する以外に何といえよう。

 虐殺が始まった。浮遊する巨大なチンコになすすべもなく蹂躙されていく女たち。


 ほんの数分の出来事だった。

 女達を殲滅したチンコは次の標的を求め観客席にやってくる。

 阿鼻叫喚の地獄絵図の中、人類の愚かさ、驕り高ぶった地球の支配者の惨めな終焉の序曲が始まったのだ。


「そうか、これが進化したチンコ。『シン・チンコ』なのか」


 俺は恐怖に震えながらそう呟いた。




 完

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