誓おう、必ず再会を果たすと
「上総、陽!渉は、渉はどこ!?」
しばらくして、社用車から勢いよく美月が降りて来た。美月も近くで別の任務にあたっていたはずだが。
「美月、どうしてここに」
「陽、渉こっちにいるんでしょ?ちょっと前にメールが来て、今までありがとうってただ一言だけ。それで今回の任務のこと聞いて。渉のことだからさ、きっと自分が……」
美月も予想出来ていた。生きることへの希望を持たない有坂なら、ましてや今回のように尊敬する上官の代わりを務められるのならば、必ず自分を犠牲にすると確信していた。
「……あいつは中だ。今、コードの解析を行っている」
それを聞いて、美月は僅かに顔を歪めて静かに目を閉じた。上総にとって、一番見たくないと願っていた表情だった。
「美月……」
「謝らないで。上総はなにも悪くない。どうせ渉が自分から行くって言ったんでしょ。有坂特尉としてじゃなく、有坂渉としてやっと役に立てるって思ったんだろうな……」
「最後まで面白い奴だったな。自分が犠牲になる代償として、お前に最も辛い決断をさせやがった。ずっと負けていた有坂が、最後にやっと小さな一勝を挙げたってところかな」
***
爆発まで残り五分を切ったとき、上総が持つ無線が鳴り響いた。だが、上総は応答せずそのまま美月へ手渡した。
「これは有坂の望んだことではないだろうけど、それでも最期に話してあげて欲しい」
美月は上総の想いを痛いほどに受け止め、意を決して無線を受け取った。
「こちら有坂。コード解析終了いたしました。直ちに最終データ送信いたします」
無線から聞こえてくるのはいつもの有坂の声だった。少し高くて細めの、それでも聴いていてなんだか落ち着く聴き慣れた”有坂特尉”の声だった。
「……渉」
まさかの相手に、報告を繰り返していた有坂の声が止まる。
「解析お疲れさま。さすがは有坂特尉、まだ数分残ってる」
「あ……、桐谷三佐ですか。お疲れさまです。こんなことなら、ぎりぎりまでやっていれば良かった。今あなたの声を聞いてしまうと、そちらに戻りたくなってしまいます」
普段の自分であろうとしているが、有坂の声は明らかに先ほどとは違う。
「仕事の話はもう終わり。なにか楽しい話をしよう」
美月も、心なしか声のトーンが落ちていた。それでも頑張って涙をこらえ、口角を上げながら話し続ける。
「渉、お揃いで買ったミサンガまだ足につけてる?これなかなか切れないよね。夢の国は何回行ったかな。何度も連れて行ってくれてありがとう。……あれ?思い出話なんてするつもりはないのにな。えと、渉……。あのね……」
空を見上げて、零れ落ちそうな涙をなんとか堪える。頭に浮かんでくるのは渉との楽しかった思い出ばかり。だって、本当にそれしかない。本当に、二人で笑っていた想い出でいっぱいで……。
「美月、たくさんの想い出をありがとう。俺が知らなかった世界を見せてくれてありがとう。いつだって笑っていて、それでも辛いときは助けてあげたかった。もっと側にいて話を聞いてあげたかった。あまり頑張りすぎるなよ。美月に助けられている人間はたくさんいるんだ。だから皆、今度は美月を助けたいんだ。俺は、これでもう終わってしまうけど……」
有坂は一度口を閉じた。駄目だ、これ以上はもう話せない。自分の想いを閉じ込めるのに必死なのに、これ以上は塞ぎきれない。
「……渉、私は渉のことも助けてあげられていたのかな。私はなにか、渉の役に立てたのかな」
もう限界だった。奥歯を噛み締め顔を伏せる。腕時計に目を向けると、長針はまもなく爆破時刻を指すところだった。そして、それを追うように下から秒針が迫ってくる。
「……俺の中には、いつだって美月がいたよ。それはこれからも変わらない。この先、今まで以上に様々な困難の中を闘っていくことになるだろう。それでも、美月は必ずやって行けると信じてる。美月と出会って、なにもなかった人生に光が射したんだ。今になって、やっと自分が存在する意味がわかった。どんな形であれ、この先なんとか美月を救うことは出来そうだ。叶うなら、俺が救ってあげたかったんだけどね。結局、美月にはなにも返せなかったなあ。……最期に一目会いたかった。ありがとう、じゃあね」
……都築一佐、前言撤回致します。やはり、死は怖いです。その瞬間がわかっているからこそ尚更怖い。
「でも、良い終わり方だ」
秒針が頂点にたどり着くまであと僅か。この数秒でさえ無駄には出来ない。
「渉ありがとう、必ずまた会おう!だから、それまで待っててね!」
「なにそれ。やっぱり美月は……」
足下が揺れた。たいした音もせず、ただ微かに揺れただけだった。無線を持つ右腕は、希望を失い力無く垂れ下がる。
黄昏間近の空を仰いで、美月は静かに目を閉じた。幸か不幸か、地下シェルターは有坂渉の最期の瞬間を静かに包み込んだ。
***
有坂の見事な解析により、もうひとつの現場が明らかとなった。そこは、部下たちが予想していた場所のひとつであったため、余裕を持って解除することに成功した。
「……撤収」
それを確認し、上総は今回の任務で最後の指示を出す。部下たちは戻る準備を始めるが、やはり上総を気にせずにはいられない。
「車一台残しといて。あとは俺らでやるから」
「ですが……」
立ち尽くす上総を横目に、陽は部下たちのもとへ向かう。
「……あいつ、見ての通りだよ。後悔してるんだと思う。でも、時間を戻したところで結局なにも変わらないってこともよくわかってる。今はそっとしておいてあげて」
初めて目にする上官の姿。少しでも触れたら崩れ落ちてしまいそうなほどの放心状態。
「めずらしいことでもないよ。お前たちが知らないだけで、今までも部下が重傷を負ったり殉職したときはいつもああだ。どこか人目につかない場所で、なにか別の方法があったんじゃないかってずっと後悔してる。周りが思うほどあいつは強くない。あいつは、身体も心も常にぼろぼろだ」
あの都築一佐の本当の姿。今まで、部下の前では決して見せなかった内側の姿。
「こうやってさ、上総には背負わなければならないものがどんどん増えていくんだ。……今頃、次期諜報部隊長も望んでもいない葛藤に苦しんでいるよ。有坂を失った哀しみ、今後の重圧。上総のせいではないとわかっていても、その先には嫌でも上総の姿がある。有坂もさ、まさか上総を言い負かすとは思わなかったけど」
「陽、行くぞ」
上総は一度目を閉じて拳を握り、大きく息を吐いた。そして顔を上げ空を見上げる。
微かに風が吹き始める。ビルの地下へ
少しばかり陽が傾き、足下からビルの方角へと薄黒い影が細く伸びる。その一本の影が、"来い、お前も来い"とシェルターまで導いているようで、道連れにしようとしているかのようで。
「……悪かった」
「おい、変なこと考えんな。お前の中で、有坂がどんどん悪者になっていくだろ」
上総の額には、うっすらと冷や汗が滲んでいる。シェルターの扉を開けたところで有坂の姿はない。どう謝ればいい、なにをしたらいい……。
ただただ後悔だけが頭を巡る。考えたって仕方がないのはわかっている。
憤りに染まる頰を欺く緋色の空。荒い呼吸を宥める疾風。涙を隠す夕立ち。
「くそ……」
そして、大事な仲間を迎えに行くために、感謝を伝えるために、向かい風の中をゆっくりと歩き出した。
黎明・真実と裏側 上羽理瀬 @rise7
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