その翼を堕として、自由を奪ったから

 有坂渉は、大勢いる部下の中で一風変わった部下だった。覇気がない、だけど人一倍頭の回転が速い。相手によって自分を演じ分け、誰にも詮索されまいと常に一定の距離を置いていた。

 そういえば、戦闘員になるか非戦闘員になるかを悩んでいた有坂と話をしたことがあった。


「……戦闘員志望ですが、桐谷に射撃で負けたんです。ですが、男としてのプライドとかそういうものではなく、単純に凄いなって。戦闘部隊は彼女に任せ非戦闘員は自分が引っ張って行こう、自分の能力を生かして戦闘部隊をサポートしようと思いました。きっと、いくら訓練を重ねたところで彼女には追いつけもしません。ただの諦めとも言えますね」


 上総は目を閉じ、そのときのことを思い出していた。まだ鮮明に覚えている。


「……それに、戦闘部隊には都築一佐と柏樹二佐がいらっしゃいます。ならば私は、非戦闘部隊から桐谷を護って行こうと決めました」


 有坂も同じ想い。上総にとってこの組織は、自らの復讐を遂げるためのものであり、桐谷美月を救うためのものでもあった。有坂は、どちらにしろ組織の人間として相応しかったため、上総直々に諜報部隊長に任命した。


 ***


「あとはお願いします、だってさ」


 その声に我に返ると、隣に陽が立っていた。


「皆、顔青ざめてたけど。お前があんな声出すから」


「……ごめん」


 その今にも消えてしまいそうな声は、そのまま彼自身も消えてしまうのではないかと思えるほどに、哀しみを通り越して感情を持たないものだった。

 陽は、ビルの入り口を一心に見つめる上総に優しい笑顔を向けた。


「許せなかったんだろ?有坂をどうしても止められない自分自身が。お前は、人を怒鳴りつけたりなんかできない奴だもんな」


「……それもあるけど。有坂には、なんとしてでも戻って欲しかった。脅してでも怪我をさせてでも。……でもさ」


 上総の視線が下がる。深い溜め息をついて強く口を噤んだ。そんな上総を、陽はじっと見下ろして待っていた。上総が続きを話し始めるのを、上総の抱える痛みを。


「俺はこれから組織を裏切る人間だ。そして、その時にはお前もいない。俺の行動をよく知っている有坂なら特務を護ってくれる」


「……だから、わざと挑発したと?」


「こう言えば有坂は動揺して、こうすれば有坂の心は迷うって、よく知っていたから。和泉がね、教えてくれたからさ。でも、有坂の方がうわてだったけどね」


 今にも崩れ落ちそうな上総の姿に、陽は苦笑いを浮かべて肩に手を添えた。大丈夫なんだよ、お前の背中を追い続けている部下たちが、どれほどに心強い存在になっているか、少しは気付いているだろ?


「柊と香月には、後でちゃんと謝るよ。謝って、謝って……」


「違うだろ。この任務も含めて、有坂と柊はいつでもお前の代わりに犠牲になる決意をしていたんだ。お前から組織を裏切ると告げられたときに、あいつらの使命は"なにがあろうとお前の裏切りを遂行させること"に変わった。……逢坂が言っていたよ。諜報部のトップは、組織のことなんかまるで考えちゃいない。ただ、そうさせてでも最終的には組織のための行動となるんだから、上総には頭が上がらないって」


「……だけど、俺が決めてしまう。彼らのこの先の人生を。彼らの死に方や、その瞬間までもを」


 すると、上総は眼を見開き勢いよく顔を上げた。こんな表情、もうしばらく見ていないな。


「俺が今まで、どれほどの隊員を見殺しにしてきたか知っているか?彼らの人生を奪って、彼らの最期を俺が決めたんだ。異論のひとつでも口に出せばいいのに、誰一人として首を横には振らなかった」


「……お前は、一番辛い想いをすべき立場にいるから。だからさ、皆お前のために喜んですべてを棄てるんだろ。異論を出さなかったんじゃない、はじめから無かったんだ。ただ、そんな奴らを可哀想だなんて思うなよ。届くことはなくても、よくやってくれたって、声を掛けてやれ」


 想像以上に、上総は心労や重圧を溜め込み過ぎていた。もっと早く、普段から発散させてあげるべきだった。


「……俺を殺せよ、全員でかかってくればいい。もう嫌なんだ。……頭から離れないんだ。命令を下した後に俺に向けるあの背中、部屋を出るときに俺に向けるあの視線。皆、笑って部屋を出て行った」


 その悲痛な表情は、徐々に怒りに変化していく。ずっと苦しかったんだろうな。命令を下された部下が部屋を出た後、きっと上総は悔しさで涙を流していたのだろう。


「きっと、扉の向こうで憎しみと怒りを俺に向けていたんだと思う。泣き崩れていたかもしれない。俺はさ、申し訳なさよりも、もうこれ以上憎まれるのが嫌だったんだ」


「上総……」


「陽、お前がやれ。俺を殺せ!」


 陽は、上総の頭上にそっと右手をかざすと、その大きな掌で上総の頭を覆った。


「安心しろ。お前は、その隊員たちの何倍もの酷い死に方をするだろうから。まあ酷いといっても、きっととてもシンプルで、哀れな終わり方だろうね。……これまでのことを、すべて帳消しにするほどにね」


 その掌に隠れて上総の表情は窺えない。ただ、彼の抱える重い叫びだけはひしひしと伝わってくる。


「上総も充分苦しんでる。生き続ける方だって辛いよな。これじゃあ、部下に死を与えるために生きているようなものだ。でもさ、お前はひとりじゃないから。たとえ全員が寝返っても、俺は最後まで味方でいてやるよ。いや、戦友って言った方がいいのかな」


 陽の言葉に、俯いた上総は少しだけ涙を流していた。周りの人間は優しすぎるんだ。こんなにもどうしようもない自分に、どうして優しくしてくれる……。


「……遺体回収、俺一人では行けないかもしれない。だけど、部下に行かせるつもりもない。一緒に行って欲しい」


「ああ、もちろんだ」

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