終章

第56話 新たな記憶

 月日は流れ、十月下旬。


 曇り空の下、紗矢は越河家の庭をうろうろしていた。

 林の方をチラリと見ては踵を返し、シフォン生地の裾をふわりと翻す。

 今、紗矢は、真っ白なワンピースに身を包んでいた。髪型もゆるく巻いた髪をサイドでアップさせ、白い花の髪飾りが添えてある。今朝がた唯が顔を輝かせながら手腕を振ったのだ。


 今日は越河家当主と求慈の姫をお披露目する日である。

 紗矢たちが住まう越河家の一階の応接間や食堂には、ぽつぽつと五家の関係者が集まり始めている。

 もうすぐ開始予定時刻になるのだが、紗矢にはどうしても必要なものがあった。


「……あっ!」


 林の向こうから屋敷に向かって近づいてくる気配を察知し、紗矢は結界を飛び越え林の中の小道を走りだした。

 とてとてと歩いてきていた修治が顔を上げ、走ってくる紗矢に気付くと、驚きで口を開ける。


「あ? おっ、おい!」


 紗矢の後ろに誰もいないことに、修治は口元をひきつらせた。


「お前、一人か!? 一人で結界超えんなっつーの!」


「……ごめん……でも、待ちきれなくて」


 修治の元にたどり着き、息を整えてから、紗矢は笑みを浮かべ手を差し出した。


「ほーらよ」


「有難う、修治君!」


 修治が紗矢に手渡したのは、写真立てだった。

 それは片月家の紗矢の部屋にある、祖母が写った写真だ。今日のこの日を、祖母にも見て欲しい。そんな思いから、母親に持ってきて欲しいと頼んでおいたのだが、母親はそのことをすっかり忘れてしまっていた。

 紗矢の父と母は一時間ほど前に越河家へ来たのだが、既に来ていた五家の人々に取り囲まれてしまっていた。みな、紗矢の祖母である片月マツノのことに興味津々で、いろいろな話を聞きたがったのだ。

 そこで紗矢は家の鍵を母から借り、暇そうな修治に白羽の矢を立てたのだ。


「……これは……いーや。俺が直接返しとくわ。片月も今日はこれから忙しくなるだろうしな」


 預かっていた鍵を紗矢に渡そうとしたが、修治はそう呟くと、鍵を持った手をブレザーのポケットの中に入れた。


「……っつーか。早く結界内に戻ろうぜ。異形たちがにじり寄ってきてる。気持ちわりぃ」


「うん」


 紗矢も辺りを見回し、素直に頷いた。

 感じる禍々しい気配が、林の中に立ち込めている霧と相まって、薄気味悪さを増幅させている。


 修治と並んで、紗矢は歩き出す。

 道を挟んで両側の木立に、所々、赤と白の旗が下げられているのを見て、紗矢は遠い昔のことを思い出していた。珪介と初めて会った時のことだ。今日は祝いの赤と白だが、あの時は黒と白だった。疲れた表情だった幼い珪介を思い出せば、悲しみがちくりと胸を刺した。


 コツコツと靴音が響いた。紗矢が顔を上げると同時に、霧が、気配が遠のいていく。


「修治、遅い」


 モーニングコートに身を包んだ珪介が不機嫌な顔で立っていた。


「これでも大急ぎだ、コノヤロウ」


「遅い」


 ふっふっふっと声を引きつらせ笑った後、修治は歩調を速めた。


「すっげー、喉乾いた。飲み物用意してあるよな? 鍵返す前にがぶ飲みすっか」


 両手を伸ばしながら自分の横を通りすぎて行く修治を見送った後、珪介は紗矢に向かって手を伸ばした。


「紗矢」


 笑みを浮かべた珪介に、紗矢の心がトクリと跳ねた。

 紗矢は珪介へと一気に走り寄り、伸ばされた手をぎゅっと繋ぐ。時間が迫っていることを頭では分かっているのだが、珪介も紗矢も、慌てることなくゆっくりと歩いていく。それが紗矢には、とても心地よかった。


(高校生になって再会して睨まれた時は、まさかこうして珪介君と手を繋いで歩けるような関係になると思わなかったけど)


 ちらりと視線を上げれば、珪介も紗矢を見降ろしてくる。互いの視線に、愛おしさが込められていく。優しく甘く重なり合い、好きだという感情が溢れていく。紗矢は持っていた写真立てをキュッと掴んだ。


 林から越河の庭へと戻れば、芝生の真ん中あたりにランスがいた。ランスは紗矢と珪介に気付くとすぐに近寄ってくる。赤い躰の周りで、小さな金色の鳥獣がきらきらと輝きながら飛び回っていた。


「……あっ」


 ランスの背から真っ白な小さな鳥獣が飛びあがったのを見て、二人はどちらからともなく足を止めた。

 新たな長の飛び方はまだまだ不格好ではあるけれども、金色の鳥獣と共に、必死にこちらに向かってくる。それがまた可愛らしくて、紗矢と珪介は顔を見合わせほほ笑んだ。

 珪介の頭の上には白い鳥獣が、紗矢の肩には金色の鳥獣が舞い降りてきた。新たな二つの命の温かさを感じながら、二人は再び歩き出した。


 玄関の扉の前に立てば、その向こうから賑やかな声が聞こえてくる。今になって緊張が込み上げてきて、紗矢は写真の中にいる祖母を見た。


(今の私を見たら、しっかりしなさいって、言われるような気がする)


 凛とした眼差しに緊張を見抜かれてしまってように思え、紗矢は苦笑する。

 珪介がドアノブを掴んだ。しかし、扉はなかなか押し開けられなかった。


「……珪介君?」


 不思議に思い横に立つ珪介を見上げると、そっと柔らかい感触が唇に押しあてられた。


「これからもずっと、傍にいよう……一緒に歩いていこう」


 突然のキスに、不意打ちのような言葉が続き、紗矢は大きく目を見開いたまま、ただ珪介を見つめ返した。


「珪介君」


「好きだよ、紗矢」


 再び重なった唇が、珪介の思いを紗矢に強く伝えてくる。


「私も、珪介君が好き!」


 紗矢は珪介の首元に腕を回し、ぎゅっと抱きついた。珪介も優しい力で紗矢の体を抱きしめ返す。

 見つめ合い、笑みを浮かべた後、珪介は改めるようにドアノブを握りしめ、紗矢を見た。


「行くか」


「うん!」


 紗矢が力いっぱい頷くと同時に、珪介が玄関の戸を押し開けた。

 離れないよう願いを込め、繋ぎ直した手に、ぎゅっと力を込める。

 しっかりと新たな一歩を踏み出して、紗矢は珪介と共に越河家の中へ入っていった。






 <END>



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ホワイト クラウン -求慈の姫と守護の翼- 真崎 奈南 @masaki-nana

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