第8話 処方した薬が効いているのだろう
処方した薬が効いているのだろう。確か、テルセラは薬学に関しても知識があったはずだ。
丁寧に仕立てられた藍を基調としたキルトの上掛けにくるまって、ハルカはまだ寝ていた。
どうやら熱も引いたようで、規則正しい呼吸に安堵する。
何事も無かったかのように、彼はハルカの部屋へと俺を通した。
俺がいくつかの指示を伝えると、心得たように立ち去ろうとする。
「テルセラ」
呼び止めると、まだ何か? という風に奴は小首を傾げてみせる。
「……いや、いい。何でも無い」
普段通りすぎて、却って拍子抜けした。
──手の甲への挨拶は、あの報告のあった接触は、なんのつもりだったのか。
奴が意図したことが読み取れずに、戸惑いを感じていた。
随分と泣いたのだろう。まだ少し目の端が赤い。
彼女(ハルカ)が起きないことをいいことに、指先で目の横から頬をなぞった。
こんな気持ちになるなら、いっそ全てを明らかにしてしまう方がいいのだろうか。
……だが、まだだ。
まだ、彼女を手に入れるには足りない。
このまま、俺の手の中へ堕ちて来ればいい。
他のヤツになど、絶対に渡さない。
「ハルカ……」
切なく溜息が漏れた。
万が一、俺の元から逃げだそうとしても、閉じ込めてしまうことなど俺には簡単なことだが……出来ることならば彼女の意思で鳥籠へ入ってきて欲しい。
勝手な俺の願望だとは分かっている。
出会った頃よりも随分伸びた黒い髪に口付ける。眠ったままの彼女に許しを請う。
どうか、俺のことを嫌わないで欲しい。
手を取り、テルセラに触れられたであろう甲に頬を寄せる。
小さな手。柔らかな肌、細い指先。
刺繍などの手仕事は不器用だから難しい、と言っていた。
「なんかねえ、テレビもパソコンも無いからヒマでさ、爪とか磨くのが趣味っぽくなったよね」
そう漏らしていた通り、桜色の爪の先は綺麗に整えられている。
彼女はまだ目が覚めない。
その素直に伸びた腕をそっと撫でる。
この気持ちに、なんと名前を付けたらいいのだろう。
不安で切なくて愛おしくて。
束縛したいくせに、そうしたくない自分も居る。
心が揺れて掻き乱される。
彼女が、幸せそうに笑うところが見たい……
「人の気も知らないで、グースカ寝やがって……」
──バカ女……早く、起きろよ。
夕暮れ時の、弱々しくなった光が家並みに反射し、オレンジの穏やかなきらめきが部屋に満ちていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「うっわー……それって、外堀り埋めまくり? ひくわー! 」
イザルティは無遠慮に俺を扱き下ろした。
それを、ノワゼが不敬だとたしなめる。
迎えの馬車は目立たぬよう小型のもので、3人も乗り込むと狭い。
イザルティの高めの音域の大声が耳に痛かった。
「煩いな。結果オーライだろうが」
「えええ……当て馬になったテルセラ、可哀想……」
大げさに肩をすくめてみせた。
「ハルカ様とテルセラ様では親子ほどもお歳が離れておられますよ」
「ノワゼが言うと、変……年齢とかの概念が希薄でしょ、今どれぐらいだっけ」
「ここの歴で言えば、まだ200年ほどで御座います」
──「告白・交際・プロポーズ」をすっ飛ばしての結婚話がサックリ通ったところで、現在、帰路についているところである。
「これから忙しくなるねえ、今からなら式は早ければ半年後あたりかなぁ」
「法の改正がさきでございますよ。抜かりなく整えて参りましょう。ああ……きっとハルカ様のお子でしたら、可愛らしいでしょうねぇ」
「ばッ……」
「あ、まって。気が早いよ? ボスってば『ちゅー』もしてないらしいもん」
まったくヘタレすぎる粘着だよねー、などとイザルティに、どこからか仕入れた情報をさらりと流されて、俺は頭を抱えた。
馬車の中では、礼と忠節について、またくどくどとノワゼの説教が始まる。
俺はその様子に微かに笑みを漏らし、窓の外に目をやる。
大小2つの月は晧々として、昼を欺くばかりの空だった。
魔法もチートも無いんだよ? 堀出 やす美 @Holiday-yasumi
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