第7話 彼女を手に入れるのは俺だ

 ──彼女を手に入れるのは俺だ。

 臓腑の奥から黒い塊が。澱んだ思いがせり上がる。


 暗い独占欲。

 ──許さない……

 ギリ、と奥歯を噛みしめた。


 「……で、殿下?」

 震えるクルツの声に、ハッと気が付いた。 


 精緻な彫りが自慢の、大きな窓から明るい日差し降り注ぐ明るい室内。

 温もりのある柔らかな曲線をえがく、南方の木目の詰まった高級木材を使用したデスク。幾何学的な組み木のフロア。シンプルだが職人の技術が詰まった複雑な織りの布が使用された応接ソファー。

 全体にゆったりとしつらえられた……ここは流民管理局の執務室だった。


 怒気が態度に盛大に出ていたらしい。

 我に返ってみると、小柄でいかにも文官らしい優男であるクルツは、怯えて青くなっていた。


 ──いかん。彼は只でさえ激務のストレスで最近どんどん髪が後退しているのだ。

 己のせいで、これ以上禿げさせるわけには……

 少しばかり自省する。


 「なんでもない、少し余所での懸案事項が気になって気がそれていただけだ。悪かった……クルツ。先程の提案通りで問題ない。そのまま進めてくれ」

 表面上の感情のコントロールは得意だ。穏やかな笑みで語りかけると、クルツはやっと安心したように緊張を解き「承りました」と、礼をとった。




 「彼女を手に入れる」

 ──言葉のままに、微に入り細に入り包囲し網を張る。


 自らのその考えに、吐き気がした。


 権力に任せて、俺の母親は現国王の側室として無理矢理城へ閉じ込められたのだ。

 誓い合った男もいたのだと聞く。だが、闇に葬られ、故郷から半ば誘拐のように連れ出され、体の弱かった母は俺を産んでから1年も経たずに亡くなったと聞く。

 温もりさえ覚えていない母親のことなど、別段の感慨も無いのだが、

 ──俺は、決してあの男のようにはならない。

 そう考えていた頃もあった。


 今までずっと、彼女(ハルカ)を囲い込むように各方面へ手を回してきた。

 多少の焦りがあったかもしれない。


 彼女が他の特定の誰かを好いてしまわないように。側につける教師は慎重に選定した。余計な情報をシャットアウトした。異界人でも法律に則って国民として暮らせるよう整備した。彼女が住むアパートとその周辺、そして働いている商工会議所も、俺の息がかかったところだ。


 都合のいいことに、言葉の壁も俺に味方した。

 慎重に、見えない糸を張り巡らせて拘束した。


 彼女が自分から俺の手の中に落ちてくるように。

 ……俺だけを、見るように。


 だが、どうだ。

 テルセラの、たったこれだけの行動で、俺は動揺している。

 ハルカが奪われることを怖れ、奪って閉じ込めて二度と檻から逃がさぬようにと、考えている自分がいる。

 父でもある現国王がやっていたことと、何が違うというのだ。


 「血は争えない」とは、この事だ……

 乾いた笑いが漏れた。

 

 認めたくないが、臆病な自分がそこには居た。

 ハルカが離れてしまうことを怖れていた。


 地位も権力もない状態の「俺」という個人に頼って取りすがる女。

 貴族どもがこぞって欲しがる、美しい黒い髪。黒い目。

 戯れ言に本気で言い返してくる、その、何の裏も無い心根。

 柔らかで傷つきやすい心。

 帰るべき場所も失い、途方に暮れて、寂しいと、声も立てずに泣くのだ。

 

 未だ、彼女が心から笑ってくれたところを見ていない気がしている。

 いつも、不安げに笑うのだ。


 俺は、どうしたらいい?

 手放すなど、考えられない。




 ──いっそ、もう何もかも話してしまえたなら。


 黙っていたからといって、いずれは露見してしまうのだ。

 やっと、彼女の側に立ったのは、日が傾いたころだった。

 夕食を作っているのであろう、魚や香辛料の様々な香りが路地に流れ、鼻をくすぐった。


 支配する者は常に孤独と葛藤の渦中だ。

 騙し、偽り、裏切られることを怖れ、不安におののいていても、感情をコントロールし取り乱すこと無く立ち振る舞う。

 砂漠で乾いたものが水を求めるように。内に飼う虚無が、純粋な心を欲していた。

 みっともないほど、彼女に執着している。飢えている。

 側に立ち、孤独を埋める存在を欲している。

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