命日とハッピーバースデイ

国会前火炎瓶

命日とハッピーバースデイ

 その日は月の綺麗な夜だった。僕はとある廃ビルの屋上にこっそりと忍び込み、夜空を眺めていた。手元には、線香の刺さったホールケーキと、発泡酒。それじゃあ、乾杯、と誰に言うでもなく呟いて、発泡酒のプルタブに指をかけた。

 「お兄さん。こんなところで何やってるの?」

 楽しそうな声が聞こえた。振り返ると、髪の短い女が一人、こちらを不思議そうに、面白そうに眺めている。

 「随分気取ったものを持ってるね。線香の刺さったホールケーキなんて。それを食べて、一杯やったら死ぬつもり?」

 笑いながらそう言って、女は僕の隣に腰掛けた。そうして、僕の顔を覗き込むようにして見ている。

 「そんなつもりはないよ。ただ、今日から生まれ変わろうと思って」

 「生まれ変わる?」

 彼女がきょとんとした声で聞き返す。

 「今まで、僕はてんでダメな人間だったんだ。夢を追いかける、なんて言って就職もせず、色んな人に甘えて、それで本気も出さずにいた。フリーターで適当なバイトをして、金を貰って、そいつで飯を食う、ただそれだけの生活。追いかけていたはずの夢は、むしろ遠くに行ってしまって昔より随分霞んじまった。」

 今までの無気力な日々を思い返す。夢へと向かう努力だったはずの行為は、いつの間にか只の日課に成り下がり、何の進歩も、諦めすら得られないまま、毎日毎日を消費していた。

 「今日はね、僕の二十五の誕生日なんだ。それで、何でかは分からないんだけど、今日になって急に、このままじゃあ、いけないって思えたんだよ。このまんまじゃあ、ただただ腐っていくだけだ、ってね。だから、今日から僕は生まれ変わる。このケーキは」

 ケーキを軽く掲げて、真ん丸なお月様に照らしてみる。

 「今日死んだこれまでの僕へのお供え物で、なおかつ今日生まれた新しい僕へのバースデイケーキなんだ」

 彼女は静かに僕の話を聞いていた。聞き終わると、ふふ、と笑って、

「やっぱり、気取ってるんだね」

 彼女はどこか楽しげであった。

 「君は?こんな所へ何しに来たの?」

 「私?」

彼女は困ったような顔をした。

 「そうだね、何をしに来たのかな?自分でも分かんないや。仕事が辛くて、そうしたら、何故だがここへ来たくなったの。まさか、私以外にここを知ってる人がいるなんて知らなかったけど」

 そう言う彼女の顔は少し悲しげであった。

 「知ってたわけじゃないさ。高いところで夜空を見ながら命日とバースデイを祝えれば良かったんだ。ここに来たのは、たまたまだよ。今日たまたま、この廃ビルを見つけたんだ」

 そっか、と彼女は息をつく。

 「もしかして死ぬつもりだった?」

 そう尋ねると、彼女は首を傾けて、考えるような素振りをした。

 「……そうかもしれないね。ここに来た時に、もしキミが居なかったら、多分、死んでたかも」

 彼女の眼は、どこか遠くを見ていた。

 「じゃあ、ちょうどいいね」

 「え?」

意味の分からない、と言った風の彼女の声。

 「実はキミは今日ここに来て、本当に自殺をしたんだ。そしてその自殺は見事成功し、キミは死んだ。そうしてここで生まれ変わったんだ。今いるキミは生まれ変わった後のキミで、今日ここへ来るまでのキミとは全く別人だ」

 まるで、芝居をするみたいに声高々に僕は話し続ける。

 「ね、どうだろう?それでいいんじゃないかな?ちょうどここにはお供え物兼バースデイケーキがあるんだ。死んでしまった、今日ここへ来るまでのキミにご愁傷様でした。そして、今日ここで新しく生まれたキミにハッピーバースデイ!」

 そう言って、ぐいとケーキを彼女へと近づける。彼女は呆気にとられた顔をしていたが、それから小さく微笑んで、

 「何それ、バカみたい」

 彼女の瞳から、涙が一粒零れ落ちた。線香の煙が、どこか優しく揺れていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

命日とハッピーバースデイ 国会前火炎瓶 @oretoomaeto1994

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ