第三章:舞踏会の事件 II

 シアンがさっと顔色を変えてフィンの肩を掴み返し、自身に引き寄せながら前に倒れ込んだ。次の瞬間、二人がさっきまで座っていたベンチの背もたれに、弩から放たれた暗殺によく使われる、短めの矢が刺さる。

 びいいいいん、と反動で揺れている矢が静かになるより先に、シアンはベンチの脚を蹴ってゴロゴロと転がった。倒れ込んでいた地面に二本目の矢が刺さる。

「刺客のようです。」

 シアンがフィンの上に覆い被さったまま耳に顔を近づけ、短く言った。

「蹴散らせ。」

「御意。」


 フィンを傷つけないように、シアンは左手をフィンの背中に、右手を後頭部に当てて守っていた。そのまま硬いレンガの地面に倒れ込んだり、転がったりしたため、肘の上まである絹の白い手袋は薄汚れ、二の腕から肩にかけては擦過傷でシアンの白い肌に血が滲んでいた。

 そんな物傷の内に入らぬと言わんばかりに、シアンは右手で背中のナイフを抜きながら身体を起こし、三本目の矢を打ち払った。そして間髪を入れずに矢が飛んできた方向にナイフを投擲する。

「ぐわっ」

 森の方から呻き声と、ガサガサと木の上から人が落ちる音がした。


 シアンは両手を足首にやって、刃渡りが手のひらを二つ並べたほどあるナイフを鞘ごと外すと、一本はそのままフィンに渡し、もう一本は抜いて右手に持った。

 フィンを立たせ、背中の後ろに隠してから、森の方を向いて言った。


「私は近衛師団、グングニルのシアン!城の守護を司る物だ!もし、この御方の事を知らず襲撃してしまったのなら、とく失せよ!さすれば此度の事は看過しよう。しかし、分かっていて奇襲したのなら、姿を現せ!この御方を殺したくば、先ずこの私を殺すがいい!」


 よく通る、高く大きな声だった。

 空気が震え、ざわざわと木の葉を揺らしていた風もピタリと止む。それは、まるで自然がシアンの気迫に気圧されたかの様だった。

 すると、目の前の花壇にゆらりと、黒い人影が4つ現れた。気配から察するに、これで全員だろう。その内の一人は先程シアンが投げたナイフが肩に刺さったままだった。下手に抜いて止血を怠ったり、激しく動くと失血死しかねないので、あえてそのままにしてあるのだろう。

 四人共、既に剣を抜いている。


 シアンは布をたくさん使ったドレスを着ているせいで、動きにくいし蹴りは使えない。靴は踵が高く不安定な上、レンガの上は良いとしても、花壇の中は土が柔らかいので足を取られる。そして武器は、今日初めて持つナイフが大小一本ずつ。

 これで王子を守りながら戦うとなると、少々分が悪いな、と思いながら、シアンは刺客を睨んだ。

「失せよ、と言ったはずだが?」

 シアンが刺客に呼びかける。しかし答えは帰って来ない。

「そうか、では、仕方ないな。」

 左手でナイフを抜き、逆手に持つ。

ーせめて、私の剣があれば!

 そう念じても、手に持ったナイフが剣に変わるわけでもなく。シアンはナイフを握り直しながら素早く靴を脱ぐと、音も無く迫って来る刺客に真っ向から突っ込んだ。


 一番近くにいた男の刃を斜めに受けて力を分散させながら、隣の男の首筋に左手に持った小型ナイフを走らせる。そのまま返す手で、右手で受けていた男のこめかみあたりにナイフを突き立てる。そして、男が持っていた剣を絡めとるとナイフを手放し、両手で剣を持って一刀のもとに男の首を両断した。


 まさに一瞬の早業。後ろからシアンを見ていたフィンには、両手にナイフを持って飛び出したシアンが、いつの間にか剣に持ち変えていて、剣が見えなくなったと思ったら男の首が飛んでいたようにしか見えなかった。

 足元にあった白い花が赤い花に変わり、崩れ落ちた首のない男の体によって潰された。同時に、血飛沫を上げながら飛んでいた首が、ドンと鈍い音を立てて地面に落ちる。


 ぎり、と歯ぎしりをしながら、シアンは花を踏み潰して前に進む。もし万全の状態で戦えたなら、ルフレと戦った時のように手加減する事が出来る。しかし今はその様なことを考える余裕は無かった。出来るならフィンが大切に育ててきた花を踏み荒らすことは避けたいし、情報を聞き出すために刺客は殺さずに捕縛したい。

 しかし、いくらそこらの剣士より多対一の戦闘に慣れているとはいえ、ドレスを着たまま戦うという見世物のような真似をしなが戦うのでは訳が違うのだ。 シアンは、刺客がフィンの方に行かないように牽制しつつ、薙ぎ払った剣を再び上段に構え、肩にシアンが放ったナイフが刺さったままの男に袈裟を掛けた。防御より機動性を重視したのだろうか、男が身につけていたのは革鎧だった。だが、そんな物はシアンの前では紙も同然。革鎧はあっさりと貫かれーその主人を絶命させた。


 シアンが最後の一人に剣鉾を向けると、その人は爪先をシアンではなく、フィンに向けていた。

「何っ!?」

 咄嗟の判断で、男の肩から小型ナイフを力ずくで抜き取り、フィンの方に行こうとする刺客に投げつける。ナイフをはじき飛ばしている隙に、シアンはフィンの元に先回りをした。

 だが、不覚にも踏み出した先の地面が先に倒した男の血でぬかるんでいて、転びはしなかったが大きくバランスを崩してしまった。何とか体勢を立て直すが、せっかく作った隙を無にしてしまう。

「間に合え!」

 口には出さなかったが、心の中でそう叫ぶと、シアンは速度を上げるために剣を手放した。

 本来なら戦っている最中に剣を手放す事などありえないのだが、だからと言ってフィンを守れなかったら元も子もない。それに、フィンにはナイフを持たせていたので、武器のあてがあった。

 シアンがフィンに飛びつくようにして伏せさせ、その上に被さった。

 剣が、振り下ろされる。

 一瞬がやけに長く感じられた。避けられない、それはもう確実で、決定事項だった。シアンの下でフィンが何かもごもごと叫んでいたが、何を言っているかわからないので無視する。一度振り下ろした剣の軌道は、おいそれと変えることはできない。だからこの一撃で死ぬことは無いだろう。シアンはフィンにしがみつくと、きつく目を閉じて歯を食い縛った。


「う、あっ」

 左肩から右脇にかけて、ざっくりと斬られる。シアンは痛みを無視してフィンの手からナイフをもぎ取ると、振り向き様に刺客の喉元にナイフを突き立てた。そのまま一緒に倒れると、馬乗りになって、ナイフを両手で思いっきり押し込む。

 ごりぐちゃっ!と嫌な音がして、ナイフの先がうなじの辺りから覗いた。

 返り血がシアンを汚す。避けようとおもえば避けられるのだが、そうするとフィンの方にまで血が飛んでしまうかもしれないので、あえてそれをしない。

 シアンの頬に飛んだ血が赤い線を描き、顎からポタリと落ちた。


 シアンは能面のような顔で立ち上がると、スッとフィンに近づいて片膝を付いた。

「王子、どこかお怪我はございませんか。」

「僕は無傷だ。でもシアン、君はー」

「庭を血で汚してしまい、申し訳ありません。」

「そんな事はいい。それよりー」

「王子。」

 シアンはフィンの言葉を遮って言った。

「会場に、お戻りください。王子は少し外の空気を吸いに行っただけです。青いドレスを着た、銀髪の娘など、居なかったのです。」

「シアン、何を言っているんだ。」

 シアンは顔を上げ、フィンと目を合わせると無表情な顔のまま言った。

「もし、この事が参加者に知られたら、人々は大混乱に陥ってしまいます。更に、こやつらは十中八九『砂の国』の手の者。一人も生かしたまま捕らえる事ができなかったのは私の落ち度ですが、それでも向こうが休戦協定を一方的に破棄し、戦争を始めようとしている事は確か。しかしその様な情報は今、この場で流すべき物ではありません。」

 フィンにずいと顔を近づけるシアン。

 フィンは一度目をぎゅっと瞑ると、絞り出すような声で「分かった」と言った。

「ベインと合流し次第、君は官舎に戻ってくれ。そこに“知っている”医者を使わしておく。自分から行くよりそっちのほうがいいだろう。」

「?……分かりました。ありがとうございます。」

 頭に疑問符を浮かべながらもシアンが頷くと、フィンはシアンを立たせ、ベンチに座るよう言った。

 シアンが王子を前にして自分だけ座る訳には行かないと言うと、フィンは呆れた顔をしながらベンチに腰を下ろした。シアンも座ろうとしたその時、ドアの向こうからドカドカと大きな足跡が聞こえた。


 シアンがばっと顔を上げて、ドアとフィンを結ぶ線上に割り込む。武器を取る暇も無かったので、ここまできたら徒手空拳で戦う算段だった。

 急に動いたせいで、弱まりつつあった血がまただくだくと流れ始めるが、シアンはそれを少し眉を寄せただけで、後はひたすらに無視した。

 バン!と扉が壊れそうな勢いでドアが開くと、ベインがこちらに走って来た。その後ろにはベラムとソールもいる。

「フィン、シアン、無事か?!」

 ベインがつかつかと歩み寄る。

「僕は無傷だ。この事は僕が後で説明する。それより今はシアンを。」

 返り血と自分の血に塗れたシアンに、ソールが自分が来ていた外套を脱いで着せる。

「シアン、傷はさほど深くない……歩けるか?」

 シアンは何の感情もない顔をソールに向けると、小さな声で言った。

「血を流し過ぎた……無理。」

 だが、ソールが見たシアンは眼帯をしていなかった。

「シアン、その目は……」


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銀時計と隻眼の騎士 星見 空河 @cougar_hosimi

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