第三章:舞踏会の事件 I

 扉の中、舞踏会の会場に入ったシアンは、微笑をたたえ、ゆっくりと歩きながら―ひたすらに困惑していた。

 当初の予定では、舞踏会が始まってからこっそりと中に入り、目立たないように壁の花を決め込んで、警備に当たる筈だった。筈だったのだ。

 しかし、シアンが一歩歩くたびにざわめきが広がり、好奇やら、嫉妬やら、憧れやらが混じった目がシアンに向けられた。もしこの中に「殺気」があれば、躊躇うことなくハンドサインを出して応援が呼べるのだが、さすがに今それをするわけにはいかない。


 できるだけゆっくりと歩いて時間を稼ぎ、その間にどうにか案を考えるという牛歩戦術もむなしく、とうとうホールの中央付近まで到達してしまった。

 そこにいた、年の頃がシアンと同じか少し下くらいの、華々しいドレスに身を包んだ少女と目が合う。

 シアンがにこっと笑って会釈をすると、少女は、ドレスと同じく豪華な扇を開いて口元を隠し、ギロリとシアンを睨んでから、ぷいとそっぽを向いてしまった。

 シアンは笑顔を崩さずに背中……のナイフに意識が行きかけるが、その途中で我に返り、いかんいかんと心の中で頭を振る。


 すると、突然シアンの方に向けられていた目が違う方を向いた。

 目の前にいる少女も、そちらを向いて目を見開いている。つられてシアンも自分の横を見ると、王子……フィン殿下がこちらに向かって歩いていた。

 シアンはもう一度前を向いて少女を見る。ふとマチェータの言葉が浮かび……、この少女が皇太子妃候補であることを理解した。


 それで王子がこっちに来たのか、と思っていると、あろうことか、王子はシアンの前にいる少女ではなくシアンに声を掛けた。

「お嬢さん、僕と踊ってくださいませんか。」

 優しいテノールの声と共に手が差し出される。

 シアンは目をぱちくりさせて、心の中で情けなくうああああああああ、と叫びながら、どうにかそれを外に出さないように堪える事に成功し、笑顔を作った。

「喜んで。」

 マチェータやルキナにみっちりと作法をたたき込んでもらった事に感謝しつつ、シアンはフィンの手を取った。


 二人の周りから人の波が引き、これ以上無いタイミングで曲が始まる。

 練習のためにベインやベラム隊の皆(ティムは辞退した)と踊ったが、フィンはその誰よりも上手だった。尤も、畑違いなのに協力してもらった彼等には感謝しているのだが。

 剣で闘うときとはまた違った緊張感で、昔初めて実践に出された時の様に心臓が早鐘を打つ。シアンは、自分が作り笑顔ではなく、自然と笑っていることに気が付いて驚いた。

 フィンに促されてシアンがくるりとターンすると、スカートが広がってまるで青い花が咲いたようだった。その時実はナイフの鞘が少しだけ見えていたのだが……それに気づいたのは給仕をしていたルキナだけだった。


 マチェータが「楽しんで来なさい」と言っていたのはこいうことか、とシアンは思った。息苦しくなりそうな程ドキドキしているのに、それが嫌では無いのが不思議だった。

 ルキナが舞踏会に出られるシアンの事を、しきりに羨ましがっていたのは、……成程、確かにこれは―楽しいかもしれない。

シアンが笑顔になったのを見て、フィンもまたシアンに笑いかける。

 だが、時既に遅しというべきか。シアンがやっとこの状況を楽しめるようになった頃には、曲がコーダに差し掛かっていた。

 曲が終わり、フィンがピタリとステップを止める。そして繋いだ手を放さないまま礼をした。シアンも教えられた通りに膝を折る。


 同じ人と連続で踊るのは失礼である、と言われたことと、自分がここにいるのはあくまでも仕事としてである、ということを思いだし、シアンはフィンの手を放そうとした。

 その時、フィンがシアンの手を引いた。

シアンが、ばっと顔を上げてフィンを見る。フィンは一瞬不敵な笑みを浮かべて、シアンが入ってきた扉とは違う扉に向かって歩き出した。

「え?王子、どこに……。」

 シアンが戸惑いながら言う。横目で辺りを見ると、呆気にとられている人が半分、悔しそうに、恨めしそうにシアンを見ている人が半分といった所だろうか。少なくとも、穏健な状況では無い。


 すると、ベインが近づいてきてフィンに言った。

「おい王子、どこへ行く。」

 フィンは歩きながら言った。

「僕の庭。ここにいても楽しくないし、それに彼女、このままだったら袋叩きにされるでしょ。」

 お前のせいだろうが!……とシアンは思った。するとベインが、

「そりゃ王子のせいだろうが。」

 シアンの気持ちを代弁してくれた。


 フィンは少し考えてから、笑って言った。

「まあ、それは名目というか。それに、べつにあの四人から選ばなくたっていいんだろう?」

 シアンの顔が物凄い勢いで引きつる。

 あの四人……とは、言わずもがな。

 シアンを選んだ、と言うことは、つまり、シアンを皇太子妃にしたい、ということで。


 ベインがちらと横目でシアンを見た。シアンはフィンにばれないように、小さく首を振る。そして、繋いでいない方の手で『未知、救助要請』とベインにハンドサインを送った。

 それを見たベインが、後ろ手で『状況続行』と返しながら言った。

「ま、まあ、終わるまでには戻って来いよ。あと、くれぐれもちゃんと確認をとるんだぞ。」

「分かってる。」


 これ以上の深追いは無用と考えたのか、ベインは死んだ顔で『救助要請』のハンドサインを送りまくるシアンを置いて、会場の方に戻っていった。

 貴様に良心の呵責は無いのか!とベインの背中に向かって呪詛の言葉を吐いてから、シアンは歩く速度を速めてフィンの横に並んだ。早く自分は普通の参加者は無い事を言わなくては。でもどうすれば……と焦っていると、廊下の突き当たりにある扉を抜けて外に出た。


 そこでようやくフィンの足が止まった。

 シアンが顔を上げると、そこは大きな庭だった。緩やかに蛇行したレンガの小道の両脇にはたくさんの花が植えられており、よく見ると所々にその花に半ば埋もれる様にして小さな小屋の模型がある。花壇の間には細い水路があって、それに面した小屋には水車が付いていて、くるくる回っていた。

「すごい……」

 シアンの言葉に、フィンは子供のようににっと笑い、シアンの手を引いて小道を進んだ。

 庭の中央には木製のベンチがあって、そこに二人で腰をかける。

「君を一目見た時、何故かどうしても僕の庭を見てもらいたくなったんだ。何も言わず外に連れ出して、申し訳なく思っている。」

 その言葉とは裏腹に、フィンはとてもうれしそうに言った。

「僕は『時計の国』の第一王子で、ついさっき正式に皇太子になった、フィンという者だ。君の名前をおしえてくれないか。」

「私は、サ……」

 偽名を言いかけて、シアンははっと我に返った。

 城で働いている者が身分証として持っている懐中時計を取り出して、フィンに見せる。

「私は、近衛師団グングニル、ベラム隊所属のシアンと言います。騙すような真似をして、本当にすみませんでした。」


 フィンの前に片膝をついて、頭を下げようとするシアンをフィンが手で制し、ベンチに座らせる。

「そうか、君が……ベインが言っていた初の女性騎士か。」

「はい。あの、ですから、その……」

「半月前の試合は僕も見ていた。その時はてっきり男かと思っていたのだが……。どうやら君は相当な腕を持っているようだね。」

 そう言って、フィンはシアンが差し出した時計を裏返した。そこには、『時計の国』の紋章と、槍の穂先を模したグングニルの印と、その下に“シアン”と名前が刻印されている。時計をシアンに返して言った。

「顔をあげてくれ、シアン。君には何一つ非はない。でも、いくらグングニルだからとはいえ、僕の気は変わらないけど。」

「……は?」

 シアンは顔を上げてフィンを見た。しかしいくら見ても冗談を言っている顔には思えない。

「騎士の称号を持っているのなら、后にするのに身分も申し分ないし、それに君は……」

 フィンがシアンの手を取り、甲にそっと口を付けた。

「君は、僕が今まで会った女性の中で一番美しいからな。」


 フィンの言葉に、シアンは耳まで真っ赤に顔を染めて、ほぼ反射的に手を振りほどいた。

「お……お戯れが過ぎます!からかうのはお止め下さい!そもそも……」

「そもそも?」

「わ、私には身よりがありませんし、自分の出自さえも分からないのです。それに、片眼の私が美しいなどと……そんなことありえません!」

 言いながら、シアンはあとずさってフィンから離れた位置に座る。


 それを見たフィンは、シアンとの距離を詰めて言った。

「では……どうして眼帯を着けているのか、教えてくれないか。」

「……それは。」

 シアンは俯いて目を逸らした。

「すまない。言いにくいのならべつに―」

「いえ!」

 シアンはフィンの言葉を遮って言った。

「いえ、大したことではないのです。」

 そして、頭の後ろに手を回して眼帯の結び目を解いた。

 顔を上げ、フィンの方を向いてから今まで隠されていた左目を開く。

「…………!」

 フィンが息をのんでシアンを見る。


 シアンの左目は、瞳の色が金色だった。金色の目と髪は、王族の物だ。フィンも例外ではない。しかし、シアンは片目だけ金色……いわゆるオッドアイだった。

 一度、長めの瞬きをしてから、シアンは口を開いた。

「生まれつき、なんです。私を育ててくれた人に、左目は決して見せてはいけないと言われて、それでずっと隠していました。でも……何故か、王子には見せなければならないような気がしたのです。」


 困ったように笑いながら、「王子と同じですね」

 とシアンは言った。

 フィンは、真剣な顔をして言った。

「シアン、聞いてくれ。」

 フィンの手が、シアンの肩を掴む。

 シアンはびくっと身を強張らせ、脅えの色が薄らと混じった彼女の相貌がフィンを映した。

「その目は決して他の者に見せてはならない。」

「は、はい。」


 その時、庭の奥……森の方から、カリカリカリと歯車が回る音が二人の耳朶に触れた。



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