第二章:舞踏会へ II
シアンは部屋を出ると、会場とは正反対の方向にある中庭に向かった。“城内で迷ってしまった”と言ってわざと会場に着くのを送らせるために。
これはベラムの発案で、これなら一人でいても怪しまれないし、曲が始まってから行けば、他の参加者に話しかけられることも少なくなるだろう、とのことだった。
一方、ソール達は配置につくと、不審な行動をする者がいないかホール内をそれぞれの位置で監視しながら、シアンが来るのを待っていた。
曲が流れ始めてから少しすると、ふと会場の空気が変わった。どよめきが広がっていく。
ソールが、何があったのか分からずに辺りを見回していると、ティムが横から小声で言った。
「シアンちゃんが来たみたい。というか、目立ちすぎて警備どころじゃないでしょ、あれ。いつも官服だからわかりにくいけど、それでもかなり整った顔してたから当然と言えば当然だけどさ。」
ソールがシアンを見つけると、ティムの言葉に頷いた。
身につけている物の華やかさで言ったら、シアンは参加者の女性の中で下から数えた方が早いだろう。
だが、晴れた空の様に青いドレスと雪のように白い肌、瑠璃色で切れ長の瞳、ほっそりした長い手足にシニョンに結い上げられた白銀の髪などが相まって、シアンはため息が出るほど美しかった。
ソールはティムに小声で返した。
「シアンちゃん……笑ってるけど、あれは何をどうすれば良いか分からないって顔だな。」
「そっち?まあ……大方そんなところだろうね。それよりソール。」
ティムがホールの真ん中辺りを指さす。
「あの人達、皇太子妃候補の子なんだけどさ。」
「ああ、そう言えばルキナが言ってたな。本当の候補のひとはほんの数人だけで、他はただの引き立て役だって。」
ソールはそう言いながらティムが指さした方を見る。
そこには、やんごとなき身分なのだろうか、ひときわ豪奢なドレスを身にまとったシアンと同い年位の女性が数人いた。
しかし、どれだけ着飾ってもシアンの前では誰もが見劣りしていた。
「シアンちゃんの事なんか気にしないで笑っていればかわいいのにね。あんなに不機嫌そうな顔してたら、色々と台無し。」
「辛辣だな。否定はしないが。」
ソールの言葉に、ティムはにやりと笑った。
「さて、どうするシアンちゃん。女の嫉妬は例に漏れず怖いと聞く。」
「ああ、シアンちゃんはきっと、そういうの分かってないんだろうな……」
―少し前。
中庭に到着したシアンは、腰掛けに一人腰を下ろすと、ふと空を見上げた。秋の終わりの冷たい風が頬を撫でる。
背中に仕込んだナイフが背もたれに当たって、かちゃ、と小さく音を立てた。
「ナイフの感触で安心するとか……つくづく私は淑女にはなれそうにないな……」
ぼそっと言ったつもりだったが、ここには誰もいないこともあり、嫌に響いて大きく聞こえた。
「さて、そろそろ行くか。」
暫くその場で呆けてからシアンが立ち上がろうとすると、どこからか足音が聞こえてきた。衛兵だろうか、と顔を上げると、向こうがシアンに気づいて駆け寄ってきた。
「お嬢さん、何かお困りでしょうか。」
臙脂色の官服を着た男がシアンの前に片膝をついた。
シアンは、男の服装からすぐに彼がガーディアンであるということが分かっていたが、普通の参加者を装うために、あえて聞いた。
「あ、あの、貴方は……?」
「失礼しました。私はガーディアンのルフレという者です。」
どこかで聞いた事がある名前だな、と思いつつ、シアンは不安げな顔をして言った。
「どうやら私は城内で迷ってしまったようなのです。会場まで案内してくださいませんか?」
シアンの言葉に、ルフレはシアンに手を差し出しながら言った。
「分かりました、それではご案内いたします。」
シアンが、まるで世慣れしていない少女のようにぱっと顔を明るくしてルフレの手を取る。
ルフレがシアンを立たせると、二人はゆっくりと歩き出した。こういうところはさすがガーディアンと言うべきか、エスコートするのに慣れているように思えた。
ふとシアンがルフレを見上げると、首に細い線が付いているのが見えた。
「あっ」
シアンはそこでようやく目の前にいるルフレという男が、半月前に闘ったガーディアンの新人である事を思い出した。
ルフレが視線に気づき、シアンの方を向いてふっと笑いかける。
「お嬢様。なにか―」
「サーリャと。」
ルフレの声に、シアンの声が重なる。
「サーリャと、読んで下さい。……ルフレ様。」
シアンは顔を赤らめて、偽名を言った。シアンが舞踏会に参加することは、警備上極秘扱いにした方がいいとのことだったので、事前に考えておいた適当な偽名を名乗る。
仕方の無い事なのだが、それでも人を、まして味方を騙すのは気が引けた。
ルフレは少し驚いた顔をして、「分かりました。」と言った。そして何があったのかシアンに聞く。
「いえあの、ルフレ様の首に傷があったので、何があったのかな、と思っただけで。」
言ってから、シアンはしまったと思った。折角さっきはシアンだと気疲れずに済んだのに、私の話題にしてどうする、と。
そんなことなど知る由も無いルフレは、首に手をやると、苦笑いしながら言った。
「これは、つい半月ほど前にガーディアンの新人とグングニルの新人が手合わせをする、というものがありまして、そこで付けた傷です。」
「ということは、グングニルに?」
「はい。自慢になってしまいますが、私は今年入隊したガーディアンの中で、学院時代の剣術の順位が一番上だったのです。すっかり思い上がっていた私は、グングニルのことをどこの馬の骨ともわからない、ただ腕を金で買われた野蛮な集団だと思っていました。」
なんだそれは、と言いたくなるのを押さえ、シアンは内心どきどきしながら聞いた。半月前、何も考えずに突っ込んでただ倒したのは、さすがに可哀想だったかな、と思っていたからだった。
「グングニルの方の新人は二人で、私の相手になったのは、その内の小柄な方の人でした。その人を前にしたとき、一瞬女性ではないのかと思ってしまった程に。」
いえ、元から女ですけどと思ったが、もちろんそれは言わない。男だと思われていた方が色々と楽なので、シアンが女だと知っているのはグングニルの人達だけだ。別に男だと言っているわけではないので、ルフレは勝手に勘違いしているということになる。
「彼には悪いですが、はっきり言って最初は大したことなさそうに見えました。しかし、剣を持ってからの彼は、まるで人が変わったようにその雰囲気も変わっていて……。結局、隊長が開始の合図をして、彼が突っ込んで来たところまでは覚えているのですが、気が付いたら彼に引き起こされていました。」
「…………。」
無言のシアンを見て、ルフレは決まり悪そうな顔をした。
「すみません。剣の話など、面白く無かったでしょう。」
シアンは首を横に振って、笑いながら言った。
「いえ、実は私も少々剣を嗜んでおりまして。皮一枚だけを切ると言うことは、相当な腕を持つ方なのでしょう。」
今は休戦中だが、昔から戦争が続いていたため、良家の子女に護身術や剣術を習わせることは珍しくなかったので、ルフレはシアンの言葉に何の疑いも持つこと無く頷いた。
衛兵が立っている扉の前まで着くと、ルフレは普通の乙女が見たらご多分に漏れず心を奪われるであろう爽やかな笑みを浮かべて言った。
「サーリャ様、この先が会場です。曲は始まってしまったようですが、今宵は楽しんで言って下さい。また、これは私個人としてですが、またお会いすることができる日を楽しみにしています。」
含みのある言い方をしたルフレの言葉の意味を上手くくみ取ることが出来ず、シアンは首を傾げて言った。
「案内して下さって、ありがとうございます、ルフレ様。そう……ですね。私が剣士としてお会いすることがありましたら、その時はぜひ手合わせをしてください。」
ルフレと、二人の会話を聞いていた壮年の衛兵達が、心の中で違う!!と叫んだが、それを知る由も無いシアンは、ルフレに礼をすると、衛兵が開けた扉の中に入っていった。
扉の外に一人残されたルフレに、衛兵の一人が同情の目を向けながら言った。
「多分、よく分かっていないのでしょう。お帰りになる際、呼び止めておきましょうか?」
「いえ、結構です。」
ルフレはそう言って気持ちを切り替え、持ち場に戻っていった。……その背中からは哀愁が漂っていたが。
「あいつ……確かガーディアンの新人ですよ。って、あれ?そういえばさっきの子、どこかで見たような……。」
もう一人の衛兵がつぶやいた。
しかし、それに反応する者はおらず……シアンは、誰にも正体がばれること無く、潜入に成功した。
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